九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

紹介「農家の婿のブログ」          あんころもち

2011年11月17日 17時38分46秒 | Weblog
 既に流通過程にある福島のお米から基準値以上のセシウムが検出されました。
 それを受けて書かれた、「(福島の)農家の婿のブログ」を紹介します。
 
 彼が怒っているのは、ちゃんとした安全確認の措置を取らないままに安易に「安全宣言」を出した県当局や農協に対してです。
 この「安全宣言」そのものが都合のいいデータのみで拙速としかいいようのない形で出され、その後に事故米が流通していたことが判明したという事実への怒りです。
 これにより、もはや福島の農産物の「安全宣言」は、なんの根拠もないものとして信用されず、かえって、福島産農産物への不信をかったことへの怒りです。
 
 彼の言うように、福島の農産物は「安全宣言」が出される前以上に厳しい目で見られ、改めて忌避の対象にされたといえます。
 そしてやはり彼の言うように、自分に都合の良い情報のみをつまみ食いし、都合の悪い部分は隠蔽し続けた情報操作による「安全宣言」が、福島で生きる農民たちをいっそう厳しい状況に追い込んだともいえます。
 
 そのブログは以下です。

    http://ameblo.jp/noukanomuko/
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大戦争、過去と現在  文科系

2011年11月17日 08時24分14秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 
 過去150年ほどの大きな戦争は、帝国主義諸国の利害関係によるものが多かったと語られてきた。これは、学校教科書などで教えられてきたことである。帝国主義諸国の利害関係とは、資源、原材料、そしてマーケットなどが関わるものだとも。そしてそれら諸国で定期的なように起こる「過剰生産」恐慌によって諸国間の利害対立が頂点に達する時、戦争に繋がらざるをえなかったのだ、とも。

 こういう観点から現代世界を観る時、こんなことを思う。
「過剰生産」恐慌は何度も何度も起こっている。日本の住宅バブルや、アメリカが世界を巻き込んだサブプライムバブルなどは、投資場所に事欠いた資本が高値で売れる物を無理無理にひねり出したものだ。その後始末としての国家による銀行救済なども、恐慌が勃発した証拠と言えるだろう。
 まさにこの今世界を騒がせているギリシャ、イタリア、スペイン問題もこれまた、恐慌状態の証左。フランス、ドイツなどの投資銀行が仕組んだ住宅バブルがらみであることも、途方もない金額が見込まれる銀行救済が始まっていることも明らかなのだから。そして、日本の5大銀行がこの9月決算でこういうヨーロッパ諸国の国債を転がしてかろうじて食っていると示して見せた現状などは、昔で言えばもう戦争状態というところではないか。1国の銀行が、投資場所に事欠いた末に、他国の国家財政を白昼、堂々と食ってきたのだ! それでも何の文句も言えないどころか、言わば加害者側の大マスコミがこんな論陣を張ってみせさえするのである。本日の「中日春秋」が、ギリシャ、イタリアの首相交代を、こう描き出してみせる。
『民主主義の政治制度で選ばれた宰相が、相次いで、いわば「市場」にクビを切られたことには、割り切れぬものがある。(中略)「市場」が政治をしのぐ力を持つなら、それは民主主義より”金”主主義とでも呼ぶべきである』

 新自由主義経済下の国家とは、なんと太っ腹で、「寛容」なものであるか! にしても、これだけの世界大恐慌がありながら帝国主義大戦争に発展しないというのは、人類が2つの大戦などから学んだおかげだろう。これは確かなことなのだが、なんか悲喜劇的な時代、光景に見えるのは、中日春秋と僕ぐらいなのか。
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ザックジャパン(20)「とうとう負けた」   文科系

2011年11月16日 05時06分23秒 | スポーツ
 
 ザックジャパンが、17戦目にしてとうとう負けた。それも、世界124位の北朝鮮に。この敗戦は、ザックの立場に立つようにして、十二分に分析しておく必要がある。ザックや選手たちの公表された戦評、反省などにも全部目を通した上で、以下をまとめた。

 ザックは何よりもこう語っていた。予選敗退が決定した北は、あーいう国の国家的威信を賭けてイエローカード覚悟で、激しく、よく闘った。日本と違って、カードをもらっても以降のゲームがないから何の心配もないということだ。日本はといえば、最終予選をにらんでは、イエローなどもらえなかったのである。関連して、キャプテンの長谷部が、こう語っている。
「相手が汚かったけど、球際で自分らが闘い負けていては話にならない」
 さて、どこで、どう闘い負けていたのか。箇条書きにしてみる。

