九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「グラ、鹿島にドロー。優勝は?」  文科系

2011年09月19日 10時23分09秒 | スポーツ
 昨夜、このゲームを観るために、行きつけのスポーツ・バー「グランスラム」へ行ってきた。予約に対して、いつものように大画面真っ正面、最前列の特等席を用意してくれていて、感謝。最近よく飲むのは、ラムの「ロン・サカパ・センテナリオ」のハーフロック。たっぷりとした豊潤な味が気に入っている。スコッチでは、このところ2年ほどボウモアに凝っている。

 さて、昨夜の1対1に終ったこのゲーム、一言で表現すれば「負けたゲームで、勝ち点1を拾った」と感じたもの。終始鹿島が攻勢を取ってたまにグラが攻めると、そんなゲームだった。シュート数にして前半が12対5で、最後が20対12だったか。いくら鹿島のホームでやり合ったのだとしても、あれでは勝者の権利はない。そして、4位のグラが、5位の鹿島にこんなゲームをして優勝が狙えるのかと、正直心配になったものだ。最後の頃トゥーリオがベンチにこう怒鳴っていたらしい。「攻めないのかっ!」と。「自分が上がって良いか?」と訊ねているのだと、僕は理解した。彼が上がっていたら、多分負けていたろう。その点では、ベンチは正しかったと思う。
 もっとも、こういう見方もあろう。点差が離れた5位鹿島のホームゲーム、死に物狂いで押してきた相手を受けて1対1なら良しとする、と。グラベンチは、そんなとらえ方のようだった。

 鹿島は、潰しが速いから敵ボールが苅れるわ、前半の前半などは田代がヘッドを乱れ打つわ。なんせこの田代、守るトゥーリオよりも打点が高く、そのヘッディングシュートは厳しい厳しい。こんな場面の連続に思ったが、組織技術では鹿島が圧倒していた。対するグラは、ゴール前にしっかりブロックを作って守ることだけが目立った。この攻勢と守勢は、ホームとアウェイの違いだと言ってしまえばそれまでだが、とにかく鹿島が組織的に走り勝っていた。
 名古屋で目立ったのは、個人技である。真ん中のダニルソンは聞きしに勝る名選手。速いし、強いし、スタミナもあり、どこにでも顔を出して敵ボールを一人で奪っている感じだ。そしてもう一人目立ったのが、やはりトゥーリオ。危ない侵入を最後に食い止めるプレーが目立ったが、読みの力が高い証拠。一度は味方ゴール・バー直下辺りで、敵シュートをゴールから掻き出すような、そんなヘッドまでを見せていた。

 結論である。今年のグラは優勝できないと思う。「アウェイだし、落とせないゲームだから、守った」にしても、この時期にあーいう消極的な、強い個人に頼ったようなゲームをしていては、優勝の権利はない。それは、サッカーの神様が許さないだろう。こんな風に、以下のようなこんな意味で。
 10月15日、第29節のガンバ戦が山になるわけだが、そこで勝って勢いづいたガンバがそのまま優勝まっしぐらと、そんな気がする。遠藤とラフィーニャにイ・グノ対、藤本とケネディに玉田って、互角のようにも思うが、日ごろリスクを冒しているガンバの、その「リスク冒し」の力量が勝利をもたらすはずだ。これが、ガンバが強豪相手に強い理由なのだ。土壇場になってこれが出てくるに違いないと観た。もっとも、ガンバの遠藤が欠場したら、がらっと変わってくる。それは、名古屋がケネディを欠いたら負けというのと同じことだろう。
 なお、横浜は得点力がないから競り合いに厳しいが、柏も不気味である。なんせ本当に強いのだ。ここも、組織で闘っている。

 これを書き終わった後、今朝の新聞で見たが、ガンバ・横浜戦も1対1のドローであったという。ガンバに離されなくってグラには救いだが、上の予想を変える必要はないだろう。
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野田新首相は「集団的自衛権の行使」を主張    大西五郎

2011年09月18日 18時39分04秒 | Weblog
大西さんから送られてきた野田総理についての憲法感覚について転載します。らくせき


野田新首相は自称「新憲法制定論者」著書で「集団的自衛権の行使」を主張。

                        大西 五郎

 民主党は菅直人氏に代わって野田佳彦氏(前財務大臣)を党代表に選出し、
野田氏は8月30日に首班指名を受け、9月2日に野田内閣が正式に発足しました。
野田総理は9月12日に所信表明を行い、9月14日から衆議院で、15日から参議院で、
所信表明に対する代表質問が始まりました。

このうち15日の参議院代表質問で自民党の中曽根弘文議員が
「総理は著書でご自身は『新憲法制定論者』であると述べ、
憲法九条、プライバシー、知る権利、地方自治など、
議論すべき点を挙げておられます。
もし総理が憲法改正を本気で目指されるのであれば、
われわれは共に議論を尽くしたいと考えています。
野田総理は、総理であり民主党の代表であるという立場になられた今でも、
憲法改正を目指すお考えに変わりはないか。伺います。」と質問しました。

これに対して野田総理は「私は『新憲法制定論者』です。著書にもそう書きました。
しかし現在は首相という立場で、現行憲法の下で最善を尽くします。
震災復興や原発事故収束など喫緊の課題が山積する中で、
憲法改正が最優先課題とは考えていません。」と答弁しました。
今直ちに憲法改正問題は提起しないが、落ち着いたら憲法改正に向けて動くということでしょうか。

気になったので「著書」というのを調べてみましたら、
2009年に発刊された「民主の敵――政権交代に大義あり」(新潮新書)
であることが分かりました。早速本屋で求めて読みました。
(なお初版は2009年7月ですが、野田氏が総理になったというので新潮社は
早速「新総理の『腹の底』を読む」という帯をつけて増刷、販売しています。)

