九条バトル !! (憲法問題のみならず、人間的なテーマならなんでも大歓迎!!)

憲法論議はいよいよ本番に。自由な掲示板です。憲法問題以外でも、人間的な話題なら何でも大歓迎。是非ひと言 !!!

「男性半分は子なし」の日本へ  文科系

2023年02月06日 08時43分45秒 | #アベノミクス #パフォーマンス政治 #少子化・少国化日本 #統一教会問題
 この問題については、「国が、男性の生涯未婚率、生涯無子率の急増ニュースをずっともみ消し続けてきた」と、このブログでは言い続けてきた。50歳まで一度も結婚したことがない男性とか、50歳まで無子の男性とかの急増のことである。だから、児童手当、保育所、育休・・・? 全部ピント外れなのだ。肝心の少子化原因から外れているのだから。2月1日にプレジデントオンラインに載ったある記事を紹介しよう。それによれば、こう結論されている。

「近い将来、男性の半分は子を持たずに生涯を終える」

 OECD調査・発表に、国勢調査に基づく各国の50歳時点無子率という数字があって、例えば、1970年生まれで2020年時点のその数字が日本27%とある。同じような生涯未婚率という数字もあって、2020年の男性のそれは28・3%。この男性の生涯未婚率に婚歴あり女性の生涯無子率を足して37%という数字も出ていた。これらの日本の数字がまた,この15年で一気に他国をごぼうぬきにしてきたと強調されている。その結論が上記、「近く、男性の半分は生涯子なしに」なのである。なお、不本意未婚、不本意子なしが問題にされるべきものというのも当然のことだ。

 日本がこの15年に他国をごぼう抜きにしてきたというのは結局、こういうことなのだ。就職氷河世代誕生以降こうなったと。つまり、結婚相手に選ばれない男性の急増という事態の、とても悲しい結末なのである。


 ちなみに、中国、韓国の少子化はもっと急に進んでいるとあった。そんな日中韓などでは当然、受験競争も激しくなる。最近知ったことだが、私学受験の小学6年生が授業時間中に塾通いになるのを、この名古屋では認めているのだそうだ。
 こういう社会の弊害は凄まじいものがあろう。ヒューマニズムも地に落ちるはずだから。社会の指導者たちが、弱者を自業自得と考える社会なんて、碌なもんじゃない悪い社会だ。昔の優等生は、生徒会長をやるなど正義感もあった。学問を立派な社会人としての教養と観るのではなく、立身の手段とだけ見る社会にいつの間にかなってしまった。こういう「優等生」が生まれ始めたのが1950年生まれあたりからだとは、近辺に教育界人が多かった僕は身にしみて感じてきたもの。
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八十路ストーマ・ランナーの手記(445) すでに立派なランナーと判明  文科系

2023年02月05日 00時16分09秒 | #ランナー
 先回「僕に合った練習方法が分かった」と書いたが、半年を超える膀胱癌全摘手術闘病後のジム3回目で、僕がこの練習方法によって今もう立派なランナーだと分かった。5~6・3キロ時なら1時間の内41分も、2回に分けてだが走ることが出来たからである。スピードは遅いが、走るという定義に立派に合致した走りなのだ。
 走るということの定義は、競歩と比べると解る。競歩は常にどちらかの足が地面に付いていなければ失格で、これがウオークだ。対するランは、両足が地面を離れる瞬間があるもので、遅くとも誰にも走っていると分かるやり方。これで昨4日、僕は最初の30分のうち15分、後の30分の内26分を、5~6・3キロ時のスピードで走ることが出来た。そして、さらに良いことが一つ、このやり方で目論み通り肝心の心肺機能が急速に高まっていると分かった。

