【主張①・01.05】:国民常識との乖離 「法律、バカじゃない?」
『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【主張①・01.05】:国民常識との乖離 「法律、バカじゃない?」
見出しは、昨年12月16日付本紙、シンガー・ソングライターのさだまさしさんの「月曜コラム」からの転用である。
さださんは、一般道を194キロで走行して衝突事故を起こし、相手を死亡させた事故の大分地裁判決を論じ、当初は「過失運転致死罪」として起訴され、後に「危険運転致死罪」に訴因変更された経緯や判決が同罪としては短い部類の懲役刑だったニュースに、スタッフがついたため息の言葉を見出しとしたものだ。
時速194キロの乗用車による死亡事故を巡る判決が言い渡された大分地裁の法廷=昨年11月28日(代表撮影)
弁護側の「真っ直ぐの道路を走ることが出来(でき)たのだから自動車を『制御』出来ていて、危険運転ではない」との主張に対して「制御出来ないから事故を起こしたのだろうに」というさださんの疑義は、まさに国民的常識にかなうものである。
社会秩序を維持するための規範である法律だが、同様の齟齬(そご)は方々に散見される。
例えば「ストーカー規制法」は「つきまとい行為」に電子メールやSNSが想定されていなかったとして、悲惨な事件の発生ごとに法改正を重ねている。時代の変遷に追いつけず、人を守るための条文が訴えや捜査をしばり、改正を繰り返す姿は情けなくさえ映る。
国の基本となる最高法規の憲法も同様だ。福岡高裁は同性婚を認めない民法などの規定について「違憲」とした。法の下の平等を定めた憲法14条や幸福追求権を保障した13条に違反するとの判断だが、一方で婚姻の自由を定めた憲法24条1項で、婚姻は「両性の合意のみに基いて成立」すると規定している。
国語辞典を引けば「両性」は「男性と女性。雄性と雌性」と出てくる。同性の2人との解釈は日本語にない。適用対象が広い一般法より対象が特定される特別法が優先されるのは法の常識であり、この場合、24条が優先される。福岡高裁の判決は、24条を違憲としたに等しい。憲法の自己矛盾である。
憲法の制定時に同性による婚姻は想定外だったとするなら、事情はストーカー規制法と同じだ。時代への適合を言うのであれば、改憲を唱えればいい。
《平和を愛する諸国民の公正と信義に信頼して、われらの安全と生存を保持しようと決意した》とある憲法の前文が誤りであることも明らかだ。憲法で議論すべき点はたくさんある。