著書で野田総理は「私は新憲法制定論者です。戦前の大日本帝国憲法に対して、
戦後の日本国憲法のことを、よく『新憲法』といいます。
しかし、世界中の憲法の中で、すでに一五番目くらいに古い憲法になっているそうです。
とても新憲法といえる代物ではありません。九条はもちろんですが、社会の変化に伴って、
プライバシーの概念、知る権利の関係、その他、いろいろな権利の概念も変化してきています。
修正することをタブー視してはいけないと思います。」と
新憲法制定の必要を論じています。

そして集団的自衛権については、「政府見解としては、集団的自衛権は
保持しているけれども、憲法上、それは行使できないということになっています。
これを踏み越えることができるかどうかが一番の肝です。
集団的自衛権をフリーハンドで行使できるようにするべきであるというような、
乱暴な話は論外です。
しかし、いざというときは集団的自衛権の行使に相当することもやらざるを
得ないことは、現実的に起こるわけです。
ですから、原則としては、やはり認めるべきだと思います。
しかし乱用されないように、歯止めをかける手段をどのように用意しておくべきか
という議論が大切になっていくわけです。
やはり、実行部隊としての自衛隊をきっちりと憲法の中で位置づけなければいけません。
いつまでもぬえのような存在にしてはならないのです。

その自衛隊については「実際は戦闘機も、潜水艦も、戦車も、最新鋭のイージス艦まで持っている、
隊員は命をかけて海外まで行っている現実がある。
そうすると日本は軍隊を保持しているわけです。
しかも世界的に見たら、かなりの規模の実力を有しています。
自衛隊(Self Defense Force)などといっているのは国内だけで、
外国から見たら、日本軍(Japanese Army Japanese Navy Japanese AirForce)なのです。
国内での自衛隊の位置づけを明確にする。
その上で、国際的な枠組みの中で自衛隊をどう活かしていくかを考えるべきです。」
と、云っています。

(軍隊については)「戦前の恐怖が国民にも周辺諸国にもあるのは隠しようのない事実なのですから、
シビリアンコントロールのことも含めて、暴走する可能性をどうすれば抑止することができるのか、
あらゆるルールをつくろうではないか。というのが、私の率直な思いです。」
とも述べています。

野田総理の主張は、自衛隊は現実の軍事力であり、諸外国と行動(平和維持活動?)を共にしているのだから、
その現実を認めて、憲法上にも位置づけて、諸外国の軍隊と作戦行動を行うときには
集団的自衛権の行使を容認すべきだというものです。

しかし、野田総理の論理の前提となっているのは、自民党政権が解釈改憲によって憲法第九条に違反して
自衛隊を「軍隊」にし、アメリカとの共同行動のために外国に派遣した既成事実を追認したものです。
しかし、湾岸戦争が起きた1990年代初頭からアメリカは絶えず日本の国際貢献(自衛隊の派遣)を求めました。
そこで自民党政府は1992年にPKO法を作り、自衛隊を海外へ派遣するようにしました。
しかし、国民は自衛隊の海外派遣で日本が再び戦争をする国になることを恐れました。
このためPKO法では、PKOに参加するのは1.停戦の合意ができていること、
2.当事国による日本の参加の合意、3.中立的立場の厳守、
4.基本方針が満たされない場合は撤収できる、
5.武器の使用は命の防護のための必要最小限に限る、
という5原則が設け、曲がりなりにも憲法第九条と整合性をもっていると
言い訳をしているのです。

日本の総理大臣は、諸外国に向かって「日本には憲法第九条があり、
軍事力に頼って事態を解決する行動はいたしません。
海外貢献は非軍事的な方法によって行います」と宣言すべきなのです。
マスコミが「どじょう総理」などと持ち上げているため、
野田内閣の支持率は60%前後と高いのですが、
現実を追認して憲法の一番大事な原則を変えようとしていることを
国民はもっとよく見る必要があります。
マスコミは政局報道だけに集中するのでなく、野田総理の憲法に対する考えを
国民によく分かるように報道すべきです。


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保安院の大罪(42) どうしても解せないこと  文科系

2011年09月18日 12時44分14秒 | Weblog
 どうしても解せないことがある。
 このたびの原子力シビアアクシデントという緊急事態を招いた人々が、今後の正しい対策を考えるために必要な事故経過や被害などの基礎資料を握っていること。そして、彼らは、3.11以来今まで、これらを小さく見せることしかしてこなかったし、どれだけ公開してきたかもハッキリしていないこと、だ。
 これについて最近の最も酷い実例、出来事は、東電が国会に対して行った事故対策についての黒塗り資料提出である。この黒塗り事件には、あとで判明したことだが、経産省の東電に対する示唆、援助があったようだ。というのは、「東電は議会委員会に資料を提出しなければならぬ」という規則があるのに、その規則の存在を保安院が隠していて、委員会も知らなかったと新聞に発表されたからである。委員会も不勉強だというのはその通りだが、そういうときに法制などを全部教え、国会に有効活用させるのが、事務方である保安院が国民に負った義務ではないのか。国会・政治に対する事務方とは、それが仕事の筈だろう。だから国民が税金で彼らを食わせているのだろう。この義務に反して、この保安院は正反対のことを行っているというしかないのである。