 時速5キロ時走行なら、心拍数は130bpm内外だし、今まで160bpmを越えていた6キロ時が今は150の時もあるというように、わずか3回のジムランで下がってきた。6キロ時でも長く走ると160になるが、今のこのやり方を続けていけば、同じ速度での心拍数がどんどん下がると分かった。鍛錬につれてこのように心拍数が下がってくれば、下がった分だけスピードも上げられる。
 膀胱手術以前、去年春には、時速10キロ近くまで走れたが、今はさてどこまで回復できるか。
 また、速度を落とすと立派に走れるというのは、長い間ランナーとしての省力フォームを身につけてきたその賜物なのでもあろうと思ったことだった。

 こうして、ランナー復帰が見えたのは、とにかくとても嬉しい。ちなみに、一昨日も孫のハーちゃん6年生と散歩をしている。家から名古屋駅まで、多分7キロほどはあるだろうが、帰りは地下鉄を使った。それで昨日またこれだけやれたというのも、ランナー復帰を願って病院廊下なども含めて歩き続けてきた産物でもある。付き合ってくれている散歩好きの孫たちにも感謝だ。孫との散歩はいろんな話が出て来て、とても楽しいのだから。
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天皇の戦争責任,史実  文科系

2023年02月04日 08時54分02秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
 標記のことについて、岩波新書「シリーズ日本近現代史第6巻」の「アジア・太平洋戦争」(吉田裕一橋大学大学院社会学研究科教授、専攻は日本近現代史)から抜粋する。

『その天皇は、いつ開戦を決意したのか。すでに述べたように、日本が実質的な開戦決定をしたのは、11月5日の御前会議である。しかし、入江昭『太平洋戦争の起源』のように、9月6日説も存在する。この9月6日の御前会議で決定された「帝国国策遂行要領」では、「帝国は自存自衛を全うする為、対米(英蘭)戦争を辞せざる決意の下に、概ね十月下旬を目途とし戦争準備を完整す」ること(第一項)、「右に並行して米、英に対し外交の手段を尽して帝国の要求貫徹に努」めること(第二項)、そして、「十月上旬頃に至るも尚我要求を貫徹し得る目途なき場合においては、直ちに対米(英蘭)開戦を決意す」ること(第三項)が決められていた。』

『このように、9月6日の御前会議の重要性は明らかだが、この時点で事実上開戦を決意したとするのには、やはり問題がある。なぜなら,この時点では、昭和天皇その人が対米英開戦に対して確信を持てないでいたからである。(中略) 海軍の資料によれば、9月5日の両総長(陸軍参謀総長と、海軍軍令部総長。6日御前会議の前日に会議に出す原案を話し合っもの)による内奏の際「若し徒に(もしいたずらに)時日を遷延(せんえん)して足腰立たざるに及びて戦を強ひらるるも最早如何ともなすこと能はざるなり」という長野軍令部総長の説明のすぐ後に、次のようなやりとりがあった(伊藤隆ほか編『高木惣吉 日記と情報(下)』)。
御上〔天皇〕よし解った(御気色和げり)。
近衛総理 明日の議題を変更致しますか。如何取計ませうか。
御上 変更に及ばず。』

 こうして、第一項概ね十月下旬を目途とした戦争準備の完整と、第二項外交交渉による問題解決とという順番を「この通りで変更に及ばず」と、天皇が決断したのである。後になって彼は、もしそう決断しなければ軍の一部などを中心に内乱が起こっていたはずだと、一種この決断を弁護している。としても、そういう時点まで情勢が進んでいたということも含めて、天皇主権国家の国家元首としての責任は免れない。
 国民に対してある国への敵愾心を煽り続けると、いつしか天皇でさえも国民の戦争希望を抑えられない時代がやってきたと、そんな法則を教えてくれているようだ。
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随筆紹介 「日本国民の衆愚」  文科系