①日本陣ボール、特に両サイドバックへの相手圧力が強く、日本らしいパスが繋げず、ロングボールを蹴ることが多くなった。このボールを日本の前陣が拾えず、相手後陣が拾って日本陣に蹴り返してきて、これが相手10番などによく納まった。栗原が競り負けていたのである。

②味方ロングボールが繋がらず敵ロングボールが拾えないのだから、日本の中・後陣はずるずる下がり、縦に間延びもしてきた。敵ボール奪取も上手くいかないことになるし、得意のボールキープは全く影を潜めることになった。こういう悪循環からなのだが、これだけキープ率が悪かったのは、アジア勢相手にはちょっと珍しいことだった。

③ゲームの流れとしてはこうして、前半は混乱、後半初めちょっと持ち直したところで得点された。その10分ほどあとに、中村が内田に替わっている。ロングボールが飛び交う中で、パス交換・攻撃の中心にいるべき中村が、全く役に立たなかったということだろう。もう一人のパスサッカーの象徴・遠藤の場所に入った細貝もロングボールが飛び交うその下を走り回っていただけの印象であって、パスしている姿はほとんど見られなかった。その後はしばらくしてもう、先発選手は疲れ切っていたのだと思う。走り回ってもボールがとれず、敵にサイドチェンジもよくされていたことだし。

 今後韓国、オーストラリアなどにこういうやり方、戦法をされた時、どういう対策があり得るかと考えてみよう。何よりもボールの収まり所を作る。前線では本田、中盤では遠藤がこの役割をやってきたはずだ。
 そして何よりもやはり、長谷部が言うように「球際で闘わなければいけない」。「敵ボールには合理的にアタックしなければいけない」。近い過去日本の苦い敗戦には、必ずこの当たり負けが関わっていたと言える。サッカーはまず、格闘技なのである。その意味では、トゥーリオを呼び戻すということもあり得ると思う。南ア大会前にイングランド戦、韓国戦などで当たり強さを飛躍させた時のチームで、彼はその守備の要だった。また、自陣前でロングボールを跳ね返せる選手が吉田だけというのは、どうしても不安である。
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やすやすとテポドンは届く日本国憲法九条戦後日本に  山田富士郎

2011年11月15日 13時30分34秒 | Weblog
短歌で9条に関係のあるものを見つけたので紹介します。(らくせき)

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ザックジャパン(19) 本日北朝鮮戦   文科系

2011年11月15日 06時15分24秒 | Weblog
 4対0で勝ったタジキスタン戦によって、日本の最終予選進出は決まった。アジア3次予選残りの2ゲームを若手の育成強化に費やすことができる。今夜の北朝鮮戦もそんなゲームに使えたりして、ザックジャパンはブラジル大会に向けて上々の滑り出しである。

 この相手と、故障者以外はベストメンバーで戦った先回は、1対0。マスコミは皆「辛勝だった」と報道していたが、なんのなんの実は楽勝だった。敵側の中心選手チョンテセとリャンヨンギが「何もできなかった」と語っていたのだから、楽勝が正解。サッカーとしては楽勝の流れだったが、なかなか得点できなかったゲームというところだろう。それを、今回は中日新聞予想によると若手が使われる見こみとあった。遠藤の代わりに細貝。駒野に代わって槙野、ワントップが李、と。それでさて、僕の楽しみはこんなところだ。

・得点予想は、3対0。3得点は岡崎、李、そしてハーフナーか前田が1得点と、これが理想だろう。中村憲剛も得意の中距離シュートで、得点を狙うに違いない。
・それ以上に望むのがこれ。守備陣が無失点を続けること。これについて、レギュラー以外の活躍を期待したい。槙野、伊野波、安田などだ。
・このゲームで僕が最も楽しみで、注意して観たい個人は、細貝である。「遠藤に何かあったらこのチームはどうなるのだ! 彼のリザーブ作りが急務」。これは、前からサッカージャーナリス皆が最も警鐘を鳴らしてきた日本チームの最大弱点。細貝萌、小さいのに敵ボールに近頃さらに強烈なアタックを加えるようになって、日本人離れした面白い選手である。こういう選手は、ヨーロッパでは人気が出る。イタリアのガットゥーゾとか、オランダのダービッツとかのように。案外知られていないことだがさらに、現在ドイツ・アウグスブルグで細貝は3得点している。これは、シュトゥットガルトの岡崎と同じ得点数だ。でも、日本では守備に徹するだろう。日本のボランチにまず求められるのは、無失点への貢献にちがいないのだから。
 
