路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

 路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

【社説②・02.04】:災害用の物資 避難生活への備えを計画的に

2025-02-04 05:00:50 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

【社説②・02.04】:災害用の物資 避難生活への備えを計画的に

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説②・02.04】:災害用の物資 避難生活への備えを計画的に

 災害時に被災者の心身の健康を守るには、十分な食料や物資を確保し、避難生活を支えることが大切だ。国や自治体は民間団体や企業と連携し、計画的に準備を進めてほしい。 

 政府が都道府県と市区町村を対象に初めて実施した、災害用物資や機材の備蓄状況に関する調査の結果を公表した。

 米やパンなどの主食の備蓄は9279万食、水は2970万リットルなど、食料に関しては、大半の自治体で一定量を確保していた。

 問題は、被災者の生活環境を守るための物資が不十分だったことだ。段ボールベッドや仮設トイレの備蓄がない例も目立った。これでは避難生活を支えられまい。

 昨年の能登半島地震では道路が寸断され、支援物資の輸送が滞った。避難所の劣悪な環境が、災害関連死が増える一因となった。

 こうした事態を繰り返さないため、平時から必要な物資を備えておくことは、災害時の初動対応を円滑に進めるうえでも重要だ。

 政府は昨年12月に改定した自治体向けの指針に、避難所に必要な生活環境を示す国際的な基準への対応を盛り込んだ。「20人に一つのトイレ」「1人当たり最低3・5平方メートルの居住面積」などの確保を求める内容だ。

 政府は今後、自治体への財政支援を強化し、備蓄状況の公表も義務づける方針だ。自治体側も国際基準を踏まえ、必要な物資の確保を急ぐべきだ。孤立が想定される地域では備蓄の量を増やすなど、柔軟な対応が欠かせない。

 市区町村単独の取り組みには限界があるだろう。そのため、国や都道府県の支援が重要になる。

 政府は東京都立川市に設けている物資の備蓄拠点を、新たに全国7か所にも設置する。災害時に派遣する民間のトイレカーやキッチンカーの登録も進めるという。

 仮設トイレや簡易ベッドは災害時に必ず使うことになる。確保を市区町村任せにせず、国や都道府県も一定量を準備しておいて、被災地に提供すれば、避難所の効率的な運営につながるはずだ。

 昨年、大規模地震が起きた台湾では、発生直後から避難所内に間仕切りが設けられ、温かい食事も提供された。過去の地震を教訓に、自治体と民間団体や企業が連携を強めてきた成果だという。

 海外の事例も参考にして、国や自治体、民間で災害時に果たすべき役割を決めておくべきだ。

 災害時は、スーパーの商品も品薄となる。各家庭でも、一定期間生活できる備えを心がけたい。

 元稿:読売新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年02月04日  05:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【大谷昭宏のフラッシュアップ・01.20】:阪神・淡路大震災から30年 やっと言えること、まだ言えないこと

2025-02-03 08:00:40 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

【大谷昭宏のフラッシュアップ・01.20】:阪神・淡路大震災から30年 やっと言えること、まだ言えないこと

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【大谷昭宏のフラッシュアップ・01.20】:阪神・淡路大震災から30年 やっと言えること、まだ言えないこと 

 阪神・淡路大震災から30年。神戸・東遊園地の1・17のつどいで最初に出会った方の言葉は「震災の爪痕さえ、残っていないでしょ」。

 会場の一部にはルミナリエの美しい壁。まわりは高層ビルにタワーマンション。だけど人々の心のなかは、少し違っていた。親子4人が連れだった中の息子さんは、震災で母と弟を亡くして、この日、遺族代表の言葉を述べた長谷川元気さんの幼なじみ。「泳ぎやキャンプに行ったこと。元気な保育士だったお母さんも忘れてないよ、と伝えたくて」。

 娘さんと手をつないだ女性は「10歳のとき被災した私とこの子が同じ年になって、これから私の30年をしっかり伝えていこうと、ここに来ました」。階下で寝ていた1歳の娘と母を亡くしたという男性は「2、3年前まで取材は断ってきました。だけど孫に覆いかぶさってアザひとつ作らせずに亡くなった母のことを知ってほしくなって」。そう言って涙をあふれさせた。

 この日出演した東海テレビは地震当日、野戦病院と化した県立淡路病院の生々しい映像を初めて放送した。15分も懸命にCPR(心肺蘇生)をしても回復しない患者に、外科部長の「ストップ。次の人にかかろう」という厳しい声が医師の背中に飛ぶ。究極の命の選択、トリアージの原点ともいわれた救命救急医療の現場だ。

 このほかにも、いくつかの震災特番は兵庫県内の消防本部が生き埋め現場で「もう呼びかけに応答がありません。班は別の要請現場へ」と救急隊員が目を赤くして深々と頭を下げる映像を初めて公開していた。

 これらはいずれもご遺族への配慮から、やっといま公開に踏み切れたに違いない。

 30年たって言えること。それでもなお、心の奥底にしまっておきたいこと。

 この日朝、日経新聞のコラム、「春秋」は神戸の詩人、安水稔和さんのこんな言葉を載せていた。

 これはいつかあったこと/これはいつかあること/だからよく記憶すること-。

 ◆大谷昭宏(おおたに・あきひろ)ジャーナリスト。TBS系「ひるおび」東海テレビ「ニュース ONE」などに出演中。

大谷昭宏のフラッシュアップ

 ■大谷昭宏のフラッシュアップ

 元読売新聞記者で、87年に退社後、ジャーナリストとして活動する大谷昭宏氏は、鋭くも柔らかみ、温かみのある切り口、目線で取材を重ねている。日刊スポーツ紙面には、00年10月6日から「NIKKAN熱血サイト」メンバーとして初登場。02年11月6日~03年9月24日まで「大谷昭宏ニッポン社会学」としてコラムを執筆。現在、連載中の本コラムは03年10月7日にスタート。悲惨な事件から、体制への憤りも率直につづり、読者の心をとらえ続けている。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【話題・連載・「大谷昭宏のフラッシュアップ」】  2025年01月20日  08:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説・01.17】:阪神大震災30年 命守る教訓未来へつなぐ

