九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

随筆 僕らのビストロ   文科系

2020年06月13日 10時35分06秒 | 文芸作品

 その店で最初に出てきた前菜を見てかなり驚いた。大きなお皿の上に、スモーク・サーモン鶉卵巻きに鴨の生ハム、フォアグラまで載っている。小っぽけなビストロの、フランス・コース料理としてはぎりぎりの値段で予約したはずが、こんな品々!サーモンも生ハムも全てシェフの、心を込めた手作りのはずだ。試みに聞いてみると、鴨の生ハムなどは十日以上も塩を擦り込み続けたものだという。ここに予約・案内した僕としては、同人誌の仲間七人が大喜びしているのが、涙が出るくらいに嬉しかった。
 このシェフ、僕が二十年以上お付き合いしてきた方である。同居していた両親の生前から、家族三世代で通ったビストロの主で、Yさんと言う。このビストロが、一時期の「イタリア料理人気」に押されて消滅。間もなく、名古屋駅近い高級店の雇われシェフになったという案内があった。そこにも僕はよく通った。家族や友人たちと会食の機会があれば予算が合う限りほとんど利用したし、娘の結婚披露宴二次会もここでやった。この宴は僕が提案したものではなく、僕の知らぬうちに娘が決めていたものである。以心伝心、「僕の心」が娘に伝わっているようで、何とも言えぬこの嬉しさは、今でも時に蘇ってくる。こういうYさんが一か月ほど前に開店したのが、この店だった。「安普請ですが」、最初に訪ねたときに彼が頭をかきながら、癖になっている神経質なマバタキを繰り返しつつの言葉だ。マンションビルの一階端っこ。雇われシェフ数年で貯めた予算などは知れていようと思わせるように小さく、簡素な作りだった。
「○○さん、僕の料理って、そんなに下手ですかねー」。
 鴨を食べながら、思い出していた言葉、光景だ。前の店が閉店すると聞きつけて、最後に訪ねた夜。閉店後二人だけで遅くまでワインを飲んでいた時。父は既になく、母が最後の病床にあって、看病と仕事の板挟みで相当に参っていた僕には、彼の心が手に取るように分かる気がしたものだ。当時の彼に出現して今なお残っている、あの頻繁なマバタキ。誠実な働き者の勲章のような気がして、こんな風に答えたはずである。
「貴方が、こんなに若くしてこれだけの店を構えたのは、修行してきたあんな大きな店で、周囲の誰よりも何でもできると分かったからのはず。下手なわけないでしょう。いろんな時勢が相まって、イタリア料理に押されただけだと思います」

 この同人誌会食から何日か後、二つばかりの予約を入れるために、彼に電話をした。用件が済むとすぐに、急き込むように彼が話し出す。
「先日のお仲間の二人が、順に週一近くの割で予約してくれて、本当に助かってます」
 なんか僕の心が通じているようで嬉しかった。そう、僕はいつの間にかこんな気持ちになっていたらしい。「僕らのビストロ」を持っていく幸せ。短い一生で、二十年以上もつき合って来た仲だ。ましてシェフと客なんて、これだけの大都会でこんな得難い存在も、お互い少ないはず。先が短いと感じ始めたこの身、縁は大事にしたいものだ、な。

 

(2011年5月の所属同人誌月例冊子から)

 

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「米中狭間の日本」の一典型例   文科系

2020年06月12日 17時25分50秒 | 国内政治・経済・社会問題

 本日エントリーした『米「自由と民主主義」看板は倒れている』に関連した旧拙稿を再掲します。こういう問題こそ、日本国民の生活と民主主義度の出番。日本国民が米中問題の先頭に立つのでなければ、明日の日本、人々の生活は悪くなるばかりと考えます。

 

【 対中で、首相・外務省に重大対立   文科系
2018年10月30日 05時05分12秒 | 国内政治・経済・社会問題

 今日の新聞を読むと、日本政府部内に標記の一大事が起こっていることが分かる。しかも、事が事、中国に対する今後の政府新方針に関わる対立だから、米中冷戦勃発との関係もあって、今後日本のブロック経済方向絡みで以下のような重大な意味を持たざるをえない対立である。先ずは、新聞報道を要約しておこう。要約する記事は、中日新聞2面の『「日中3原則」で混乱』、『会談で確認?食い違う主張』と見出しされた物だ。

 事は、26日北京における日中首脳会談で確認された今後の3方針に「原則」という概念を使うか否かという対立である。習首相らと「原則」と確認し合ったと国会答弁や官邸フェイスブックなどで外に向かって大きく表明した安倍首相に対して、内閣官房副長官や外務省が「3原則という言い方はしていない」とか「中国側が確認したと言っているわけではない」と叫んでいるから、大事件なのだ。政府部内で一体、何が起こったのか。折しも米中貿易戦争の真っ最中とあっては、米よりの外務省と、対中経済大接近の現状を追認しなおすしかなかった安倍首相という構図も見えてくるのである。さて、その「三原則」とは、このように重大な物ばかりだ。
『競争から協調へ』
『互いに脅威とならない』
『自由で公正な貿易体制を発展』
 どうだろう、これを今後の対中日本外交の原則と呼ぶかどうかは、米中貿易戦争・冷戦開始の間に立った日本の方向をすら示していると言えないか。先ず3番目がトランプアメリカへの批判になることは明らかだし、その上で2番目を宣言し直しているというのでは、アメリカの神経を逆なですることになろうから。確かに、対米追随の外務省が顔色を変える事態なのである。

 さて、これだけの理解では、事の重大さにはまだ半分程度しか迫れていないと思う。このことの全貌をきちんと理解するには、最近の日米関係、日中関係等や、世界史の知識なども必要だ。例えば、①日本の対米輸出よりも対中輸出の方が圧倒的に多くなっている、とか。②アメリカが自由貿易を捨てて、カナダ、メキシコなどを引き連れたブロック経済圏作りに走り始めたが、日中は「自由貿易支持」を表明し続けてきた、とか。③EUも自由貿易支持の立場から、アメリカの姿勢を批判し続けてきた、とか。④そもそも世界恐慌時のブロック経済圏作りとは、世界史においてどんな意味を持っていたか、とか。

 今はこれ以上のことは何も言えない。が、首相を中心において政府部内で重大対立が現れるほどの切羽詰まった局面に日本が立たされている事だけは確かなのである。世界経済第3位の日本は、2位のお隣中国に寄っていくことによって、アメリカの保護主義批判の立場を一層鮮明にするのだろうか。としたら、戦後日本の大転換点にもなる。こんな局面では普通なら、アメリカが安倍を切ることになる。田中角栄や小沢・鳩山がやられたように。


 以上の理解につきたった一つ、保留を付けておきたい。ここで「原則」という言葉を使った安倍首相が何も分かっちゃいなかった、だからこそ今時あまりにも安易にこんな言葉を使ったのだという、そんな大山鳴動ネズミ一匹という事態もあり得ると思う。だとしたら、あまりにも田分けた空騒ぎ! 】

 

 さて、この「政府部内対立?」と同じ事が、つい最近も起こった。6月7日の新聞見出しでは、こうなっている。『日本 対中批判参加拒む 香港巡る声明 打診の欧米失望』『習氏来日実現へ配慮か』(中日新聞見だし)

 この件についても、「なぜなんだ?! この共同通信の記事は嘘だろう??」という大々的批判と、それに対する内閣の回答「日本独自で既に香港問題批判は出していて、英米もこれを了承、了解済み」などが飛び交っていて、ちょっとした「藪の中」である。

 

 

 

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米「自由と民主主義」看板は倒れている  文科系

2020年06月12日 13時27分47秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 例えば朝日新聞が「米中争覇」という連載をやってきたように、米中冷戦が今後の世界動向の焦点になっている。これに日本がどう関わっていくかが日本国民ばかりではなく世界の人々の明日を最も大きく動かす政経要因にもなるはずだ。世界第3位の経済大国として、米中の日本綱引きにも大変な熱がこもってきているのだし。つまり、米中問題に日本がどう関わるかは、EUのドイツとともに明日の世界の有り様を決定する当事国以外の最重要要因とさえ言えるのだし、同時に、この問題抜きにして明日の日本を語ることさえ誤り、無意味と言える問題でもある。

  さて、本日の朝日新聞8面「米中争覇」でも、慶応大学教授・神保謙が、知る人ぞ知る重要な日本政府内部情勢を語っている。
『当初は中国を牽制することが8割方の目的だったが、その後、経済をテコに中ロと戦略的な関係改善を図ろうと考える勢力の影響力が政府内で強まった。・・・現在は中国の対日接近を戦略的機会としていかす発想が強い』 
『政府内での路線対立を解消し、どこまで中国と協調し、どこから牽制すべきか、国全体の戦略が不可欠だ』

 さて、僕も日本政府内部のこの「路線対立」をここ数年ここで見つめ続けてきたが、そういう観点からどうしても言いたい一言がある。米中問題を語る際に今なお識者らによっても大前提としてよく出される「自由と民主主義の国・アメリカ」という看板は、既に倒れているのではないかと。手短かにその証拠を挙げてみよう。