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日本5大銀行、「国債売買が収益源」?  文科系

2011年11月15日 05時59分19秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
  
 本日の中日新聞6面経済欄にこんな記事があって、目が吸い寄せられた。
 見出しが『大手5銀行18%増収 本業伸びず国債売買益が貢献 9月中間』と。
 三菱UFJ、三井住友、みずほ、りそな、三井住友トラストの5つのことなのだ。この5グループがこの並び順に儲けたのだそうだが、最大が三菱UFJで9000億、最小が三井住友トラスト1800億円ということだった。そして、来期それぞれの計画がこう書いてある。
『十二年三月期の純利益は、みずほを除く四グループが上方修正、五グループ合計で25.3%増の二兆二千百億円を見込む』

 この記事で、最も目がいった部分はこんな記述だ。
『本業の貸し出しが伸びず、貸出金利と調達金利の差に当たる利ざやも縮小。国債の売買に収益源を求めざるを得ない現状に、りそなホールディングスの細谷英二会長は「銀行経営からすれば、国債に代わる商品はなかなかない」と苦しい胸の内を明かした』
『各グループが保有するギリシャやイタリアなど欧州債務国五カ国向けの国債や貸し出しなどの投資残高(九月末時点)は約二兆円。欧州問題への警戒感は強く、今後も推移を見守る姿勢を示した』

 これへの印象はこんなところ。
 この不景気の中、大投資銀行は結構儲けているものだな。それも、ギリシャ、イタリア、スペインなど欧州の国債関連で儲けていることもはっきりしているようだ、と。としたらやっぱり、空売りで儲けているのだ、と。この内容についてまず、こう言える。僕がこの間ここで最も問題にしてきた国際経済予測が不幸にも当たっていたということが示された。10月13日に「ギリシャ危機、空売りは?」、および11月3日「ギリシャに想う」などのことだ。とするとつまり、「腐ったギリシャ」という国際的大々的ニュース報道は、空売りで儲けることにつながったスピーチという役割、側面をも、客観的には持っていたことになる、な。
「この勢力にとってはTPPは絶対善なのだろうな」とかも、頭にちらついたものだ。こうして最も心配なことはこれ。

「儲ける人の背後には、損する人がいる。この銀行の利益って結局、ギリシャ、イタリア国民などに付けが回される?」
「それにしても、他国のどん底の不幸が、唯一金儲けのチャンスになる社会って?」
「利ざやや投資自身で儲けられないって、銀行以外の企業はほとんど悪いってことだろう?」

 みなさんの感想は いかが?
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随筆紹介「結婚事情」   文科系

2011年11月13日 00時23分29秒 | 文芸作品
 今回の紹介作品は、A・Mさんのもの。時代の移り変わりや、今の世相がよく出ていて、そこに面白さを感じました。この作者、僕からみれば割と古風な方。僕なんかより遙かに礼儀正しいんです。まー「良家の子女」というところかなー。


【 結婚事情   A・M

今年も庭の梅がたくさん実った。木を見上げる度、成長後の青梅の嫁入り先を考える。
 この春やっと甥が結婚し、うちの二男も決まった。甥はいわゆる地味婚で、親族だけの式と食事会。本人たちが式を挙げないと言っていたのを、両方の親たちが区切りだからと勧めた。二人の幸せそうな笑顔に、こんな地味婚もいいなと思う。自分たちのために貯えを使う。すぐに赤ちゃんが生まれる予定もあるのだから。
 そう思って息子にどうするのか聞いたところ、普通の式を予定し、八十人を招くという。すでに日取りと会場を彼女と決めたとも。結婚式の費用は親がと思っていたのに、二人で費用を貯えたと話す。だから、夫の豪華会場のパンフレットも無用になり、結納はしないこともつけ加えた。
 親にほとんど相談せずに二人で決めたことに、最初は戸惑った。夫も私も。全て親に任せっきりで、費用も出してもらった。全て親の意で、家同士の結婚だった昔と、今の若者の思いを考えると、いいことであり感心する。時代も変わり、いろいろな形の結婚式や準備があることも分かった。
 「今日からは、あなたはうちの子」との夫の母の言葉が、妙にひっかかり嬉しくなかった。やはり、自分のことは自身で決めるのが大切で、尊重していきたい。青梅を手にしてつぶやいた。】
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灰塚とは?    らくせき

2011年11月12日 19時45分40秒 | Weblog
先日、金沢の金石にある海月寺に行ったところ
写真のように「灰塚」と書いたお墓がありました。
一見して灰を入れておくお墓だと分かりますが
愛知県では見たことがありません。