2025-01-18 06:05:40 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

【社説・01.17:阪神大震災30年 命守る教訓未来へつなぐ

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・01.17】:阪神大震災30年 命守る教訓未来へつなぐ 

 人知を超える巨大地震の脅威を象徴していた。高速道路の橋桁が600メートル以上も横倒しになった光景が目に焼き付いている。

 復興を遂げた街で震災の爪痕を探すのは難しい。しかし今も多くの人が心に癒えぬ傷を負う。

 6千人以上が犠牲となった阪神大震災から30年を迎えた。

 市民団体が募った節目の手記には風化への危機感がにじむ。

 神戸市灘区で5歳の長女希(のぞみ)ちゃんを失った小西真希子さん(65)にとっては忘れることのできない、つらく悲しい記憶である。

 <あの日何があったのか? これから何をしなければならないのか? 学び伝えていってほしいと思います。(略)私のような思いをする人が一人でも少なくて済むように心から願っています>

 当時指弾された政府の初動の遅れは、能登半島地震でも繰り返された。震災に対する政治の認識はまだ甘く、対応は不十分だ。

 災害は社会の弱点をあぶり出す。教訓を未来につなげ命を守る備えに生かさなければならない。

 ■住宅の耐震化を急げ

 1995年1月17日午前5時46分、戦後初めて大都市を襲った直下型地震だった。兵庫県・淡路島北部を震源に神戸市などで国内史上初の震度7を観測した。

 保育士の小西さんは年1回、保育園で子どもたちに地震の話をする。必ず伝えることがある。

 当時、神戸の人たちは「神戸って地震がなくていいね」と思い込んでいた。神戸でも起きるかもしれないという気持ちを持っていれば救われた命がたくさんあったと思う、ということだ。

 日本はいつどこで大地震が起きてもおかしくない。地球を覆うプレート(岩盤)とプレートがぶつかり合っている所が列島周辺に多いからだ。

 実際に大地震は過去に何度も起きている。阪神大震災を経て地震の活動期に入ったといわれる。2004年の新潟県中越地震、05年の福岡沖地震、11年の東日本大震災、16年の熊本地震、昨年は能登半島が揺さぶられた。

 今週、宮崎県で震度5弱を観測し、気象庁は昨夏以来2回目の南海トラフ地震臨時情報を出した。今この瞬間にも大地震が起き得ると自覚したい。災害で生死を分けるのは平時の備えである。

 地震から命を守る基本は住宅の耐震化だ。阪神大震災の犠牲者の多くは家屋倒壊による圧死だった。改正建築基準法で耐震性が強化された81年より前に建てた家屋が大半だった。この問題は能登半島地震でもあらわになった。

 政府は耐震化した住宅の割合を30年までにおおむね100%にする目標を掲げる。

 18年時点で耐震性不足の住宅は全国で700万棟に上る。今も手つかずの住宅は、能登半島地震が示したように高齢化した過疎地域に多い。公的補助の拡大、低コスト工法の普及はもとより、住民意識の向上も不可欠である。

 地震があっても、住める状態で家が残れば生活再建がしやすい。

 ■「災害文化」育てよう

 阪神大震災が起きた年、被災地に全国から延べ130万人以上のボランティアが駆け付けた。市民が自発的に被災地の復旧・復興に協力する機運が高まり「ボランティア元年」と呼ばれる。

 全国社会福祉協議会が把握する災害以外を含むボランティア人口は、東日本大震災が発生した11年をピークに、新型コロナウイルス禍を経て減少傾向にある。24年は11年比25%減の約650万人だ。

 災害ボランティアに対する行政や社協の管理強化も減少の一因といわれる。能登半島地震では石川県が当初、ボランティア活動を控えるよう発信したことも響いた。

 参加者の健康や安全確保は必要だが、役に立ちたいとの思いにブレーキをかけている面もあるのではないか。個人の善意を最大限生かせる共助の仕組みが欲しい。

 私たちは災害大国に暮らす。だからこそ、過去の教訓を防災や減災につなげ、助け合う「災害文化」を育てたい。改めて誓う震災30年の節目としたい。

 元稿:西日本新聞社 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年01月17日  06:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説・01.18】:次世代へ/継承の芽を地域で育てる

2025-01-18 06:00:50 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

【社説・01.18:次世代へ/継承の芽を地域で育てる

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・01.18】:次世代へ/継承の芽を地域で育てる 

 阪神・淡路大震災の発生から30年のきのう、兵庫県内各地で追悼行事が開かれた。神戸・三宮の東遊園地には早朝までに昨年の倍近い1万人超が訪れ、祈りをささげた。

 毎年関連行事を調査している市民団体によると、この時期に県内で催される追悼行事は58件で、過去最多だった10年前の「震災20年」と比べてほぼ半減した。主催者の高齢化や資金難などが背景にあり、新型コロナウイルス禍で中断したままの行事もあるという。

 一方、今年初めて企画された催しや、会場を移すなどして復活した行事もある。年月を重ねて地域に根付いたものは簡単にはなくならない。被災地の記憶を伝える取り組みを、まちの未来を語り合う場として次の世代につないでいきたい。

 震災を知らない若者に、何をどう継承するかが共通の課題となる。

 27回目を数える「1・17KOBEに灯(あか)りをinながた」が開かれたJR新長田駅前広場(神戸市長田区)では、市内の複数大学の学生ボランティアが会場設営などを担った。

 区社会福祉協議会や地域のNPOなどでつくる実行委員会に参加した「神戸大学ボランティアバスプロジェクト」は実行委の歩みを紹介するパネルを作った。ボラバス代表の4年生井上光起(こうき)さん(24)は「ここまで長く続いたのは地域の人のつながりがあるから。震災を知らない私たちもオープンに受け入れてくれた。一緒に活動するうちに、長田の歴史や文化をしっかり学んで、伝えたいと思うようになった」と話す。