 まずアメリカの国内問題だが、ニューヨークの黒人のコロナ死者が白人の2倍を超えるほどの有意な高率になるとか、この死者率に比例して高すぎる大学学費で大学に行けない人々の率も高くなるとかの、大変な「機会の不平等」問題。外交、世界政策ではもはやそれ以上に、自由でも民主主義でもない。そもそも、自由主義経済を投げ捨てて、保護貿易主義、米大陸ブロック経済に走ってしまった。さらに、国際民主主義を踏みにじった例が、多すぎるのである。国連の制止を無視したイラク戦争。近年でもシリア戦争。イラン、ベネズエラで戦争寸前まで行ったのは、国連が禁じている「武力による威嚇」そのものであった。戦争とは、他人の自由を究極的に侵害する、民主主義の正反対ぶつであると、この点を日本のアメリカ賛美識者達は一体どう考えているのかと、常に訝ってきた。

 「自由と民主主義の国・アメリカ」という言い方はもう止めるべきだ。 

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喜寿ランナーの手記(294) ジム解禁、こんな急回復  文科系

2020年06月11日 14時13分59秒 | スポーツ

 名古屋の市営ジムがこの1日に解禁され、6~9月はジム走り(中心)の僕は昨日までで三日通った。そして、コロナの3ヶ月で走る日が減って露わになってきた弱点・左脚によるフォームの乱れも、急速に正されている。まず、いつものように30分時間制限があるマシンを前半にはウオームアップ歩行も入れて2回づつ走った距離で、以下のように前進した。3ヶ月ぶりのジム走りは故障も怖いので初めは手探りで入ったうえに、いつものように全力の8~9割ほどのLSDなのだが。急に無理に走らないで、日々少しずつ上げていき、心肺機能が上がってくるのを待つという走り方、計画なのだ。なお、この合計6回の30分走も、出だしは常に7キロ~8キロ時からだんだん上げていくといういつものやり方だ。

 3日8・2キロ、8日8・5キロ、10日8・8キロで、間の5日などには家の18階段往復を90回ほどやった。もちろん、この頃のいつものように左脚の2段上下を多く入れて。左脚のヒラメ筋がめきめき太くなってきたと分かる。
 さて、この三日の全体としての嬉しい感想は、なによりもこれ。日に日に翌日の疲労が少なくなっている。が、脚への衝撃感は外走りよりも多い。マシンに走らされる分衝撃は多いのに、疲労感は少ないって、循環器は順調だが筋肉系が弱っているという事だろうと解釈できる。例えば、10日の8・8キロは、前半4・3キロの後半が4・5キロなのだが、後半の平均心拍数148、同ストライド86センチと出ていた。僕が想定した数字に比べて、心拍数はかなり低く、ストライドは想定範囲になる。ストライドについては、筋肉系酷使を押さえた積もりだったのだが、最後には10キロ時でもピッチ164ほどで10分近く走り続ける実験もしてみた。

 さて、以上についてずっと気をつけてきたフォームの改善点を記してみる。何よりも気にしたのが、左脚のストライドを右と同じにする事。まず、左の地面ツツキを強めること。そして、つついた左脚の付け根を腰骨を前に持って行くような感じで前へ運び、ストライドを広げる事。この左の着地は「左膝を伸ばし気味に」。などを注意した。こういう走りをする時には、腰のひねりが大切になる。左右両腕どちらかの肘を後ろに持って来た動きにつれて同じ側の腰を後ろ目に軽くひねると、この腰骨が次には前に出しやすくなるという要領だ。
 以上全てのフォームが、10日の後半など実にスムーズにできるようになっていた。というのは、余分な力がどこにも入っていないということで、その結果が30分4・5キロ、心拍数148ということなのだ。今までの僕なら、10キロ時では160を優に超えたはずなのである。最後の10キロ時を心拍160以内、ピッチ164ほどで走れたというのが、フォームが今の理想に近くなったという事を示していると思われる。いろいろ苦労してきた甲斐があった。

 ただ一つだけ、無理が出た証拠がある。走行後に右よりも強いはずの左「足首」(足首、つまりふくらはぎなどの筋肉は、左の方が強い。左膝などの弱さを、これで補って走って来たのだとみてきた)にちょっと違和感が出たから、後でストレッチを入念にしてきた。こんなことは初めての体験だが、これとても良いフォームで精一杯走れたその証と言える。それが嬉しかったから、むしろ笑いが出るほど。そんな昨日の今日の今、歩いてみても左足首の違和感も消え、全体的疲労も3日、8日よりも少ないそのことも含めて嬉しくなって、やっぱり、ランニングは辞められない!

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「私が国家ですよ」は誤り  文科系

2020年06月10日 12時56分31秒 | 国内政治・経済・社会問題

 

 国会討論でこんな、やり取りがあった。
『 2019年、2月28日の衆議院予算会議で
>長妻昭議員「統計問題を甘くみない方がいい。扱いによっては国家の危機になりかねない、という認識はあるのか。」
>安倍総理「いま、長妻委員は国家の危機かどうか聞いたが、私が国家ですよ。」』

 この安倍の答弁はトンデモナイ誤りである。そのことを安倍が分かっていないのがまた、とんでもない事である。こんな認識を持っているからこそ、彼のトンデモナイあれこれの言動が出てくるのだろうと、初めて僕は彼が分かった思いになった。
 
 国家として彼よりもはるかに重いものが存在する。それが憲法だ。彼と憲法との関係は、まず何よりもこの事。彼がどれだけ頑張っても、彼個人では憲法は変えられないという仕組である。その仕組とはこういうものだ。国の主人公が国民であって、その国民に彼がお伺いを立てて、それを了承されなければ憲法をその一文字でさえ変える事はできないのである。

「国家とはまずその国民と憲法である。」

 彼は憲法を守らねばならないし、これに従った従来諸慣行も、そもそもこの憲法への恭しい態度でさえ、厳格に守らなければならないのである。そういう憲法の全てについてまた、立憲主義という考え方が憲法の前提として存在している。

『従来為政者は、国民の権利を犯しがちであった。そこで近代国家の主人公としての国民が、自らの基本的人権を守れよという形で、為政者を縛ったものが憲法である。憲法は単なる国民のお約束ではない
 
 さて、安倍が「私が国家ですよ」とか、誤って「私は立法府の長です」と事実として叫んでいるその時、以上の憲法と憲法理念は、彼の心のなかでどういう扱いを受けているのだろうか。
 例えば「憲法を変えるよう、国民を私が引っ張っていっても良い」とさえ言えるのだろうか。絶対に言えない。国民の過半数の過半数以上という程度の支持を得たからと言って、国民がみずから進んで憲法を変えようと言い出さないのに彼が率先して動くのは立憲主義の精神から観て誤りなのである。むしろ、三権の一つが率先して憲法を変えようなどの動きは、警戒の対象にこそなるべきなのだ。現に安倍は、三権の一つ司法権に訴えうるか否かを握る検察官の人事を自分が握ろうとしたような独裁志向の人物なのであるから。

このことを今何よりも、強調したい。

「私が国家ですよ」などという誤った考えを持っているからこそ、「憲法改定が、安倍の趣味」と自民党議員にさえ言われる誤った態度が出てくるのであろう。

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小説 俺の連れ合い 3  文科系

2020年06月10日 06時32分59秒 | 文芸作品

『 可愛がられたんだ
 同人誌に孫と遊ぶ自分を長短の作品にし続けてきた。そんな作品合評のいろんな声から、熱心すぎるという意味でどうもかなり特殊な態度らしいと気づき、考え込み始めた。「孫は疲れるという人も居ると言われたが、そんなこと思ったこともないよなー」とか、「構い過ぎと言われたが、確かに頼まれたこと以上に随分多く、自然に手を出している」とか。ここからさらに、そう言えば、我が子ともこんな風に付き合ってきたよなー。それもごく自然な成り行きとして……。自転車も水泳も、正しい走り方や娘のピアノ教室曲さえ、俺が教えてきたはずだ……。完全共働きの子育て時代は、仕事も忙しかったけど、その前後の二人の子の保育園送迎や夕食後にまた職場に赴いた時間を含めれば、一日平均して一五時間以上も働いてたけど、土日など暇があればほとんど子供に使っていたはずだ……。ここまで来たら、当然こう訝ることになった。なぜあれが疲れることもなく、ごく自然にできたんだろう?
 ここでまた、ふっと思った。俺自身が幼少期にいろいろ可愛がられてきた。母親にはもちろん、他の大人たちにも……、そう言えば俺は昔から老人が好きだが、彼らに可愛がられた? とそこまで記憶と思考が進んできたとき、関連してたちまち閃いたのが、このこと。幼少期から小学入学過ぎまでの俺は、お経をいくつか唱えることができたのである。あれは、同居に等しかった母方の祖母の影響に違いないが、その周辺の人々に随分可愛がられたもんだ! ちなみに、ここで、このお経が俺の人生にもう一つ重大な影響を与えたという、そのことも思い出した。我が父母、兄弟妹四人の合計六人の中でただ俺だけが音楽が得意になったその理由について過去に考えたことがあるその結論なのである。お経って音程もあるし、合唱まであって、音楽の要素をすべて含んでいる。そして、音楽、音感ってほとんど幼少期に育つものだから……。
〈俺が幼少期にされてきたように、他の人にも対している。特に子供と老人に『そんな感情、対応』がごく自然にわいて来て……〉  
  このように広く自分の幼少期を振り返ってみたのは初めてのことだったが、この連想全体がこんどは関連する過去をいろいろ思い出させてくれることになった。〈周囲の老人で肩もみをしなかった人は一人も居なかったはずだ。あの祖母、俺と連れ合いそれぞれの両親……〉。〈老人には、特におばあさんには、どこでも、いつでも可愛がられたよなー。きっとどこかババ泣かせというか、ババの子ども好きに甘えられる子だったんだ〉。〈小学校の夏休みなどには弟の幼稚園へ出かけていって、たくさんの園児を遊ばせてた。いまはこの同じことを、孫の保育園や学童保育でもやっている。それも、それぞれをお迎えに行く日々のことだ〉。