 さてこうして黒塗り資料のみならず、一事が万事、経産省、保安院は今や一般に、こんな行動を取ってきたと言える。自分らの罪を軽くみせることを懸命に行ってきたこと、そのため国会の事故対策を妨げてきたこと。
 かてて加えて彼らは、ネット世論動向調査・対策の予算まで持っている。
 泥棒に、隠れ家を与え、泥棒7つ道具を与えているようなものではないか。しかも、税金で。こんなふうでは、事故調査委員会がきちんとした仕事ができるわけもなく、正しい結論などは望むべくもないはずだ。国家存亡がかかったこの問題の正しい解決に向けて、以上の「最大難関」に何の対策も打てない国家なのだろうか。随分馬鹿馬鹿しいことだと言っているだけでは、済まされることではない。

 折も折、経産省と打ち続いてきた進退問題をめぐって、改革派官僚・古賀茂明に奇っ怪な出来事が起こった。経産省官房長から「枝野経産相の言葉を伝えるが、もう退職してほしいということだ」と言われたことから辞職届を出したが、後に枝野氏自身から「そんなことを言った覚えはない」と語られて、1日で古賀茂明辞職報道が吹っ飛んだという事件である。この一事も、経産省の暗闇性、悪辣性が示されていると言える。「いっそ古賀氏を事務次官にせよ」という声が巷に起こっているが、上述の「最大難関」解決に関わって一つの正道ではないだろうか。
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  一つの決断      只今

2011年09月17日 12時45分18秒 | Weblog
 【われわれは取り返しのつかないことを仕出かしてしまい、もうどうしようもない処へ来てしまったのです】
  と呟くのは、児玉龍彦さんと小出祐章さん。
  この言葉の出てくる背景にあるのは、広島原発の29、6個分、セシウムは最近の政府発表によれば168個分に相当する放射性物質がばらまかれたということがあります。

●森口祐一東大教授の試算(9月15日付『朝日新聞』)によれば、汚染された福島を除染して1ミリシーベルト以下に抑えようとすると、その範囲は福島県の7分の1に及び、汚染物質の中間貯蔵施設の建設費は80兆円になるとのこと。
 田畠や森林はどうするのか、もはやどうしようもないのです、と児玉さんは言いながらも、週末には除染活動をするために南相馬町へ通っておられる。

●どの食品は安全か、を問われた小出祐章さんはこう言われる。
 「3月11日を境にして世の中は変わってしまったのです。食品の汚染は程度問題。汚染した食べ物をどのように分配するのかという選択しか、私達には残されていません」。
 そして小出さんは、私たちに一つの決断を促される。
 「フクシマの惨劇を許してきた大人たち、感受性の弱い高齢者は、高放射線量の食品を、
  そして子どもや妊婦には低放射線量の食品を食するという〈分担〉をしようではありませんか」。

●それはそれとして、私はどうするか。
 孫と孫の世代の顔をちらりと思い浮かべて、19日の「さよなら原発集会」にとりあえず参加しようと思っています。
 集いの詳細は、12日付けの本ブログに記しておきました。

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「我々に課税を」とアメリカの社長さんが    らくせき

2011年09月15日 08時58分07秒 | Weblog
今朝の赤旗によれば、アメリカの投資持ち株会社のCEOが
ニューヨーク・タイムスに寄稿して
大金持ちへの増税に賛成と呼びかけたそうです。

国難ともいうべき危機に際して負担を申し出たわけで、
ケネディ大統領が「あなたはアメリカに何が出来るのか?」を
問いかけた話を思い出しました。

一方、日本の経団連の会長さんは?
お金持ち増税は反対、企業減税も求める。
原発も再稼動を求める。
枝野さんには「もっと経済を勉強してほしい」と注文。

この日本の国難に経営者として何が出来るのか?という
発想はまったくないようですね。
大企業のトップに寄付を呼びかけるでもなく、
我々も被災者の一員なのだと、政府に要望ばかり・・・

国民に愛されない経団連会長さんですね。




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佐藤栄佐久著「知事抹殺」紹介(6)逮捕直前の原発攻防と「むすび」  文科系

2011年09月15日 05時24分52秒 | Weblog

 前回最後は、こうだった。東電の社長、会長、相談役2人というトップ計4人が02年9月に引責辞任した。こういう社会的大事件の成り行き・結末について、佐藤が言わば先導したとも言えるのである。なお、この相談役の1人、平岩外四が元日本経団連の会長だったということが、この事件の大きさを示している。

 日経が見た佐藤

 さて今回は、以下を見ていく。その後、06年10月の佐藤逮捕までを。日本の原発問題をめぐって、とくに福島県が当面白紙撤回を内外に表明し続けたプルサーマル問題をめぐって、佐藤がどう振る舞っていったか。原発推進者から見れば、彼はどういう存在であったか。
 まず、これらのことを白日の下に晒している象徴的な資料が存在する。03年6月5日の日経新聞にこんな記事・文章が載っている。以下『 』はすべて、本文からの抜粋である。
『すると6月5日付の「日本経済新聞」に、「最悪の電力危機を回避せよ」というタイトルの社説が載った。
「5月はじめに運転を再開した柏崎刈羽原発6号機に続いて、6月中にあと三基が運転できて首都圏の電力不足は解消されるはずだったのに、佐藤栄佐久知事が運転再開に対して地元と県議会の同意の他に新しい条件を持ち出したために、見通しが狂った。再開時期が知事の胸先三寸というのでは困る。一日も早く合理的判断を」
 これが「東京」の本音だろう』(P97)