2023年02月03日 01時03分50秒 | 歴史・戦争責任・戦争体験など
随筆 「日本国民の衆愚」  S・Hさんの作品です


 録画取り置きのドキュメンタリー「ナチハンター 忘却とのたたかい」を観た。
 この題字が流れ冒頭の語りから、私の心はまるで悪魔に取りつかれたように画面に吸い付いた。「ナチハンター」とはナチによってこの世とも思えない地獄絵図の中で殺された人々の親族が戦後ナチの残党を探し出し告発する者を指す。ナチの大量虐殺はもはや説明するまでなかろう。私が最も心惹かれたのは戦後何年経っても執拗に探し求めて突き止めて行ったその行為にある。

 私はこの番組を見るまでは、ドイツという国は戦後ナチスをキチンと裁いて立派な国民性を持っていると思っていた。しかしながら戦後ドイツ政府は一定の期限を設け時効として戦犯追及を止めようとした。しかしながらナチハンターの熱意と行動と努力により、遂に国家としてナチの犯罪性を永久に追及する決意にさせたのだ。

 ドイツの国家が永久にナチを追求するに至った道は決して平たんではなかった。戦後組閣された内閣では、その何割かが元ナチ党員であることが「ハンター」により明らかにされた。そのような国家ではナチ追及はおぼつかなかった。また、国民もそういつまでも自分たちをナチ国家の一員だと思い続ける自虐的精神力を保ち続けるのには飽きてしまった。
 そういう雰囲気の中では、「ハンター」迫害が進んだ。しかし「ハンター」たちは諦めなかった。ありとあらゆる正当な方法で国民にナチの非人道性を訴え、またナチを許してしまったドイツ国民の衆愚を明らかにしていった。「ハンター」たちの様々な行動や告発の結果。前述のようなナチの残党を永久追放の決議が国会で議決されたのだ。

 現在でもナチの犯罪性を追求し続けている。最近、九十歳を超える老人がナチの幹部と判明して禁固刑を受けている。実際に大量殺りくを計画し命令した指導幹部だけでなく、死体を埋める墓を掘った者でも戦争犯罪人として告発されるのである。
「上官の命令に従っただけだ」という言い訳は一切通用しない。「あなたは人道の道を踏み外すことをたとえ上官の命令でしたとしても人間として許されない」そういう理念が貫徹しているのである。

 冒頭私が心を奪われたと述べたが、それはこのドイツの戦後処理と日本の戦後処理を比較しながら観ていたからである。
 岸信介はじめ戦争犯罪人が戦後内閣を引き継いだといっても過言ではない。現在でもそれを引き継ぐ「亡霊」が日本を支配していると言ったら言い過ぎであろうか。
 戦争中、中国で人体実験した石井部隊の残党は米進駐軍にその医学的資料をそっくり引き渡しその代わりにその戦争責任を問われないという密約をマッカーサーと交わし、のうのうと戦後医学会に君臨して「白い巨塔」を形成した。
天皇の戦争責任(文科系注を下に付けます)も全くとられていない。現人神宣言でうやむやにされた。
 いやいや、日本の国民自身が一番曲者である。日本人のこの衆愚性は一体何だろう? 戦前ほとんどの国民は戦争熱に浮かれ「大東亜共栄圏」の拡張に熱をあげた。中國人や韓国人を侵略し、植民地化しさげすんできた。天皇陛下万歳と旗を振って戦争を賛美した。

 戦後何年か経って、世間は「日本の戦後は終わった」と宣言した。しかし南方の戦線で餓死した兵隊の遺骨は異国の地に放置されたままである、いまだに。南京虐殺はなかったと豪語しても平然と政治家でいられるこの日本。こんな日本に住んでいて恥ずかしくないだろうか? 私は自問自答している。私は素直に思う。今からでも遅くはない。今一度日本や世界の歴史をきちんと勉強しよう。そしてきちんと歴史と向き合おう。今まで繰り返してきた衆愚には決してなるまい。