 はてさて、こういう俺の生い立ちは良かったのか悪かったのか、そんなことを考えてみても、今はもうどうしようもない。月木には学童保育にお迎えに行き、金には保育園へ。二人の走り方も自転車も、保育園の竹馬競争も教えて来た。水泳教室はいつも見学に行きたくなって、その進級テスト前には熱心な特訓をしてきた。ゆえに進級も速くてハーちゃんは四泳法全て卒業、それら各二五メートルの個人メドレー・タイム測定クラスをやっている。ピアノ教室曲のレッスンも日々手伝って、学校の授業参観にも代理参加が度々と、そんな生活だ』


 自分について掘り下げたものを言葉にして書き留めてみるというのは貴重なことと知ってはいたが、この二つの随筆、とりわけ「可愛がられたんだ」を書き上げた直後から、重大な変化が俺の中にいろいろと生まれ始めた。〈彼女の自己主張の強さ、「子どもらも認める、文字通り、決して謝ったことがない強情」を最後には実質許してきたといったところが、ほかならぬ俺にあったのではなかったか? ほかならぬ俺こそが、これときちんと対決することがどこかで必要だったのではなかったか?〉。
 さてそこからの俺は、この対決をどんどん強め、深めていったのである。このことによって、我が家の山火事が、日本ならぬ豪州の山火事のように激しく、大きなものになっていったのは必然の成り行きだった。

 そんな頃のある日、コーちゃんの体操を励ますために通っていた松本家で、この山火事の激化を洗いざらい吐き出してみるという出来事があった。何気なく切り出したつい最近の山火事話がそんな風に発展していったのだ。小春日和の陽だまりの廊下の椅子に向かい合って、昔から聞き上手で今はさらに質問がうまくなった彼が、興味ありげな微笑みを浮かべつつ、
『うちのかみさんも、きつい人だけど、これって、流行りの言葉なら「妻のトリセツ」だよねー?「老妻の取り扱い説明書」?』
 このあとの前後、周辺会話などはいっさい省いて、彼と俺とで辿り着いた地点を彼が語った言葉の形でまとめてみれば、こんなふうになるのだろう。
『今さら相手の人間を換えようとしても無理だよ。ただし、行動や言葉なら換えられる部分もあるだろう。例えば、越権的な言動や激しい怒り言葉には応えず、無視を繰り返す。越権の意味がわからぬ人じゃなし、そのうち随分減っていくんじゃないかな』
『あんたは俺と違って、子や孫にそれだけのことが出来る体力も技能も、どういうか優しさもあるんだから、彼女にもそれを少々お裾分けしたらどう。余程喧嘩が減ると思うけど』
  これらの内、ずっと続いた俺の領域にまで入り込んで指図する言動については、既にほとんど無視するようになっていた。このことについて残っているのは、無視して喧嘩を避けた以上、余分な抗議などはしないということだろう。それほどに彼女はいわゆる強情で、それが俺には未だに謎なのである。もう一つの言葉「子や孫にやってきたことを連れ合いにもお裾分け」というのは、ちょっとどう捉えたらよいのか。その答が、思いがけなくも、また信じられぬほど偶然にも、後日間もなく起こった俺らの山火事の中で、連れ合いがほとばしり出したこんな言葉、表現の中によーく見えたのである。
「貴男は、『人間には優しく』なんて、新興宗教の教祖様みたいなことを私にお説教してきた。その有り難みが私にも及んでいるとは最近気付いたけど、他人に対してよりも私に対しての方がはるかにこれが少ない!」
  新興宗教の教祖様みたいなところ! 私にも及んでいる! そして、何よりも、「私には、はるかに少ない!」 これらに驚いたというのは、こういうことだ。
〈彼女が、自分と違う俺という人間を俺の予想以上に、今はちゃんと知ってるんだよ!〉
〈しかも、自分にとって好ましいことだったとも、今は素直に認めている!〉。
 ここまで来てやっと俺が気づいたことを言葉にすれば、こんなことになる。
〈俺のこの性格は、多分人間にとって長所と言って良いものだろう。が、彼女から見ればほとんど俺の甘さとしか扱えず、同時に、その甘さでもって他人に対する彼女を抑える要素にもなり、かつ自分にはあまり適用されぬ有り難みのないものにしか見えなかった?〉

  このあとすぐに、そういう俺と対比して、連れあい自身を改めてもう一度紙の上の言葉にしてみることにもなっていった。父の収入が当てにならぬ五人兄弟姉妹で服装などもみすぼらしく、転居も多くて、思春期前から成人までそんなよそ者には冷たい田舎の土地柄の中で肩身を狭くしつつ、かつ、心中いつも周囲に抗議しながら育った人だ。この負から生じたエネルギーをたまたま学業に向けられて、片田舎の高校から年に一人も入らぬ大学へ入って、立身を遂げた女性である。勤勉はもちろんのこと、周りが見える感性や頭もあるだけに、良い思い出がない古くさい周辺の「世の人々」には厳しい目を向けてきたに違いない。思えば、「あの人のあの言動を、そんな風に悪くとるのか?」という他人批判と、言葉には出さないから一種陰険な強すぎる自己弁護の人付き合いが、出会いの頃から今もなお、俺が彼女に最も多く起こした言い争いテーマだった。そのかわり、家族には己の全力を注いで来たのだから、当然口うるさくもなる。可愛がられて育った俺が甘くも見えようから、自分が頑張らねばとやってきたというのも、言わば自然な成り行きだ。こんな口うるささにいつもいつも怒りがついて回りすぎると俺が抗議してきたわけだが、それだってこんなようなもんだろう。
〈こんな簡単なことがなぜ出来ないのか? すぐにしないのは、さぼっているからだ!〉
 我が家にしょっちゅう起こっていたこの怒りも、よーく振り返ってみれば偉大な産物を生んでいる。こんなボンボンの俺が、今や家事一切を苦にしなくなっている。孫の世話なら彼女よりずっと熱心だったから日々味わえている幸せも、この怒り付きの五月蠅さのお陰だ。
 長年の悩みを紙に書き記して整理してみると、事態が見えてきたようだ。同時に、この時、俺の夢だった穏やかな二人の老後の方向も見えてきたのである。

 俺の領域に入り込んで来た指示、指図などは、無視すればよい。他の家族への同じ越権指図は、二人だけになった時に論争するとかのプライドを傷つけないやり方を採れば、やはりなんとか減らしていけるかも知れない。その際はまー、最近のような山火事激化も仕方ないと諦めて、俺も頑張るさ。俺の利益のためではないと分かれば多少態度は変わっていくかも知れないし、そもそもこのごろは『大山火事の後には、すぐに平穏』というやり方もお互い随分身につけてきた。この越権指図を減らしていくためにもあと何よりも大切なのは、俺が自然にやれて来たようなババ泣かせをば、今は彼女にこそ発揮するように務めることだ。日常生活技術を彼女から教わり、それが孫達にこれだけ自然に、かつ苦もなく発揮できるようになった俺だから、それぐらいのことは全然難しい事なんかじゃなくなっているのだしして………。


 振り返って思えば、配偶者を選ぶって重大過ぎることなのだ。それも、学業以外には大人になるような社会経験もほとんど積んでいない現代社会の青二才が。その初めを俺は幸いにもこういう形で迎えられた。〈これだけ憧れた人なのだから、これで上手く行かなかったら誰とやってもそうなるはずだ〉、〈上手く行くとは、お互いが変え合い、変わりあっていくことだろう。そもそもどんなカップルでも、全く別の所で育った二人なんだから……〉。それ以降、夫婦としての時を経ていくにつれて、同じことを重ね重ね発見するばかりだった。
〈配偶者を選ぶって、以前に考えていたよりもさらに重大なことだったんだ!〉
 こんな俺にとっての夫婦とはいつもいつも、よく言われるような「水か空気」とはやっぱり正反対の関係であり続けてきたわけだ。それが近く永遠の別れに入っていく、今………。俺は思春期を過ぎた辺りからいつも、なぜか、こんな「別れの思い」を胸に温めながら生きてきたような気がする。そう言えば最近の彼女も、俺の「教祖様」を発見して、なにかそれに感化されたのか、俺の孫の世話をかなり助けてくれている。と言うよりも、そんな俺や孫にどう言うか、何か優しくなって……。

 この明くる日、昼食を摂っていた食卓で、俺の口を突いてこんな言葉がつぶやき出されていた。自分でも驚くほど自然に、なんのてらいもなく出たものだ。
「あんたが注文すると言ってた樹木葬に、俺も一緒に入ることにするけど、いいよな?」
  それまでの俺は、「火葬して、どこに撒いてくれても良い。墓は要らん」と、彼女にも子どもらにも言い続けてきたのだった。

 

(終わり)

 

 

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小説 俺の連れ合い 2   文科系

2020年06月09日 03時15分00秒 | 文芸作品

 初めての同窓会が互いの喜寿祝いというこのクラス会をきっかけとして、我が夫婦の山火事問題、その分析と対策に我ながら真剣に取り組み始めた。この年になってこれも初めての畳み替えをきっかけに我が書斎のリニューアルを果たして、人生の最後にさあ向かっていくぞとしている俺が、何回も家出するような夫婦関係をそのままにしておいてはどうしようもないではないか。そもそも俺は、陽だまりでにこにこと何か美味しい物の談義でもし合っているような老夫婦が望みだったのである。俺らの過去を振り返ってみたりしながらあれこれ考えてみたし、パーキンソン病に罹ったコーちゃんの体操を励ますために定期的に松本家に通って行った折などにも、いろんな相談を投げかけたものだった。

