九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

日韓不幸の源  文科系

2019年05月08日 10時20分37秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 五十年ほど前の一九六五年六月二二日、日韓基本条約が調印された。二千十五年七月には、「アジア・太平洋戦争敗戦七十年」に関わって、安倍首相の新たな談話も出たようだ。十四年だったか「ハルピン安重根記念館設立で、韓国が中国に謝意」というニュースに管官房長官が怒りの談話を発表したという出来事もあった。「伊藤博文暗殺のテロリストを褒め称えるとは、日本に対してなんたる失礼、侮辱!」と、正式抗議までしたようだ。そんなこんなで、この機会に日韓問題について、改めて思うところを書いてみたい。

 六五年の日韓条約合意は、締結までに十四年もかかった……。両国の立場が大きくかけ離れ過ぎていたからだ。その理由をたとえば新聞などが、二つの問題に集約できると述べて来た。この二つとは、①三五年間の植民地支配をどうとらえるかということ、②①の「賠償」についての名目と金額のことである。加えてさらにこの二つそれぞれに別の難問が付け加わってくる。韓国は①を明治維新直後からの日本武力侵略史と捉えているのだろうし、①も②も太平洋戦争以前の「歴史」問題であって、連合国による日本「裁き」とは別個に二国間交渉だけにゆだねられたものだったということだ。
 これらの問題をさらに難しくする対立点もあった。日韓条約交渉に臨んだ当初の日本側久保田代表が、韓国植民地化は合法的になされたとか、インフラ整備など韓国近代化に貢献したなど良いことも多数あったから在韓財産を請求できるはずだと語ったのである。韓国は当然、武力による侵略であったし、財産請求などとんでもないと反応した。このような対立、認識の相違こそ日韓関係を難しくしてきた原点、大元だと僕は観ている。
 この久保田発言は後にお詫び付きで完全撤回される。それなのに、この久保田発言の思想が今でもいわゆるネット右翼諸氏の理論の骨子であり続けているということが、興味深いところだ。難しくて当然なのである。朝鮮植民地化までに日本がどれだけ長く、どんなふうに武力鎮圧してきたかという歴史認識で、日韓間には大差がありすぎるからだ。痛みを与えた側よりも痛められた側がその記憶を消せない理屈である。この数年僕も調べてみたが、日本が朝鮮に行った以下のことなどを、日本人はどれだけ覚えているだろうか。

 日本の武力侵略は、明治維新直後一八七五年の江華島事件にまで遡ることができる。日本に置き換えて言えばこれは、「ペリー来航・即東京湾周囲を砲撃しつつ東京まで侵出」と言えるようなものであって、朝鮮にとっては大事件であった。大日本帝国軍隊初の平時外国常時駐留も、八二年に朝鮮で認めさせている。九三年の東学教徒反乱事件は日清戦争のきっかけになったものだが、日本軍がこのときどれだけの朝鮮人を殺したことだろう。九五年には、こんな大事件も起こった。夜陰に紛れて宮廷深くに忍び込んだ日本人が王妃暗殺という大事件を引き起こしている。日本の駐朝公使が主導して、王妃の死体に石油をかけて焼くというショッキングなものである。この背景の性質上、世界的な大問題になった事件でもあった。王妃・閔妃が初め清国と、次いでロシアと連携して、日清戦争後の反日機運に動いていたからである。首謀者は三浦梧楼日本公使。この残忍な行為に現れた反日行動への憎しみこそ、日本側の一部の人々がその後の日韓関係をどう理解してきたかを象徴しているように僕には思われる。

 安重根事件は一九〇九年にハルピンで起こったが、韓国の記念館パンフレットではこれを「ハルピン義挙」と呼んでいる。この問題の理解は難しい。当時の「法律」から見れば当然テロリストだろうし、今の法でも為政者殺しは当然そうなろうから。が、四〇年かけて無数の抵抗者を殺した末にその国を植民地にしたという自覚を日本側が多少とも持つべきであろうに、公然と「テロリスト」と反論・抗議するこの神経は、僕にはどうにも理解しがたいのである。「向こうは『愛国者』で、こちらは『テロリスト』と言い続けるしかない」という理解にさえも、僕は賛成しかねる。
 今が民主主義の世界になっているのだから、やはり植民地は悪いことだったのである。「その時代時代の法でみる」観点という形式論理思考だけというのならいざ知らず、現代世界の道義から理解する観点がどうでもよいことだとはならないはずだ。「テロリスト」という言い方は、こういう現代的道義を全く欠落させていると言いたい。当時の法で当時のことを解釈してだけ相手国に対するとは、言ってみるならば今なお相手を植民地のように扱うことにならざるをえないと、どうして気づかないのだろうか。僕にはこれが不思議でならない。こんな論理で言えば、南米で原住民の無差別大量殺人を行ったスペイン人ピサロを殺しても、スパルタカスがローマ総督を殺した場合でも、テロリストと呼んで腹を立てるのが現代から観ても正当ということになるだろう。


 一九一〇年の朝鮮併合は、こういう弾圧・反乱・鎮圧のエスカレートを高めていった四十年近い歴史の結末であった。朝鮮をめぐってここまで、初めは清国と争い、次いでロシアと戦った。今ふり返れば、ここから満州事変・十五年戦争までは既に指呼の間ということになる。朝鮮併合前四十年と併合後三十五年。この全体に対する真摯な反省が日本国民に生まれないうちは、正常化などうまくいかないにちがいないのである。
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日本軍慰安婦問題、当時政府の二通達   文科系

2019年05月07日 11時34分34秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 このブログでは、日朝関係史、南京虐殺をいつも続けて来ましたが、慰安婦問題でもある決定的資料を改めてそのまま再掲しておきましょう。以下の文書には、強制のこともさえ軍自身が以下原文中でこのように認めています。

『故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ・・・・』

 朝日新聞がガセネタ報道を謝罪してからは、まるでこの問題自体もなかったような情勢になりましたが、あれは朝日のミス。「あれはミスだったが、慰安婦問題は厳然と、かつ大がかりに存在していた」と対処すれば良かったのです。こんな文書も残っているのですから。


