【東京都】:「学歴詐称疑惑」再燃の小池百合子…その「虚飾の物語」を検証する ④ ■『女帝 小池百合子』著者が真相を語った
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【東京都】:「学歴詐称疑惑」再燃の小池百合子…その「虚飾の物語」を検証する ④ ■『女帝 小池百合子』著者が真相を語った
「近藤大介 北京のランダムウォーカー」と題したこの連載は、普段は毎週火曜に中国を中心とした東アジア情勢に関するレポートを載せ、最後に推薦新刊図書の書評を加えている。だが、今回は特別編として、元政治記者の近藤大介氏と、現在ベストセラーになっている『女帝 小池百合子』(文藝春秋刊)の著者で、ノンフィクション作家の石井妙子氏との120分にわたる緊急対談をお届けするーー。
権力と寝る女
石井: 2002年の年末に、小池氏は満を持して、自民党入りします。まさに「政界渡り鳥」の面目躍如で、過去にあれだけ自民党を批判し続けてきたのに。その時の言葉が振るっています。
「自民党を外から壊すのでなく、内から壊すほうが早いと思った」
近藤: ウソも方便ということですかね。自民党に入党するに際しては、当時の小泉純一郎首相の後見役だった森喜朗前首相に、相当取り入ったと聞いています。でもその後、おそらく小池氏は、恩人の森氏に対して、また何らかの裏切り行為を働いたんでしょうね。現在、東京オリンピック・パラリンピック組織委員長の森氏は、明らかに小池都知事のことを良く思っていませんから。
石井: 小池氏は、翌2003年9月には、早くも環境大臣として初入閣を果たしています。環境大臣として、水俣病やアスベスト問題などにはあまり関心を示さない代わりに、クールビズ(省エネルック)のキャンペーンには大張り切りでした。
そして、2005年8月のいわゆる「郵政選挙」で、生まれ育った兵庫県の選挙区をポイと捨てて、東京10区から「女刺客」として出馬するわけです。
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小池氏は自分をジャンヌ・ダルクに見立て、郵政民営化に反対する小林興起氏を破って、一躍ヒロインになります。環境大臣を再任し、小泉首相との蜜月が絶頂の頃で、週刊誌には二人の結婚説まで書かれました。
近藤: その記事を書いたのは私です(笑)。いまだから話しますが、当時、私のもとに二つの興味深い話がもたらされたんです。
一つは、小泉首相は2週間に一度、首相官邸隣のキャピトル東急ホテルの地下の床屋で髪を整えるが、2時間も3時間も帰ってこない。もう一つは、小池環境大臣には日中たまに、秘書官にも行き先を告げない「空白の時間」がある。
そこで小泉首相が床屋へ行く日を突きとめて、小池大臣を張り込んだんです。すると、キャピトル東急ホテルへ入っていった……。
石井: そんなことが! でも、私には小池氏が一方的に親しさをアピールしていたように思えるんですが。近藤さんは、どう見ますか?
近藤: どうでしょうかね。小泉氏は加藤紘一、山崎拓両氏とYKKの盟友関係にありましたが、「YKKとは友情と打算の二重構造」という名言を残しています。それで言うなら、「KK(小泉・小池)コンビは愛情と打算の二重構造」ということだったのかもしれませんね。
当時、小池大臣には「権力と寝る女」という悪名がついていましたが、本人は「政治家というのは権力を追い求める職業なんだから光栄ですわ」なんて言って、肝が据わっていましたから。
石井: その小泉長期政権が終わり、若い安倍晋三政権に引き継がれると、小池氏は安保担当の首相補佐官、そして女性初の防衛大臣に抜擢されます。小池氏は小泉首相から安倍首相にボスを替えた。積極的に近づきますが、蔭では「安倍の晋ちゃん」と呼んで少しバカにしていたようです。
近藤: 第一次安倍政権は「お友達内閣」と揶揄されましたよね。その「お友達」の一人から後に聞いた話ですが、ある日、安倍首相がこう言ったそうです。
「オレは小池さんが何を囁いてきても動じなかった唯一の政治家ではないか」
まあ、家庭ではあのアッキーさん(昭恵夫人)を相手にしているわけですからね(笑)。
わずか55日間の防衛大臣
石井: 後に小池防衛大臣にクビにされる守屋武昌防衛事務次官から伺ったのですが、小池防衛大臣就任式の前日に、本人が電話をかけてきて、「私が明日受け取る花束には、百合の花を入れてちょうだい」と言ってきたそうです。
守屋次官は気を利かせて、百合の花に加えて、50人の女性自衛官を揃えて玄関で出迎えた。でも、小池大臣はおかんむりの様子で、守屋さんは当惑します。「男社会の紅一点」としてもてはやされることを好むという小池氏の精神構造を、守屋次官は理解できなかったんです(笑)。
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近藤: 守屋次官は「防衛省の天皇」と言われ、省内で畏れられていたけど、4年に及んだ「長期政権」の最後で「小池台風」に翻弄されました。私も次官当時、会食したことがありますが、もののふ(武士)という言葉がピッタリ来る方で、退職後に『日本防衛秘録』(新潮社刊、2013年)という名著を著わしています。
石井: ところが、ようやく防衛大臣の座を掴んだのに、小池氏は、第一次安倍政権末期の2007年8月、インド訪問中に突然、辞意を表明します。大臣が外遊中に辞意発表なんて、前代未聞です。わずか55日間の防衛大臣でした。
近藤: あの時の電撃辞任は、いろんな解釈がされていますが、私は彼女の独特な「女のカン」で、安倍政権がもはや沈みゆくドロ船だということを悟ったのではないかと見ています。このまま居残っては、自分のキャリアにも傷がつくと。実際、その翌月には安倍政権は崩壊します。
その翌年9月の自民党総裁選に、小池氏は初めて出馬。麻生太郎氏に敗れたものの、46票を獲得し、5人中3位と健闘しています。「小泉票」が多く入ったと言われました。
石井: いまの安倍長期政権のもとになった2012年9月の自民党総裁選でも、小池氏は当初は安倍氏を推すと表明していたのに、途中で石破茂氏に乗り換えた。石破陣営では、「あの嗅覚の鋭い小池さんがこちらに来たということは、勝つんだろうな」と言って喜びました。
しかし結果は、安倍氏の逆転勝ち。同年末に安倍政権ができてからは、小池氏にとって、長く不遇の時代が続くことになります。
元稿:現代ビジネス 主要ニュース 政治 【選挙・メディア・マスコミ・担当:近藤 大介 , 石井 妙子】 2020年06月05日 09:15:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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