灰塚についてご存知の方がいらしたら
由来など、教えて下さい。

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伊方原発      らくせき

2011年11月11日 09時16分35秒 | Weblog
四国の伊方原発に関してNHKが製作したドキュメンタリー。
ようやく録画したものを見ました。

伊方原発の賛否をめぐって国と住民が争った裁判。
住民が敗訴して日本の原発が国策として推進されていったという。

主人公は、伊方原発で原発の技術責任者として働いていた方。
退職後に「原子力防災」という事故が起きたら、という
想定で本を出版していた。
しかし四国電力など関係者は全く無視。
推進する側は安全神話に洗脳されて、判断力を失ってしまったようです。

これって昔の軍人さんと同じですね。
国民に対して不敗神話をつくりあげて、
無残な負け戦に目をつむってしまった。
同じ作戦を繰り返して・・・
あの当時も、主人公のような軍人さんは居たそうですが。

組織が官僚化していくと、どうしても、腐敗して目がみえなくなる。
軍人官僚は敗戦によって消えましたが・・・
まだまだ官僚の官僚主義は強く生き残っています。

野田さんのTPP、一日、熟考のパフォーマンス。
官僚の書いたシナリオにそった行動・・・
ああ、というため息の出る番組でした。


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「小沢一郎、TPPで米に距離」  文科系

2011年11月10日 16時30分52秒 | 国内政治・経済・社会問題
 阿修羅掲示板に載った記事です。中身も分からないTPPを、これだけ急ぐ理由がなかなか分からない。「アメリカが急かせている。それも例によって、何か裏に回った脅迫がらみで」「日本の一部勢力の暗躍。対米輸出派と、外務、財務など官僚の一部か?」「急ぐヤツラがまた、アメリカに脅されている」。
 そんなことを考え込みながら改めて世間を見ると、オリンパス事件なんか、いかにも怪しい。この会社、内視鏡シェアが世界トップという有望会社。それが、90年代初め以来隠し続けてきたバブルの付け暴露から、2500円だったかの株が今や600円? 機関投資家の暗躍のしどころで、下手をするとどこかが買い占めを増やせる。このオリンパス、いくつかの米投資会社が大株主として巣くっているのだし。事の起こりがイギリス人社長であったらしいし、これで、日本の他の優良会社にも随分疑心暗鬼が出るだろう。著しい景気後退含みになる。「バブル損失会社は他にもあるだろう、早く開港しないとどんどん暴露するぞ」とすれば、凄い脅迫手法ということになるが。と、そんな夢想をしていた。だったら、経団連も財務省も、顔面蒼白だろうな、とも。
 ちなみに、今日の中日新聞にこんな記事が載っていた。明治安田アセットマネジメントが8日、運営する8つのファンドが保有するオリンパスの全株を売却した、と。これってひょっとして、アメリカの投資会社に比較的高く買ってもらったのではないか?
 以下、小沢が言うように、今TPPなんて日本に何のメリットもないはずだ。 


 TPP:小沢元代表は慎重姿勢
(TBS+新聞は買わないが)サンデー毎日は買えるな
http://www.asyura2.com/11/senkyo121/msg/863.html
投稿者 日本一新の夜明け 日時 2011 年 11 月 09 日 01:08:36: Rz0UsIHlblQyg


小沢氏も毎日系から出てくるとは、、、鳥越氏が相手だからか~
朝日・読売・産経・日経からは出てこないだろうな、、、

これで野田の進路は決まったな、、、
どの道、TPP推進派の首謀者達は責任を取らなければならない!


TPP:小沢元代表は慎重姿勢
http://mainichi.jp/select/seiji/news/20111109k0000m010037000c.html?inb=yt
 民主党の小沢一郎元代表は8日、環太平洋パートナーシップ協定(TPP)の交渉参加について「自由競争、自由貿易の原則は誰も否定できないが、今、米国が主張しているTPPをそのまますぐ受け入れることとは別問題。日本の国民生活をちゃんと守るシステムを作ったうえで、吟味してやらなければならない」と慎重な姿勢を示した。来週発売の「サンデー毎日」に掲載されるジャーナリストの鳥越俊太郎氏との対談に応じ「(現時点で交渉に参加すれば米国の)意のままにやられてしまう」と述べた。


毎日新聞 2011年11月8日 19時33分 】 
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ザックジャパン(18) ザックの手記紹介   文科系

2011年11月10日 13時39分09秒 | スポーツ
 ザックの人柄を示す良い文章がないかと、ずっと探していました。と、流石、日本サッカー協会。「協会公式ホームページ」に良い文章を見つけました。この6月から月1で6回書いているのですが、いずれもかなりの長文、しかもある種の名文と読みました。事柄をきちんと説明する力があると読んだのです。今回はその2回目、6月のキリン・カップの後に書いたモノで、そこには、なぜ3-4-3システムを追究しているかを説明している部分があります。そこを抜粋転載いたします。