【 慰安婦問題、当時の関連2通達紹介  文科系2014年09月22日

 以下二つは「日本軍の慰安所政策について」(2003年発表)という論文の中に、著者の永井 和(京都大学文学研究科教授)が紹介されていたものです。一つは、1937年12月21日付で在上海日本総領事館警察署から発された「皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件」。今ひとつは、この文書を受けて1938年3月4日に出された陸軍省副官発で、北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」です。後者には、前に永井氏の説明をそのまま付けておきました。日付や文書名、誰が誰に出したかも、この説明の中に書いてあるからです。

『 皇軍将兵慰安婦女渡来ニツキ便宜供与方依頼ノ件

 本件ニ関シ前線各地ニ於ケル皇軍ノ進展ニ伴ヒ之カ将兵ノ慰安方ニ付関係諸機関ニ於テ考究中処頃日来当館陸軍武官室憲兵隊合議ノ結果施設ノ一端トシテ前線各地ニ軍慰安所(事実上ノ貸座敷)ヲ左記要領ニ依リ設置スルコトトナレリ
        記
領事館
 (イ)営業願出者ニ対スル許否ノ決定
 (ロ)慰安婦女ノ身許及斯業ニ対スル一般契約手続
 (ハ)渡航上ニ関スル便宜供与
 (ニ)営業主並婦女ノ身元其他ニ関シ関係諸官署間ノ照会並回答
 (ホ)着滬ト同時ニ当地ニ滞在セシメサルヲ原則トシテ許否決定ノ上直チニ憲兵隊ニ引継クモトス
憲兵隊
 (イ)領事館ヨリ引継ヲ受ケタル営業主並婦女ノ就業地輸送手続
 (ロ)営業者並稼業婦女ニ対スル保護取締
武官室
 (イ)就業場所及家屋等ノ準備
 (ロ)一般保険並検黴ニ関スル件
 
右要領ニヨリ施設ヲ急キ居ル処既ニ稼業婦女(酌婦)募集ノ為本邦内地並ニ朝鮮方面ニ旅行中ノモノアリ今後モ同様要務ニテ旅行スルモノアル筈ナルカ之等ノモノニ対シテハ当館発給ノ身分証明書中ニ事由ヲ記入シ本人ニ携帯セシメ居ルニ付乗船其他ニ付便宜供与方御取計相成度尚着滬後直ニ就業地ニ赴ク関係上募集者抱主又ハ其ノ代理者等ニハ夫々斯業ニ必要ナル書類(左記雛形)ヲ交付シ予メ書類ノ完備方指示シ置キタルモ整備ヲ缺クモノ多カルヘキヲ予想サルルト共ニ着滬後煩雑ナル手続ヲ繰返スコトナキ様致度ニ付一応携帯書類御査閲ノ上御援助相煩度此段御依頼ス
(中略)
昭和十二年十二月二十一日
         在上海日本総領事館警察署 』


『 本報告では、1996年末に新たに発掘された警察資料を用いて、この「従軍慰安婦論争」で、その解釈が争点のひとつとなった陸軍の一文書、すなわち陸軍省副官発北支那方面軍及中支派遣軍参謀長宛通牒、陸支密第745号「軍慰安所従業婦等募集ニ関スル件」(1938年3月4日付-以後副官通牒と略す)の意味を再検討する。
 まず問題の文書全文を以下に引用する(引用にあたっては、原史料に忠実であることを心がけたが、漢字は通行の字体を用いた)。

支那事変地ニ於ケル慰安所設置ノ為内地ニ於テ之カ従業婦等ヲ募集スルニ当リ、故サラニ軍部諒解等ノ名儀ヲ利用シ為ニ軍ノ威信ヲ傷ツケ且ツ一般民ノ誤解ヲ招ク虞アルモノ或ハ従軍記者、慰問者等ヲ介シテ不統制ニ募集シ社会問題ヲ惹起スル虞アルモノ或ハ募集ニ任スル者ノ人選適切ヲ欠キ為ニ募集ノ方法、誘拐ニ類シ警察当局ニ検挙取調ヲ受クルモノアル等注意ヲ要スルモノ少ナカラサルニ就テハ将来是等ノ募集等ニ当リテハ派遣軍ニ於イテ統制シ之ニ任スル人物ノ選定ヲ周到適切ニシ其実地ニ当リテハ関係地方ノ憲兵及警察当局トノ連携ヲ密ニシ次テ軍ノ威信保持上並ニ社会問題上遺漏ナキ様配慮相成度依命通牒ス』

 さて、これを皆さんはどう読まれるでしょうか。なお、この文書関係の北支関連国内分募集人員については、ある女衒業者の取り調べ資料から16~30歳で3000名とありました。内地ではこうだったという公的資料の一部です。最初に日本各地の警察から、この個々の募集行動(事件)への疑惑が持ち上がって来て、それがこの文書の発端になったという所が、大きな意味を持つように僕は読みました。】
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南京虐殺史実の決定版   文科系

2019年05月07日 11時27分18秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
「あんたも無知丸出しかい? 南京市民より死者が多い三十万人などというヨタ話を、ほんとに信じるの?」
 今度の相手も上から目線でこちらを頭から押さえ込んで来た。いつも同様、僕のブログの過去文章を読んでいないことも丸分かり。丁寧に反論する。

 ①虐殺直前に、日本軍がしかけた上海上陸攻防の大激戦が三か月続いた。そこの中国軍三〇万が揚子江すぐ上流の首都・南京城めがけて潰走し、日本軍がこれを我先にと追撃して出来上がったのが南京城包囲である。城の外、付近の住民も首都軍の庇護を求めて逃げ込んだし、膨大な人数に増えていて当たり前なのである。

