「死者には丁重にという伝統」を踏まえてなのかどうか、安倍晋三を振り返るマスコミ論調が、政治家としての彼が国民、国に示した不見識、野蛮な「多数派暴力」政治とも言えるものを何も語らないという意味で、不見識が過ぎると思う。まるで、以下のような安倍の政治言動をこれからも続けて良いのだと示しているようで、日本の政治のこの先が危ぶまれるような。
例えば安倍晋三は、自分に反対する国民を「反日」と呼んで、憚らなかった。近代民主主義国家では言うまでもなく、どの国民も国の主人である。対するに安倍晋三は、その国民の税金で国民のために働けと命じられてきたところの、一人の公僕に過ぎない。その公僕が国民を反日と呼ぶなど、どこにそんな権利があると考えていたのか。一人の公僕が「日本とはこういうものだから、貴方は日本人ではない」と語り続けてきたのだが、これがどれだけおかしなことなのか、分からないのである。
同じようなことだが、こんな発言もあった。国家基幹統計の改竄をめぐって「国家を危機に陥れることもあり得るという認識はお持ちか?」という国会野党質問に対して、「私が国家ですよ」と応えて、答弁になっていると考えている御仁なのである。質問の意味も分かっていないからこんな答えになったのだろうが、彼は国家ではない。彼よりも上の国家的存在はいくらでもある。先ず第一に、憲法や主権者国民。そして、国家機関には三権があるうえに三権の中の最高機関は国会であるうえに、首相といえども罪を犯せば裁判所に引っ張り出されるのである。そんな自明の理を前にして「私が国家ですよ」などと言えたのは、自分が総裁である与党が国会の過半を握っているし、近く憲法も変えるのだからなどという驕りをさえ現しているのだろう。現に、この安倍氏が、国会無視をしょっちゅうやってきたのが、その証拠。どうせ国会にかけても通るのだからかける必要なしとばかりに、内閣令の連発をやっていたはずだ。そして、選挙前に自分の罪が指弾されるのを避けようとして、定められた国会開催をボイコットするという憲法無視までをやってのけた御仁である。
というその国会に対する彼の態度も、およそ常軌を逸していた。その答弁は質問には答えず、ダラダラと持論の演説を続けて、質問時間を潰してしまう。答弁に無数の嘘が混じっていたのも彼の特徴であって、これが反対者を人として無視するに等しいと気づきもしない知性なのである。「私は貴方の意見に反対であるが、あなたの発言権は命をかけても守りたい」という政治格言の正反対に位置した政治家というべきだろう。
さて、反対者に対してこれだけ無視、罵詈雑言を続けて来た総理とは、なによりも全体主義的政治思想の持ち主ということになる。つまり、彼の政治力が広がるほどに、反対者は社会の表面から無視され、退けられていくような政治なのだ。日本学術会議会員の任命拒否が正にこのことを示していた。
「こんな政治家」の側面をマスコミはどうして全く振り返らないのか。このままであれば、以上の安倍の行動をそのまま見習うような政治家がどんどん出てきて良いのだということにしかならないのではないか。そんな道は、日本の民主政治が死んでいく道に他ならない。
例えば安倍晋三は、自分に反対する国民を「反日」と呼んで、憚らなかった。近代民主主義国家では言うまでもなく、どの国民も国の主人である。対するに安倍晋三は、その国民の税金で国民のために働けと命じられてきたところの、一人の公僕に過ぎない。その公僕が国民を反日と呼ぶなど、どこにそんな権利があると考えていたのか。一人の公僕が「日本とはこういうものだから、貴方は日本人ではない」と語り続けてきたのだが、これがどれだけおかしなことなのか、分からないのである。
同じようなことだが、こんな発言もあった。国家基幹統計の改竄をめぐって「国家を危機に陥れることもあり得るという認識はお持ちか?」という国会野党質問に対して、「私が国家ですよ」と応えて、答弁になっていると考えている御仁なのである。質問の意味も分かっていないからこんな答えになったのだろうが、彼は国家ではない。彼よりも上の国家的存在はいくらでもある。先ず第一に、憲法や主権者国民。そして、国家機関には三権があるうえに三権の中の最高機関は国会であるうえに、首相といえども罪を犯せば裁判所に引っ張り出されるのである。そんな自明の理を前にして「私が国家ですよ」などと言えたのは、自分が総裁である与党が国会の過半を握っているし、近く憲法も変えるのだからなどという驕りをさえ現しているのだろう。現に、この安倍氏が、国会無視をしょっちゅうやってきたのが、その証拠。どうせ国会にかけても通るのだからかける必要なしとばかりに、内閣令の連発をやっていたはずだ。そして、選挙前に自分の罪が指弾されるのを避けようとして、定められた国会開催をボイコットするという憲法無視までをやってのけた御仁である。
というその国会に対する彼の態度も、およそ常軌を逸していた。その答弁は質問には答えず、ダラダラと持論の演説を続けて、質問時間を潰してしまう。答弁に無数の嘘が混じっていたのも彼の特徴であって、これが反対者を人として無視するに等しいと気づきもしない知性なのである。「私は貴方の意見に反対であるが、あなたの発言権は命をかけても守りたい」という政治格言の正反対に位置した政治家というべきだろう。
さて、反対者に対してこれだけ無視、罵詈雑言を続けて来た総理とは、なによりも全体主義的政治思想の持ち主ということになる。つまり、彼の政治力が広がるほどに、反対者は社会の表面から無視され、退けられていくような政治なのだ。日本学術会議会員の任命拒否が正にこのことを示していた。
「こんな政治家」の側面をマスコミはどうして全く振り返らないのか。このままであれば、以上の安倍の行動をそのまま見習うような政治家がどんどん出てきて良いのだということにしかならないのではないか。そんな道は、日本の民主政治が死んでいく道に他ならない。