九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

耳寄りな本の内容要約を連載していきます  文科系

2006年05月19日 00時02分56秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
「読書会報告、その1」、三国陽夫著「黒字亡国」

友人たちと月1度ほどの読書会を始めて、2回目が終わったところだ。1回目の本は文春新書の「黒字亡国」だったが、偶然この本のことが17日の毎日新聞夕刊2面のほぼ全面を費やして「特集ワールド」として紹介されている。そこで思いついた。これからこの読書会で読んだ本の内容をその都度このブログに紹介していこうと。1冊を1回の投稿でというのではなく、複数回を費やしてやや詳しく要約していきたい。題して「読書会報告」とし、連番号を付していこう。現在このブログで僕が行ってきている毎日新聞記事の紹介とともに、なるべく継続していきたいので、読者諸氏にはよろしく。
ただし、この連載が新聞記事紹介とは違って不人気であれば、中止せざるを得ない。僕も頑張りますので、ブログ参加者の皆さんも頑張って読み続け、できれば感想などを寄せて下さるようお願いします。
またなお、この読書会では対象本の選定を以下のように行っている。参加各人の読書情報を付き合わせて、皆の評価や興味や「現世界史的意義」などが一致したところで次回対象の決定となるというように。
さらになお、今回は2回目以降の予告もしておきたい。「その2」は岩波新書「日本の『構造改革』」(京都大学経済研究所所長・佐和隆光著)。「その3」が集英社新書「日本の外交は国民に何を隠しているか」(愛知大学教授、国連問題と戦後日本外交史専攻・河辺一郎著)。そして「その4」は岩波新書「中国激流ー13億のゆくえ」(神戸外語大助教授、現代中国論専攻・興梠一郎)である。


「読書会報告、その1」、三国陽夫(みくにあきお)著「黒字亡国」
著者の紹介 東大法卒、野村證券、三国事務所設立(権威ある、会社などの格付けをする会社と聞いている)、経済同友会副代表幹事

まず初めに、この著作の紹介として最も短い要約を示そう。この本の帯に掲載されている第2章末尾の4行である。
「輸出で稼いだ黒字を日本がドルでアメリカに預け、日本の利益ではなく、アメリカの利益に貢献している限り、円高圧力もデフレ圧力も弱まることなく、政府・日銀がいくら財政支出や金融緩和というデフレ解消策を講じても、一向に持続性ある効果は現れないのである」
ここに見られるこの表現は、この15年の日本経済の最大問題に真っ向から迫った著作だという自負さえ誇示しているようだ。景気対策の財政支出を行っても、金融緩和に努めても、不況、デフレから逃れられなかった日本。この「失われた10年」の解明の書なのだという意気込みがにおって来る。この「失われた10年」に対して経済学者、経済評論家たちがみな対策論を間違ったというのは既に常識であって、著者もこのことは述べているのだが、それは結局「資本の自由化」というものを見ないで、ケインズ主義的対策など従来からの1国内対象の景気対策にのみ終始したからだと結論しているわけである。これが、この書の中心をなす問題意識なのだと言える。因みに、この「今までの景気対策論の間違いは総て、資本の自由化に目を付けない国内対策だからだ」という論述は、次回に読む「日本の『構造改革』」でも触れられている現代グローバル経済の中心ポイントの一つと言えるだろう。