 ②次いで、「あんな短期間にそんなにたくさん殺せる訳がない。日本軍はスーパー・サイヤ人か?」とのご批判。これには、こうお応えする。南京城壁は高さ一八メートルで分厚く、一方は揚子江。この城の限られた城門から全軍脱出が敢行されたのが一九三七年一二月一二日の夜から一三日朝にかけて。作戦は完全な失敗。揚子江を渡れた兵はごく少なく、膨大な数の捕虜はその後どうなったか。以降の日本軍中国南下作戦を考えれば、生かして放つはずがない。以降七年半の占領下早い内に、収容施設へ連れて行くように見せかけて秘密裏に殺したと考えるの普通だろう。三一年の満州事変の無法行為で国連を脱退したことを巡る国際的批判と、国内の戦意高揚とのためにも、秘密裏にということが大事だった。

 ③と、僕が返した反論には間髪を入れず、こんなご批判。「それだけ死んだら、死者名簿は? 慰霊祭は? なぜ家族の猛抗議はなかったのか? これらがいまだにないのは嘘である証拠! せいぜい二万人がイーところだな!」。まるで鬼の首でも取ったように勝ち誇って来る。これもネトウヨ本の鸚鵡返しであって、勝ち誇ったこの態度も「自信」の顕れなのである。ただし僕は、一一年ここで闘ってきた勤勉な古参兵。こんなひょろひょろ弾に倒れる訳がない。
 当時の中国政府は、戸籍がないに等しく、兵士は浮浪者が多かった。それも、あの広大な全土から集められた人々。浮浪者が多く、戸籍がないなら、どうやって名簿を創り、家族に知らせるのか。しかも、以降一二年の中国は戦乱と、さらには国共戦争と政権分裂。日本の習慣で思い付いた訳知り顔の屁理屈に過ぎない。現に、中支派遣軍事前教育教科書にこんな記述がある。
『三三年に陸軍歩兵学校が頒布した「対支那軍戦闘法の研究」中の「捕虜の取扱」の項には、(中略)「支那人は戸籍法完全ならざるのみならず、特に兵員は浮浪者」が多いので、「仮にこれを殺害又は他の地方に放つも世間的に問題となること無し」と書かれていた(藤原彰『戦死した英霊たち』)』
(岩波新書「シリーズ日本近現代史全10巻」の第5巻『満州事変から日中戦争へ』加藤陽子・東京大学大学院人文社会系研究科教授、220ページ)


 ④すると今度はまた、こう返ってきた。「どんな理屈を語ろうと、死者数二万という学者の有力説もある。三〇万ははっきり嘘として、数をはっきりさせろよな!」。古参兵はこの数字弾のひょろひょろぶりもよく知っているから、こう反論するだけだ。
 確か小泉内閣の時に日中の学者が集まって虐殺数を検討する会議を持った。日本からも一〇名ほどが出たが、北岡伸一など政府系の学者らが多い日本側の結論は、二~二〇万というもの。なぜこんなに開きが出るのか。「虐殺犠牲者」の定義とか虐殺期間・地域などで一致できなかったからだ。特に虐殺に兵士を含むか否か。兵士の戦死は当たり前、虐殺の数には入らないと。が、これにも反論は容易だ。日本は中国に最後まで宣戦を布告をせず、地中あちこちから折り重なって出てきた膨大な若者人骨は捕虜を虐殺した証拠にもなる。以上から、日本の(政府系)学者らさえ二〇万人の含みを否定できなかったのである。


 さて、以下の内容がまた、以上すべてを裏付けるものである。

【 南京大虐殺、一師団長の日記から  文科系 2017年03月09日

「教育図書出版 第一学習社」発行の「詳録新日本史資料集成 1995年改訂第8版」という高校日本史学習資料集がある。これをぱらぱらと見ていて、南京大虐殺の資料を新たに一つ発見したので、ご紹介したい。408頁に南京攻略軍指揮官の中島今朝吾(けさご)第16師団長日記というのが載っていた。そこの全文を書いてみる。

『大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレドモ、千、五千、一万ノ群集トナレバ之ガ武装ヲ解除スルコトスラ出来ズ、唯彼等ガゾロゾロツイテ来ルカラ安全ナルモノノ、之ガ一旦騒擾セバ始末ニ困ルノデ、部隊ヲトラックニテ増派シテ監視ト誘導ニ任ジ、十三日夕ハトラックノ大活動ヲ要シタリ。シカシナガラ戦勝直後ノコトナレバナカナカ実行ハ敏速ニハ出来ズ。カカル処置ハ当初ヨリ予想ダニセザリシ処ナレバ、参謀部ハ大多忙ヲ極メタリ。
一、後ニ至リテ知ル処ニ依リテ佐々木部隊ダケニテ処理セシモノ約一万五千、大平門ニ於ケル守備ノ一中隊長ガ処理セシモノ約一三〇〇、其仙鶴門付近ニ集結シタルモノ約七、八千人あり。ナオ続々投降シ来ル。
一、コノ七、八千人、之ヲ片付クルニハ相当大ナル壕ヲ要シ、中々見当ラズ。一案トシテ百、二百ニ分割シタル後、適当ノカ処ニ誘キテ処理スル予定ナリ。』

 高さ18メートルもある分厚い南京城壁の限られた門から一夜にして日本軍包囲網を脱出しようとした中国軍兵は、その多くが捕虜になった事が示されている。どうせ逃げられないから、捕虜になって助かろうという態度にさえ見えるのである。ところが、これを最初からの方針として、全部殺してしまった。あちこちに分けて連れて行って殺し、埋めたということなのである。そもそも冒頭のこの部分が僕がこのブログで強調してきた要注意か所と言える。