【 日本サッカー協会公式ページ ザッケローニ監督の手記 7月分vol2より
 ペルー戦は準備に2日しかなかったので大きな成果は出ませんでした。それは想定内でした。次のチェコ戦は中5日あったので、ペルー戦から抽出したデータを元に、選手にポイントを整理して伝えることができた。それを理解して選手は活用できたかどうか。彼らの答えは私にとって、とてもポジティブなものでした。

 足りないものはありました。でも、それは代表チームならある程度、やむを得ないことでした。常日ごろから、一緒に練習しているクラブチームならすんなりいくところが、代表ではうまくいかないことがあるのです。特にアタッキングサードの、突破の局面でスピードアップと精度の両方が同時に求められるところで細かなミスが出ました。ただ、試合前に私が「ここはやってほしいな」と思っていたこと、ポイントの整理・理解は「できているなあ」と感じることができました。それだけでも私には有意義なことでした。「5日間あれば、ここまで出来るのか」というのは本当にうれしいサプライズであり、4-2-3-1というAプランに加え、3-4-3のBプランに「できる」という見極めができたことで本当にトライして良かったと思いました。この短期間でここまで学習して、実践できる代表チームは世界中でも日本代表だけではないかと、今回のキリンカップが終わって思いを更に強くしました。

 私は長いスパンでチーム作りを考えています。相手よりも濃い内容で試合に勝つ、そういうチームにしたいと思っています。

 内容も伴って勝つには引き出しは多い方がいいのです。プレーの選択肢を増やすといいますか。例えば、東京から北海道の札幌に行くとします。移動の手段としてはクルマも電車もバスも飛行機もフェリーもあります。移動の手段としてフェリーしか無い人は海が荒れると行けなくなります。いろんな選択肢があれば、状況に応じてベストの方法を選べる。どちらが有利でしょう。

 私は監督の仕事とは「行き方」も「行き先」も教えられるけれど、できるのはそこまでとも思っています。実際に行き方をチョイスするのはピッチの中で戦っている選手の役目です。

 チェコ戦ではそのチョイスに進歩の跡がありました。選手には「自分の近くにいる人間との連携を意識しなさい」と助言しました。突き詰めていくと、私が思うに、サッカーは、ボールを持っている人間が「ボール」と「ゴール」と「味方」と「敵」を常に見ていないといけないスポーツです。だから「攻撃の時はここを見てくれ」「守備の時のここを見るようにしよう」というポイントを幾つか示したのです。先ほど、監督の仕事は選手の思考を整理することだと言いましたが、それをやったのです。「ここを見ればいいんだよ」と選択肢を整理することが実は選択肢を増やすことにつながる。選択肢が増えると余裕が出てプレーの幅が広がる。幅が広がると逆に簡単にプレーすることにつながる。チェコ戦の前の練習ではそこを重点的にやりました。

 誤解をされては困るので言い添えておきます。システムを変えてもポイントは変わりません。4-3-3とか4-2-3-1とか3-4-3というシステムはスタートポジションを決めているだけなのです。システムを変える度にやるべきポイントが変わるなどということはありません。「ボール」と「ゴール」と「味方」と「敵」。この4者の関係性を常に頭に置いてプレーすることはサッカーにおいて不変の真理なのです。ですから「システムを変えたから勝てた」「システムの変更が裏目に出た」といった分析をメディアなどで目にする度に私は不思議になります。システムで勝ったり負けたりすることはサッカーにはありません。勝敗を分けるポイントはシステムそのものではなく、システムをいかに理解し使いこなせたか、ということです。

 私が引き出しを増やすことにこだわるのは、日本人の民族性に目を向けている部分もあります。日本には複数のポジションをこなせるユーティリティープレーヤーが非常に多い。それは一般の日本人の仕事ぶりを見ていても感じることです。専門分野に特化し「そこだけ」しかしないというより、いろいろな部署を異動しながら働いている。私の目には日本の人口は約1億3千万人だけれど、1人で3人分働いているので労働人口は3億9千万人の国に映ります。サッカーのゲームにおいても、何にでも対応できるところが、日本代表の特徴になりうると思っているのです。】
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随筆紹介「キュウリ」  文科系

2011年11月08日 17時47分17秒 | 文芸作品
 今回紹介するのは、ここには初めての方。K・Kさんの作品です。いつも、きっぱりとしたよく分かる文章を書かれます。