 思えば、こういう激しいやり取り、その世界というものに我が人生で初めて直面したのは、あの時だ。彼女の家に通い始めて皆と親しくなった頃、あそこで見た五人兄弟姉妹のけんかの激しかったこと! 俺の家はみんな静かで激しいやり取りなんぞは俺と父の間にしかなかったことだから俺はとても激しい性格と考えていたのだが、あの家の誰にも俺が負けていると観たもんだ。あの家の例えば部屋の模様替えなど共同作業の時! 唖然、呆然、とにかく驚いた。と言っても、あの頃の俺はまー世間知らずのボンボン丸出し、こんな俺とあの母子家庭の長女、権力者にして筆頭出火原因である連れ合いとでは、まー変な行き違いもしょっちゅう起こるよなー。
 あれは、つきあい始めて一年も経たない頃だったか……。ある日彼女が以降も度々起こったことだが、「付き合うのを止める」と言ってきた。理由を訊ねてもなかなか言わない。やっと語り始めて分かったことが、まーこんな笑い話だ。「デイトの時のいろんな支払いをその日持っている方が払うと暗黙の内にやってきたが、払っているのは私ばかり……」ということで、これは完璧な俺の負け。彼女が、母子家庭長女として六人家族の生活費までを稼いでいたのに対して、俺のアルバイト収入は時々一人で入る馴染みの寿司屋の付けにほとんど消えていたようだから、仕方ない。双方実入りの良いアルバイトでお金は持っていて、彼女が奨学金を目一杯貰っていたにせよ。負けを認め、正していく潔さはまー持ち合わせていた上に、俺にとって彼女がクラス一の憧れの女性だったのだから、どうしようもなかったのである。なんせ、俺らの結婚式の実行委員六人が作った分厚い写真集にこんなコメントを付けた親友もいるのだ。
『吾はもや 安見児得たり 
   皆人の 得かてにすとふ 安見児得たり』
 なお、この六人に俺らを加えた八人は、その時既に結婚していた松本夫妻以降順に実行委員会を務め合って、四カップルを世に出しあったという間柄だ。この八人の内、連れ合いとサーちゃん、そして、一学年下のもう一つのカップルという四人が、同じ文学部国文学科の出なのである。

  大学二年生の終わりの試験勉強を二人で始めたときには、こんなことがあった。あれは、二人の性格の違い、と言うよりも考え方、思考が全く正反対のタイプと鮮やかすぎるほどに教えられたものだ。と言うよりも、「こんな変な勉強スタイルがあるんだ」と、お互いにショックを受けたほどの事件だった。
 先ず俺が、こう提案した。
『この社会思想史の授業ノート一年間の目次を作ってみたけど、その全体を眺めると、ここが結論。この結論からもう一度目次を初めから見直すと、結論の証明に当たる最も大切な部分が、こことここ。目次中のこの三箇所を勉強しとけば先ず「良」は間違いなし』
 提案を聞き終わった彼女は、
『私は全部を何回も読み通すやり方だけど、「ここ」も「こちら」も重要なんじゃない?』
『自分がやった一年の講義の結論と、結論に関わる重要部分と以外の所から問題を出すのなら、そんなの試験のための試験。悪い先生だ』
『でも、やっぱり心配だわー』
 と何度も言い返してくる。このように、彼女は勤勉で、努力を惜しまない人だ。迷路遊びの終点から入り口目指すような俺の思考に対して、その入り口から何度でも試行錯誤を繰り返すことができるから結局最も遠くの出口まで到達できるというような態度、思考の持ち主なのである。それで、俺は俺のやり方、彼女は俺のやり方に自分流をプラスすることになり、その結末はと言えば共に「優」。社会思想史のこの先生は真理に忠実な「良い先生」と、我々二人に鮮やかに判明したのだった。

 双方同時定年後五年ほどして俺が独力で我が家を使って開き始めた、春夏秋冬年四回のギターパーティー。あれがまた二人の性格の根本的異なりを現している。あれは一種まー、俺の歴史的な恨みさえこもっていた家庭イベントなのだ。彼女ははっきり言って他人を家に呼ぶのが嫌いだが、俺は「そういうこと」が好き。が、自分だけではパーティーなど到底無理なのに、彼女が怒るからずーっと諦めてきたもの! 彼女が怒るのは異常でも何でもなく普通の当たり前のことなんだが、彼女の「他人嫌い」をずっと恨んできたというのもまー俺の自由だよな。やがて、献立も、料理も、買い物も全部俺一人でできるようになって、堂々と開き始めたのがあれだ。ギター同門の友人らによる料理とワインとのこの会は、他の人々の協力も加わっていろいろに形を変えて発展し、一〇数年後の今も続いている。

 同じ類いのことだが、俺には理解できぬと驚いたこんなこともあった。ここが現在出来上がっている分担「孫の世話は先ず爺。だから孫はまず、爺好き」への分かれ道になったはずだ。娘のマサの家に第一子の女の子、ハーちゃんが生まれた九年前、俺の提案で土曜日ごとの乳母車散歩が始まった。春夏秋冬ほぼ休みない昼の外食付きお散歩だ。これに、連れ合いにも最初に声を掛けたが断られて、以降たまに誘っても一度も来たことがない。若夫婦とハーチャンと俺、四人のこの散歩が二年も続いたろうか?
 そんなわけで、彼女が積極的には作って来なかったし、俺ほどにはとうてい味わえない、こんなしみじみした人生の幸せも今の俺の生活には満ちあふれているのだ。同人誌に書いた随筆なのだが。

『  孫はなぜ面白くて、可愛いか
「じい、今日は満月なんだねー、いつも言うけど本当に兎がいるみたい……」。
 小学三年生になったばかりの孫のはーちゃんがしばらく夜空を仰いでいたが、すぐにまた「馬跳び」を続けていく。綺麗に整備された生活道路の車道と歩道とを分け隔てる鉄の棒杭をぽんぽんと跳んで行く遊びで、俺はこの光景が大好き。確か、四歳ごろから続けてきたものだが、初めはちょっと跳んで片脚だけをくぐらせるような下手だった……。我が家から五百メートルばかり離れた彼女の家まで送っていく道の途中なのだ。それが今では、学童保育に迎えに行って、我が家でピアノ練習、夕飯、宿題の音読に風呂も済ませて、俺は一杯機嫌で送っていく日々なのである。こんなことを振り返りながら。

 学童保育でやってくる宿題や、一緒にやる音読は好きだからよいのだが、ピアノ練習は大変だった。これがまた娘も俺も、勉強以上というか、ここで勉強の態度もというか、とにかく物事に取り組む態度を身につけさせようとしているから、闘争になってしまう。憎しみさえ絡んでくるようなピアノ闘争だ。はーちゃんは娘に似て気が強く、『嫌なものは嫌』が激し過ぎる子だしなー。ピアノの先生の部屋でさえ、そう叫んであそこのグランドピアノの下に何回潜り込んでしまったことか。そんなふうに器用でも勤勉でもない子が、馬跳びや徒競走にはまー凄い執念。
 と、最後を跳び終わった彼女が、ふっと、
「じいが死んだら、この馬跳びやお月様のこと、きっと良く思い出すだろうね」
 俺が死んだらというこの言葉は最近何回目かだが、この場面ではちょっと驚いた。死というのは俺が折に触れて彼女に口にして来た言葉だから? またこの意味がどれだけ分かっているのか? などなどとまた考え込んでいた時、「孫は、何故これほど面白く、好きなのか」という積年の問題の答えがとうとう見つかった。
「相思相愛になりやすい」
 一方は大人の力や知恵を日々示し、見せる。他方は、それに合わせてどんどん変化して行く姿を見せてくれる。それが孫と爺であってみれば、それまでの人生が詰まってはいるが寂しい晩年の目で、その人生を注ぎ込んで行く相手を見ているのである。これは人間関係に良くある相思相愛の良循環そのものだ。(以下略)』

 ここまで来て、ふっと考え込んでいた俺がいる。〈ギターパーティーにしても、この「我が家の孫係は俺」にしてもそうなのだが、そもそもの始まり「デイトの支払い事件」なんかでは特にはっきりしているのだけれど、彼女との山火事を考えることはどうも、いつも俺自身を考えることでもあるらしい〉
  これは俺にとって、なにかとっても重大な発見のように思えた。それで、彼女と最も異なると思われる俺自身の生い立ち、そこで形成されたらしい感性のような部分までを思い出し思い出しして、あれこれ考えつつまとめてみることを思いついて、つい先日のことなのだが、こんな同人誌随筆が出来上がった。

 

(その3、終回に続く)

