九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

朝鮮日報のコラム      らくせき

2011年09月07日 10時34分48秒 | Weblog
朝鮮日報が対馬海峡を渡った記者のコラムを載せていました。
私も、去年、同じように海峡を往復したので、とても面白く読みました。
ちょっと長いですが、紹介します。

            

少し前、釜山から船に乗って福岡を訪れた。
韓国東海岸を南下して福岡へ向かうというルートをたどった。
船で海峡を渡ったのは、14年ぶりだった。

14年前、下関と釜山を結ぶフェリーは、行商の中年女性の専用船に等しかった。
間仕切りのない広い船室では、中年女性数百人が床に荷物を並べていた。
荷物というのは、ものすごい数の商品を詰め込んだ箱だ。
女性たちは一斉に箱から商品を取り出し、宝物のように1カ所に集めた。
箱は箱で折り畳んで別の場所にまとめた。
1時間が過ぎると、体より大きかった荷物は、
風呂敷の中にすっぽりと収まってしまった。
中身は、当時韓国への輸入が禁止されていた日本製の電化製品だった。

作業を終えると、女性たちは一斉に弁当を広げた。
騒がしい話し声と共に、酸っぱいキムチの匂いが船室いっぱいに広がった。
フェリーの広い船室の中で、行商人以外の乗客は、一人旅の私と、
向かい側に座っていたバックパッカーの日本人大学生4人だけだった。
大学生たちは船室の片隅に固まったまま、あっけにとられていた。
中年の男性が船室に入ってくると、日本語で何やらわめき始めた。
酒に酔ってしどろもどろだったが、おおむね次のようなことを言っていた。
「日本の製品に目がない韓国人、そしてそれを行商として運ぶあんたたちよ」。
その声は軽蔑の念に満ちていた。
女性たちは静かに耳を傾けるだけだった。
日本の電子製品を船で運ぶということに後ろめたさを感じていたからだろうか。

古い世代の韓国人ほど、大韓海峡を行き来する船に乗っているときの感情は痛切だっただろう。
小説家の沈薫は、1930年に発表した詩『玄界灘』で、
関釜連絡船の情景を次のように描写した。
「客室に下りてみると、漫然渡航の白衣群だ/
足の指を無理やり足袋に押し込んで/まげを切った頭には帽子をかぶり/
捨てられた食べ残しの弁当をのそのそとはいながら/
犬のようにむさぼる若者たちよ」

こうした光景は今や、遠い昔の出来事になった。
日本の電子製品を運び込んでいた行商人も、10年前には姿を消した。
最近では、大韓海峡を行き来するフェリーの乗客は、
韓日両国の家族旅行客や団体旅行客、若いバックパッカー、
引率者付きの学生たちがほとんどだ。
釜山から福岡を訪れると、中年男性はゴルフを、家族はキャンプを、
女性はショッピングを、若者たちはラーメン屋巡りを、それぞれ楽しむのだ。

沈薫が大韓海峡を渡った1930年当時、韓国は日本の植民地だった。
14年前、韓国の1人当たりの所得は日本の3分の1にすぎなかった。
だが現在は、およそ半分の水準に近づいた。
このペースが続けば、20年以内に韓国人は日本人と同等の経済力を持つことになる。
そのころには、今回一緒に旅行した3歳の子どもが成人になっている。
わが子は日本との格差を全く感じることなく、何も考えずに海峡を渡るだろう。
韓国が最終的に日本を克服するというのは、
日本に対して特別な意識を持たなくなることではないかと思う。

韓国と日本、互いの国を行き来する訪問客は、年間500万人に達する。
これは、韓国の現代史を繁栄に導く大きな流れの一部となっている。
この中には鬱陵島を目指すペテン師が何人かまぎれていることもあれば、
相手の心情を害する人物が潜んでいる可能性もある。
だが、こうした人間がどんなに躍起になっても、
その存在は広大な川面に落ちた一滴の濁り水にすぎず、
歴史の流れの中でその濁りは薄まってゆく。
犬はほえてもキャラバンは進むのだ。

              

韓国の感じ方も、ようやく変わってきたのを感じさせてくれます。
大人のお付き合いが出来る時代がきたようです。
日本は老人、韓国は中年かな?
では中国は?何歳?