【 キュウリ                                   
 開け放した窓から初夏の風が入ってくる。昨日のこと、夕食にキュウリの酢の物を用意した。
 すると、夫は「あの時、君はキュウリを一本丸ごと持って来て、びっくりしたよ」と、私の顔をみて笑った。四十年も前のことになる。結婚前の夫とデートでハイキングに行った時のこと。私は弁当におにぎりとキュウリを丸ごと持って行った。「えっ、そんなこと覚えているの?」。私にとってキュウリの丸かじりは当たり前。あのパリッとした食感がたまらない。味噌をつけても塩をふっても良しである。
 「実は今だからうち明けるけど……」夫は切り出した。私と付き合う前に、別の女性と出かけた時、彼女はおしゃれな籠にサンドウィッチを作ってきた。でも、パンの切り口に包丁の錆が付いていて、幻滅した── とか。「薄黒いサンドウィッチは食べる気がしない」夫は顔をしかめた。そして、私のキュウリ丸ごと一本にも「何だ、これ」と驚いたという。
 私がキュウリの丸かじりを好きなのは父の影響だ。農家の二男だった父は、サラリーマンになり、転勤もした。が、その先々で畑を借りて野菜を作っていた。休日には家族で弁当を持ち、畑で遊んだ。採れたてのキュウリをポキッと折って、その場で食べる。
 その父も昨年、九十二歳で旅立った。あのキュウリはもう食べられない。もの言わない父に、私は「やっぱり、キュウリは丸かじりだよね」と話しかけた。】
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 随筆 世界を狭くした話  文科系

2011年11月07日 08時09分22秒 | 文芸作品

 やってしまった。10数回続いた同窓生飲み会の席に捨て台詞を残し、お金を机の上に叩き付けるようにして帰ってきてしまった。振り返れば、当然「もう二度と来ない」というような怒りを撒き散らしていただろう。この出来事、僕のアイデンティティーに関わることなので色々悩むことになったのだが、顛末の報告のように書いてみる。

 中学と、それに連結した高校の同窓生8名ほどで、一昨年から2~3か月に一度ほどやってきた飲み会がある。高校だけの人が半数以上で常時参加者は約7名ほど。女性が1人で、主催者は僕ともう一人の昔の親友だ。そこに僕は、それぞれの文化の交流が欲しかったのである。去年の秋頃だったか、個室でやった機会にギターを持ち込んだことがあった。1曲目後半からもう聴いていず、てんでに声高なお喋りが始まった。この時は、興味がないのだなと単純に処理できて、2曲目はほとんど弾かなくて終わった。まーこんなものかと、そんな感じで。
 次に、先日こんなことをやってみた。ある随筆を読んだのである。「僕にとって大事なモノで、今後のここの話の種にもして欲しいから」と、前置きを付けて。モノは、ここにも載せた随筆「死にちなんで」(本年1月1日掲載)。読み始めて半分ほどは聴いていたが、その後がいけない。一人がおしゃべりを始めたら、たちまちザワザワとなっていった。そこで、冒頭に述べたような態度に、出てしまったのである。

 さて、それからは悩んだ。特に親しい連中とのこの場所に出ないことにすれば、延べ150人ほどでみんな親しい同窓会自身にも出席し辛いことは明らかだし、普通に考えれば僕の態度が非常識なことも分かりきっているからだ。
 ここに加えるに、僕とともに呼びかけ人をやってきたKくんから、5日たって手紙が来たのである。この会の成り立ちを振り返り、「ジェントルマンであるのが、最低のルールです」と記した上で、次回○日には「皆さんの元気なお顔を期待しています」とあった。さらにまた、悩むことになった。が、この手紙が来る前にほぼ決めていた通りの結論を、K君の手紙10日後に僕は返信した。

【 こういう手紙、ご案内をいただいたことに、まず心を込めて感謝したいと思います。「昔の友達」なればこそと、ね。あーいう非常識な去り方をした以上そちらからはほかっておかれても普通だと、今なら僕も思いますから。あの時はそうは思わなかったのですが。僕の方でも、他人には分かりにくい事情が絡んでいるゆえ、今後どうしようかとあれからずっと迷い、悩んでいました。親しかった人たちとの、楽しい場所だったからです。そして、半ば結論が出た段階でこの手紙が来たわけでした。この昔の仲良しが与えてくれた話を聞いてもらえる機会にあたって、僕なりの結論と理由を述べさせていただきます。あなたの手紙が来たあともいろいろ悩んだ末の、結論内容です。

 今後はそこには出ません。そして、同窓会も出ないと決めました。理由をどう分かっていただけるかと考え抜きましたが、まーこんな風に説明するのが分かりやすく、ありのままの心を素直に受け取ってもらえるだろうと、考え至った所を述べさせていただきます。