 神戸市は、3月に予定する「震災30年市民フォーラム」の企画運営を震災後生まれの実行委員に委ねた。公募に応じた10~20代の13人が復興や防災に取り組んできた団体などに取材し、プログラムを練る。担当する市危機管理室の高槻麻帆係長(45)も震災当時は中学生だった。「震災を知らない世代に関心を持ってもらうため、彼ら自身が知りたいことを出発点に自分たちに何ができるかを考えてほしい」と見守る。

 兵庫県では震災後生まれが4分の1を占める。神戸市では震災を経験していない市民が半数を超える、との推計もある。彼らにとって阪神・淡路は「教科書で学ぶ災害」となり、自分ごととしてはとらえにくい。今回ボランティアに参加していた学生からも「震災30年とは知っていても、自分が関わることを想像していなかった」との声を複数聞いた。

 だからこそ、被災者と直接対話し、活動する機会は貴重だ。若者同士や多世代の交流の場を増やし、若者が主役となる事業などで後押しする必要がある。継承の芽を地域ぐるみで大切に育てなければならない。

 元稿:神戸新聞社 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年01月18日  06:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説・01.17】:語り継ぐ/一人でも多くの命守るために

2025-01-18 06:00:40 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

【社説・01.17:語り継ぐ/一人でも多くの命守るために

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説・01.17】:語り継ぐ/一人でも多くの命守るために 

 あの日、激しい揺れとともに平穏な日常が一瞬にして奪われた。死者6434人、行方不明者3人。あまりにも多くの命が失われた阪神・淡路大震災の発生から、きょうで30年になる。各地で追悼行事が営まれ、遺族らが静かに祈りをささげる。癒えることのない悲しみを胸に、それでも前を向いて懸命に生きる人々の姿がある。支える人たちがいる。

                 震災犠牲者の名前が問いかける

 30年を経た今も、災害で多くの命が奪われ続けるという現実に向き合うとき、教訓の風化はあり得ない。最優先すべきは命を守ることだ。犠牲者を一人でも減らすために、何ができるのか。生き残った者の責任として、備えを重ね、社会のありようを問い続けていかねばならない。遺族らの営みと紡ぐ言葉から改めて体験を語り継ぐ意味を考えたい。

                ◇

 突然の悲劇は遺族に深い心の傷を残す。心理カウンセラーで関西大バレーボール部監督の岡田哲也さん(56)=尼崎市=は、震災で同居する両親と帰省中の姉、めいの4人を亡くした。西宮市の木造2階建ての実家は激震で全壊し、2階で寝ていた岡田さんは近くに住む親戚に助け出されたが、1階にいた4人が家の下敷きになって亡くなった。

 「自分の重みが家族を殺した」。岡田さんは長く罪悪感にさいなまれてきた。勤務先では気丈に振る舞ったが、一人になると泣いた。自殺しようと思った日もある。生きたくても生きられなかった両親らを思い、逃げずに生きようと決心したが、悲嘆は癒えることがなかった。

 ■失うことと向き合う

 震災から9年が過ぎた2004年の夏、転機が訪れる。夕方と夜に2回地震があり、翌日、涙が止まらなくなった。会社の医務室で看護師に相談した。罪悪感や喪失感を初めて他人に打ち明けた。「一人で頑張ってきたんやね」と声をかけられ、岡田さんは心が少し軽くなった。

 「つらい経験をした自分だからこそ、多くの人に寄り添える」と約1年後に心理カウンセラーの資格を取り、退職して活動を始めた。現在は企業や大学で多くの相談に応じる。

 今の岡田さんにとって、母校・関西大のバレーボール部員たちは家族のように思えるかけがえのない存在だ。監督として技術、精神面を支え、被災体験も伝える。「震災で知ったのは『当たり前』の大切さ。後悔がないよう、今を大事に生きてほしい」。部員への言葉は過去に自らに言い聞かせた言葉でもある。

 今年も17日は4人の名前が刻まれた西宮震災記念碑公園を訪ねる。命を落とした人たちの名前一つ一つに生きた日々、悲しみや苦しみ、失われた希望がある。その事実を何年たとうとも忘れないと肝に銘じる。

 ■悲しみ繰り返さない

 同じ悲しみを繰り返さない-。その意志は発災から30年にわたり阪神・淡路の被災地に宿り続ける。

 神戸・三宮の東遊園地にあるガス灯「希望の灯(あか)り」は震災から5年後に完成し、今も市民の手で大切に守られている。設置に取り組んだ神戸市在住の俳優、堀内正美さん(74)は「犠牲者への慰霊だけでなく、生き残った人々が一歩を踏み出せる場が必要だった」と振り返る。

 30年間、ボランティア活動に打ち込み、遺族支援にも尽力してきた。原点となる震災当日の「悲劇」を昨秋出した著書で初めて明かした。

 倒壊家屋の太い梁(はり)に挟まれた男児がいた。救出しようとしたがびくともしない。火が迫り、男児のそばを離れようとしない母親を数人がかりで引き離した。後日、母親は心を病み、その地を去ったと聞いた。「正しい行動だったのか、今も答えは出ない」。生々しい葛藤が残る。

 喪失と悲嘆は誰にでも訪れる。家族を失い、悲しみに暮れる人が他者のために何かをすることで希望を抱いていく。悲傷を超える連帯の場をつくろうとしてきた30年だった。

 人々がつらい記憶を伝えてきたのは「一人でも多くの命を守りたい」との強い思いがあるからだ。死者に祈り、生きるとは何かを考える。その大切さを胸に刻み込む。

 元稿:神戸新聞社 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年01月17日  06:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【阪神淡路大震災から30年】:天皇、皇后両陛下が、追悼式典に出席「得られた知見、次の世代へ」

2025-01-17 17:12:30 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

【阪神淡路大震災から30年】:天皇、皇后両陛下が、追悼式典に出席「得られた知見、次の世代へ」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【阪神淡路大震災から30年】:天皇、皇后両陛下が、追悼式典に出席「得られた知見、次の世代へ」 

 天皇、皇后両陛下は17日、神戸市の兵庫県公館で催された阪神大震災の30年追悼式典に出席された。天皇陛下はあいさつで、犠牲者に哀悼の意を表した上で「震災の経験と教訓を基に、安全で安心して暮らせる地域づくりが進められるとともに、得られた知見が国の内外に広がり、次の世代へと引き継がれていくことを期待する」と述べた。