この著作の第1の主張
日本は80年代後半には既に世界最大の純債権国になるなど、世界1の貿易黒字国であり続けた。その膨大な累積黒字分は円に換えられずに、ドルのままでアメリカに据え置かれてきた。「輸出立国」の「円高恐怖症」がその背景にあったのだ。
累積黒字国とは、自然に任せれば非常な「通貨高(この場合は円高)」にならざるをえず、円高ドル安は対米輸出を妨げる。それを防ぐために日本は、政官財一体となって「黒字分をドルのままでアメリカに据え置く」というやり方を採り続けてきたのである。自動車、家電などの輸出会社がその代金であるドル手形を日本銀行ぐるみの国内銀行を相手にして円に換えて、代金ドル自身は持ち主となった銀行などがそのままアメリカに置いておくということを重ねてきたのだ。つまり輸出代金はアメリカでドルで、日本では円でと二重払いされてきたわけである。そういう歴史的行為の結果、一体何がおこったというのか。こういうことの歴史的結果が「失われた10年」、膨大な失業軍、巨大な累積財政赤字、ゼロ金利という名の財産の目減りなどなどだとしたら、今後にどういう打開策があると著者は言うのだろう。
                         (以下、次回に続く)
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山河の歌詞を送ります

2006年05月18日 01時20分13秒 | Weblog
「人は皆、山河に生まれ、抱かれ、挑み、人は皆、山河を信じて、和み、愛す
そこに生命を繋ぎ、生命を刻む、そして終いには、山河へ還る。
顧みて、恥じることない、足跡を山に残したろうか、永遠の水面の光、増す夢を
河に浮かべたろうか、愛する人の瞳に、愛する人の瞳に、俺の山河は美しいかと、美しいかと。
歳月は心に積まれ、山と映り、河を描く、そこには、積まれる時と、流れる時と、人は誰もが、山河を宿す、ふと思う、悔い一つなく、悦びの山を築けたろうか、くしゃくしゃに嬉し泣きするかげりない、河を抱けたろうか、愛する人の瞳に、愛する人の瞳に、
日本語訳で、心の底から命を感じとったことがありますか、あの遥か昔の山河からやってきた命を」
愛国心などはこうして生まれますが、でもやはりこういうもんではないのかと、教育基本法できちんとすべきなんでしょう。
私達の原点は、不幸か幸せかはわかりませんが、この国に産まれて、この国で育ったのです。この国を愛する、それは祖国愛です。私の少ない海外へ行った経験では、この国の自然は素晴らしいです。こんな事いうことではないのですが、四季があるという意味が、人生というのは、春があり夏が来て、そこが人生の頂点かもわからないが、秋に入っていくと、枯葉が舞い始め、台風もやってきます。その自然へ脅威というか人間など自然の中では何ともならないという自然へ畏怖観念を持つにいたります。
そして静かで寒い冬を迎えます。そうこれで今年も終わりだな・・。これが日本人の死生観ではないでしょうか。佛教の考えではないでしょうか。死んでも、また何か植物なのか動物なのか、わからないのですが、万物は・・というものでしょうね。
この日本人の死生観は、白人やシナ人には理解しがたのでしょうね。自殺が多いというのも、私は理解できます、さらに家族全員で自殺してしまうのも理解できるんです。
恥じをさらさないという美徳とさえ、私は思います。
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万葉の昔から ②              戦歌の訪ね人

2006年05月16日 11時41分51秒 | Weblog
 防人に発たむ騒ぎに家の妹がなるべき事を言はず来ぬかも    茨城郡の防人

 防人は三年間、北九州の沿岸の守備の役目。主に東国の農民が徴集され家族との別れもそこそこに連行されるように連れていかれました。
 この歌のように、妻に「なるべき事」=農仕事の段取を教える暇も無く別れさせられたのです。三年後再び会える事をだけを願って出発して行きました。

 追肥えのことこまごまと言ひをりて応へすくなき妻に気づきぬ   中田清次

 昭和万葉集に載ったこの人も満州事変で召集された農民です。妻に託す農事の数々、妻は夫の命が気がかりで虚ろです。後ろ髪を引かれる思いは千年以上昔の万葉人と変わりません。
                            
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ネーミングの効果  落石

2006年05月15日 10時00分56秒 | Weblog
今朝のNHKのニュースで、「コンパクト・シティ」というのがありました。
町村合併で効率のよい行政を行うための合理化です。
役場のある中央に住民を集めようという政策です。
コンパクト・シティと言われ、役場の言い分だけを
放送すると良いことが行われているように感じます。
引越しせざるを得なくなる住民の声はありませんでした。