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今日の中日、朝日新聞から 1  文科系

2020年06月08日 12時17分37秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 二つの新聞を読むようになって、目立った記事を発信したくなった。中日の記事は全国の方々向けに、朝日の記事は愛知の当ブログ読者に向けて。記事を選ぶ観点だが、「世界の中の日本」あるいは「日米中関係」ということになろうか。これからの日本政経が特に、中米間の「トゥキディデスの罠」の動向によって没主体的に翻弄されて行く事が目に見えているからである。ちなみに、この問題は日本人政治意識の最弱点だと思う。ネトウヨ諸君など右翼は大変なアメリカ音痴だし、マスコミの中米報道は変な先入観に囚われた記事しか書かない。アメリカは「自由と民主主義の国」で、中国は「習独裁の全体主義」という昔ながらの構図だけである。前者は既に嘘だし、後者だけでは中国の事は正しく伝わらない。そもそも、日本の輸出入がどんどん対中の方に傾いていて、その中国に冷戦を持ちかけているのは国連無視が当たり前になったアメリカの方なのだから。
 ちなみに、この両新聞の記事紹介は、関東で朝日と東京の両新聞記事を紹介するのと同じ事になるのではないか。

 まず今日の朝日。「コロナ死者の3分の1は高齢者施設で亡くなっていると米マスコミは分析している」というのがあった。このことに関わってまた、こんな解説記事もついていた。「そういう高齢者施設の運営主体が、どんどん投資会社に移っていて、ヘッジファンドが運営している高齢者施設も多い」ということだ。「安い職員を使って、マスクや手袋も支給されない」とか。

 中日新聞では安保条約発効60年という特集があって、登場する3人の識者の1人、孫崎享が安保条約第1条と国連憲章との大変矛盾する現状を語っている、その内容が今時実に面白い。「国際連合の目的と両立しない他のいかなる方法によるものも慎むことを約束する」が彼が上げた日米安保条約第1条部分なのだが、他方国連憲章第2条にはこうあると、孫崎は語る。
「全ての加盟国は、武力による威嚇または武力の行使を慎まなければならない」
 孫崎はこうして、武力の行使や威嚇をイラン、イラクなど近年しょっちゅうやって来たアメリカは「国際連合の目的と両立しない」のだから、安保条約第1条の約束違反であると日米政府をたしなめているわけだ。流石に元外務省国際情報局長というべきだし、近年のアメリカが困窮し尽くした末にそれだけ変わってしまったということをも教えている。ちなみに、こと世界の外交に関しては今や、中国の方がはるかに国連尊重国と言える。対するアメリカは今や、国連敵視国になっている。そんな事情にも関わって、昨日あるブログに付けた拙稿をここにも転載しておきたい。

【 新自由主義経済って、単なる暴力経済。「株主利益の最大化方針」を誰が正しいと決めたのか。彼らに良いように世界各国障壁が取っ払われてしまった。その昔の「自由競争こそ経済発展の元・政府はできるだけ小さな政府で」といういわれないやり方を金力・株主本位という形で世界に野放しにしたのである。アメリカは西欧や日本に対したように、企業の敵対的買い付けで世界を支配できると目論んできたのだろう。ところが、中国が障壁に立ちはだかった。現物経済も全てこの国に取られてしまった。中国元の障壁はそのままだ。さすれば、トゥキディデスの罠よろしく、米衰退一路になる。困った困った、当面保護主義と米大陸ブロック経済で凌いでおいて・・・と、そういうことなのである。もはや、普通のやり方では中国に対抗できないと認めているのである。
 前回の「トゥキディデスの罠」局面では、ゴルバチョフが「降伏」と手を上げたが、アメリカにそんな事はありえない。
 とすれば何か大変な事が世界に起こる。香港、台湾、ウイグル、それとも陸海の絹の道で?

 そこで日本は、というわけから、安倍の「中国寄り動向」も、既に18年から起こっている。こんな局面を馬鹿の安倍と胡麻擂り官僚上がり側近には、手に負えるわけがないのである。世界に翻弄されるのではなく、メルケル辺りと世界を回して欲しいし、その力もあるはずというのが日本の首相という立場なのだが・・。

 ただ翻弄されるだけは、日本国民には大悲劇しかあり得ない。既にこの25年ほどの国民1人当たり購買力平価GDPは世界5位から32,3位にまで落ちているはずである。日本31位、韓国32位というのが最新18年の数字だから、今はおそらく韓国にも抜かれたろう。あちらの方がコロナ被害もはるかに少なかったのだし、新政権に立ってすぐに最低賃金をいち早く上げて、内需拡大に励んでいる。
 激動の世界に、アメリカにはしごを外されてばかりの「選挙勝利だけ政治」という馬鹿な日本首脳部! そんな悲劇ばかりが巻き起こってきた国である!】

 

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小説 俺の連れ合い 1  文科系

2020年06月08日 00時02分21秒 | 文芸作品

 柔らかい灯りがどこからともなく部屋全体に行き渡っている長い和室にやはり長くて幅広の黒いテーブルが納まり、その両側・対面の椅子に十五人ほどが着いている宴会場だ。ついさっきから、俺の連れ合いの番が来て、卒業以来の職業経歴などを話している。七十を越えた最近の改まった場所に出る時の常で和服姿なのだが、この面倒くさい着付けも本を見て独力で身に着けたもの、器用なお人なのである。
「このクラスの後、国文学科を卒業して以来、愛知県立高校の教師を三校回って定年。その後は大学講師などをちょっとやって、後は老後生活です。」
  そんな話をしている。ビールグラスを傾け傾けこの連れ合いの姿を見ながら、俺は彼女との出会いの頃を思い浮かべていた。
 この宴会は、一九六一年度入学の名古屋大学L1Cクラスが初めて開いた、言ってみれば喜寿祝いの同窓会。文学部の、第二外国語としてフランス語を選んだ学生で成っていた五十人ちょっとのクラスで、当時のこの大学としては珍しく女性が半数近くに及んでいたものだ。このクラスから俺らともう一組、二組の夫婦が生まれ、その時代からずっと続いた友達同志、松本夫妻との四人で準備した会なのである。と言っても、ここまでのほとんどは我が連れ合いの実行力と事務能力とで進んできたもの。発想、思いつき、着手が俺で、その実務は連れ合いという、我が家庭の日常経営と同じ。開会のいきさつなどの「ご挨拶」や司会は、松本サーちゃんがやっている。
〈この松本君たちとは、よくダブルデイトをしたもんだ。当時も結婚後もすぐ隣の区に住み、一緒に旅行などもやってきて、今振り返って思えば、お互い貴重すぎるような付き合いだ。そう言えば、コーちゃんはボンボン育ちで、奥さんのサーちゃんはちょっときつい人って、我が家と基本的に同タイプだ。ちょっと華やかなサーちゃんもよく持てた人だったけど、今はことさらよく分かることなんだが、俺はコーちゃんのこのおっとりに引き寄せられたんだよなー。大学一年生の最初から互いの家へも行き来しだしてて、彼らの結婚披露宴の司会が俺らで、俺らの仲人がコーちゃんの父さん母さん……。〉
 などと 一時懐旧に浸っていたが、たちまち現実の問題に引き戻されていく。

〈大学一年に付き合いだした時どころか、定年後の今でも我が連れ合いがよく分からない。分からないだけで済めば良いのだが、激しい喧嘩が当時も今も絶えないだけじゃなく、近年ますます激しくなっている。正反対の生い立ち、性格とは付き合って間もなく分かったが、その事を年々より強く思い知らされてきた。苦労が多かった母子家庭五人兄弟姉妹のしっかり者最年長者と、四人兄弟妹の中で最も勝手気ままに育った次男の俺。俺らはどうも火と油だ。大抵はまず彼女に火がつくのだが、最近の俺はこの瞬間湯沸かし器口調が気になって仕方ない。一種恐怖感さえ覚えるから、何とかしたくて仕方なくなっている。それで、最初の一言はなるべく言葉を考えて、かつおそるおそる反論すると、それが油に換えられて、たちまちその倍の炎が吹き付けてくる。後は互いに油を注ぎあっているようなもんだ。最近も、こんなことがあった〉。

 暗くなるのが早まった秋の五時過ぎ、保育園お迎え帰りの自動車でいつもの道を左に曲がろうとして、止まった。左に自転車を引いて横断しようとしていた初老の女性が見えたからだ。その途端に、「ガシャーン!」。俺の身体が大きく揺れた。「大丈夫だった!」、とにかく隣に座った五歳の男の子、孫のセイちゃんに声を掛ける。「何があったの?」、けろっとした顔に、救われた。調べずとも状況は分かっている。後続車に追突されたのだ。おもむろに車を再発進、後ろの車が着いてくるのを確認しつつ、前方脇にあった駐車場に入る。続いて来たでっかい黒ワゴン車の車窓から、中年の女性がなにか大声を出していた。
  その後の結果から見てもほんの小さなこの事故が、俺ら老夫婦に近年たびたび勃発する冷戦に繋がっていくなどとは、その時は夢にも思えなかった。それも、ほぼ一か月後に長い冷戦を招くことになるなどとは。
 連れ合いが俺に言う。「二週間安静の診断書が出たんだから、通院期間の書類なんかももらって来てね。私の職場で掛けて来た共済保険の保険金が出るから」。なお、セイちゃんは安静一週間。子どもはダメージが少ないのだそうだ。対して俺はといえば「レントゲンを撮って軽い触診の後、一応様子見という診断書が出ただけで、なんともないんだよね」と応えを濁し続けてきた。以降も、彼女はそう言い続けて、二週間後。「ちゃんと書類をもらってきてよ!」。「いや、なんともないのに、余分な保険金なんかいーよ。僕の身体に関わることだ。鞭打ちの後遺症は後で出るということも含めて、僕の身体は僕が一番よく知っていて、分かるんだから」。と応えた途端、いつものように切れた。「なんでそんな『いじわる』するの! 僕の身体は僕が一番よく知ってるって、そんなの関係ないでしょ!」。はて、「いじわる?」とはまた一体、何を考えているどういう言葉なのか。俺も例によって切れてしまって例によって激しい言葉の応酬が起こったが、そんな平行線の応酬なんかは全く覚えていないもの。ただ、この応酬の時に、ちょっと前にあった別のこんな応酬も持ち出して反撃したことは鮮やかすぎるほどに覚えている。
 セイちゃんと、小学三年生の孫、女の子のハーちゃんの保育園と学童保育どちらかの週三日ほどのお迎えを娘夫婦が断るように彼女が仕切ったと分かって、俺が元に戻したことに絡む応酬だった。「白内障が酷いから、秋の夕方は危険でしょ」と怒り狂っている彼女の越権言動に、「なぜ僕の頭越しに僕の行動を君が決められるのか!」という理屈、怒りが爆発した。この時も今度も、彼女が折れるということは金輪際無いことだから、常に終わりのない論争になる。彼女が持ち出したケンカはもちろん、俺が持ち出した数少ない抗議でも上手く決着が付いたためしなど、ほとんど思い出すこともできないのである。