 国内最大の原子力事故をめぐって

こうした状況下でまたしても原発大事故が起こる。04年8月9日、関西電力美浜原発で作業員4名がやけどで死亡、7名が火傷。
『死者の数ではあのJCOの事故を上回る、国内最大の原子力事故』。説明は省くが、当時の佐藤らは関西電力をこう見ていたということだ。『「安全軽視は関西電力の企業文化」のようだ』(P102)。
 この「関西電力の企業文化」に関わって04年12月22日、佐藤はこんな言動にも撃って出ている。その日にあった原子力委員会の「福島県知事のご意見を聞く会」で、委員構成をめぐってこんなことを発言している。
『「11人の死傷者を出した関西電力の会長が、安全に関する部会に出ているのはおかしい」』
 これに反論した1女性委員に、佐藤はこんな批判も敢行している。
『「原子力政策決定についてフランスは16年、ドイツは20年もかけているのに、あなたが4~5か月で結論を出さなきゃいけないなんて思ったのは、誰に刷り込まれたのですか」
 と反論した。二、三回「失礼ね」という言葉が耳に入ってきたが、反駁はなかった。』(P104)
 
 逮捕前年

 逮捕前年、05年を迎えて、6月には『福島内原発、全基稼働再開』という出来事があった。こうして、東電との関係はやや改善されていたということだが、経産省とはさらに激しいやり取りになっていく。
『10月11日に開かれた国の原子力委員会で「原子力政策大綱」が承認され、14日の閣議で国の原子力政策として決定されることとなった』
『10月18日、国が安全を確認した原発が県の意向で運転できない時は、地元への交付金をカットする方針を決めたようだ。さっそく原発立地自治体を恫喝してきたのである。
 これまで国が「安全だ」と言って、安全だった例はない。県として県民の「安全・安心」のためこれまで通りやって行くだけだ。
 記者会見でこの件について問われてこう答えた。
「議論に値しない。枯れ尾花に驚くようなことはない」
 国からの交付金が来る来ないにかかわらず、県が独自に原発ごとの安全を確認する方針に変更はないことを強調した』(P107)

 さてこのころ、福島の言わば「同僚」に当る青森と佐賀は『「陥落」』していたと語られる一方で、福島と国とのやりとりは、言わばその頂点に達していた。
 06年新春、先述の国大綱実施ということで、東電も自社原発の3,4基でプルサーマル実施を表明する。対する福島は、
『私は記者たちにこう答えておいた。
「計画がどのようなものであれ、県内で実施することはあり得ない」』

 むすび

 「佐藤栄佐久家宅捜査、天の声はあったのか」、こんなマスコミ大劇場の開始は、この年の秋だ。ご記憶の方も多かろうが、あれほどの大騒ぎに、「公正」の一欠片でもあったろうか。マスコミとは、なんとすっとぼけた存在だろう。無数の大の大人が、佐藤と同じたった一度の人生を賭けるようにして、夜討ち朝駆け、仕掛けられた幻想劇で大暴れを演じていたわけだ。

 さて、このシリーズの結びを、佐藤の叫びで締めたい。タイトル『「佐藤栄佐久憎し」という感情』の中にある一節である。
『もともと私は、原発について反対の立場ではない。プルサーマル計画については、全国の知事の中で初めに同意を与えている。そういう私が、最後まで許さなかった「譲れない一線」のことを、国や関係者はよく考えてほしかった。
 それは、「事故情報を含む透明性の確保」と、「安全に直結する原子力政策に対する地方の権限確保」の二点であり、県民を守るという、福島県の最高責任者が最低守らなければならない立場と、同時に「原発立地地域と過疎」という地域を抱えていかなければならない地方自治体の首長の悩みでもある。繰り返しになるが、原発は国策であり、知事をはじめ立地自治体の長には何の権限もない。しかし、世論(県民の支持)をバックにすると原発が止められるのだ。むろんこれは、緊急避難である。
 私が主張したことは、そんなに無理なことだっただろうか。その二点さえ経産省と東京電力が押さえていれば、これほどのこじれ方にはならなかったと考えられる』

 この紹介シリーズを終えた、僕の感慨。文字通り、命を賭けた渾身の一作だと読んだ。それも理念と言い、構成と言い、非常な名作だとも読んだ。そんな気持ちであちこちを読み直してきた。過去にこれほど読み込んだ本は、累計七年もかけた末の卒業論文関係以外にはないのではないか。この本、あるいはこのシリーズをもし福島の方が読んでくださっていれば、事故後半年どんな思いになられるだろうかと、そんな気持ちでここまで書き進んできた。著者の血の叫び、エネルギーが僕に憑依したのかも知れない。
 
(終わり)
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    ミカン箱上からの“反原発”アピール      只今

2011年09月14日 11時41分09秒 | Weblog
 喜寿を迎えて写真整理していましたら、こんな写真が出てきました。
 (1)松川事件デモの先頭に名大教授の真下真一、信夫清三郎がおられる写真 
 (2)原水禁運動の統一を、というデモに黙然と歩まれる新村猛(名大教授)中野好夫さんの写真。

  それから幾星霜、こうした学窓の方がデモに参加する姿はみられなくなりました。
 しかし3・11を経て、こうした人たちがデモに参加し、ミカン箱の上からアピールする姿がみられるようになりました。
 13日に開かれた『さよなら原発9・19集会』の前哨デモで聞かれたそれらの発言を聞いてみたいと思います。

 ●柄谷行人(50年振りにデモ参加とのこと)さん。
  “日本でデモがなくなったのは七〇年代からで、原発が増え始めたのと同じ時期。政権交代があっても何も変わりません。国民
  主権の最後の砦であるデモで変えるしかありません。国民が存在している証しは、デモが出来ることであります。
  マスメディアは、「福島の事故は片付いた。直ちに復興を」と言っています。しかし何も片付いてはいません。この人たちは最初
  から事実を隠し、それはある意味で成功し、多くの人たちはそれを信じています。信じたいからです。
  しかし私たちが忘れようとしてもゲンパツは執拗に残ります。恐ろしいのはそのことです。  
   いつまでもおとなしく政府や企業の言うことを聞いていたら、この国は物理的に終わりよければすべてよしむかえます。
   そうならないために、粘り強く闘いましょう” 