さて、本論。ブログの議論も煮詰まってきましたが、
同じ言葉で違った内容では議論は実りがないようです。

立場が違っていても、そうか!と思えるような後味のよいものに
するためには、この辺りから考えないとと、思うこのごろです。

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「憲法九条攻防最前線」(その2)  文科系

2006年05月14日 23時58分06秒 | 文芸作品
「憲法九条攻防最前線(その1、5月5日投稿ー作者注)」を書いた後、「文化」さんはすぐにブログを起こした一人にメールをした。相手がやっている論法についてだ。
「やっと分かってきた。俺が早晩質問に誠実に答えるのを良いことに、向こうは俺の質問を捨て置いて、逆に質問、非難というのが主たるやり方らしい。まともに答えると話が袋小路に入り込み、討論が何か馬鹿馬鹿しいような様相になってくる。そのくせ『それは分かります』、『その問題は軽視してません』などと否定し難い切り口には譲る振りをしながら、その譲歩が関わるはずの自分の当初の主張は寸分も変えないままだ。討論しようという意図、誠実さがまるでない。こりゃ右翼街宣車やヒットラーのやり方と同じ独断だよ」
折り返しの返事には、こうあった。
「分かるけど、朝日新聞掲載の右翼の組織的襲撃で『(左翼的な)ブログが炎上』という程に組織的じゃないよ。組織的に狙われるようになったなら光栄なことだと思うけどね」
「その朝日のニュースは知らんけど、僕は意図的、組織的とか言ってる訳じゃない。事実としてそういうやり方だということね。まったくの独断ね。独断とも気づいてない独断だから、なおさら度し難いというもんだけどね」
「うん、事実は確かにそうだけど、君らのやりとりを読んでみると、君の論述が理解できなくてそうなっとることが多いようでもある。そういうのは一方的に君から打ち切るやり方もあるんだけど」
「うんうん、もうそうするつもりだ。お味方の『鷹子』さんでさえ、『たまに文化さんのいっていることを理解できないというのはどうかと。普通に読めば理解できるのではないでしょうか』と言って来たこともある」
「僕もそう思うんだけどね。だけど君のは難しい文章であることは確かだよ」
「そういうやり方で二、三日したらまた投稿し始めるよ。それにしても戦争の原因について本能と実証的原因の整理もろくにしない議論が多いねー。この二つをごっちゃごちゃにしたような思考で、乱暴な断定の連発だ。さすがそれじゃいかんと改め始めたのは良いが、今度はこうだ。ハンティントンの『文明の対立』?文明の違いが戦争になるには別の原因が要るなんてのはちょっと考えたら分かることだがね。『排他的なインチキ民主主義』を『押しつけようとする』ネオコンが石油絡みでイスラムの国家を蹴散らしただけ。その犯罪を一体、庇おうとでもする積もりかよ、全く。現に無数の死者が出とる毎日を『戦争は起こるもんだ』とか言って傍観しとるだけじゃないか。『自分の妻子が殺されたら見とるのか!』と偉そうに詰問する奴がさ?こうなると藤原正彦が吐き捨てるこんなもんだよ。『もちろん差別ほど醜悪で恥ずべきものはありません』(「国家の品格」P90)」
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「文明の違いが戦争を起こす」も眉唾  文科系