阪神大震災の追悼式典で黙とうされる天皇、皇后両陛下(共同)阪神大震災の追悼式典で黙とうされる天皇、皇后両陛下(共同)

 両陛下は皇太子時代の1995年に発生間もない被災地を訪れた。陛下は「互いに励まし助け合い、懸命に前へ進もうとする姿は、今もなお脳裏に深く刻み込まれている」と語った。

 震災を経験していない世代が増える中で「若い人たちが自主的に学び、考え、自分の言葉で発信し、次世代へつないでいこうとする活動に取り組んでいると聞き、心強く思う」とした。

 両陛下は祭壇に花を供え、深く拝礼した。

 式典に先立ち、被災地を支援する団体と懇談した。住民から震災経験を聞き取り、語り部活動をする高校2年吉元孝輔さん(17)は、震災後に生まれた世代が当時を知る人と話す場をつくっていると説明した。陛下は「世代間の交流は大切ですね」とし、皇后さまは「若い力は大きいですね」と笑顔を見せた。

 兵庫県内の学校教職員で構成する「震災・学校支援チーム(EARTH)」の養護教諭三村理加さん(60)は、能登半島地震での活動を紹介した。心のケアについて、両陛下は「早期に関わることが大事ですね」と話した。

 「人と防災未来センター」に移り、地元の小学生が防災を学ぶ様子を見学した。(共同)

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【災害・地震・阪神淡路大震災から30年】  2024年01月17日 17:12:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説①・01.17】:阪神大震災30年 京滋でも「事前復興」の議論を

2025-01-17 16:00:50 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

【社説①・01.17:阪神大震災30年 京滋でも「事前復興」の議論を

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①・01.17】:阪神大震災30年 京滋でも「事前復興」の議論を 

 大規模ビルが林立し、巨大モニュメント「鉄人28号」が力強く右腕を空に突き出す。神戸市長田区のJR新長田駅前に広がる風景は、がれきと焼け跡の街から劇的な復興を遂げたように映る。

JR新長田駅南側の若松公園に設置されている「鉄人28号」の巨大モニュメント。高さは約15m。神戸市出身で同漫画の作者である故・横山光輝氏にちなんで、阪神大震災の復興と、商店街活性化のシンボルとして設置された(写真:日経クロステック)
JR新長田駅南側の若松公園に設置されている「鉄人28号」の巨大モニュメント。高さは約15m。神戸市出身で同漫画の作者である故・横山光輝氏にちなんで、阪神大震災の復興と、商店街活性化のシンボルとして設置された(写真:日経クロステック)

 「一見すると、素晴らしいまちに見えるでしょう。でも人通りはなく、にぎわいは戻らない。借金だけが残った」。近くの大正筋商店街で日本茶販売店を営む伊東正和さん(76)は表情を曇らせる。

 かつて下町情緒があふれていた地域には、「創造的復興」を掲げた行政主導の再開発事業で商業ビルやマンションなど44棟を建設。昨年11月に最後の1棟が完成した。だが商業フロアの6割が売れ残り、シャッターを下ろした店舗が目立つ。商店街振興組合長も務めた伊東さんは「復興は失敗。過大な再開発は人災です」と言い切る。

 6434人の命を奪った阪神大震災からきょうで30年となる。

 観測史上初の震度7を神戸などで記録し、約25万棟が全半壊。交通や水道、電気などあらゆるライフラインが破壊された。巨額予算を投じて復興事業を急いだ半面、被災者の声の反映や生活支援が後回しになったとの批判は根強い。

 生まれ変わった街の姿と、住民らの嘆きは、復興とは何かという問いを改めて突き付ける。

 ◆積み残しの課題多く 

 一方で、私たちの日常を襲う震災から、人命や生活を守るため、さまざまな仕組みがつくられる契機となった。

 危機管理の在り方が問われ、地震観測体制や災害備蓄の整備、インフラや公的施設、学校などの耐震化が進められた。

 初動の人命救助では、全国の消防や警察が広域で緊急援助隊を組む体制がとられ、医療関係者による災害派遣チーム(DMAT)も各地に生まれた。

 全国から救援に駆けつける人が相次ぎ、「ボランティア元年」とも呼ばれた。活動を促進する一つとして、1998年のNPO法の制定につながった。

 被災者や市民団体による政策提言も相次いだ。住宅再建への公的支援を求める声に、国は「私有財産に公費は投じられない」と否定的だったが、超党派の議員立法で98年に被災者生活再建支援法が成立。当初100万円だった支給上限額は300万円に増え、その後の被災地での生活再建を支えた。

 だが地域や災害によっては行き届いておらず、自治体財政への負担など懸案は積み残ったままだ。

 ◆避難所の改善が急務 

 特に深刻なのは、災害で助かった命を守る環境づくりである。

 1年前の能登半島地震でも、多くの人が避難所で雑魚寝を強いられた。食事は質も量も不十分な状況が続き、不衛生なトイレが問題となった。被災した自宅での避難や車中泊を余儀なくされ、体調を壊す人が相次いだ。

 過酷な避難生活が要因の「災害関連死」が後を絶たない。

 政府は先月、避難所運営の指針を改定した。1人当たりの面積などで国際基準の反映を目指す。避難初期からベッドや温かい食事が提供されるイタリアにも学び、抜本的な体制整備を急ぎたい。

 阪神大震災以降、災害関連のさまざまな法制度が整えられたが、兵庫県の被災地などで活動を続ける津久井進弁護士は「被災者を守る本質がないがしろにされている」と話す。

 避難所の劣悪な環境が改善されない要因も、運営を当該の市町村に委ねる災害対策基本法にあるとかねて指摘されている。被災した職員に過剰な負担がかかり、ノウハウがない多くの自治体は対応しきれない状況を生んでいる。