「大体捕虜ハセヌ方針ナレバ、片端ヨリ之ヲ片付クルコトトナシタレドモ」

 最初から捕虜は殺す方針であったことが明確に述べられている。酷いもんだ。こんな資料があるのに、ネトウヨ諸君の種本論客達は、兵士虐殺を否定してきたのである。一師団長が聞いただけで彼等がよく語る「せいぜい2万人」などは、優に超えている。すべて世界に向けては、いや南京攻略兵にすら秘密の仕業であった。少し前にあった満州事変に対する国連非難囂々に懲りていたのだろう。また、国民の戦意高揚のためにも、敵への残虐行為は極力秘密にするものだ。実に卑怯、姑息な日本軍である。もっとも命令を出した奴らが卑怯、非道なのであるが・・・。】

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米「制裁」と国連  文科系

2019年05月06日 00時02分09秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 アメリカが、他国に対して制裁を連発している。シリア、イラン、ベネズエラ・・・・。

 ところで、この制裁とは国連法でなく、アメリカの法律を他国に適用するというようなもの。で、こう問いたい。各国がこんなことを始めたら、国連法、国連は不要になるだろうと。つまり、今のアメリカはもう、自分が国連だと動いているのである。国連の猛反対を押し切って有志国だけでイラク戦争をはじめたように。

 ところで、近代日本の発展は、その礎が戦国時代を終わらせた徳川300年の平和によって築かれたとは、日本史の常識。今世界のベストセラーになっている「サピエンス全史」も、こう述べている。統一国家が誕生してからは、そこの法律の範囲で人々が守られるようになった、と。同じように、今のグローバル世界に日本国憲法がいう国際間信頼を造成することによって戦争を無くすためには、国連尊重、この健全な育成が不可欠であろう。なのに、冷戦以降のアメリカは、湾岸戦争、アフガン戦争、イラク戦争などなど、国連を無視して、自分が国連のように振る舞ってきた。その軍事費も冷戦時代の倍をはるかに超えている。こういう国が今狙っている「国連無視の世界制覇」は、その人種差別主義も相まって、徳川300年の平和のようなものでは決してないだろう。

 こういうアメリカが、その世界覇権を死守するべく、物作りで勃興しつつある中国をますます敵視し始めたことが、今後の世界情勢で最も怖いことだと僕は観てきた。自由主義経済も、国連尊重・多国間主義外交も、今のアメリカよりも中国の方が遙かに「マシ」だと考えてもいる。
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喜寿ランナーの手記(254)走行だけじゃ、筋肉が衰える年齢?   文科系

2019年05月06日 00時01分19秒 | スポーツ
 4月1日以来書いていなかった。体力弱化を痛感するところがあって、基礎からこつこつとやり直していたのである。なんせ、4月2日にジム・マシンで時速10キロ・30分をほぼできたのに、24日に久しぶりの階段往復を60回やってみただけで、両脚フクラハギ筋肉痛が2~3日引かないのだ。春先までは120往復だって何ともなかったのだ。この間もちゃんと外走りも含めて走っていたのに、これだけでは脚筋の一部が弱くなるようになったらしい。それで、あわてた。こんなふうに。

『ただ走っているだけでは、走行に関わりがより少ない脚筋が衰える年齢、身体になったのだろう。そして、これがだんだん走行の筋肉にも影響していく。筋力補強運動とストレッチとにもっと努めよう。蹴り足を強くするために自転車にもなるべく乗って・・・』

 とこのようにちょっと努力したら、1週間後には同じ60往復でなんともなくなった。ストレッチに励むことも含めて、努力一週間で前に戻る筋力低下という程度だったのだろう? まだまだ蓄えがあったからすぐに復活できた? ちなみに、この復活したどこかの筋力はストライドの長さをもたらすらしい。ストライドが80センチ台から95センチほどに伸びた。ただし、最近好調時の僕のストライドは1メートルを越えるのだが。こんなことが分かるから、ランニングウオッチは年寄りには便利この上ない優れものなのだ。
 
 暑くなる前、この5月中に何とかちょっとした最近の記録を出しておきたい。マシン制限時間30分を2回やって合計9・5キロほどは行きたいものだ。前30分の初めの方では、ウオームアップ緩走も含む僕流のやり方なのだけれど。


 ところで、僕のジムにこういう大先輩を見つけた。庭仕事で腰骨などを去年まで2回続けて骨折、長期入院治療からリハビリに立ち上がり、これを頑張って、またまた前の通りに復活したランナー。確か、81歳とお聞きした。59歳からランナーを始めてこの5月で78歳になった僕と違って、30代と若い頃からのランナーと言われていたが、勇気を与えられた。この爪の垢でも煎じて飲もうと思おう。リハビリの教訓など、彼から一度いろんな体験談を聞き取りたいと思ったものだ。僕にも、いつ訪れるか分からない事故はありうるし。
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ヴィッセル神戸の酷い守備   文科系

2019年05月05日 20時28分29秒 | スポーツ
 札幌・神戸戦を観た。例によって、観戦ノートを付けながら。それで感じたのが、標記のこと。

 あれでは、イニエスタもビジャも全く生きない。と言うよりも、得点してもそれ以上に失点するだろう。一言で言って、守備がザルだと観た。守備時に相手を後追いするだけで、ボールを取れないのである。ミシャ札幌の繋ぎが上手いにしても、相手ボールを潰すことがあれだけできなければ駄目だろう。

 守備時の選手らが、ただ棒のように立っているだけ。「今のこの守りは俺としてこの位置に走れ」という組織が全然できていないのである。そういう「視野」さえも鍛えられていないという以上に、その視野も不要な守りをしているように見えた。それで、相手選手らに味方選手の中間の良い位置に走られて、次々とボールを繋がれてしまう。もう、目も当てられないほどだった。

 辞めさせられたスペイン人監督は、ただボールの繋ぎ方と攻撃だけを教えていたとしか思えない。それを味方のDF選手が、中盤以前でちゃんと止める練習をしていたかどうかも怪しいほど。これでは、チームに内紛が起こって当然であろう。あんな監督を連れてきたのは、一体誰なんだ?