2006年05月13日 14時12分13秒 | Weblog
「ハンティントンの所説に対しても、私は異論を唱えざるをえない。そもそも『文明』なるものが、テロリズムや紛争の火種となる契機を、本質的に内包しているわけでは必ずしもないからである。しかも、異なる文明の存在を容認しない人びとの割合が、世界の過半数を占めるとは、とうてい思えないからである。異なる文明を容認しない人びとのなかでも、武力によって異文明を崩壊させるべきだと考える人は、あくまでも少数派でしかないからだ。要するに、異なる文明同士が、おたがいの『差異』を根拠にして武力衝突することは、本来、ありえないことなのである」(岩波新書「日本の『構造改革』一一四ページ)
もっともアメリカのネオコンのように文明の違いをいきなり戦争に結びつけがちな人々は確かに存在するが、これは他を圧倒する強大な武力を持つ者が傍若無人に行いうる「ローマの平和」に近いものだし、彼らにとっても戦争を起こす最大の原因が文明だったとは僕は考えていない。
次に単なる政治思想で戦争を起こすということも独裁体制ではない民主主義国家ではもうほとんどなくなってきたと僕は考えている。冷戦体制下の戦争でも、政治思想の争いというよりは「この方が生活が良くなる」という争いだったはずだ。マルクス主義とは是非はともかく資本主義経済を批判した、計画経済のことだったはずだからである。
そして戦争はやはり国民の存亡がかかったような生活問題、経済問題に結びつけることができて初めて起こる場合が最も多かったのだと思う。つまり現代世界では為政者やその周辺の単なる思想のようなものだけで戦争がおこされるものではなく、「国民全体の生活がかかったような問題」で「やむをえず闘う」と、そういうことが今やほとんどだと考える。少なくともまだ形式的にせよ人権が尊重されるようになった民主主義国家では、人権の最たるもの人命を損なう戦争はその程度には憎まれ始めたはずだと、僕は考えている。こういう感じ方、考え方は二十世紀後半に現実の世界に広がり始めたものだが、さらに加速度的に広がっていくと僕は考えている。
こうした動向に異を唱えるように行動してイラク戦争で失敗したアメリカは、イランへの爆撃はともかくライスが言うような有志連合上陸はもうほとんどできないはずだとも考えている。スペインもイタリアも今回は下りるのは明白。イギリスも下りる可能性大だから、イラク戦争前五十万人の反対デモがあったオーストラリアも雲行きが怪しい。世界が僕のような考え方でアメリカを抑え始めたようだし、そんな中で上陸をやったらアメリカのネオコンはもうお終いだろう。そうであれば、イラク戦争とイランとでの国際的経験は、人類の偉大な知恵をまた一つ積み上げたということになる。「今のアメリカでさえ失敗した」という教訓である。
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「民主的・経済国家」+「非核軽武装平和主義国家」  まもる

2006年05月12日 00時31分44秒 | Weblog
 戦後の60年間というのは、今70歳より若い人にとっては人生の大半と重なる時間です。70歳の人でも終戦時は10歳深刻な戦争体験は希薄だと思います。
 そうした人々を先頭に戦争の時代ではなく戦後そのものと共に生きてきた日本人が人口のほとんどを占めています。何の疑いも無く平和と民主主義そして成長し続ける経済の中に身をゆだねてきました。確執はあったけれども保守・革新ともにそれをベースに新しい日本を構築してきました。
 今この日本の姿に疑問が投げかけられ、別の方向への舵取りが始まろうとしています。保守が革新に、革新が保守に所を変えようとしているかのようです。

 しかし 何故今まで享受することの出来た「平和」「富国」「民主」を変更しなくてはならないのでしょうか? 誰が料理したのかしらないけれど、美味しくて栄養のあるお料理でした。これからも出来るなら是非食べ続けたいですね。

 MENU 「非核・軽武装平和主義国家」+「民主的経済国家」

如何でしょうか。 今までの味ですが。       

 
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予想と違って  落石

2006年05月11日 17時12分56秒 | Weblog
保守好みさんの考えを想像してみましたが、
かなり違っていました。
一番大きく違うのは、対米のスタンスです。
私は、東京裁判などに対するお考えから、
当然、安保条約は解消していく方向性を
示されるものと思っていました。
また、軍事力、特に核武装は北朝鮮の対応次第では
選択肢のうちとされるのではと予想していました。
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南京事件について