 ◆伴走型支援の普及へ 

 国や都道府県が一段と踏み込み、災害弱者への福祉や民間との連携を促す仕組みが求められる。

 ソフト面の対策で近年注目されるのは、被災者一人一人の状況に応じて伴走型支援を行う「災害ケースマネジメント」だ。東日本大震災で仙台市が先駆的に行い、能登地震でも医療者が取り組んだ。

 国も有効性を認めるが、資金や運用などは現場任せのままだ。普及には公的な関与が鍵を握る。

 この30年で日本は少子高齢化と人口減が加速、地域のつながりは希薄になった。インフラの老朽化が進み、市町村合併や財政難で自治体の防災力低下も懸念される。

 こうした状況は京都、滋賀にも当てはまり、防災の在り方を見直す必要が増している。

 京都市は木造住宅の密集地域が多く、狭い路地には消防車が入りにくい。火災の延焼リスクは高いが、建物の耐震化は十分でなく、対策を強めなければならない。

 奥能登では、交通アクセスが限られる「半島の防災」も課題として浮上した。丹後半島をはじめ京滋でも孤立集落が続出し、救援や復旧に支障が出る恐れがある。

 災害が起こる前から、将来を見据えたまちづくりを話し合い、被害最小化の準備を進める「事前復興」の視点が欠かせない。

 災害列島に暮らす私たちには、公助も共助も自助も必要だ。阪神大震災とその後の災害の教訓を問い直し、身の回りの備えをはじめ、自治体の施策や国の役割を一つ一つ点検したい。

 元稿:京都新聞社 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2025年01月17日  16:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【阪神淡路大震災から30年】:斎藤元彦知事が追悼式典で訴え、「災害はいつどこで起きるか分からない」

2025-01-17 13:40:50 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

【阪神淡路大震災から30年】:斎藤元彦知事が追悼式典で訴え、「災害はいつどこで起きるか分からない」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【阪神淡路大震災から30年】:斎藤元彦知事が追悼式典で訴え、「災害はいつどこで起きるか分からない」 

 兵庫県の斎藤元彦知事(47)は17日、1995年の阪神大震災の発生から30年となったこの日、神戸市で行われた県などの主催による追悼式典に出席し、式辞を述べた。

 式典には、天皇、皇后両陛下も出席された。

 斎藤知事は「ふるさとに未曽有の被害をもたらした阪神・淡路大震災から、30年の歳月が過ぎました」と切り出し、両陛下の臨席や来賓の出席に感謝の意を表明しながら「尊い犠牲となられた6400名を超える方々に心から哀悼の誠をささげるとともに、悲しみを胸にさまざまな苦難を乗り越え、街の復興や生活再建へと歩んでこられたみなさま、復旧、復興にお力添えをいただいたすべての皆さまに敬意と感謝の意を表します」とも語った。

阪神大震災の追悼式典で式辞を述べる兵庫県の斎藤元彦知事(共同)

 斎藤氏は「この30年間、日本列島を数々の大災害が襲った。そのたびに人々は大きな悲しみに耐えながら復旧復興に立ち上がり、その経験や教訓のバトンを次なる災害への対策につなげてきました。阪神・淡路大震災では138万人ものボランティアが駆け付け、災害ボランティアの取り組みが全国に広がる契機となりました」と指摘。「『こころのケア』の必要性が広く認識され、災害派遣医療チーム(DMAT)など、各分野の専門家による支援体制も生まれた。法律に基づく被災者生活再建支援制度も阪神・淡路の震災をきっかけに多くの方々のご尽力で実現した」と語った。

 その上で「兵庫県で提唱された創造的復興の理念と実践は、国連の仙台防災枠組に盛り込まれ、国内外の災害復興の基本理念となった。多くの方々のご努力の結果、防災減災の取り組みは着実に前進しつつあります。私たちは歩みを止めることなく、より災害に強い社会を実現していかなければなりません」と呼びかけた。

 昨年の元日に発生した能登半島地震にも触れ「道路や水道インフラの寸断による集落の孤立や避難所の衛生環境悪化など、さまざまな課題が顕在化した」とした上で、その課題を踏まえて県の防災計画や訓練にも反映する取り組みを進めていることに言及。「災害は、いつどこで起こるか分からない。私たちはこのことを今、あらためて胸に刻みつけなければなりません。そのために必要なのは、災害の記憶や30年間の歩みを風化させないということです」などと訴えた。

 阪神・淡路大震災では、兵庫県を中心に甚大な被害が発生。6434人が犠牲となった。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【災害・地震・阪神淡路大震災から30年】  2024年01月17日 13:40:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【1995年の阪神大震災から30年】:6434人が亡くなった、午前5時46分の発生時間に黙とう 

2025-01-17 13:40:40 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

【1995年の阪神大震災から30年】:6434人が亡くなった、午前5時46分の発生時間に黙とう

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【1995年の阪神大震災から30年】:6434人が亡くなった、午前5時46分の発生時間に黙とう 

 6434人が亡くなった1995年の阪神大震災は17日午前5時46分、発生から30年となった。甚大な被害から復興へと歩んできた各地では、被災者や遺族らが祈りをささげ、節目の年を越えて記憶をつなぐ決意を新たにした。兵庫県などが主催する追悼式典には天皇、皇后両陛下も出席された。

阪神大震災から30年となった早朝の神戸市街。追悼行事が行われた東遊園地には「よりそう 1・17」の文字が浮かび上がった(共同)

 神戸市中央区の公園「東遊園地」では「1・17のつどい」があり、発生時刻に合わせ黙とう。会場には竹や紙の灯籠約6500本が並び、被災者を忘れず能登半島地震などの被災地とともに歩んでいく思いを込めた「よりそう 1・17」の文字が浮かび上がった。

 神戸市主催の追悼の集いも開かれ、震災で母と弟を亡くした同市垂水区の小学校教諭長谷川元気さん(38)が遺族代表として「より多くの人に防災・減災のスタートラインに立ってもらえるよう、震災から得た教訓を語り継いでいく」と誓った。久元喜造市長は「悲しみを忘れることなく記憶とともに新たな時代へと歩み続ける」と述べた。

 兵庫県公館での追悼式典では天皇陛下が「得られた知見が国の内外に広がり、次の世代へと引き継がれていくことを期待します」とあいさつした。斎藤元彦知事らも出席し「1・17ひょうご安全の日宣言」が読み上げられる。