 と思ってみていたら、今度は同じスペイン人の鳥栖の監督も辞めさせられた。スペイン人監督と言うだけで、バルサに関わりがあると考えただけで、「バルサのような繋ぎ」を期待したのかどうか、あまりにも安易すぎる朝令暮改に終わった監督人選と言うしかないだろう。同時に、世界でも特殊なキャラクターを持っていると思われる日本人選手に合うかどうかを考えないで、監督を選んだとしか思えない。横浜のポステコグルーは別格とここでも何度も述べてきたが、強い国の外国人監督を呼べばよいという時代では、日本はもう無くなったとも思う。
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「僕が政治論以外も書くわけ」  文科系

2019年05月04日 12時05分50秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 これも、旧稿の再掲ですが・・・。


『 改めて、「僕が政治論以外も書くわけ」  文科系  2012年01月15日 | 文化一般

 表記のことを、改めてまとめてみたい。随筆、サッカー評論などなど一見関係ないようなことを僕はなぜここに書いてきたか。ここが始まった6年前からしばらくはかなり気にしていたことだが、最近はあまりこれを書いたことがなかったと思いついて。

 僕がまだ若い頃から、こんなことが当時の大学で当たり前であった左翼の世界の常識のように広く語られていた。「外では『民主的な夫』、家での実質は関白亭主。そんなのがごろごろ」。そういう男たちの政治論に接する機会があると、正直どこか斜めに構えてこれを聞いていたものだ。どんな偉い左翼人士に対しても。レーニンの著作にたびたび出てくるこういった内容の言葉も、そんなわけでなぜか身に染みて受け取れたものだった。
「どんな有力な反動政治家の気の利いた名演説や、そういう反動政治方針よりも、恐るべきものは人々の生活習慣である」
 こういう僕の身についた感覚から僕の左翼隣人、いや人間一般を観る目も、いつしかこうなっていた。その人の言葉を聞いていてもそれをそのままには信じず、実は、言葉をも参考にしつつその人の実生活がどうかといつも観察していた。誤解されては困るが、これは人間不信というのではなくって、自分をも含んだ以下のような人間認識と言ってよい。人は一般に自分自身を知っているわけではなくって、自分の行為と言葉が知らずに自分にとって重大な矛盾をはらんでいることなどはいっぱいあるものだ、と。こういう人間観は実は、哲学をちょっとでもまじめに学んだことがある者の宿命でもあろう。哲学史では、自覚が最も難しくって大切なことだと語ってきたのだから。ソクラテスの「汝自身を知れ」、近代以降でもデカルトの「私は、思う(疑う)。そういう私も含めてすべてを疑う私こそ、まず第一に存在すると言えるものだ」などは、みなこれと同じことを述べているものだ。

 さて、だとしたら政治論だけやっていても何か広く本質的なことを語っているなんてことはないだろう。そんなのはリアリティーに欠けて、ナンセンスな政治論ということもあるし、「非現実的話」「非現実的世界」もはなはだしいことさえもあるわけである。それでこうなる。生活も語ってほしい。その人の最も生活らしい生活と言える、好きなこと、文化活動なんかも知りたい。どういう人がその論を語っているかということもなければ、説得力不十分なのではないか、などなどと。もちろん、何を書いてもそれが文章である限りは嘘も書けるのだけれど、その人の実際や自覚のにおいのしない政治論だけの話よりはまだはるかにましだろうし、随筆なんかでもリアリティーのない文章は結構馬脚が顕れているものだと、などなど、そういうことである。
 やがて、こんな風にも考えるようになった。幸せな活動が自分自身に実質希薄な人が人を幸せにするなんて?とか、人の困難を除くことだけが幸せと語っているに等しい人の言葉なんて?とか。そういう人を見ると今の僕は、まずこう言いたくなる。人の困難を除くよりもまず、自分、人生にはこれだけ楽しいこともあると子孫に実際に示して見せてみろよ、と。

 なお、以上は政治論だけをやっているのだと、人生の一断面の話だけしているという自覚がある論じ方ならばそれはそれでよく、五月蠅いことは言わない。だが、当時の左翼政治論壇では、こんなことさえ語られたのである。「歴史進歩の方向に沿って進むのが、人間のあるべき道である」と。つまり、政治と哲学が結びついていたのだ。それどころか、戦前から政治が文学や哲学や政治学、そういう学者たちの上位に君臨していたと言える現象のなんと多かったことか。
 そんなわけで僕は、当時では当たり前であった大学自治会には近づいたことがなかった。そして、左翼になってからもこの「政治優位哲学」には常に距離を置いていたものだった。これはなぜか僕の宿痾のようなものになっていた。

 なお、こういう「公的な場所」に「私的な文章」を載せるなんて?という感覚も日本には非常に多いはずだ。こういう「公私の峻別」がまた、日本の公的なもののリアリティーをなくしてはいなかったか。公的発言に私的な事を入れると、まるで何か邪な意図があるに違いないとでも言うような。逆に日本ではもっともっとこんな事が必要なのだろう。政治をもっと私的な事に引きつけて、随筆風に語ること。正真正銘の公私混同はいけないが、私の実際に裏付けられないような公(の言葉)は日本という国においてはそのままでは、こういったものと同等扱いされることも多いはずだ。自分の子供をエリートにするためだけに高給をもらっているに等しい文科省官僚の公的発言、「貴男が男女平等を語っているの?」と連れ合いに冷笑される亭主。

 ややこしい内容を、舌足らずに書いたなと、自分でも隔靴掻痒。最近のここをお読み頂いている皆様にはどうか、意のある所をお酌み取り頂きたい。なお僕の文章はブログも同人誌随筆も、ほぼすべて連れ合いや同居に等しい娘にもしょっちゅう読んでもらっている。例えば、ハーちゃん随筆などは、彼らとの対話、共同生活の場所にもなっている。』
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僕の9条堅持論  文科系