2006年05月09日 02時03分14秒 | Weblog
南京事件ー国民党極秘文書から読み解くー草思社ー著者東中野修道ーの本を読んでいます。この本で書かれている内容について、もし良ければ、ご感想をいただけません?
南京大虐殺の源流は、虚報とプロガンダ本だった
という帯がついています。
ご存知のように、私は、南京事件なるものは、無かったというか幻派なので・・。
日本軍より、国民党軍側に責任があると思ってきましたから・・。
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万葉の昔から               戦歌の訪ね人

2006年05月08日 00時29分54秒 | Weblog
 戦は人の性なのでしょうか、絶える事なく続いてきました。
 「九条の会」に関わるようになってから、戦争にまつわる短歌や俳句がとても気になるようになりました。
 国を守るための政治や経済の話も大切ですが、人々が国を守るために戦に赴いたり、家庭を守ったりした時代の苦しみや悲しみ、決意の歌にも耳を傾けて見る事も大切でしょう。これからそんな歌が見つかった時に書き記してみたいと思います。

  「韓衣裾に取りつき泣く子らを置きてそ来ぬや母なしにして」  防人のうた
 
 母も無い幼子が防人徴発され出発しようとする父親に取りすがって泣き叫ぶ哀しい万葉集の一首です。
                
  「泣ける子を叱りはげます父の声雄々しけれどもすでに泣きおり」 中田清次

 上の短歌は満州事変当時の農民歌人の歌です。いずれも、戦に召集される家族の
気持ちを歌ったせつない歌です。 万葉の昔も昭和の頃も戦に行く人の心は同じではないですか。
 再びこんな歌を歌うことの無いようにしたいものです。
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保守好みさんは、立ち上げ人への答えを

2006年05月06日 15時17分28秒 | Weblog

理論的な頭を持っている保守好みさんの世界観を
駆使した大きな構想を期待しています。

楽しみです。     落石
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掌編小説「憲法九条攻防最前線」  文科系

2006年05月05日 00時04分57秒 | 文芸作品
 
〈すげーもんだ。やっぱりこの人、凄い勉強家だよ。政治だけじゃなく、円・ドル・ユーロ問題とかアメリカの住宅バブルとかの国際経済問題にも強いし。俺が前に勧めた近頃有名な本、「国家の品格」なんかでも、直ぐに読破して反撃してくる。勧めた俺の方が斜め読みで恥ずかしいぐらいなもんだな。ほんと、負けそう〉
 彼、「東条」さんは深夜二時、パソコン画面の長いお返事投稿に目を通しながらそうつぶやいている。昨夜某ブログに掲載された「文化」さんからのものだ。この朝目を通して、これで既に三度も読んだことになる。
 同じ深夜二時、他方「文化」さんも眠気すら感じず、一心にパソコンを打ち続けている。時折思い出したように、新聞切り抜きファイルや、電子辞書の百科事典、同じ卓上にある数冊の新書本などをひっくり返したりもしながら。三ヶ月ほど前から病みつきになっている憲法九条のとあるブログへ、今夜もまた長い投稿を書いているのだ。ブログの表題はそのものずばり「まもるとカエルの九条バトル」。時節柄憲法九条を巡る社会的論議を巻き起こそうという趣旨で、彼と同様定年退職後数年という友人二人に呼びかけられて参加しているものだ。彼はブログビジター用のコメント欄だけでなく、主催者エントリーもしていて投稿欄に書くことも多い。三人とも定年退職で時間だけは手に余るほどあるのだ。彼の立場はもちろん「まもる」である。
 今夜の投稿相手は「東条」さん。ここ二ヶ月ほど彼のライバルであり続けている論客だ。「鷹子」さんとか「見物人」さんとか、新人「カエル」の割り込みも多くて、一日のアクセスは百人ほどと結構なものだ。いろんな反応があってテレビで暇を潰すよりはるかに面白く有益だと考えている。家人はとっくに床につき、傍らのイスに丸まった黒猫の寝息さえ聞こえてくるような四月の真夜中。彼が投稿ボタンを押した時刻は、三時を回っていた。

