お帰り寅さん H・Sさんの作品です
寅さんシリーズ五十作目の映画(男は、つらいよ。お帰り寅さん)が公開された。これまでの四十九作の寅さん映画が作れたのは、寅さんを演じきった俳優渥美清がいたからだ。渥美清か亡くなり、映画監督山田洋次さんも八十八歳と高齢になった。今回の五十作で寅さん映画は打ち切りになるだろうという思いがあった。映画館の大画面で見ておこうと足を運んだ。上映開始のベルと共に、渥美清か歌う聞きなれた節回しの主題歌が流れる。
ー俺が居たんじやお嫁に行けぬ、わかあっちゃいるんだ妹よ。いつかお前の喜ぶような、偉い兄貴になりたくて、奮闘努力の甲斐もなく、今日も涙の、今目も涙の陽が落ちる。陽が落ちるー。
ドラマの主題歌を復唱しながら、寅さんの妹(さくら)は気立てよし、賢く、美人だ。誰もが認める魅力的な人。出来の悪い兄貴の寅さんがいても縁談の邪魔にはならない。愛する人(匪)を見つけて結婚している。二人は暖かい家庭を築き息子(満男)を育てながら、団子屋を切り盛りする評判通りの働き者だ。そういう聡明な妹のために、寅さんが、世間での評価の高い男ぶりを発揮するため、奮闘努力する必要がどこにある。と、うそぶきながら物語の中に入り込む。
寅さんが天国の住人になって二十余年が過ぎた。話の舞台は現在の柴又の団子屋だ。
さくらも連れ合いの博も歳をとり、息子の満男は小説家として、名前も売れ生活も安定しているが、妻が病死。中三の娘と小さなマンションで生活する父子家庭という設定になっている。満男の妻ひとみの三回忌の法要のシーンから始まる。集まった人たちを見ると、親戚は、ひとみさんのお父さんだけ。それ以外は、団子屋の近くに住み親戚以上に親しい付き合いをしているいわゆる近所身内と言われる人たちだ。寅さんにぼろくそにこき下ろされた人達が、寅さんと関わった事件を報告。いくつもの思い出が弾ける。だれもが寅さんを憎んでもいない。恨んでもいない。
寅さんは差別に対して敏感な人だ。現場に差別された人がいたら、その人の肩を持ち差別する側の人をこっ酷くやっつける。気づかずに差別発言をする人には無茶苦茶な屁理屈をこねて相手を恐縮させる。(観客の方は、寅さんのこの屁理屈と寅さんの凄む姿が面白くて大いに笑う)これが定番だ。
法事の次の日は、満男の新刊書の発売日だ。書店で諏訪満男サイン会が開催されている。満男にはそれなりのファンもいて盛況のようだ。一冊の本を差し出した人を見て満男は驚いた。その人は満男の初恋の人(泉さん)だった。お互いに心を寄せ合いながら、突然、泉が姿を消した。それ以後、音信不通のまま二十余年が過ぎていた。再会を果たした二人。
泉は今日までの経緯を満男に語る。複雑な家庭の事情を抱えていた十八歳の泉は、自分を取り巻く厄介な諸事情をかなぐり捨て、叔母を頼ってフランスに留学。大学卒業後は国連職員として働いている。仕事で東京に滞在。三日の休暇を取得していた。偶然、満男と再会を果たした泉は、家族を捨てた勝手な父親だが、一人ぽっちになって伊豆の老人施設に居ることを知らされ、会いたいと思いを募らせていた。父親に会う泉のために、満男は運転手を引きうけ施設へと向かう。
車の中での話題はやはり寅さんだ。満男と泉のお互いを大切に思いやる若者達の付き合いを喜び、応援。事あるたびに寄り添ってくれた在りし日の寅さんの優しさ。父親の不倫が原因で離婚。荒れ狂う母親を持て余す高校生の泉。母娘に心を寄せかばい続けた寅さん。心の中にある寅さんの思い出が鮮明に甦る。ストーリーは、令和一年、満男の妻の法事から一週間の出来事を通して、生前の寅さんのあれこれが語られていた。
何作もの寅さん映画を鑑賞した私だが、寅さんが側にいるような臨場感。超鮮明な画像を見たのは今回がはじめてのことだ。これが4Kデジタル修復画像か? 私の驚きは大きかった。また、被写体として甦った寅さんは、脇役の名優ともども、死んだ後まで私達観客を映画館に呼び込むために、奮闘努力したことになる。山田洋次監督も死者を蘇らせて、一本の映画を制作することが出来たのは、俳優渥美清が監督の描くイメージどおりの人間像(寅さん)を見事に演じきったことにある。三船敏郎ではこうはいかないだろう。と、いうのが私の思いだった。