2019年05月04日 12時03分40秒 | 国内政治・経済・社会問題
 古い文章の再掲ですが・・・


『 僕の九条堅持論  文科系 2011年03月09日 | 9条問題

 ざくろさんという方が、ここでおかしな事を述べられた。
『原理原則から述べれば当然現行憲法は破棄されるべきものなんですけどね。』
 自衛隊という陸海空軍と憲法との矛盾について、これが、原理原則を本末転倒させた論議であるのは明らかだ。なし崩しに軍隊を作って、世界有数の規模と成し、強引に解釈改憲を通してきたやり方こそ、憲法という原理原則を踏みにじったと語るべきである。こんなことは、小学生でも分かる理屈だ。1国の憲法というものは本来、そういうものだと日々教えているはずだからである。
 あまつさえこの間に、この憲法を守ることが出来る世界作りを大国日本が率先して呼びかけ直す道も、「以下のように」あり得たのである。自衛隊を作る背景、原因にもなった冷戦体制が終わった時とか、サブプライムバブル弾けに端を発して100年単位ほどの世界大恐慌状態に落ち込んだ時とかに。そういう絶好の機会において、日本が国連でアメリカの投票機の役割しか果たしてこなかったのは、実に情けないことだ。なお、この恐慌は持ち直したという声があるがとんでもない暴論だと思う。世界にこれだけ失業者がいては、株が少々上がったところで、健全な経済状況などと言えるわけがないではないか。それが民主主義の観点というものであろう。
 

1 さて、古今東西、戦争の原因はどんどん変ってきて色々あり、一様ではない。よって「戦争を必然とする人間の本性」のようなものがあるとは、僕は考えない。これが存在するから今後も戦争は永遠に少なくならないというようなことを語るとしたら、その論の正しさを先ず証明してからにして欲しい。こんな証明は論理的にも、現実的にも不可能なはずだから「攻めてくる国があるから対応を考えなければならない」という立論だけでは、全く不十分な議論である。特に長期スパンで戦争をなくしていく視点が欠けたそういう論議は、万人に対して説得力のあるものではないだろう。
 20世紀になって、第一次世界大戦の世界的惨状から以降、そして第二次世界大戦以降はもっと、戦争違法化の流れが急速に進んできた。この流れは、18世紀西欧に起こった「自由、平等、博愛」の声に示されるような「人の命は権利としては平等に大切である」という考え方が定着してきた結果でもあろう。つまり、権利としての民族平等、国家自決権なども含んだこういう流れが、後退や紆余曲折はあっても近現代史に確固として存在するのである。
 世界史のこんな流れの中からこそ、長年の努力でEUもできた。EUの形成は、それまでの世界的戦争の先頭に立ってきたような国々が、互いへの戦争などを放棄したということを示している。
 20世紀後半になって、大きな戦争は朝鮮、ベトナムなどで起こったが、あれは東西世界体制の冷戦に関わったもので、その対立はもう存在しない。それどころか、中国も資本主義体制に組み込まれた現在では、日本のような先進大国を攻めるというような行為は、中国も含めた世界経済をがたがたにするという世界史的汚名を被る覚悟が必要になったとも言える。今時の大国の誰が、こんなヒットラーのような無謀行為を敢えて犯すだろうか。

2 さて、こういう世界の流れを観るならば当然、自国への戦争に関わっても二つのスパンで物事を考えなければならないと思う。一つが、「当面、日本に攻めてくる国があるか。それに対してどうするのか」と言うスパン。今一つが、「戦争違法化の流れを全人類、子々孫々のために推し進めるべき各国の責任」というスパンであって、これは、近年新たに目立ってきた世界の貧困問題や食糧問題などを解決するためにも世界万民が望んでいることだろう。なお、この二つで前者しか論じない方々は、論証抜きの「戦争は永遠の現実」という独断のみに頑強に固執して、数々の人類の不幸を全く顧みないニヒリズムだと、断定したい。
 以上のことは、世界の大国アメリカを観れば容易に分かることだ。アメリカは相対的貧困者や満足に医者にかかれない人々やが非常に多い「先進国」である。高校を卒業できない人が白人でも4人に1人であり、黒人やヒスパニックでは半分だ。現在の軍事費を何割かでも減らせれば、これらが救われる財政的条件が生まれる理屈だが、こんな当たり前のことが何故出来ないのか。ここの軍事費が何割か減ったら、攻めてくる国が出るというものでもなかろうに。だからこそ、今軍事費を減らそうとの視点を持たなかったり、ましてや中国のように増やしている国を黙認するような「現実論」は、ニヒリズムだと呼ぶのである。 

3 まず上記の長期スパンであるが、こういう立場に日本が立ちたいと思う。
 先ず、国連には9条堅持と日本軍隊縮小方向を、代わりに『平和と貧困撲滅基金』というような形で毎年かなりのお金を国連に出していく方向を、改めて表明する。合わせて、こう表明する。
「軍隊を持たない方向を目指す代わりに、世界の『平和と貧困撲滅』に貢献したい。そういう大国が存在するのは世界と国連、人類の未来にとってこの上なく大きい意義があると考える。ついては代わりに以下の要求を万国、国連にさせて頂く。日本国憲法にある通りに、世界各国の平和を目指し貧困をなくすという希望と善意に信頼を置いてこういう決断を成すわけだから、以下の要求を国連に出す資格も当然あると考えている。
『日本に他国が攻めてくるということがないようにする努力を万国にもお願いしたい。また万万が一攻められるようなことがあった場合には、国連軍、国際的常設軍隊で即座に支援して頂くというそういう体制を至急お作り願いたい。国連をそうしたものにするべく、日本はその先頭に立ちたい』」 