 翌朝七時、起きて直ぐにパソコンを点けた「東条」さんの目には、またまた長い「文化」さんの投稿が飛び込んできた。この前はこんなこと言ってきたんだったな。えーと「九条改定問題の今の焦点は『イラン戦争』勃発の可能性であってー、アメリカのイラン戦争の重大動機にはそのバブル、ドル問題がある」とー。そして今日の題名はさてさてえーと、「当面のこと全体へのお返事」と、声を上げて読み始めた。
 「細々したやりとりは袋小路に入って、何をやってるやらさっぱりで非生産的ですから、僕が今世界情勢を見るその構図を短く箇条書きにしておきます。一、景気というものの実態がとらえがたくなってきて、『社会・群衆心理的な良悪両様の循環』への対処もお手上
げになっている。経済学者はみな間違ってきた。二、日本のバブル弾けは (中略) 三、逆にアメリカは双子の赤字なのに世界の資金を集めてインフレ気味の好況スパイラル続き。(中略)これが、各国の外貨準備ドル、米国債、円、元など、世界の諸問題の予想される最大震源地となっている(以下略) 」
 困ったな、経済は不得意だし、まして通貨問題なんて。「靖国」、「日韓、日中問題」、「日本精神」とか「東京裁判」とかならすらすら書けるけど。なんかこっちが洗脳されとるような気がしてきたな。今度「教授」にお会いしたときに少し材料を仕入れてこんといかん。
 とその時、部屋に入ってきた者があって彼に声をかける。
 「先生、また『文化』さんのお相手ですか。『九条守れ』や『左』のインターネット対策で遊ばれとるとも知らずに、『左』にもほんとに熱心な奴らけっこう多いもんですね。平和ボケ老人ばっかりかと思っとった。全くシノギにもならんのにご苦労様なこった」
 「馬鹿言え、アキラ。今度の相手は新聞も本もどんどん勉強しとる。近頃まるで、ますます楽しんどるみたいな調子になってきた」
 「先生だってこのごろ、楽しそうじゃないですか。俺ら塾生など、他の者には全く書かせずにさ。毎日毎日、何回も何回も読み返したりしてー」
 「それも馬鹿言え、文章もろくろく書けん奴が。この前誰かが書いたの、ごまかすのに大変だったんだぞ。『文化』さんは経済問題など勉強になる内容も結構多くてな」
 「そー言えば兄貴がこの前何か書いてましたよ。いーんですか」
 「あーあれは『通行人』とか『見物人』とかいう名前でな。『東条』さんで書くことは許しとらんよ。それに、『文化』さん宛てには書くなよとも命令してある」
 にしても、と「東条」さんは考え込むのだった。この「文化」さんとはいつまで続けるのかな。どんどんこっちのが不利という博識、勉強ぶりだし、どっかでこの「愉快犯」の真相がばれたら、凄い気の毒にもなってきたしな。勉強しては連日長い書き込みやって、あれだけ熱心なんだから。そろそろ近い内に切り上げんといかんが、どうしたもんだろう。

それから一週間ほど経った五月三日、例年のように街にカーキ色の街宣車が溢れている。
 「世界の誇りー天皇制はー」、「靖国はー日本人の心の問題ですー」
 夜、街宣車から戻ってパソコンを覗いていたアキラが突然「東条」に向かって叫んだ。
「大変だ先生ー。『文化』さんから、小説みたいなもんが投稿されとる!」
         (以上は総てフィクションであることをお断りしておきます)
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おおざっぱな提案  落石