  さて、世間では夫婦とは、特に老夫婦になると、水か空気みたいなものとよく語られる。が、その伝で行くと我が夫婦は「火と油」。一方が燃え出すと、双方の応えが油となって、家は大火事である。一方が給油を止めなければ延々と燃え広がる山火事みたいなもんだ。大抵は馬鹿馬鹿しい気分になった俺の方が部屋に引っ込んでいくのだが、リタイアーの後には、この山火事からしばらく緊急避難したことも三度ほどある。つまり、家出をした。それもほとんど行く先も意識しない何泊かの宿泊付き逃避行だ。こんな夫婦が、付き合い始めた二〇歳の時から延々五八年もよく続いてきたもんだ。
 なお俺は、我が人生の中間総括という作業を幾度かやってきた。会社でも中長期計画と、それに相応しい長期的なそれまでの事業総括がない会社は楽しくはならないのと同じ事だと考えて。その結果として今の老後がある。定年とほぼ同時に二人とも仕事を辞められたのは、二人分の年金の他に同程度の副収入を得られるように設計、成功してきたからだし、一時間に十キロほど今も走れる身体や、同人誌活動、ギター教室仲間の形成もそんな中間総括の産物なのである。

 そんなわけで、いつだったか、直線距離三百メートルに住んでいるセイちゃん達の母、娘のマサに相談してみたことがあった。彼女も流石、俺らの娘。俺の連れ合いと同じように激しやすいお婿さん相手に「大火事」「山火事」の今や中堅家庭になっていたのは知ってはいたが、こんな予期せぬ返事にとても驚いた。
『父さんが、リタイアした前後から母さんに言い返すようになったから、激しくなったんだよ。母さんは絶対に引かない人だし……。父さんだって、リタイア前後から家事を一通り出来るようになったから、言い返すようになったんでしょ?』
『母さんの方はその通りだが、以前の俺が言い返さなかった??……ウーン、確かに。「他人の領域にも強引に踏み込んで指図する支配的性格」、これが「山火事」の原因なのは確かだが、最近は俺がずっとこれを助長して来た?』
 なんか、「山火事」の本質に一歩迫れたような気がした。確かにリタイアー後の俺は食事作りとその片付け、ゴミ出し、掃除や、買い物から、特にすぐ近くに住んでいる孫の世話についてはほとんどおれと、何でもできるようになった。これに比べれば昔は「文句を言わないことで協力している」などと、我が家をよく見知った友人女性に言われたことがあったなー。待てよ、現役時代だってもう、こんなことがあったぞ。『この夏休みに、一週間とちょっと、中国の山峡下りに行ってくるからよろしくね』。俺が自分一人だけでもほとんど困らず、文句も言わなかったということだ。これは、明治生まれで完全共働きの走りである母さんの不公平な苦労に疑問を持ちつつ育ってきた俺だからできたことでもあろう。などなど、その時思い出したことも多かった。がそれにしても、俺の注文など無視されることがほとんどのこの支配的性格は一体どうしたものか。なによりも、俺の抵抗へのあの爆発的出火がなー。

 

(続く 3回連載です。本年度3月発行の所属同人誌掲載) 

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来週14日、ギター教室発表会  文科系

2020年06月06日 13時53分50秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 コロナで危ぶまれていたが、来週の日曜日、本年度の教室発表会がある。今年弾く曲は、先生との2重奏でヘンデルのサラバンドと、バッハのBWV998「リュート組曲」からプレリュード。2回舞台に出ることにした。
 サラバンドは吉田光三のとても易しい編曲だが、「僕はこれが大好き」という奴。重厚な美しさに、気分良い盛り上がりも十分。思い切って弾いても音が割れない僕のギター(中出敏彦のアグアド・フルコピー)を正に思い切り鳴らすことができる。

 998プレリュードは、僕が長く憧れてきた曲。これを初めて習った日付が11年4月8日とあるから、弾き始めてもう9年になる曲だ。当ブログのギター随筆にもう何度も書いてきた事だが、僕は暗譜群というのを大小併せて25曲ほどを持っていて、これを月に数回りづつ弾いてきたその中の1曲である。しかも、この中で残り少なくなった「まだ人前では弾けない曲」の一つで、それを今度はじめて弾くわけだ。ちなみに、他の同類は、これだけ。バリオスの「大聖堂3楽章」、ソルの「魔笛の変奏曲」、そしてトレモロが下手なタレガ「アルハンブラ宮殿の思い出」である。

 さて、そんな9年越しの曲をとうとう舞台で弾くとあっては、当然意気込みが違う事になる。例によって指が震えなければ良いのだがなどと、色々心配になるわけだ。澄んだ音を流れるように滑らかに、かつ山場はちょっと激しくも弾く4ページの曲だから、力が入って雑音が出る事を最も警戒することになる上に、消音すべき箇所も多いから、意外に難しい曲なのである。

 この消音というのは、ピアノなど和音楽器には必ずついて回る技法であって、ある和音の特によく響く低い装飾音などを消すものである。つまり、この低音で装飾すべき旋律音が次の音に移った時に、この低音を消さねばならないのである。これを消す事によって、次の旋律音が澄んで、意味を持って浮かび上がってくるという事にもなっていく。ピアノではこれを、一つのペタル操作で行えるのではなかったか。フルートなどの単音楽器では、これを分散和音で修飾していくだけだ。

 考えてみれば誰でも分かる事だが、和音楽器は単音楽器とは違った楽しみがある分難しい。旋律を適当な音程、長短、強弱の和音で飾っていくという楽しさである。その楽しさを増やす分だけ、難しい技術も増えるのである。でも、そういう難しさを乗り越えるたびに新たな美しさが現れてくるからまさに音楽、楽しいのである。

 

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黒川処遇を、文科省次官の辞任と比較する   文科系

2020年06月06日 12時12分15秒 | 国内政治・経済・社会問題

 黒川氏の軽い処分について標記を思い出していた。政権に近いか、憎まれた?かで、こんなに差が出るものか。当時の文科省虐めは、明らかに異常な力が働いていた。黒川問題の今、そのことを思い出してみるのは大事な事だろう。佐川と言い、公務員の鏡みたいなお方だったからこそ亡くなられた財務省職員の方と言い、この政権はいわゆる信賞必罰の正反対、権力の恣意的乱用によって官僚腐敗を招くばかりだ。

 

【 文科省「汚職」事件へのある論考    文科系
2018年11月21日 15時35分23秒 | 国内政治・経済・社会問題

 文科省が、次官二代続き辞任などで世を大騒ぎさせて来た。その新聞を見る限り辛うじて汚職に引っかかるのかも知れないが、よく読むとある重大な危惧を抱かざるを得なかった。

 先ず「汚職」金額の問題が目に付いた。次官が「62,000円超」で、初等中等教育局長に至っては「2万円」という飲食・タクシー代とあり、いずれも辞任に追い込まれている。これ以上に疑問なのが、これらのニュースソース(垂れ込み元)と思われる谷口というコンサルタントにこの金を使わせた会食場面のことだ。政治家の名で招待されたから、「政治家は利害関係者には該当しない」という認識で出席したと、この次官らが語っている。
 さらに新聞記事などをよく読むと、もう一つ、僕には不思議な点があった。上の二人以上の金額、11万5000円を汚職したという高等教育局長は辞任せず、こんな談話を語っていると報道されていた。
『現在手掛ける大学改革などの政策を挙げ「しっかり推進する事で責任を取りたい」と語った』(22日中日新聞)
 辞任させられた初等中等教育局長と同格で、汚職金額も彼よりずっと多いこの高等教育局長は、何故「大学改革の推進」を許されたのだろうか。

 どうだろう、これほど大騒ぎになる問題だろうか? 政治家の名による招待に応じたという意味で汚職か否かの境界判定が難しい問題とも思われるのだが、どうなのだろうか。これも新聞をよく読むと分かるのだが、彼らは、収賄罪で既に起訴されたある同僚人物に支払いを申し出て、「会費、支払いは不要」と応えられてもいる。重ねて言うが、金額が最も多かった高等教育局長(辞任した初等中等教育局長と同格のはずだ)が辞任せず「大学改革をしっかり推進」と語っている点も、以下に見るように大変気になったものだ。実際の罪よりも、例えば、彼らの思想傾向、日常の姿勢が前川喜平氏に近かったか否かなどということで今回の断罪が成されたのでなければよいのだが。内閣人事局を作って行われ始めた官僚に対する政治優位がこんな形で運用され始めたとしたら、この日本の近い将来は真っ暗闇である。