4 九条堅持と、その実現のために、いやそれ以上に、世界の平和と貧困撲滅のために、3の遂行度合いに合わせて、自衛隊は縮小、廃止方向を取る。そのスパンも30年などと遠いものではなくしたい。
なお、こういう構想は民主党小沢派、鳩山派などが持っている構想に近いものだと、僕は見ている。小沢派の「米中等距離路線」「国連警察軍」などの構想は、これに近い発想、あるいはそうなっていかざるをえない発想なのではないかということだ。むしろ、親中国路線とともに国連常設的軍隊重視こそ、小沢がアメリカと親米派勢力に憎まれてきた理由だろうと考えてきた。また、このような案が大きく世に出てきた時には、共産党、社民党もこれに賛成せざるを得なくなるであろうとも予測する。つまり、以上の構想の現実的政治勢力、潜在勢力が現に大きく存在するということだ。
 ちなみに、国連自身の指揮下にある常設軍というならば、それに日本が参加してさえ、「国権の発動たる戦争」に関わる「陸海空軍その他の戦力」とは言えないだろう。また、フセインのクゥエート侵略があったり、アフリカのいくつかの国に同類のことが起こっている以上、かなり強力な国連常設軍が当面は必要だと思う。』
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革命輸出にまた失敗、ベネズエラ  文科系

2019年05月04日 11時31分19秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 5月1日まで標記のことが起こったベネズエラだが、その真相が「マスコミに載らない海外記事」のサイトに転載されていた。ニュース元は、「Moon of Alabama 2019年5月1日」とある。以下はここからの抜粋、前3分の1ほどである。

『昨日のベネズエラでのクーデター未遂は、トランプ政権の国際的立場を大いに傷つけた。アメリカのベネズエラ傀儡フアン・グアイドとレオポルド・ロペスの権威を失墜させた。連中のもともとの「政権転覆」計画が(再び)失敗したことを認識した後、ホワイトハウスは陣太鼓を叩き始めている。

 ああいう計画ではなかった。
 3カ月以上前、彼が最初にマドゥロ大統領の権威に挑戦した時から、グアイドを支持していたトランプ政権は、当日事態は明らかに違う展開をすると考えていた。
 フアン・グアイドと、彼の師レオポルド・ロペスによる滑稽なクーデターの企てがなぜうまく行くとトランプ政権が信じた理由の公式説明はない。
 だがニコラス・マドゥロ大統領政権が罠をしかけたという兆候がある。ベネズエラ政府上層部の数人が彼らがアメリカの手先側に寝返るつもりだと虚偽の約束をしたのだ。彼らは、彼に失敗させるため、クーデター始めるよう、グアイドをだましたのだ。
 ワシントン・ポストの要約は誰もが重要人物が寝返ることを期待していたと言っている。

 カラカスでの混乱は、計画は進んだが、期待通りに展開しなかった可能性を示している。...
 寝返るつもりだというマドゥロ政権幹部による約束は実現せず、次の段階を議論する際、政権はますます懸念しているように見えた。
...
火曜日早々、ボルトンは記者団に、トランプが「分刻みで」ベネズエラでの政治的進展を見ていると語っていた。マドゥロを非難し、政治的敵対勢力を受け入れるよう、ボルトンは個々のベネズエラ幹部に異常な公的圧力を加えていた。
...
「非常に微妙な瞬間だ」とボルトンが言った。「大統領は穏やかな政権移譲を望んでおり」もし十分な人数の軍と政府の幹部が寝返れば可能だろうと彼が補足していた。
...
マドゥロ政権を分裂させる明白な試みで、ウラディミール・パドリノ・ロペス防衛大臣を含めた政府幹部が、グアイドと極秘交渉をしており、マドゥロ打倒支援という「約束をしっかり守る」よう要求したとボルトンは述べた。
...
ボルトンは具体的に、ベネズエラ幹部三人、国防大臣と、最高裁判所裁判長と、大統領警備隊指揮官に、グアイドの権力奪取を支援するよう要請したと述べた。
...
ある中南米国の幹部が、「過去数週間」、パドリノと他の二人と反政府派の交渉が行われており、彼ら三人がグアイドの権力奪取を許すべく「憲法秩序」を支持して公式に名乗り出れば、今の地位が保障されることになっていたと語った。動きが速い混乱した状況について、匿名を条件に話をしたこの幹部は、交渉に関係していた人々は一体何がまずくなったのか、説明をしていないと述べた。
...
火曜日、トランプ政権のベネズエラ特使エリオット・エイブラムスは、記者団に、アメリカは、パドリオが、マドゥロに任命された最高裁判所裁判長と国家警備隊司令官頭とともに、必ずしもグアイドではなくとも、ベネズエラ憲法に対する、彼らの支持を宣言することを期待していたと述べていた。
...
反政府派が、計画されたデモに先行して、マドゥロ政権の影響力ある幹部三人と話し合いをしていたと彼は述べた。
...
やはり月曜、グアイドのアメリカ大使カルロス・ベッキョは、野党指導部が「マドゥロ側近の一部との会談」をしており「彼らがマドゥロは、もはやどうにもならないことが分かっていると言った。マドゥロは過去の人だ...それが彼らがベネズエラの異なる未来を探求しようと望む理由だと。」

 ワシントンの全員が、ベネズエラ政府の重要人物たちが寝返ると信じていた。彼らは寝返らなかった。ウラジミール・パドリーノは、グアイドがクーデターを発表してから、1時間以内に、それを拒絶した。グアイド側は、ベネズエラの防衛大臣や数人の他の当局者や幹部職員にもてあそばれたように思われる。彼らはグアイドを支持すると約束したように見えたが、結局、彼を当惑させる措置をとらせるよう、彼をからかったに過ぎない。(以下省略。興味のある方は、本文をご覧あれ)』
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書評、前置きと予告「平成金融史」と「平成経済 衰退の本質」    文科系

2019年05月01日 11時49分40秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など
 今、2冊の本を同時進行で読んでいる。1冊は「平成金融史ーーバブル崩壊からアベノミクスまで」(西野智彦著、2019年4月25日発行、中公新書)と、「平成経済 衰退の本質」(金子勝著、同4月19日発行、岩波新書)だ。いずれも、僕のこういう動機から購入することになったもの。「アベノミクスの破綻が今後どう成り行くか?」ということ。
 例えば、西野本の「金融史」の決定的瞬間を覗いてみると、有名な安倍・日銀闘争の場面もある。白川方明総裁を中心とした日銀を、安倍政権が屈服させた結果の産物「黒田バズーカ」以降の今を築いた、その決定的瞬間のことだ。