コメント (1)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

   ベランダでのイマジン奏もいいですが、     只今

2011年09月07日 10時26分08秒 | Weblog
   「9、19さよなら原発アクションinあいち」のチラシをみて、
  あぁ、やっとこうなったかと、しばし感慨にふけりました。
  それはデモの在り方についてです。
  組んだ腕をひきはずしたくなったその昔の蛇行デモから
  最近の大音響にひるむサウンドデモに至るまで、
  一つのデモにも、色々な形態があってしかるべきだと思ってきたのですが、
  9、11のデモにはそれが実現しそうだからです。

  デモは、「ママたちのグループ」「サウンドグループ」「いつものグループ」に区分けされ
  参加方法も、いろいろな参加が可能なように工夫されているようです。

  【と き】9月19日(月・祝) 1:30  
  【ところ】白川公園(伏見)
  【次 第】☆集  会     1:30~2:15 (45分)
       ☆パレード     2:30~    (約1時間)
       ★行  程     会場→「若宮大通」を東進 →「大津通」を北進→「栄」を東進→東新町(中電前でアピール)→栄方面
                 に戻り「栄公園」で解散。
 
 ●当日、たしか“にんじん”クンは、ベランダでイマジンを奏でるといっていましたが、
  小生は孫と三越前でデモを迎える。孫の父親は集会だけ参加。母親は全行程に参加、といった段取りをしました。
  果たして当日は、どうなりますことか?
  

  蛇足(1) 今のところ『朝日』しか報じていないこと。
       大江健三郎、宇都宮憲児氏らは6日、野田政権に対して、
        「経済活動を生命の危機より優先すべきではなく」
        「原発再稼働中止」を求める声明を発表。

    (2) 少し喜ばしかったニュースは、
       大音響デモ旗揚げ者の「素人の乱」グループと、共産党の笠井亮議員(党原発問題責任者)とが、
       杉並のライブハウスでトークライブをしたというのです。
コメント (5)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする

「売国奴前原誠司」と天木氏  文科系

2011年09月07日 10時01分30秒 | 国内政治・経済・社会問題


 天木直人のメールマガジン2011年9月6日第617号

 
 =============================================================

   米国に日本の内部情報をすべて伝えていた売国奴前原誠司   
   
 =============================================================


 やはりウィリークスが公開に踏み切った米外交公電は凄かった。
 日本のメディアがもったいぶってスクープ記事を書いてみたりするが、そんな記事が吹っ飛ぶほどの情報の宝の山だ。
 これから時間がたつにつれて、様々な者が、暇に任せて、あるいは好奇心で、さらには日本の政治家や官僚たちの売国振りを追及する目的で、ウィキリークスが公開した驚くべき情報を、どんどんと流すだろう。
 ネット上でながれ私のところに届いた一つの米外交公電を紹介したい。
 すでにネット上で流されている情報の中で私が興味をもって詠んだ一つの要旨を私の仮訳でこのメルマガで紹介したい。

 それは2010年2月8日に在日米国大使館から国務省に宛てられた公電だ。
 2010年2月2日、当時沖縄担当相を兼務していた前原国土交通大臣がキャンベル国務次官補やグレッグソン国防次官補に話した内容が報告されている。
 その内容は驚愕的だ。
 普天間移設問題については北沢防衛大臣が決定権の鍵を握っている、なぜならば普天間の安保上の重要性を判断できる専門知識を持っているのは防衛省だけであるからだ。
 民主党と連立を組む政党(すなわち社民党や国民新党)には拒否権は持たせない。
 小沢一郎は相手によって発言を変えるから気をつけろ、米国と話す時は普天間移転を強力に支持する(振りを)するかもしれない。

 これらは前原大臣の発言の数々だ。
 日本の政権の中枢にいる国務大臣がここまであからさまに日本政府の内情を語る。
 これを称して売国奴というのではないか。
 このような男が一歩間違えばこの国の首相になっていたかもしれないのだ。
 いつか日本の首相になるのかも知れないのだ。

 ウィキリークスが公開した情報は凄い。
 なにしろあらゆる発言が実名入りで述べられているのだ。
 そのすべてが日本国民の広く知るところとなれば、さすがの日本国民も覚醒するかもしれない。
 朝日新聞などの日本のメディアのいかさまが暴露される。
 日本のメディアもまた面目を失うことになる。
 ウィキリークス情報が日本に革命をもたらすかもしれない。】
コメント (9)
  • X
  • Facebookでシェアする
  • はてなブックマークに追加する
  • LINEでシェアする