 震源となった同県淡路市の北淡震災記念公園では、遺族らが淡路島の犠牲者数と同じ63個の竹灯籠を池に浮かべた。同県西宮市の西宮震災記念碑公園では、犠牲者の名を刻んだ石碑に白いカーネーションが供えられた。(共同)

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【災害・地震・阪神淡路大震災から30年】  2024年01月17日 12:52:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【阪神大震災から30年】:「もう30年」「元気にやってるよ」祖母を、親友を思い

2025-01-17 07:44:30 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

【阪神大震災から30年】:「もう30年」「元気にやってるよ」祖母を、親友を思い

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【阪神大震災から30年】:「もう30年」「元気にやってるよ」祖母を、親友を思い 

 阪神大震災(1995年)の発生から30年を迎えた17日、各地で追悼行事が開かれている。兵庫県西宮市の西宮震災記念碑公園では震災が起きた午前5時46分、犠牲になった市民ら1086人の氏名が刻まれた追悼の碑の前で遺族らが祈りをささげた。

犠牲者の名が刻まれた追悼の碑に手を合わせる人たち=兵庫県西宮市で2025年1月17日午前5時31分、稲田佳代撮影

 市内の自宅が全壊し、同居していた祖母の藤田松枝さん(当時87歳)を亡くした浦田恵子さん(54)は、母親や娘らと訪れ、静かに手を合わせた。「もう30年たつのかという思い。娘には、震災で命を落とした家族がいることを感じてほしい」と話した。

 元稿:毎日新聞社 主要ニュース 社会 【災害・地震・阪神大震災から30年】  2025年01月17日  07:44:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《24色のペン・01.17》:阪神大震災から30年 心の傷と向きあうということ=堀山明子

2025-01-17 06:00:10 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

《24色のペン・01.17》:阪神大震災から30年 心の傷と向きあうということ=堀山明子

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《24色のペン・01.17》:阪神大震災から30年 心の傷と向きあうということ=堀山明子 

 阪神大震災が起きた1995年は「心のケア元年」と言われる。大規模災害で居場所や家族を失った精神的な痛みにどう向き合うか。その難題を被災者だけに背負わせず、社会全体で支えようという意識が広がった時期だ。

<picture><source srcset="https://cdn.mainichi.jp/vol1/2025/01/16/20250116k0000m030061000p/9.webp?1" type="image/webp" />映画「港に灯がともる」の統括プロデューサーを務めた安成洋さん=東京都渋谷区で2024年12月17日、堀山明子撮影</picture>
映画「港に灯がともる」の統括プロデューサーを務めた安成洋さん=東京都渋谷区で2024年12月17日、堀山明子撮影

 あれから30年。被害が大きかった現場の一つ、神戸市長田区で被災した在日韓国人家族の葛藤を描いた映画「港に灯(ひ)がともる」が震災の日にあたる17日、全国で封切りされる。映画のスクリーンから、被災者やその家族、住民がいま直面する生きづらさが、登場人物の息づかいを通じて伝わってくる。

 ◆言葉にできないなら映像に

 プロデューサーの安成洋(せいよう)さん(60)は、2000年に肝細胞がんで39歳の若さで他界した在日韓国人の精神科医、安克昌(かつまさ)さんの実弟。自身も神戸で被災した安医師は避難所などで被災者や支援者の不安に耳を傾け、「心の傷を癒すということ」と題したエッセーを96年に出版。本は11年の東日本大震災後には精神科医の教科書のように読まれ続け、著書と同名のタイトルでNHKドラマが20年に全4回で放送された。

 ドラマを機に、考証役として家族史を掘り起こした成洋さんの人生が変わった。本業の行政書士を続けながら、劇場版製作委員会を立ち上げ、学校や公民館など約170会場で上映と対話活動を始めた。反響のメールや手紙は約3000通にのぼる。「ようやく震災の映像を見られるようになった」という声もあった。

 成洋さんは震災の心の傷痕の深さを改めて思い知ると同時に、兄が死の間際に書いた最後の文章を思い出した。言葉にならない被災者の心の傷には「震災を生き延びた私はこの後どう生きるのか」という問いが含まれており、この問いに関心を持たずして心のケアはないと指摘していた。そのうえでこう記している。

 「それを理解するよりも前に、苦しみがそこにある、ということにわれわれは気づかなくてはいけない」

 この言葉の意味を考え続けた成洋さんは23年、映画製作会社を設立し、新作映画に着手した。「被災者がずっと抱えてきた思いを私が代わって言語化することは難しいけれど、映像でなら表現できることがある」と思えたという。

 ◆世代またがるトラウマ

 映画は震災の記憶が世代ごとに異なり、親子間の気持ちのズレが生じていく様子を繊細に描いている。震災の記憶と在日1世の昔の苦労をごちゃまぜに混沌(こんとん)と語る在日2世の父親は、娘が反発すると「そんなことも分からんのか」と声を荒らげ、家族の中で孤立していく。

 「私は板挟みの在日2世の気持ちに近いかな」と成洋さんは語りながら、世代を超えて連鎖するトラウマの構図を解説した。

 「映画で説明はないけれど、1世は日本の植民地時代につらく怖い思いをしたり、解放後には独裁政権の政治弾圧を逃れて日本に来たり、何か歴史的なトラウマを抱えているかもしれない。苦労話を繰り返し聞かされた2世は、子供に伝えようとしても自分の体験ではないから言葉にできない。3世はプレッシャーを背負い切れない。それぞれ生きづらさは違うけれど、傷の形を変えて、トラウマの世代間伝達が起きていると思うんです」

 心の傷を歴史、震災、在日と分野別に縦割りでは切り取れない。安医師は著書で、トラウマ体験の記憶は非言語的で断片的なため、芋づる式に他のトラウマと結びつきやすいと書いている。傷だけでなく、その人の人生を見るようにと説いたのは、自身もマイノリティーとして生き、心の痛みは重層的だと敏感に感じていたからなのだろうか。