 僕は一種のオタクなのです。今の毎日の生活が、こうですから。
 大学時代の友人2人と6年ほどやってきたブログは、そこに書く為の勉強も含めて一日に使う時間が4時間ではきかないでしょう。おかげでこのブログ、週延べアクセス数2000人、閲覧数15,000回ほどにまで育ちました。現役時代から準備していて定年後教師についたギターを日に2~3時間弾いています。外国旅行はもちろん、最近は国内一泊旅行にも必ず持って行くという調子です。日々の練習を欠かしたくないからです。この二つだけで人の一労働日近い時間を費やしているでしょう。他に、同人誌の活動があり、月に一冊の小冊子を編集・印刷し、年一冊の同人誌本を編集・発行する仕事も半分委ねられています。
 そして何よりも、それらすべての背後に、この前読みかけた随筆の「生き方」が横たわっています。つまりこの「生き方」、哲学がオタクということです。上に時間数やいろんな数字などなどを細々と書いたのは自慢のためではなく、オタクの度合を示したかったということです。

 さて、この前のような度外れの怒りは、あれだけを取り出せば確かに何の礼儀もわきまえぬ酔っぱらいです。K君の言葉で「ジェントルマン」の対立物であって、まー弁解の余地なしと言うしかありません。でもちょっと、こんな風に考えてみて下さい。一人のあるオタクがいたとして、昔慣れ親しんだ仲間と10回ほど飲む場があったとしたら、彼のオタク性が出てくるのは彼にとっては望みであり、自然なことであろうと。そして先回のあの時は、彼がその「オタクの根拠」、哲学を一生懸命読み始めたのだろうと。

 一度目のギターの時は、こう判断してあっさり引き下がりました。唐突だっただけに遠慮がちにやったことでもあるし。
「あーみんなはこれは興味がないんだ。やめておこう。僕もパーティーの余興ていどの積もりだったのだし」
 05年にオーストラリアに3か月ホームステーした時、毎日の練習のためにギターを持って行って、ホームパーティーなどでよくやりましたし、以降海外旅行にも必ず持って行き練習し、やはり会食会などにやっています。ギター付きのパーティー、ホームコンサートみたいなものは我が家でも他でもよくやっています。普通の生活の中に趣味、文化を味付けしたい人間で、「文化の生活化」の積もりなんですね。ギターホームパーティーでの僕は、随筆も読みますし。「あの時」も、その延長のような積もりだったんです。これが、まさに僕のオタク性。
 逆に、ギターの発表会のようなK君言うところの「晴れがましい(形式的な)行事」は嫌いで、教室のそれはこの8年間一度も出演したことはありません。一応上級者の月謝を払って、上に述べたように人一倍励んでいる積もりなのですが。

 さて、ギターを引き下がった時は余興だからと、僕の気持ちは随分軽かったんですよ。が、今回は単に余興ではなく、僕のオタク性そのものの所在説明を出したものと、そう考えてみて下さい。同人誌活動を現役時代から20年近くやってきたその小説、随筆のうちで一番大切な随筆の一つでした。あそこで事前に述べたように、今後の話の種にしてほしいという動機、望みを持ってだったんですが。

 まー僕もすごく短気になりました。人生が短くなるごとに、生き急いで、見ている世界が狭くなっているのでしょう 】

 さて、この始終を本日連れ合いにそのまま話してみた。連れあいは、おおむねこう語った。あなたのアイデンティティー絡みなのだから、譲りたくなければその必要なし。外って置きたいならば、それでよし。ただ、もし向こうが改めて出てくれと言ってきたらどうするの? 僕はこう答えた。
「だったら出席して、あらためてあの随筆を読むよ」
 世の中にはこういう人間もいると、世の人々、特に男たちに知ってもらいたい。
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原発報道は「大本営発表だったのか?」    らくせき

2011年11月06日 16時22分31秒 | Weblog
日本科学技術ジャーナリスト会議のシンポジウムが
名古屋大学であったので、ちょっと覘いてみました。

瀬川志朗さん(元毎日新聞科学環境部長)の講演は、
原発報道は「大本営発表だったのか?」というもの。
まさに大本営発表だったなあ、という印象を持っていたので、
興味深く聞きました。

瀬川さんは、3月11日から5月まで「炉心溶融」を、
新聞・テレビが、どう報道してきたのか?を
追跡調査した結果などをもとに、
大本営発表と言われても仕方がない、と結論を下していました。

では、言論の自由のある現在、なぜ、こうなったのか?