 ちなみに、財務省・佐川氏の当初の昇進は、「こんな形で運用され始めた」ことの明白な証拠の一つと思われる。そして、今回の文科省処分はこれとは正反対、信賞必罰を嘲笑うがごとき事十二分と、そんな事も訝っていたものだ。

 さて、安倍長期政権によって文部行政がどんどん歪められ始めるのではないか。ちなみに、前川前次官辞任とそれ以降判明してきた出来事とからも同じことを感じていた。文科省が「忖度・財務省」などとは違って、文科次官を筆頭にモリカケ問題で内閣に抵抗していたと。そして、前川氏をやり玉に彼らに対して、内閣が報復的な行動に出ていたことも明らかだった、と。

 以上について、状況証拠をもう一つ挙げてみよう。安倍政権は、歴史修正主義の名が冠されてきたことに示されるように、近現代日本史の書き替えに熱意を燃やし続けてきた。そしてこのことが、文部行政と数々の確執を起こしてきた。さらには、近年の大学など高等教育においては、「軍事研究の是非」を巡る政権と現場との確執も大詰めを迎えているやの感があった。

 「文科行政」の長い歴史には、こういう教訓がある。古くは焚書坑儒、新しいものなら美濃部達吉事件や滝川事件のように、政権が右傾化するときには特に必ず、教育、学問の府と確執を起こしてきたのである。

 今回の文科省辞任問題がそういうものでなければよいのだがと、大変な危惧を抱いている。】

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「私が国家ですよ」に潜むもの   文科系

2020年06月05日 14時20分39秒 | 国内政治・経済・社会問題

「私が国家ですよ」と安倍は叫んだ。それも、国会討論という国政最大の場所において。こんな途方もない言葉に関わってこそ検察幹部OBらが「ルイ14世」と呼んだのだが、その意味は意外に大きく、深刻なものだということを示してみたい。

 なによりも、こんなことを思う。安倍は、彼の政治運営の基本方針として、こんな「政治思想」を持っているのではないか。
「国民に選ばれた以上は、その主権者国民の名において自分がやりたい事を目指して良いのだ。自分が国家方針の根幹でさえ決められる」
 安倍が、従来政治の基本概念さえ数々踏み躙っていく姿は、このような理解しかあり得ないと思うのである。

 裁判の公訴権を唯一持っている検察官の人事を行政府が左右できるようにしようというのは、三権分立への独裁者の反乱と言える。内部昇格という従来方針を覆して内閣法制局長官を外務省から連れてきたのは、自分の憲法解釈を認めない内閣法制運用の専門部局を総入れ替えしたに等しい所業である。またそもそも安倍は、櫻井よしこらと連んで現憲法を蔑視さえして来たのではないか。「9条なんて(笑)??」とか「権利ばかりで、義務が書いてない」とか。
 憲法をめぐるこの権利義務問題については、櫻井と同じで憲法というものの基本理念理解が欠如していると観てきた。憲法とは、単なる国民のお約束ではない。国の主人公である国民がその基本的人権を守るように国家諸機関に命じた文書なのだ。「権利ばかり書いてあって義務が書いてない」などと言えるのは、憲法のこの基本を理解していないか、無視して良いとするからである。この立憲主義でさえ時の政権が変えても良いと考えているのでなければ、これと同等に国民の義務を憲法にずらずらと書き込もうなどという彼の発想は出てくるわけもないのである。
 ちなみに、日本国憲法の中のその義務は、「公共の福祉に反しない限り」という別項を設けて全ての権利に縛りを入れているのだが、櫻井よしこがこのことを知らなかったのは、憲法学者小林節との論争で明らかになった有名な話だ。

  安倍は、立憲主義や、三権分立を実質否定しているのだろう。「国民に選ばれたのだから」という理由によって。こういう国家元首が現れないようにという警戒からこそ、立憲主義も三権分立も生まれてきたはずなのだが。ヒトラーもムッソリーニもここをこそ突破したから、あー言う歴史的悲劇を起こしたのではなかったか。

 とこう観てくると安倍は自分を単なる株主に全権を委任された民間企業のCEOのように振る舞って良いとしているのではないか。それも、国家三権や日銀の上にそびえ立つCEOならば、こういう独裁気質が理解できるというものだ。

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喜寿ランナーの手記(293) コロナ休止明けの初ジム  文科系

2020年06月04日 10時14分29秒 | スポーツ

 名古屋市営ジムが6月から解禁、2月26日以来3ヶ月ぶりに昨日3日行ってきた。ここのところの調子の悪さを踏まえて完全なLSDに徹して、1回30分のマシン制限がある前半30分が4・05キロで、後半が4・15キロの、合計8・2キロという結果。何よりもまず、思ったよりも走れた感じ。
 59歳にジムでラン入門をした僕は、外走りよりもこちらの方がはるかに回数が多く、調子の良し悪しや、どこにフォーム改善の余地があるかなどもよく分かると再認識した。こんな感じだと、僕が最近思っていたほど深刻な不調ではないと分かったのが、まず嬉しかった。ちょっと左脚が弱っていてフォームが乱れ、気温の上昇とともにそれが拡大して疲労となって顕れてきたと、そんな程度の不調だと思えた。そういう分析からの対策に既に努めて来たから、その成果がこの日もう出ていたのだろう。家の階段数十回の往復で左だけ2段上り下りにしたり、50キロ~30キロのサイクリングを左脚に注意して何回かやったり・・・。ちなみに、6月まで休校中だった4年生の孫ハーちゃんとのサイクリングもこの間4回ほどやったかな。彼女はもう、35キロほどならけろっと乗り切ってしまう。

 そして、慣れ親しんだジムランを久しぶりにやったからこそ、新たに気付いた事も多かった。まず、心肺機能はほぼ僕の平常通りで、ちょっとスタミナが落ちているだけと分かった。このことについては、この日の最高速度9・5キロ時の心拍数が初め150程度だったことや、後半30分の後半ではこれが上がり、9・5キロ時だと160を超えていた事で分かった。

 走りのフォームについてはこんなことが分かった。走りの原動力は、両脚の地面ツツキだが、例えば左脚をつつく直前にもう一方の右脚をごく軽く蹴る必要と、その蹴り方に要注意と再認識した。ここでは、やはり主として右脚の膝伸ばしを使うのだが、その際補助的に右つま先を自然にごく軽く蹴ることも大事だという事。これが上手く行かないと原動力であるツツキ直後の左脚の伸びが小さくなって、ちょっとブレーキがかかるような感じになる。こういう右脚遣いが結構難しい。左脚の膝を前に出すためと言うよりも、左脚の付け根の腰骨、つまり臍を素早く少々前に出すような感じになるように右脚を使うと、今は目論んでいる。これが正しいかどうかは、間もなくその答えが出るはずだ。こういう仮説を自分のフォーム修正などについていつも立ててみる事が、どこかが急に衰えていく年寄りには案外大事なのだと考えてきた。仮説を立てないと、部分弱化への対策もできず、ただ走っているだけになりがちなのだろうと戒めて来た。

  それとあと一つ、左脚つつき弱化はこの程度だと分かった。9・5キロ時をやると、翌日にちょっとだが筋肉痛が出る。これも、ポサッとしているとそうなる年齢という事の一つだから、今後に要注意。

 3ヶ月ぶりのジムで上半身のウエートもやってみたが、腹背筋の衰えはなく、腕と上半身とのプッシュとプルとが、やはり少々弱っている。元々弱いプッシュが特に。元に戻す努力をするに越した事はないと、考えつつ帰ってきた。上半身の血流は脳の若さを保つ最大要件なのだろうし。

 

 

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随筆 ミヤコワスレ   文科系

2020年06月03日 11時20分50秒 | 文芸作品

 ミヤコワスレ

 家のトイレの戸を開けてすぐの棚に、この二週間ほど二輪のミヤコワスレが活けてあった。少し暗い部屋なので長くもったのだろう。薄紫のふつうのと、白っぽいピンクのと一本ずつだった。今日それがとうとう枯れ始めたので、僕の手でかえたところだ。濃いピンクのと、細い花弁の小輪で濃い紫のと、普通の薄紫のとの三本に。見つめていると神経が温められるような幸せな気持ちになるので、用を足すときはもちろん、用のないときも戸を開けてながめる。それほどに僕はこの花が好きなのだ。「花のなかで一番いいと思うのはミヤコワスレです」と、この数年人に言うほどである。庭にこの花の蒐集畑も作った。ただそこに白いのがない。来年の春に買うか、人にたずねて、もらおうかと思っている。

 さて、人が、「僕が魚で最も美味いと思うのはヒラメだな」とか、「野菜ではナスが一番好きかな」とか言うときには、実はその好きな対象だけを話題にしているのではない。それを好きである自分というものも、やはり語っているのではないか。無意識のうちに語っている場合がほとんどだろうが。
 ミヤコワスレ自身の単一で素朴な色や、やはり素朴なすっきりとした一重の花弁が好きだという人は多かろう。また、そういった容姿で、小声だがきちっと自己主張もしているといった感じの可愛らしさに惹かれると語る人も多いだろう。余談だが、これらの表情は、三本くらいまでを切り花にして、やや暗い色調の花瓶に活けると、よく見えてくる花だと思う。しかし、今日ここでは、この花にこんなに惹かれている私というものを表現してみたいと思うのである。

