【中山知子の取材備忘録・12.25】:「首相退陣はサミットの日本開催年に多い」岸田首相が永田町あるあるジンクスに臨む2023年
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【中山知子の取材備忘録・12.25】:「首相退陣はサミットの日本開催年に多い」岸田首相が永田町あるあるジンクスに臨む2023年
2022年も残り1週間。永田町をめぐっては今年、安倍晋三元首相の銃撃死という衝撃的な出来事が起き、この銃撃事件を機に自民党をはじめ国会議員と旧統一教会との関係が表面化。野党や世論に押し切られる形で、旧統一教会の被害者救済新法成立に動いた岸田政権では閣僚の辞任ドミノが続いて大ピンチに陥ったが、支持率が急落した低空飛行のまま岸田首相は政権運営を続けている。
年末恒例の大仕事である2023年度当初予算案が閣議決定され、国会ははや、年末年始モード。各所で「良いお年を」の声が聞かれるが、「政治とカネ」の秋葉賢也復興相の交代(という名の更迭)に、首相がいつ踏み切るかという大きな宿題がまだ残っている。年の瀬まで、閣僚の「辞任ドミノ」でばたつきそうな様相で、今年の岸田政権を象徴するような景色だ。
来年2023年は、5月に岸田首相がが地元の広島で議長を務めるG7サミットが予定される。首相の思い入れは並々ならぬものがあるとされるが、「悲願」でもある広島サミットを機に、政治が動き始めるかもしれない。
というのも、永田町には「日本でサミットが行われる年には政権が替わる」というジンクスがあるからだ。首相はそのジンクスに直面することになる。
時の首相や政権に絡む永田町のジンクスといえば、「子(ね)年の政変」「中日がリーグ優勝した年は時の政権が退陣」「首相公邸に入居した首相は短命」などいくつかあり、実際そのとおりになったケースがかなり多い。近々では「日本で五輪開催の年→時の政権が退陣」が話題になったが、1964年東京大会の池田勇人氏、1972年冬季札幌大会の佐藤栄作氏、1996年冬季長野大会の橋本龍太郎氏に続き、1年遅れで東京大会が行われた2021年、菅義偉前首相が退陣して就任したのが、岸田首相。実際の開催年だった2020年も安倍氏が退陣しており、「永田町と五輪のジンクスは生きていた」と大きな話題になった。
「サミット開催年に政権が替わる」のジンクスについて、過去のケースを見ると、
▼1993年(平3)東京サミット 宮沢喜一首相が退陣、非自民の細川連立政権が誕生。自民党が下野
▼2000年(平12)沖縄サミット 開催準備を進めていた小渕恵三首相が急逝し、森喜朗内閣が誕生
▼2008年(平20)洞爺湖サミット 福田康夫首相がサミット後に退陣し、麻生太郎内閣が誕生、という流れだった。
前回2016年(平28)の伊勢志摩サミットは、「安倍1強」の第2次安倍政権で、このジンクスは当てはまらなかった。また、日本で最初に行われた1979年(昭54)東京サミット、次の1986年(昭61)東京サミットも開催年に首相の退陣はなかったが、開催翌年に時の首相(大平正芳氏、中曽根康弘氏)がそれぞれ交代、退陣(大平氏は参院選中に急死)している。日本でのサミット開催と政変の関係は、全くないとは言い切れないのだ。
岸田首相は今月に入って、防衛費増額をめぐる増税をはじめ、次世代原発の開発や建て替えの推進、既存原発の60年超の運転を認める方針を含め、政府の原発政策の基本方針大転換に踏み切るなど、賛否が割れる政策にどんどん着手。「支持率の低い首相がやるとは」「支持率が低いから割り切っているのでは」などの声が出る中、その「突き抜け方」の背景に、関心が集まっている。
ただ、首相を取り巻く環境が厳しいのは変わりはない。2023年も苦しい政権運営が続けば、「サミット花道論」が出かねないとも、永田町ではささやかれている。「日本開催サミット年の政変」というジンクスをクリアするのか、足もとをすくわれるのか。広島サミットは5月。そんなに時間はない。【中山知子】
◆中山知子(なかやま・ともこ) 日本新党が結成され、自民党政権→非自民の細川連立政権へ最初の政権交代が起きたころから、永田町を中心に取材を始める。1人で各党や政治家を回り「ひとり政治部」とも。現在、日刊スポーツNEWSデジタル編集部デスク。福岡県出身。青学大卒。
元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・コラム・「中山知子の取材備忘録」】 2022年12月25日 11:00:00 これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。