2006年05月04日 09時01分26秒 | Weblog
立ち上げ人の要請にこたえて、各項目について
おおざっぱな考えを項目化してみます。

アメリカとの関係
 経済 ドルから比較的独立した円の強化へ
 政治 安保条約の段階的解消・平等な軍事同盟へ

中国との関係
 経済 共存共栄を図る(いずれ競合してくるが)
 政治 領海などは資源問題が根底にあるので、
    互いに小さく譲り、大きく儲ける策を共同で。
    
軍事力
 防衛力の強化(とくにアメリカとの対等を保障する情報収集)
 専守防衛 対外人道援助

九条
 堅持 外交の基本政策として、有効に活用する
 対米・対中政策に独立性を保持するために重要

対韓国
 以上の独自外交を日本単独で行うことは困難
 同盟国が必要 韓国しかいない
 100年の大局に立って同盟関係を築き上げる
 
基本政策
 軍事力は持つが戦わないという九条を基礎に
 日韓同盟を。
 それを土台に2大国に従属しない独自外交を堅持
 経済の発展の安定を保障する
 
 
    

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アメリカと日本はどう付き合うか?(保守好み)

2006年05月04日 02時29分52秒 | Weblog
立ち上げ人の提案にのります。
私のアメリカ観ですが、まずは、あの馬鹿げた東京裁判を主催した国であり、あに広島や長崎、大都市へに空爆をして民間人を殺戮した国であるという前提があります。しかも馬鹿げた憲法を作って、この日本の歴史や文化・文明・倫理性なども、いや経済的にも政治的にも蘇生させないという意志での憲法であり、アメリカの日本の占領統治に、アメリカ自身が驚くくらいに、当時のマスコミや一部知識人など、日本人はやすやすと従ってしまいました。この事へ、まずは私は、悲しくなります。
そう言いながら、私もまたアメリカに染まった一人であったように思います・
ジャズに親しみ、ポールアンカなど、レコードを買ってきたり、受験勉強中でも、それらを聞いていました。昭和20年後半、家族で映画を見にいけば、インデアンを殺すアメリカの騎兵隊に拍手を送っていました。
しかし、私のこの親米は昭和45年のアメリカへの訪問で、揺らぎました。丁度、アメリカが、ベトナムに係わった頃でしょうか。どうもこの国と日本は異なる社会ではないのかと・・。
確かに、思えば、かの国は日本と異なって、連綿とした歴史を続けて来た国ではありません。そこには、慣習や伝統などは育っていません。キリスト教における倫理性は強いのですが、でもそれは、プロテスタントの世界だけで通用する倫理です。
となれば、どうやって国家を統治するかといえば、法によってしか統治できません。
それはとても高コストになるのですが、仕方ありません。
このアメリカ型社会に1990年代、日本は、政治、経済の分野それこそ猿真似をして、政治家も経営者も組合もマスコミももう総がかりで日本のアメリカ志向が始ってしまいました。これでアメリカの日本の精神の上での占領政策はほぼ完了したように思えます。
恐らくでしょうが、アメリカが想像した以上の成果でしょう。
さてアメリカという国でした。
これから書いて行きます。ただもう夜も遅いので明日かな?
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理想掲げる国、地上に一つでも      金子兜太

2006年05月02日 13時11分54秒 | Weblog
 俳人九条の会の金子兜太さんが、ある新聞の日曜版のインタビューで次のように話して見えました。
 
  九条への思いに、理屈はないですなあ。今隣で話していた男が機銃掃射でぶち 殺されて海に浮いている。いとも簡単に人間が死んでいった。
  戦争なんて人間のやる事じゃない、あってはならんものなんです。そういう思 いで生きてきて、俳句を作っています。              
  最近も 「戦あるな白山茶花に魚眠る」「去年今年国会議事堂に餓鬼ども(チルトレン)」という句を作りました。
  私は、戦争を考えている人間、戦争が必要なんていう人間には生理的に拒否反応を起こしたくなる。
  九条という理想を掲げている国がこの地球上に一つでもあることが大事だと思
 うんですね。

 現実論の蔓延る中で九条の持つ理念を、記念日を迎えるにあたって今一度考えてみたいと思いました。
                 九条俳人    
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