 ◆聞く人がそばにいてこそ

 何十年か過ぎて何かのきっかけでトラウマが一気に社会現象となることはある。トラウマの経緯は異なるが、私はこの映画試写会の直前、韓国でそのうねりを見た。…、

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 元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【24色のペン】  2025年01月17日  06:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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《阪神大震災から30年》:「心の回復には時間かかる」、安達もじりさん監督の思い 映画「港に灯(ひ)がともる」

2025-01-17 06:00:00 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

《阪神大震災から30年》:「心の回復には時間かかる」、安達もじりさん監督の思い 映画「港に灯(ひ)がともる」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《阪神大震災から30年》:「心の回復には時間かかる」、安達もじりさん監督の思い 映画「港に灯(ひ)がともる」 

 阪神大震災から30年の節目の封切りを目指し、クラウドファンディングを経て製作された映画「港に灯(ひ)がともる」が17日から全国で上映される。被災者の心のケアに奔走し、2000年に病死した在日韓国人の精神科医、安克昌(かつまさ)さんをモデルにしたNHKドラマ「心の傷を癒すということ」(20年放送)の劇場版製作委員会メンバーらによる企画だ。

映画「港に灯がともる」の撮影現場での安達もじり監督=2024年、平野愛さん撮影

映画「港に灯がともる」の撮影現場での安達もじり監督=2024年、平野愛さん撮影

 ドラマを演出した安達もじりさん(48)が、映画監督としてメガホンをとった。主人公は震災の翌月に生まれた在日3世の女性で、父親のトラウマを受け止めきれずに傷つきながら、自身の歩幅で歩き出そうとする物語。震災体験者だけでなく、次世代が背負う心の傷にも光を当てている。安達監督は毎日新聞のインタビューに「心の傷の回復には時間がかかる。人それぞれのペースでいいと感じてもらえれば」と作品への思いを語った。【堀山明子】

 ◆多文化共生社会での心の傷

 ――ドラマ「心の傷~」からの流れで在日を主人公に設定したのですか。ドラマから映画に至る経緯を教えてください。

 ◆ドラマ放送の翌21年に劇場版の全国上映活動があり、大きな反響がありました。震災のことを伝え続けたいと、製作委員会のメンバーから新しい映画をつくりませんかと依頼されました。

 与えられたお題は、震災から30年の公開で、神戸を舞台に、心のケアをテーマにしてほしいという三つだけ。最初から在日の設定で決めていたわけではありません。最も被害が大きかった神戸市長田区で取材を進めていくうちに、さまざまなルーツを持つ方々が暮らし、多文化共生的な助け合いがあったという話を聞き、現代的な視点でテーマになりうるんじゃないかと思いました。

 また、ドラマは精神科医の目線の物語でしたが、この映画は…、

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 元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 国際 【アジア・オセアニア・韓国・阪神大震災から30年の節目の封切りを目指し、クラウドファンディングを経て製作された映画「港に灯(ひ)がともる」】  2025年01月17日  06:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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【阪神・淡路大震災30年】:「今自分にできることは何か」、遺族のことば

2025-01-17 05:57:30 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

【阪神・淡路大震災30年】:「今自分にできることは何か」、遺族のことば

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【阪神・淡路大震災30年】:「今自分にできることは何か」、遺族のことば

 ◆遺族代表・長谷川元気さん 追悼のことば(全文)

 阪神・淡路大震災が発生した30年前の今日、私は小学校2年生でした。その当時、古い木造2階建てのアパートの1階の部屋に、父と母、年子の弟の陽平、1歳半の弟の翔人、そして私の、家族5人で住んでいました。震災が発生し、アパートの2階部分が1階に落ちてきて、1階の部屋は押しつぶされました。父と陽平と私は、押しつぶされた家の隙間(すきま)にいて奇跡的に助かりましたが、母と翔人は、大きな洋服ダンスの下敷きになり、亡くなりました。

 母は、保育園の先生だったこともあり子どもと遊ぶのが上手でした。私だけでなく近所の子どもたちも巻き込んで、おにごっこやかくれんぼをして一緒に遊んでくれました。温かく、活気に満ちあふれた人でした。 

 弟の翔人とは、よく、電車ごっこやサッカーをして遊びました。サッカーボールを転がすと「バン!」と音がなるくらい勢いよく蹴り返してきました。将来は、きっと立派なサッカー選手になれる、自慢の弟でした。

 そんな母と翔人が亡くなったと知ったとき、私はとても後悔しました。「どうして、もっと母を優しく、いたわることができなかったのだろう。どうして、もっと翔人と一緒に遊んであげられなかったのだろう。もっと、母と翔人の笑顔が見たかった。もっと、母と翔人と一緒にいたかった」。そのとき、私は初めて知りました。今、自分の周りにいてくれている大切な人は、いて当たり前じゃない。一瞬にしていなくなってしまうこともあるのだ、ということを。

<picture><source srcset="https://cdn.mainichi.jp/vol1/2025/01/17/20250117k0000m040030000p/9.webp?1" type="image/webp" />遺族代表として追悼のことばを述べる長谷川元気さん=神戸市中央区で2025年1月17日午前5時48分、山本康介撮影</picture>
遺族代表として追悼のことばを述べる長谷川元気さん=神戸市中央区で2025年1月17日午前5時48分、山本康介撮影

 家族や親戚、友達といった、自分の周りにいる人の有難さ。そして、日常の有難さを身をもって知りました。

 「後悔のないよう、1日1日を大切に生きよう。自分を支えてくれている周りの人に目を向け、感謝の気持ちを伝えよう」

 このことを胸に刻み、この30年間、生きてきました。

 父は、震災25年目に、関西テレビの取材で「奥さんと子どもを失ってつらいはずなのに、めげずに子どもたちを育てられたのはどうしてですか」と聞かれたとき、こう答えました。

 「それは、2人の子どもたちが生きていてくれたからです。この子たちをなんとか立派に育てなあかんと、必死でした。もし、2人も亡くなって私1人になっていたら、何もできなかったでしょうね」