 ●小熊英二(慶応大教授)さん。
  “西尾幹二さんという有名な保守派の人が、「脱原発こそ国家永続への道」とい論考を書かれました。
  そこで仰られているのは、「この美しい豊葦原瑞穂の国を放射能で侵してはならない。民族の子々孫々まで伝えるべきこの大地
  を汚辱の地にしてはならない」。
  世論調査では七割以上が新設、増設には反対しています。これを目指しましょう。そしてできるなら楽しくやりましょう”。

 ●宮台真司(首都大東京教授)さん。
  “デモは単なる出発点。政治家には落選を! 企業には不買運動! 
   といったピンポイントの運動展開のきっかけとしましょう。”
 
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保安院の大罪(41)  実証報告、「ブログ社会を検閲している奴がいる」  文科系

2011年09月14日 00時23分57秒 | 国内政治・経済・社会問題

昨日もまた、こんなことがあった。「知事抹殺その5」が初め延べ8つほどのサイトに紹介があったと確認できた後に半日ほど経つと、それが計三つに減らされている。Jワード検索で調べて分かったことだ。ヤフー検索でもグーグル検索でも全く同じ。拙稿を紹介するサイト数が少なくなったということではなくって、検索サイトにおいて、一旦この記事を紹介していると知らされたブログ名などがどんどん削られていき、結果として「9条バトル」の記事が世に広められることが阻害されているわけである。この1か月ほど、こういう「操作」がどんどんひどくなった。今までにはなかったこんなことを、僕はいくつもの記事で間違いなく確認している。

 さて、発足以来6年間、順調な右肩上がりでアクセスなどが伸びてきた当ブログが、8月下旬から急速に下り坂に入ったのは、以上のことが原因に違いないのである。こんなことはこのブログでは初めての体験だから、一体誰が音頭を取っているのかといぶからざるを得ないのである。

 こうして、この一か月のアクセス数、閲覧数はこう変化している。
8/14~20日 2,546人の14,781回。20~26日 2,157人の13,340回。
28~9/3日 1,541人の10,488回。4~10日 1,458人の12,709回。


 皆さん、以上についてどう思われますか。僕自身はこのような総合判断仮説を持っています。経産省・保安院が直接か誰かに依頼して間接にかは分からないが、もの凄いブログ検閲をこのブログをめぐっても開始し始めたのだと。

 さて、こうだからと言って、僕はかえって闘志が湧くだけ。アクセス数は09年初めごろに戻っただけだし、閲覧数に至ってはこの春の原発事故勃発当時よりもまだ多いのだから。それにしても、一日に、200人ほどの有志個人が、ここに平均8回ほども訪れるなんて、とにかくコアな読者が多いということ。この5日間のこの数は、こうなっている。
 9日 214人の1,748回、10日 227人の1,545回、11日 210人の1,870回、12日212人の1,654回、13日 207人の2,721回
「いろんな記事を読んでくださっているんだ」とか、「特に長い僕の記事や連載を、あちこち何度も読んでくださるからこうなのだろうか?」などと想像できるから、励まされる。これからもよろしくお願いいたします。
 
 それにしてもこの検閲。今の中国、昔のソ連が笑えないけど、国会提出義務がある資料も真っ黒塗りにして出させて議員たちからも呆れられている経産省なのだから、彼らにとっては日常茶飯事?
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キイボードの演奏者を募集しています。       事務局

2011年09月13日 16時27分34秒 | Weblog
 昭和区平和のつどい実行委員会(10団体)では、10月23日13時に開会する『第5回昭和区平和
のつどい』(会場は名古屋柳城短期大学・体育館)において、恒例の70人合唱を行います。
 歌は、「あすという日が」(大震災の被災者を励ます歌)、「秋のメドレー」といつも歌う
「われら愛す」(幻の国歌と言われています)の三曲を歌います。

 その合唱の演奏者(キイボード演奏)が1名不足しています。
 このブログを見られた方で、キイボード演奏を行ってもよい方。または、演奏者を紹介してい
ただける方は下記にご連絡ください。
 なお、演奏にあたって謝礼はなく、無料奉仕ということになります。

 また、合唱団員も現在40名ほどです。
「演歌は得意だが、合唱はな・・???」、「合唱の経験はないが、歌は好きだ。」、
「素人だよ」、「音痴だよ」と言われる方・・・歓迎です。
 発声練習から行います。演歌も上手くなります。ぜひ、あなたも合唱にご参加ください。
 練習は、毎週行っています(月曜か、火曜の午後7時からです)。

(連絡先)昭和区九条の会事務局・ 電話・FAX 052-731-2749(舟橋)
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保安院の大罪(40) 「黒塗り」、やはり、保安院が黒幕  文科系

2011年09月13日 12時29分07秒 | 国内政治・経済・社会問題
 昨日の只今さん、「国会をも、屁ともおもわぬこの行為」の延長の、ちょっと詳しい記事です。

 今朝の中日新聞2面に、標記のことを示唆するニュースがさりげなく載っていました。2面中段ほど右端『手順書の黒塗り「過酷事故」でも 東電が衆院提示』という見出しの記事です。衆院科学技術・イノベーション推進特別委員会への黒塗り事件を扱っています。さわりの部分を抜粋してみましょう。