文科系注 この点については、明日、ある日本近現代史専門家の文献にある天皇の言葉を紹介し、その周辺事情などにも触れてみます。






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ウクライナ、殺し合い終わらせて   文科系

2023年02月02日 00時15分27秒 | 国際政治・経済・社会問題(国連を含む)
 今のウクライナ政府は実質アメリカによって生み出されたもの。何よりも、2014年に親ロのウクライナ政権を打倒した武力革命が、アメリカによって起こされた証拠がある。ちなみに、この時にロシア人が多い東部地域(独立)とウクライナ新政権との内戦状態が始まって、G8がロシアを追放、G7になった。その延長なのだが、アメリカは今、ロシア滅亡までウクライナにあらゆる武器を送る体制を世界的に構築して来た。「敵は本能寺」よろしく、中国最大の味方国である大国を一つ潰すための代理戦争なのだ。
「一方的に攻められた可哀想なウクライナを世界が助けるべし」
 こんな「大義名分」をここまで巧みに作り上げ、押し出しつつのことである。渋るドイツに戦車を出させるためにアメリカも同格の戦車を無数に出すとドイツに約束するなど、ロシアを潰すまでとことん代理戦争をさせる積もりのようだ。

「歴史的にロシア人が多い地域だったけど、その東部親ロ地域をロシアに渡すなどは、ロシアの横暴を認めることになる」
 これが今のアメリカとウクライナが停戦を拒む大義名分の生命線なのだ。かくて、この戦争はいつまでも続いていく。

 ウクライナ国民にだって、今後無数の国民の命がとことん失われていくことに比べれば、もともと親ロ地域であった東部割譲はあってもよいと思う人も多いのではないかと思うのだが、それを妨げているのは、ゼレンスキーらの国家的面子なのではないか。今となっては親ロ地域よりも国民の命の方を取るべきだ。こんな動きは、アメリカがとことん妨害するだろうが。
 かくて、無数のウクライナ人(とロシア人と)が、独裁者プーチンと、ゼレンスキーのためにウクライナ全体が焦土になるまで死んでいく。それで良いのか? 

 以上の見解に賛成する人はもうずいぶん多くなった。イラク戦争を現地の外交官僚として観察できた孫崎享ら本当の現アメリカ外交を知る人々はもちろんのこと、日本マスコミ主流とは異なったなんらかのロシア情報源を持っているやの鈴木宗男とか森喜朗とかも含めて、僕の以上の見解と似た見解が確実に増えていると観測できる。


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八十路ストーマ・ランナーの手記(444)ジム2回目、練習法が分かった  文科系

2023年02月01日 07時15分11秒 | Weblog
 2回目らしく、ちょっと頑張ってみた。その結果こんなことを認めた。
 僕の今の一定持続最高スピードが6・5キロ時ちょっとしかない。
 とすれば、心拍数を下げるべき長距離鍛錬スピードは、5キロ時以下、4キロ時近くにもなろう。

 というように、ランナーとしてのパフォーマンスでの前進と言うよりも、僕がランナー復帰に向かう「適正練習法」を考える上での前進があった。

 まず6・3~6・5キロ時で歩いた。心拍数は130を超える。これで15分も暖めて心拍数が落ち着いた頃に6.3キロ時でやっと7分走れたが、その心拍数は165ほどにもなった。先回と同じだ。そこで2回目の30分には、5キロ時走りを入れてみたが150bpmほどになっていた。それでも10分近く走れたのである。
 この調子でいけば、bpmを140以下にしてできるだけ長距離を走って心肺能力向上が図られるとそう考えられた。今の僕にとってそこらの適正スピードを探ることが、次回の課題になる。ここまで2回の状況から考えれば、この練習で多分ランナー復帰は出来るだろうと、ちょっと楽観し始めた。今のところはということだが、ジム2日で確実に前進している。

 その後、いつものようなストレッチのあと、腕のプルとプッシュ、腹筋背筋、正式スクワット30回をやって帰ってきた。スクワット30回が意外に楽だったことも身体の好調を示していて、嬉しかった。翌日の今日、ウエート関連の筋肉痛がないのは、82歳になる僕の身体でも1年前をはっきりと覚えているということと思う。
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