①政府・東電の発表にそった報道しかしていない。
(当初は溶融と報道、以後、消えてゆく。
これは政府・東電の発表のままであること)

②事態を明らかにするデータが独自取材できなかった。
(炉心の状態は、今も東電自身にも分からないので仕方ないでしょうが)

③被曝ガイドラインのために現場取材が自主規制された。

④海外の報道・シュミレーションの軽視。

例外として注目されるのは、NHKのETV特集。
科学者とともに現場に出向き、ホット・スポットの存在を
明らかにした番組です。まさに現場にこそニュースはある、という
鉄則にそった見ごたえのあるものでした。

瀬川さんのお話は、全体に納得のいくものでした。
マスコミの足腰は軟弱、目は近視になっているのでしょう。




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 随筆「ワイン持参の音楽会」 文科系

2011年11月05日 11時34分03秒 | 文芸作品

 小さなログハウス様の部屋は、屋根裏丸太まで吹き抜けになっている。ぎっしりと並べられた椅子は色も形もさまざまで、この民家そこら中から集めてきたものと思われた。それらの上に、30人弱と見える聴衆が肩をくっつけあって座っている。脇や後ろに眼をやっても、それぞれの膝小僧が前の椅子にくっつく寸前と見えた。
 その音楽会の初めは、いろんな鳥の声を真似た曲目が、説明つきで進んでいった。これを紡ぎ出していた薄茶色の楽器は、見慣れぬモノ。胴にでこぼこがなく、先は開き気味、出口も大きくって、言わばラッパ状だ。ルネッサンスリコーダーと説明されたが、明るいその音は朗々と響き、時にははっとなるほどに鋭く耳を打つ。バッハやヘンデルの時代に入ってからは、ローズウッドか黒檀のような木で作った普通の形のリコーダーに替わった。こちらのバロックリコーダーから流れるやわらかく清澄な音の、なんと心地好いこと。コレルリの5楽章ソナタが流れ、ヘンデルの4楽章ソナタで終わっていく。ルネッサンス曲と比べると、洗練度がまったく違うと感じたものだ。とにかく、気持よさが増していたのである。
伴奏を合わせているのはローランドのエレクトーンであって、ほとんどはチェンバロの音色が選択されていたらしい。リコーダーの音をしっかり聞きながら控えめに鳴らすその感じ、態度が、ちょっとカサッとした音質とともに、また実に心地好くリコーダーを引き立てていた。

 さて、音楽会が終わった。その部屋がすぐに、会食ルームに模様替え開始なのだ。中日文化センターの料理コーディネイター講師さんとあらかじめ聞いていた方とおぼしき純白ブラウスの美しい方が、その陣頭に立たれている。わずか1000円を出して居残った15名ほどが、お後を楽しみにこの準備を見つめていた。僕はといえば、あらかじめ承認をとって持ち込んだ赤のスペイン・ワイン2本の準備に努める。
 結局ワインを飲んだのは僕の友人2人と伴奏者を含めて、5人ほど。ワインのことなど知らされていない他の方々は、ほとんど車で来られたらしい。野菜が多いヘルシーなバイキング形式は食べやすく、2本とも見事に空になった。その間に進んだ即興の音楽会や楽器、音楽の解説が、また楽しかったこと。伴奏者が、部屋に備え付けてあったヤマハの小グランドピアノでいきなり弾きだしたのはベートーベンの月光ではないか。この1、3楽章を弾かれたのだが、こんなに間近でグランドピアノを聴いたのは初めてという人も多かったようだ。第3楽章の、先ほどまでのチェンバロとは打って変わった大音声が鳴り終わったときは、一同大歓声である。

 演奏者お二人とも東京芸大卒の音楽高校教師。おまけにリコーダー奏者、M・Nさんは、全日本リコーダー・コンクール第1位の実績がおありと紹介されていた。
 こういう「演奏会」に参加すると、かたぐるしい「演奏会でゴザイマス会」とか「商業ランチ音楽会」とかは、正直まったく出る気がしなくなる。世界の大音楽家が来るなどというのは全く別の話として。一緒に参加した同年齢のギター仲間Nさんが何度も何度も顔を輝かせて評した言葉が、こうだ。ちなみに彼は、初めてこの楽器を聴いたと語っていたもの。
「こりゃまさに、よく言う癒しの音楽だ。それも、王侯貴族になった気分。白っぽいカツラなんかが、この辺に付いてる感じまでしてくるよね!」
 これからの日本、こんな音楽会がどんどん増えるといい。いや、自分らでも似たものを開催経験済みであって、これはどんどん増やしていけるなと実感したものだった。音楽演奏が生活に根付き、それを聴く小さな場所もいっぱいと、そうなってこそ普通の音楽家も食っていけるようになる。
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