『特別委は消極的な情報開示を非難し、経済産業省に、法的権限に基づいて東電に資料要求するよう文書で要請した。(中略)特別委の議論では、原子力安全・保安院の担当者が、電気事業法などに基づいて東電に資料を請求できることを委員会に伝えていなかったことが分かり、批判が集中。委員から「極めて不誠実ではないか」との声が出た』

 「不誠実」も何も、保安院が3・11以来やってきたことや、拙稿「知事抹殺」報告を観ればよい。「原子力国策ブルートーザー」とは国策捜査で逮捕された佐藤栄佐久氏が保安院に冠した言葉である。それにしても「真っ黒塗りの報告書でも出しとけ!」って、一体保安院の誰が東電に指導したのだ。提出義務まである資料だという事実は、委員たちにはかくしておいた上で。
 保安院ならぬ「不安院」と「保安院の大罪」シリーズで述べてきたが、それどころか「恐怖のお役所」である。国民から与えられた仕事と正反対の行為を敢行しているのだ。われわれがこんな奴らを、税金で養ってきた。
  
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佐藤栄佐久著「知事抹殺」紹介(5)原発との闘い大詰へ  文科系

2011年09月13日 03時31分27秒 | 国内政治・経済・社会問題
 佐藤前知事実弟の家宅捜索は、06年7月8日に始まった。知事自身の逮捕は、同10月23日である。そして、彼に後で思い当たるこの問題の兆候がちらつきだしたのが、04年12月。読売がすっぱ抜いたのが05年4月25日であった。これらのことを念頭に置いて、以下原発との闘いを見ていただくと、興味深いと思う。

 逮捕前の佐藤の社会的影響力の大きさは、今まででも以下でも、誰にもよく分かることだろう。プルサーマル計画という国の「根本」の延期また延期という事態に、これだけ社会的影響力があった人なのだ。こういう人でも、一旦逮捕されるとなると、テレビなどは完全に犯人扱いの大騒ぎ、その影響力が大きかった分逆に大きな罵声を浴びせられることになる。これら一切が免罪であったとしたら、厚労省村木厚子局長のようにすべて茶番劇に転ずる。特捜検事のフロッピー日付改ざんなんぞは、その茶番の極みだ。ならば、「実弟主体、実質無罪、ほんの形式犯」で例によって大騒ぎされてその影響力を一切失った人の茶番性は、一体どう回復されるというのだろうか。
 何度も言うが、この本は、福島原発事故2年前の09年に書かれたものであった。今は常識となった原発村の暗闇批判が、この著作のそこここに満ちあふれている。こんな人物の声をこそ今は聞くべきなのに、知事の椅子は2度と戻ってこないだろう。
 残忍極まる「社会正義」の代理人・特捜検察が、そこのけそこのけと引き起こした、日本社会の大変な損失である。村木冤罪事件を指揮した元特捜部長らが裁かれている真っ最中の今なら、こう断定しても言い過ぎではあるまい。
「『人災』福島原発事故の片棒を担いだ特捜検察」
 なんせ、福島原発の検査記録改ざんなどのヤミをば明るみに出そうとし続けた功労者を、このヤミもろとも逆に闇に葬り返した特捜なのである。


 さて、原発村との前哨戦ということで2001年新春までを、前号で見た。当初00年2月7日実施予定とされたプルサーマルも凍結のままであり続けている。
 大波乱は、02年8月29日にいきなり始まる。その日、経産省・保安院から送られてきたFAXが大変な代物であった。00年7月2日に保安院に送られてきた内部告発資料を、2年遅れで県に届けたのである。福島第一原発1、2号機損傷を隠すための点検記録改ざんを告発した資料であった。これについて調べていくと、保安院の悪辣さが浮かび上がってきた。
1 この改ざんについて、保安院自身は何も動かず、告発内容を東京電力に口頭で照会してしまった。
2 対する東電は保安院にこんな調査報告書を出したらしい。『「告発内容と一致しなかった」』と。
3 保安院はさらに、こんなことをさえ敢行している。
『告発人本人からの事情聴取は一度もしないまま、同年12月、告発者の氏名などの資料を東電に渡すことまでしていた』
 福島の怒りは、どれほどのものであったか。
『「国も東電も同じ穴のムジナ」というよりも、国こそが本物の「ムジナ」なのであった』(以上P84)

『われわれの国への不信は、まさに臨界点まで来た。経済産業省の中に、プルサーマルを推進する資源エネルギー庁と、安全を司る原子力安全・保安院が同居している。これまでわれわれは国に対し、”警官と泥棒が一緒になっている”ような、こうした体質を変えてくれと言い続けてきた。それに対して原子力委員会は、事務局である経産省の役人の書いたゼロ回答送ってよこした。ここに問題の原因のすべてが凝縮されている。しかし今回の問題でも、保安院は、相変わらず東京電力を呼びつけて「厳しく指導」し、大臣は社長の首を差し出すことのみを要求している。辞めるべきはどっちなのだ』(P86~87)
 
 さて、すぐ上の言葉通り東電は、社長、会長、平岩外四ら2相談役と、社長経験者4人の首を差し出すことになった。9月2日の辞任、電光石火とはこのことだ。対する保安院がやったことは、これである。
『10月25日、保安院は、福島第一原発一号炉の偽装改ざんは特に悪質として、東京電力に対し、1号炉の一年間営業運転停止を命令した。これは商業原発に対する、初の運転停止命令であった』(P95)

