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国会をも、屁ともおもわぬこの行為     只今

2011年09月12日 16時40分18秒 | Weblog
 衆院科学技術特別委員会は、「原発のシビアアクシデント(過酷事故)発生時の運転操作手順書」を東京電力に求めたが、
 国益に反すると応じず。
 では、通常の事故時手順書をとの請求に対して、A4版六枚200行にわたる手順書が開示された。
 しかしそこにあったのは墨塗りで真っ黒、読めるのは13行だけのものだった。
 この墨塗り理由は、「知的財産権が含まれ、核物質防護上の問題が生じる怖れがある」というもの。
 このこと報じた新聞は、『毎日』と『赤旗』だけ。
 東電=原発は、既得権守護の強固な五角形連合体に守られている、
 という漠たる風説は、荒唐無稽ではないということか。 
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佐藤栄佐久著「知事抹殺」紹介(4)原発をめぐる闘い・前哨戦  文科系

2011年09月12日 02時47分46秒 | 国内政治・経済・社会問題
 何度も繰り返したことを初めに言っておくが、この本は原発事故の遙か以前09年9月に発行されたものである。


 背信体験の始まり

 88年に知事になった佐藤は、福島第2原発3号機の年末からの複数の重大事故を、年が明けた1月6日に知らされる出来事に遭遇した。その体験をこう書いている。
『県も、富岡町も、原発に対し何の権限も持たず、傍観しているよりほかないということが明らかになった出来事だった』(P52)
『副知事を通産省資源エネルギー庁に派遣し、「国が一元管理している原発行政を見直し、国と県の役割を分担するよう」求めたが、国の反応はまったくなかった。この事件で、強烈な教訓として残ったのは、「国策である原子力発電の第一当事者であるべき国は、安全対策に何の主導権もとらない」という「完全無責任体制」だった。』(同上)
 ここから佐藤は、原子力行政に警戒を強め、県として体制を作って、備え始めていく。

 そして、94年にはこんなこともを験する。「福島の使用済燃料は、2010年からは県外に運び出していきます」と前年に約束した経産省担当課長が替ったとたんに、この約束がなかったことにされていたのだ。この経験の教訓を佐藤はこう語っている。
『国と福島県の約束を反故にして、福島県を代表する知事をだますということは、210万県民をだますのと一諸だ。・・・役人には顔がないのである』(P63)

 プルサーマル実施をめぐる闘い

 96年、使用済み核燃料を再生利用したMOX燃料を通常の原発で使うプルサーマル計画について、福島、新潟、福井三県の要望をとりまとめて、国に提出する。原子力国政への知事の要望書は、史上初のことらしい。
 97年、これへの国の回答も前向きで、東電が福島と新潟に一基ずつプルサーマルをお願いしたいと述べてきた。地方が納得できるその4条件が決まるなどを経て、計画実施は00年2月7日に予定されることになった。ところが、この予定が延期になってしまうのである。
 輸入MOX燃料データ改ざん内部告発、99年9月の東海村臨界事故などを経て、東電がそう申し出ざるを得なかったらしい。00年新春のことである。

 あけて01年、東電が福島、新潟の了承もなく「本年度内にプルサーマル実施」と報じたところから、激しい駆け引き、闘争が始まる。
「4条件が満たされていないから、できないはずだ」と応じる福島などに対して、東電が「福島の火力発電所なども含む電源開発計画の凍結」という脅しをかけてきた。対して、これを脅しと捉えた福島がこう応じる。「プルサーマルも凍結だ。全部見直し」。この下りを抜粋しておこう。
『これは「国が絡んでいる」というより、「役人が絡んでいる」。こんな姑息なことを言い出すのは政治家ではない。(中略)追いかけて電話がかかった。平沼赳夫経済産業大臣からだという。大臣があわててソウル(出張中だった。文科系)まで電話をよこすということは、この件は、やはり一部の官僚と東電の一部が組んで仕掛けたことで、大臣には事前に知らされていなかったのだろう。(中略)平沼大臣には大変失礼ながら、電話には出なかった。(中略)ところが翌2月9日、東京電力は前日の発表を翻し、「凍結には原子力発電所は含まない」と、経済産業省に報告したらしい。(中略)一日で降参してしまった。(中略)記者会見を開いたのは東電だが、これで一挙に国への信頼も失われた。(中略)』(P70~71)
 
 県庁の体制作り

『1998年から99年にかけ、プルサーマルやエネルギー政策全体についてじっくり勉強した結果、私も担当の県職員も、国や事業者の思惑がよくわかるようになった。このころには、スキルをそなえた優秀な職員も育ってきていた。国や東京電力と、腹をくくって向かい合う時期が来たと考えた。私は覚悟を固めた』(P72)



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