 僕は人間に疲れている。押しの強い人はもちろん、遠慮が多い人にも今は疲れてしまう。随筆などによくあるが、人は人間に疲れるとき、自然を親しく感じるものだという。この自然が親しいとは、単にふつうに草木が好きだという程度ではないらしい。浮世のことはノーサンキュウで、自然と、自然に近くなっているような分かりあった身近な人とに逃げ込んでいるような心境と言って良いのかも知れない。僕もこんな心境で花に接しているんだと、いつのころからか気づいた。そんな心にぴったりと通じてくる花が僕の場合、ミヤコワスレだったのである。押し出しが強い花は、たとえすごいと思っても、疲れさせられる人みたいだ。可愛いと親しむけれども、少しきつくて、はしっこい人を感じさせる花もある。素朴なもののなかでも、ぼっーとしたものもあり、やや複雑で安らげぬと感じるものもある。単純素朴な美しさ、表裏を感じさせない自己主張、ミヤコワスレはほっとする安らぎをくれる人と同じだ。見ると神経が温められるように感じるのは、そんなことなのではあるまいか。

 ところで、こんなことをかえりみていたある日に、確信したことがある。この花の名前にかかわって、一つの物語を思いついたのだ。もちろん僕の創作だが、そう、この名前の由来はもうこれしかないと。
 昔、都に一人の男がいた。境遇にも女性にも不自由なく、天真爛漫に、面白おかしく暮らしていた。そんな彼がいつの頃からか、都人のぎらぎらした表裏に気づき、人の中にそれをさぐるようになってしまった。やがて彼はそのことに疲れ切って、逃げるように任地におもむいた。そこで、なんとなく惹かれる一人の女性に出会ったのである。都の栄枯盛衰にただよっている女性たちとは違う世界の人のようだと感じた。前にもこういう人に出会っていたろうに、どうして気づかなかったのだろうか。こんなふうに彼女を遠くからぼーっと眺めていたある日あるとき、ふっと浮かんだ。
 あの花と同じだ。ちかごろ私を幸せな気持ちにしてくれているあの花と。この人も、あの花も、何かほっとする。いろんな世界があるものだな。
 男は一人こんなふうにつぶやき、やがていつしか、都を忘れていったという。

(1996年2月発行の所属同人誌に初出)

 

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「悪辣、無責任」外信報道二例  文科系

2020年06月02日 09時09分07秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

  政府のコロナ対策専門家会議が議事録を作っていなかったと分かり、非難されて、作るようになったという。マスコミ、新聞も同じようなもので、世界が荒れているコロナ関連で全く無責任な記事を流しても、何の反省もない。特に外信記事については、自分で調べないで、外国要人らの「誘導」を受けたそのままに書いたような「アクセス記事」に悪質なものが多すぎると読んできた。最近コロナ関連でここに書いた二例は、実質「アクセス記事」なのにそうでないように見せかけつつ、悪辣と言って良い内容を垂れ流している。いずれも「悪辣中国」関連記事なのだが、明らかに発信元はアメリカと思われる内容。それも今から観れば、馬鹿馬鹿しいほどの反中親米記事になっている。

 長妻昭議員が国会で首相にこんな質問をしたが、これをもじって、僕はこう言いたい。
「統計問題を甘くみない方がいい。扱いによっては国家の危機になりかねない、という認識はあるのか」
「外信報道を甘くみない方がいい。扱いによっては国家の危機になりかねない、という認識はあるのか」
 政府以上にマスコミの世論誘導の積み重なりが戦争をもたらすという、日本太平洋戦争やアメリカのイラク戦争の例を肝に銘じたいものだ。

 米中冷戦は今や明らかに、斜陽著しい米が仕掛けつつあるもの。核停止条約抜け。身勝手な保護貿易強行。世界に数々の戦乱を引き起こして来たその原油政策。そして何よりも、国連敵視をますます強めているのは、戦前の日独と一緒。こんな中で、下記拙稿で扱っている二つのマスコミニュースは、今振り返れば安易すぎて笑える、軽佻浮薄丸出し、その上で内容が悪辣なのである。 

【 随筆  情報・人心操作?   文科系
2020年03月25日 19時39分25秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)

 高齢者を肺炎で多く死なせるコロナウイルスで、世界が爆発しているようなこの三月二三日、新聞夕刊のとあるニュースには呆れ、驚いた。この記事の見出しは、こういうもの。
『無症状四三〇〇〇人、中国が計上せず』
  感染者を少なく見せて来たというこの見だしは、誰が読んでも「悪い国だ」という「感じ」にしかならない。だが、その記事の中にも書いてあった英米などよりは国民の立場から見たら遙かに上等な検査体制なのである。この記事の中に、こんな文言が入っていたので、むしろこちらの方に僕は驚いてしまった。
『韓国では無症状感染者もカウントしているが、米国や英国、イタリアは医療関係者を除き無症状者は検査もしていないという』
 さて、「無症状者は検査もしていない」英米、イタリアと、「無症状者も検査・隔離するけど、カウントには入れない」中国と、どちらが国民を救うことになるか。後者に決まっている。高齢者以外では症状が出ない感染者も多いこのウイルスに対しては、『検査で陽性になり隔離されていても症状のない人は確定患者に含めず、医療監視下に置かれたという』と同記事も述べている中国と比較して、『米国や英国、イタリア』は無症状感染者を野放しにしているからだ。
 この記事内容を見ると、イタリアに死者が多い理由が分かった気がするし、米英は今後大丈夫なのかなと心配になった。が、福祉対象以外は民間健康保険が中心で無保険者も多くて「医療は個人持ち」というアメリカなどは、無症状者の公的検査など元々するわけがないのだろう。こんなアメリカでは、ただでさえインフルエンザで死ぬ人が毎年一万~数万人いるのだから、このコロナで死ぬ人は一体どれほどになるのか。
 それにしても、韓国は立派である。だからこそなのだろう、コロナを抑えられそうな見通しも立ったようだ。その点日本は、ちょっと危うくなって来たのではないか。無症状者は同一集団発生に関わる範囲でだけ検査するという「クラスターの発見を中心にした検査方針」を採ってきたにもかかわらず、クラスターに無関係の症状者、つまり孤立発病者がここに来て増えてきたからだ。
  などなどと思い巡らせつつ翌二四日朝刊を見ると、この同じ記事内容がまた載っている。『無症状四三〇〇〇人 統計に含めず』、『武漢「感染ゼロ」に疑念』。そして、前日よりももっと悪いことには、英米伊の「無症状者野放し」記述がこの日は皆無、全く省かれていた。つまり、「中国は悪い奴だ」と誰が読んでも受け取れる記事に変わっている。僕は、公憤に駆られてつぶやいた。
〈見ているが良い。こんな意味の「少なく見せる」国よりも、「無症状者を野放しにしてきた国」の方が死者などの被害ははるかに大きくなるはずだ〉。
 するとどうだ、直後に読んだネット記事によると、アメリカではもうこんな事態になっていた。『米ジョンズ・ホプキンス大学の二三日夜の集計によると、前の日から一日で米感染者は八〇〇〇人増えた』。
 アメリカのコロナ感染者が中国を追い越していくのは確実だろう。無保険者も多いアメリカでは、死者はいったどれだけになるのやら。こんなアメリカで公表されているコロナ死者が、発病者の多さの割にとても少ないのだが、この国に毎年膨大にでているインフルエンザ死者にコロナ死者を含めているに違いないと、僕は推理している。そういう「アメリカ・インフルエンザ死者」が、今年度インフルエンザ季節分だけでそろそろ二万人を超えているはずだ。】

 

【 安易、悪辣な外信報道  文科系
2020年04月15日 07時10分48秒 | 文化一般、書評・マスコミ評など

 本日の中日新聞のある外信報道には、呆れてしまった。4面国際面のトップ記事「コロナで米軍展開力に懸念」という記事だ。内容を読んでから、「どこがどう発信した記事か」と発信元を見たらワシントンと北京それぞれ常駐の二人の特派員が共同して書いた記事と分かった。
 何よりもまず、違和感を感じたのはこんな感じ。「米空母がコロナによって一艘ダメになったことは誰でも知っているはずで、そこにつけ込んで中国が何かしそうだ」という取材意図、問題意識を初めから感じたからである。まるで中国=火事場泥棒扱いの、アメリカ・ネオコン思想の宣伝文句のような・・・内容も案の定、そういうものになっている。記事中にも『「台湾を武力統一する好機」と、環球時報の電子版にある』とか、「3日に中国艦船がベトナム漁船に衝突、沈没させた」などというもの。これらの言葉、ニュースの前後関係はどうなっていたのかは全く書いてないのである。
「何を今時」とか、腹が立つことしきりであった。今、中国が台湾など近隣国を攻めるか? アメリカの自国第一主義、引きこもりにつけ込んで? これは完全に米ネオコン的発想であって、そんな誰かのリードで仕上げられた記事かも知れないとさえ、考え込んでいたものだ。
 この新聞は国際面が極めて貧弱で、当局の発表をそのまま伝えるようなアクセス記事ばかりだが、グローバル政治の模索時代に後れを取っているだけで無く、一応の「調査報道」体裁がこんなネオコン的視点丸出しではどうしようもない。これも、外信記者に日本外務省の指導がよく行き届いていると言うことか。いろんな記事を読んでいると、今の外務省は安倍以上にアメリカべったりであると見ざるをえなくなっているからである。】

コメント (1)
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