 これらの流れの中でも国は相変わらずプルサーマル継続を言い続けていた。対する佐藤と福島県は、当然これの白紙撤回を内外に広く訴えていくことになる。平沼経産大臣に面会しての言葉で言えば、こうだった。
『プルサーマルは白紙撤回しておりますので、少なくともわたしどもはやるつもりはありません』(P92)
 原子力委員会委員長、原子力安全委員会委員長、原子力担当の科学技術担当大臣らにも面会し、自民党本部エネルギー担当部会などには出席して、同じように、精力的に、白紙撤回を訴え続けることになった。

 (あと2回ほどやるつもりです)
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「つくる会」系の教科書が沖縄で・・・       あんころもち

2011年09月13日 00時57分29秒 | Weblog
 原発問題などで世論が揺れている隙を狙うように、歴史修正主義を基本とした「つくる会」系の教科書がジリジリと侵食し始めています。
 既に横浜市などでの採択が決まり、前年比2倍(1%~2%)となったなか、他ならぬ沖縄で問題が起きました。
 幸いにして広域での判断や多数決で、一時、採用が決定していた「つくる会」系が撤回されたようですが、今後への禍根は残っているようです。
  
 八重山の教科書採択、もめにもめ…
  http://www.qab.co.jp/news/2011090830617.html  

 一昨日の八重 山・全教育委員による決定で公民教科書は東京書籍になりましたが、石垣と与那国の教育長は、育鵬社教科書のごり押しを続けるつもりのよう です。
  http://www.okinawatimes.co.jp/article/2011-09-09_23190/

 これが、沖縄でということの中に、歴史の風化の怖さがあるように思います。
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国会をも、屁ともおもわぬこの行為     只今

2011年09月12日 16時40分18秒 | Weblog
 衆院科学技術特別委員会は、「原発のシビアアクシデント(過酷事故)発生時の運転操作手順書」を東京電力に求めたが、
 国益に反すると応じず。
 では、通常の事故時手順書をとの請求に対して、A4版六枚200行にわたる手順書が開示された。
 しかしそこにあったのは墨塗りで真っ黒、読めるのは13行だけのものだった。
 この墨塗り理由は、「知的財産権が含まれ、核物質防護上の問題が生じる怖れがある」というもの。
 このこと報じた新聞は、『毎日』と『赤旗』だけ。
 東電=原発は、既得権守護の強固な五角形連合体に守られている、
 という漠たる風説は、荒唐無稽ではないということか。 
コメント (18)
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佐藤栄佐久著「知事抹殺」紹介(4)原発をめぐる闘い・前哨戦  文科系

2011年09月12日 02時47分46秒 | 国内政治・経済・社会問題
 何度も繰り返したことを初めに言っておくが、この本は原発事故の遙か以前09年9月に発行されたものである。


 背信体験の始まり

 88年に知事になった佐藤は、福島第2原発3号機の年末からの複数の重大事故を、年が明けた1月6日に知らされる出来事に遭遇した。その体験をこう書いている。
『県も、富岡町も、原発に対し何の権限も持たず、傍観しているよりほかないということが明らかになった出来事だった』(P52)
『副知事を通産省資源エネルギー庁に派遣し、「国が一元管理している原発行政を見直し、国と県の役割を分担するよう」求めたが、国の反応はまったくなかった。この事件で、強烈な教訓として残ったのは、「国策である原子力発電の第一当事者であるべき国は、安全対策に何の主導権もとらない」という「完全無責任体制」だった。』(同上)
 ここから佐藤は、原子力行政に警戒を強め、県として体制を作って、備え始めていく。

 そして、94年にはこんなこともを験する。「福島の使用済燃料は、2010年からは県外に運び出していきます」と前年に約束した経産省担当課長が替ったとたんに、この約束がなかったことにされていたのだ。この経験の教訓を佐藤はこう語っている。
『国と福島県の約束を反故にして、福島県を代表する知事をだますということは、210万県民をだますのと一諸だ。・・・役人には顔がないのである』(P63)

 プルサーマル実施をめぐる闘い

 96年、使用済み核燃料を再生利用したMOX燃料を通常の原発で使うプルサーマル計画について、福島、新潟、福井三県の要望をとりまとめて、国に提出する。原子力国政への知事の要望書は、史上初のことらしい。
 97年、これへの国の回答も前向きで、東電が福島と新潟に一基ずつプルサーマルをお願いしたいと述べてきた。地方が納得できるその4条件が決まるなどを経て、計画実施は00年2月7日に予定されることになった。ところが、この予定が延期になってしまうのである。
 輸入MOX燃料データ改ざん内部告発、99年9月の東海村臨界事故などを経て、東電がそう申し出ざるを得なかったらしい。00年新春のことである。

 あけて01年、東電が福島、新潟の了承もなく「本年度内にプルサーマル実施」と報じたところから、激しい駆け引き、闘争が始まる。
「4条件が満たされていないから、できないはずだ」と応じる福島などに対して、東電が「福島の火力発電所なども含む電源開発計画の凍結」という脅しをかけてきた。対して、これを脅しと捉えた福島がこう応じる。「プルサーマルも凍結だ。全部見直し」。この下りを抜粋しておこう。
『これは「国が絡んでいる」というより、「役人が絡んでいる」。こんな姑息なことを言い出すのは政治家ではない。(中略)追いかけて電話がかかった。平沼赳夫経済産業大臣からだという。大臣があわててソウル(出張中だった。文科系)まで電話をよこすということは、この件は、やはり一部の官僚と東電の一部が組んで仕掛けたことで、大臣には事前に知らされていなかったのだろう。(中略)平沼大臣には大変失礼ながら、電話には出なかった。(中略)ところが翌2月9日、東京電力は前日の発表を翻し、「凍結には原子力発電所は含まない」と、経済産業省に報告したらしい。(中略)一日で降参してしまった。(中略)記者会見を開いたのは東電だが、これで一挙に国への信頼も失われた。(中略)』(P70~71)
 
