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「我々に課税を」とアメリカの社長さんが    らくせき

2011年09月15日 08時58分07秒 | Weblog
今朝の赤旗によれば、アメリカの投資持ち株会社のCEOが
ニューヨーク・タイムスに寄稿して
大金持ちへの増税に賛成と呼びかけたそうです。

国難ともいうべき危機に際して負担を申し出たわけで、
ケネディ大統領が「あなたはアメリカに何が出来るのか?」を
問いかけた話を思い出しました。

一方、日本の経団連の会長さんは?
お金持ち増税は反対、企業減税も求める。
原発も再稼動を求める。
枝野さんには「もっと経済を勉強してほしい」と注文。

この日本の国難に経営者として何が出来るのか?という
発想はまったくないようですね。
大企業のトップに寄付を呼びかけるでもなく、
我々も被災者の一員なのだと、政府に要望ばかり・・・

国民に愛されない経団連会長さんですね。




コメント (4)
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佐藤栄佐久著「知事抹殺」紹介(6)逮捕直前の原発攻防と「むすび」  文科系

2011年09月15日 05時24分52秒 | Weblog

 前回最後は、こうだった。東電の社長、会長、相談役2人というトップ計4人が02年9月に引責辞任した。こういう社会的大事件の成り行き・結末について、佐藤が言わば先導したとも言えるのである。なお、この相談役の1人、平岩外四が元日本経団連の会長だったということが、この事件の大きさを示している。

 日経が見た佐藤

 さて今回は、以下を見ていく。その後、06年10月の佐藤逮捕までを。日本の原発問題をめぐって、とくに福島県が当面白紙撤回を内外に表明し続けたプルサーマル問題をめぐって、佐藤がどう振る舞っていったか。原発推進者から見れば、彼はどういう存在であったか。
 まず、これらのことを白日の下に晒している象徴的な資料が存在する。03年6月5日の日経新聞にこんな記事・文章が載っている。以下『 』はすべて、本文からの抜粋である。
『すると6月5日付の「日本経済新聞」に、「最悪の電力危機を回避せよ」というタイトルの社説が載った。
「5月はじめに運転を再開した柏崎刈羽原発6号機に続いて、6月中にあと三基が運転できて首都圏の電力不足は解消されるはずだったのに、佐藤栄佐久知事が運転再開に対して地元と県議会の同意の他に新しい条件を持ち出したために、見通しが狂った。再開時期が知事の胸先三寸というのでは困る。一日も早く合理的判断を」
 これが「東京」の本音だろう』(P97)

 国内最大の原子力事故をめぐって

こうした状況下でまたしても原発大事故が起こる。04年8月9日、関西電力美浜原発で作業員4名がやけどで死亡、7名が火傷。
『死者の数ではあのJCOの事故を上回る、国内最大の原子力事故』。説明は省くが、当時の佐藤らは関西電力をこう見ていたということだ。『「安全軽視は関西電力の企業文化」のようだ』(P102)。
 この「関西電力の企業文化」に関わって04年12月22日、佐藤はこんな言動にも撃って出ている。その日にあった原子力委員会の「福島県知事のご意見を聞く会」で、委員構成をめぐってこんなことを発言している。
『「11人の死傷者を出した関西電力の会長が、安全に関する部会に出ているのはおかしい」』
 これに反論した1女性委員に、佐藤はこんな批判も敢行している。
『「原子力政策決定についてフランスは16年、ドイツは20年もかけているのに、あなたが4~5か月で結論を出さなきゃいけないなんて思ったのは、誰に刷り込まれたのですか」
 と反論した。二、三回「失礼ね」という言葉が耳に入ってきたが、反駁はなかった。』(P104)
 
 逮捕前年

 逮捕前年、05年を迎えて、6月には『福島内原発、全基稼働再開』という出来事があった。こうして、東電との関係はやや改善されていたということだが、経産省とはさらに激しいやり取りになっていく。
『10月11日に開かれた国の原子力委員会で「原子力政策大綱」が承認され、14日の閣議で国の原子力政策として決定されることとなった』
『10月18日、国が安全を確認した原発が県の意向で運転できない時は、地元への交付金をカットする方針を決めたようだ。さっそく原発立地自治体を恫喝してきたのである。
 これまで国が「安全だ」と言って、安全だった例はない。県として県民の「安全・安心」のためこれまで通りやって行くだけだ。
 記者会見でこの件について問われてこう答えた。
「議論に値しない。枯れ尾花に驚くようなことはない」
 国からの交付金が来る来ないにかかわらず、県が独自に原発ごとの安全を確認する方針に変更はないことを強調した』(P107)

 さてこのころ、福島の言わば「同僚」に当る青森と佐賀は『「陥落」』していたと語られる一方で、福島と国とのやりとりは、言わばその頂点に達していた。
 06年新春、先述の国大綱実施ということで、東電も自社原発の3,4基でプルサーマル実施を表明する。対する福島は、
『私は記者たちにこう答えておいた。
「計画がどのようなものであれ、県内で実施することはあり得ない」』

 むすび

 「佐藤栄佐久家宅捜査、天の声はあったのか」、こんなマスコミ大劇場の開始は、この年の秋だ。ご記憶の方も多かろうが、あれほどの大騒ぎに、「公正」の一欠片でもあったろうか。マスコミとは、なんとすっとぼけた存在だろう。無数の大の大人が、佐藤と同じたった一度の人生を賭けるようにして、夜討ち朝駆け、仕掛けられた幻想劇で大暴れを演じていたわけだ。

 さて、このシリーズの結びを、佐藤の叫びで締めたい。タイトル『「佐藤栄佐久憎し」という感情』の中にある一節である。
『もともと私は、原発について反対の立場ではない。プルサーマル計画については、全国の知事の中で初めに同意を与えている。そういう私が、最後まで許さなかった「譲れない一線」のことを、国や関係者はよく考えてほしかった。
 それは、「事故情報を含む透明性の確保」と、「安全に直結する原子力政策に対する地方の権限確保」の二点であり、県民を守るという、福島県の最高責任者が最低守らなければならない立場と、同時に「原発立地地域と過疎」という地域を抱えていかなければならない地方自治体の首長の悩みでもある。繰り返しになるが、原発は国策であり、知事をはじめ立地自治体の長には何の権限もない。しかし、世論(県民の支持)をバックにすると原発が止められるのだ。むろんこれは、緊急避難である。
 私が主張したことは、そんなに無理なことだっただろうか。その二点さえ経産省と東京電力が押さえていれば、これほどのこじれ方にはならなかったと考えられる』

 この紹介シリーズを終えた、僕の感慨。文字通り、命を賭けた渾身の一作だと読んだ。それも理念と言い、構成と言い、非常な名作だとも読んだ。そんな気持ちであちこちを読み直してきた。過去にこれほど読み込んだ本は、累計七年もかけた末の卒業論文関係以外にはないのではないか。この本、あるいはこのシリーズをもし福島の方が読んでくださっていれば、事故後半年どんな思いになられるだろうかと、そんな気持ちでここまで書き進んできた。著者の血の叫び、エネルギーが僕に憑依したのかも知れない。
 
(終わり)
コメント (3)
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