『(2013年)1月22日、金融政策決定会合で2%の物価目標設定が決まり、このあと財務省、内閣府との連名で共同声明が発表された。声明には・・・・・1ヶ月以上の長い調整過程で白川がこんな言葉を何度か漏らしたのを、周囲が記憶している。
「この様な文書で、後世歴史の評価に堪えられるだろうか」
 2月5日夕、白川は官邸を訪れ、四月の任期満了を待たず、副総裁の任期が切れる3月19日に繰り上げて辞職する、と安倍に伝えた』

 さて、この時日銀を押し切ってまで強引に決まった「2%」方針が一向に成果を上げられないままの2018年、政権内部ではどんな問題整理論議をしているのか。その下りがまた、非常に面白い。
『「黒田さん、達成時期が何度も先送りされるというのはどうですかね」
 「達成時期」とは2%目標の達成期限のことである。2%はアベノミクスの「御旗」であり、黒田も就任時に「2%程度を念頭において、できるだけ早期に実現する」と約束していた。だが、5年経っても達成されることはなく、既に6回先送りされてきた。
 安倍の問いかけは、実は「2%の達成時期にこだわる必要はない」というシグナルだった。』

 この2%目標こそ、2013年白川が日銀と自分の職とを賭けてまで「後世歴史の評価に堪えられるだろうか」と政権と論争した結末を悔やんでいるその焦点の文言なのである。この論争が、当時白川が述べたことの方が正しかったと安倍が認めざるを得なくなった瞬間でもあった。「黒田バズーカは敗北する」と言った通りの現状を認めたその瞬間に安倍が「期限などどうでもよい」と開き直るように、大転換したわけであった。
『実際、首相官邸ホームページの「アベノミクス3本の矢」の欄から物価に関する記述はいつしか消えていた』というのだから、日銀からこんな声が上がるのも無理はないという無責任さなのである。
『日銀幹部の1人は「政治とはこういうものなのかと驚いた」と回想する』
 そりゃそうだろうと思うばかりだ。物価目標第一を掲げて日銀を罵倒し、屈服させた政権が、そんな目標どころか物価という言葉さえどうでも良いと鮮やかに転換したのだから。開き直ったこの鮮やかさに接すれば、誰でも唖然とするだろう。

 ただし、こういう平成日本金融史を唖然として見ているばかりではとうてい済まないのは、言うまでもない。日銀(の独立性)を押さえ込んでまで作り上げた政府方針を数年実践して失敗に終わったとあらば、その後遺症が小さいはずがないのである。それがいわゆる「量的緩和、官製バブルからの出口が大変」という難問なのだ。タイ経済バブルがはじけたことに端を発するアジア通貨危機や、リーマンショックの時のような結末? これだけ無責任な政権ならば、軍事大増強(経済)の末に大破綻を来したナチスや、同じく物作りを駄目にして保護貿易を強行しながら70兆円にまで軍事費だけは膨らませているという今のアメリカの行く末と同様に、その悪循環の果てはただで済むわけはないと見ざるをえないのである。
  
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「革命輸出支援するマスコミ」の好例  文科系

2019年05月01日 10時55分52秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 今朝の中日新聞のこの記事は、一体なんなんだろう。「政治工作を支援するマスコミ」とか「革命輸出を支援するマスコミ」の好例に思える。それも、アメリカ当局の発表通りに報道したことが丸分かりと言う代物だ。

 新聞の見出しはこうだ。
『ベネズエラ軍一部兵士反旗 グアイド氏 蜂起呼び掛け』
 そして、この見出しの記事内容を示す表現はとよく読むと、肝心な箇所はこうだ。

『グアイド国会議長は30日、ツイッターにベネズエラ軍の兵士とみられる集団を従えた動画を載せた』

『グアイド氏は「軍は正しい決断をした。国民側についた」と主張。・・・・軍兵士らを伴ったクーデターの可能性もあるが、どこまで広がるかは不明だ』

 さて、
『ベネズエラ軍の兵士とみられる集団を従えた動画』?
「兵士とみられる集団」画像って、本当に軍の兵士だったのか否か? それも、グアイドが従えたのは70人ばかりと書いてあるが、これでもって『軍が国民側についた』?? 
 だからこそ、記事は、こう書かねばならなかった。
『軍兵士らを伴ったクーデターの可能性もあるが、どこまで広がるかは不明だ』

 さて、これでもってこんな見出しが付けられているのである。
『ベネズエラ軍一部兵士反旗 グアイド氏 蜂起呼び掛け』
 グアイドが「軍の兵士」と語っただけの70人の武装部隊をその通りに事実と述べ、今にも大きく広がっていくような書き方をしている。事実がこれだけのことならば、アメリカが一部亡命将軍らを使って、従来から述べさせてきたことに過ぎないのである。

 
 どうだろう。「針小棒大」とか「大山鳴動して鼠一匹」とかに当たる書き方ではないか。さらには、その幻かも知れぬ針が大きな棒に膨らんだように、あるいは幻想のネズミ一匹を大山のように描くやり方。とあっては、いわゆる煽動、それも今世界で流行させてきた「革命輸出煽動」というものだ。シリアなどでもやってきて失敗したのと全く同じやり口である。だからこそ、この記事中には、アメリカ側のこんな煽動、否「善導」も入っている。
『グアイド氏を支持する米国のボルトン大統領補佐官はツイッターで「ベネズエラ軍は憲法と国民を守らなければならない。民主主義の侵害にあらがい国会を支えるべきだ」と呼び掛けた』

 要するにこの記事は、『ニューヨーク=赤川肇』と冒頭記名があるように、真実を何も確かめることなく、アメリカ側の発表のままを、寝て書いたような原稿なのである。何の実証もなく『ベネズエラ軍一部兵士反旗』と言う幻かもしれないものを読者に伝えるような革命の輸出(支援)と言う他はない。
コメント (12)
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