 県庁の体制作り

『1998年から99年にかけ、プルサーマルやエネルギー政策全体についてじっくり勉強した結果、私も担当の県職員も、国や事業者の思惑がよくわかるようになった。このころには、スキルをそなえた優秀な職員も育ってきていた。国や東京電力と、腹をくくって向かい合う時期が来たと考えた。私は覚悟を固めた』(P72)



コメント (1)
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佐藤栄佐久著「知事抹殺」紹介(3)「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」  文科系

2011年09月11日 08時47分27秒 | 国内政治・経済・社会問題
 
その3「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」

 初回に紹介した「知事は日本にとってよろしくない。いずれ抹殺する」は、実弟祐二を任意取り調べしていた段階の06年9月8日に、担当の東京地検特捜部・森本宏検事が発したものだ。知事逮捕(10月23日)に先立つこと1ヶ月半どころか、祐二逮捕(06年9月25日)ですら覚束ない捜査発端のごく初期のころの発言である。
 一体なにが「日本にとってよろしくない」のだろう。「国策捜査」を民間人が事実固めするなどということは、その性質上証拠が挙げられるわけでもなく、誰から証言が取れるわけでもないのだから、全て状況証拠にならざるを得ない。本書で挙がっている限りのそれらに触れることにする。

 佐藤前知事はこれについて、福島原発を巡る県と原発村との抜き差しならぬ関係史に合計2章を、「地方分権と、その死」に1~2章を費やしている。前8章のうちの最後3章が裁判関係になるから、この著作前段がこの「日本にとってよろしくない」が書かれたものと見て良い。僕はこの本を佐藤とは逆に、その(1)書評(事件全体の概観と感想とも言える)、(2)「判決と最大争点」、(3)「国策捜査」と言う要領で、ちょうど佐藤とは逆に辿ってきたことになるのだと思う。

 何はともあれ、最初には「国策捜査」に繋がりうる、佐藤前知事をめぐる全国的・歴史的に異例なことの数々を、概観しておこう。彼は、どんな風に珍しい知事であったか。

 原発関係の彼は、こんなふうだ。まず、2003年4月14日、福島の原発全基停止、しいては東電原発全基停止という事態の大元である。ここにいたる経過の最大の事件が、その(1)において僕の言葉で、こうまとめた。
【なお、東電は佐藤前知事に恨みがあると言って良い。2002年9月2日に現・前・元ら4人の社長経験者が引責辞任をさせられているのである。佐藤らが問題にした「原発検査記録改ざん事件」による引責であって、会長と、平岩外四ら2人の相談役との辞任までが含まれていた】
 関連して、こんな経過もあった。
『(02年)10月25日、保安院は、福島第一原発一号炉の偽装改ざんは特に悪質として、東京電力に対し、一号炉の一年間営業運転停止を命令した。これは商業原発に対する、初の運転停止命令であった』(P95)
 なお以上全てについて佐藤は本書に何度もこう書いている。もともと原発に反対してきたのではないどころか、国などと争うことになった問題のプルサーマル計画の福島実施などではその昔むしろ『全国の知事の中で初めに同意を与えている』と。元来の彼は、原発を推進する立場だったのだ。その彼が終始大問題にしてきたのは、こういうことである。手続きの問題、国や東電の地方への情報公開など、信頼感、誠意・信用の問題なのであった。
 またなお、佐藤ら福島県庁では、東電と経産省は同じ穴のムジナと語り合わせていたらしいが、その際『国こそが本物の「ムジナ」』と言い合わせていたと言う。そして、保安院が経産省の中にあることはおかしいという現在の常識を、最初から何度も問題にしてきたということだ。これは、原発事故が起こった現在から振り返ると、注目すべきことだ。何せこの本は、今回の事故の遙か前に書かれたものなのだから。
 上に見た東電社長経験者4人の辞職に関しても、こんな文言が付してあった。
『今回の問題でも、保安院は、相変わらず東京電力を呼びつけて「厳しく指導」し、大臣は社長の首を差し出すことのみを要求している。辞めるべきはどっちなのだ』(P86~87)

 「地方分権の死」に関わってはこんな事実があるので、抜粋しておこう。
『知事1期目の終盤に、これまで自治省出身者が務めていた副知事を、地元の福島大学出身の県庁生え抜きとした。次に農林水産省からの天下りが定位置だった農地林務部長を、そして、建設省からの出向者のポストであった土木部長が定例の人事異動で本省に戻った92年7月に、異例の人事ではあったが県庁生え抜きの部長とした。
 そして、政治家出身である知事の私が9月の選挙で再選され、これで福島県は知事、副知事、出納長、そして8人の部長すべてが生え抜きとなり、中央官庁の出身者でなくなった。
 これは、47都道府県のうち福島県だけのことだった。他の都道府県は、三役か部長のいずれかに中央官庁出身者がいる』(P120)
 このように第5章『「三位一体改革」と地方分権の死』では、『闘う知事会』や『改革派知事の分裂』『「闘う知事会」は死んだ』などが述べられる。義務教育費などの財源移譲、地方分権などが激しく争われていた時代の、先頭に立った知事らしい。なんせ5期18年、選挙にも圧倒的に強く、実力派の知事だったということが、彼の強気の基盤になっていたようだ。彼は、地元の高校出身で、東大法学部卒業後に同じく福島の商工会議所に関わり始めて、1983年参議院議員当選、1988年知事当選という、生粋の政治家なのである。
 
 次回は、原発問題と地方分権を巡る攻防を、やや詳しく見ていきたい。
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