<picture><source srcset="https://cdn.mainichi.jp/vol1/2025/01/17/20250117k0000m040025000p/9.webp?1" type="image/webp" />阪神大震災から30年の朝、「1・17のつどい」で竹灯籠(とうろう)に火をともす人たち=神戸市中央区の東遊園地で2025年1月17日午前5時22分、滝川大貴撮影</picture>
阪神大震災から30年の朝、「1・17のつどい」で竹灯籠(とうろう)に火をともす人たち=神戸市中央区の東遊園地で2025年1月17日午前5時22分、滝川大貴撮影

 父は、震災後に建てた自宅の1室を教室にし、学習塾を経営しながら、その傍らで料理や洗濯などの家事をして私と弟を育ててくれました。そのおかげで、今の私があります。本当に感謝しています。

 年子の弟の陽平は、好きな漫画のことを語り合ったり、カードゲームをして遊んだりできる、唯一無二の親友のような存在です。陽平のおかげで、震災後も毎日を楽しく過ごせました。ありがとう。

 私は「自分の周りにいる人の大切さ」や「日常の有り難さ」など、震災から得た教訓をより多くの方々に伝えたいと思い、「語り部KOBE1995」に加入し、現在はグループの代表として、語り部活動を行っています。

 震災から30年がたち、神戸に住む半数以上の方が「震災を知らない世代」になったと聞きます。これから、ますます震災の記憶が風化し、いざ大地震が起こったときに、その教訓が生かされなくなる恐れがあります。それを防ぐためには、震災遺構や、震災の記録を残して後世に引き継ぐこととともに、災害を受けた人々の気持ちや教訓を語り継ぐことも大切だと思います。私の母と弟の翔人は、タンスの下敷きになって亡くなりました。家具の固定をしっかりしていれば、命は助かったかもしれません。また、震災後すぐは食べ物や飲み物がなく、何も食べられない日がありました。避難リュックを用意していれば、困らずに済んだかもしれません。

<picture><source srcset="https://cdn.mainichi.jp/vol1/2025/01/17/20250117k0000m040031000p/9.webp?1" type="image/webp" />遺族代表として追悼のことばを述べる長谷川元気さん=神戸市中央区で2025年1月17日午前5時51分、山本康介撮影</picture>
遺族代表として追悼のことばを述べる長谷川元気さん=神戸市中央区で2025年1月17日午前5時51分、山本康介撮影

 語り部の生の話を聞くことで、災害を「自分事として捉える」こと。そして「今自分にできることは何か」を考える、つまりは「防災・減災のスタートラインに立つ」ことが大切だと思います。

 ここ神戸に住む震災を知らない世代だけでなく、より多くの方々に防災・減災のスタートラインに立ってもらえるよう、これからも震災から得た教訓を、語り継いでいきます。

 令和7年(2025年)1月17日 長谷川元気

 元稿:毎日新聞社 主要ニュース 社会 【災害・地震・阪神・淡路大震災30年】  2024年01月17日 05:57:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【阪神・淡路大震災30年】:「よりそう」の文字浮かぶ 東遊園地で灯籠に火が点灯

2025-01-17 05:55:30 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

【阪神・淡路大震災30年】:「よりそう」の文字浮かぶ 東遊園地で灯籠に火が点灯

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【阪神・淡路大震災30年】:「よりそう」の文字浮かぶ 東遊園地で灯籠に火が点灯

  死者6434人を出した阪神大震災(1995年)の発生から30年を迎えた17日早朝、犠牲者を追悼するための行事「1・17のつどい」が開かれる神戸市中央区の東遊園地では、会場に並べられた数千本の灯籠(とうろう)に火がともされ、「よりそう」の文字が浮かび上がった。 

<picture><source srcset="https://cdn.mainichi.jp/vol1/2025/01/17/20250117k0000m040032000p/9.webp?1" type="image/webp" />阪神大震災から30年を迎え、灯籠(とうろう)の火で浮かび上がった「よりそう 1.17」の文字を囲んで黙とうする人たち=神戸市中央区で2025年1月17日午前5時46分、中川祐一撮影</picture>
阪神大震災から30年を迎え、灯籠(とうろう)の火で浮かび上がった「よりそう 1.17」の文字を囲んで黙とうする人たち=神戸市中央区で2025年1月17日午前5時46分、中川祐一撮影

 文字は公募された53件の候補から選ばれた。震災当時から今に至るまで、被災者や遺族同士が寄り添い続けてきたことを踏まえて、つどいの実行委員会が決めた。東日本大震災(2011年)や能登半島地震(24年)の被災地も忘れずに支えようという思いが込められている。

 会場では震災が発生した午前5時46分、犠牲者に黙とうがささげられ、遺族代表が追悼のことばを述べる。東日本大震災と能登半島地震の発生時刻に合わせ、午後2時46分と同4時10分にも黙とうがある。【山本康介】

 元稿:毎日新聞社 主要ニュース 社会 【災害・地震・阪神・淡路大震災30年】  2024年01月17日 05:55:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【阪神・淡路大震災30年】:発生の午前5時46分に合わせて被災地で黙とう

2025-01-17 05:53:30 | 【災害・地震・津波・台風・竜巻・噴火・落雷・豪雪・大雪・暴風・土石流・気象状況】

【阪神・淡路大震災30年】:発生の午前5時46分に合わせて被災地で黙とう

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【阪神・淡路大震災30年】:発生の午前5時46分に合わせて被災地で黙とう

 死者6434人を出した阪神大震災(1995年)の発生から30年を迎えた17日、兵庫県内の各地で追悼行事が営まれ、発生時刻の午前5時46分に合わせて犠牲者に黙とうがささげられた。

 
<picture><source srcset="https://cdn.mainichi.jp/vol1/2025/01/17/20250117k0000m040025000p/9.webp?1" type="image/webp" />阪神大震災から30年の朝、「1・17のつどい」で竹灯籠(とうろう)に火をともす人たち=神戸市中央区の東遊園地で2025年1月17日午前5時22分、滝川大貴撮影</picture>
阪神大震災から30年の朝、「1・17のつどい」で竹灯籠(とうろう)に火をともす人たち=神戸市中央区の東遊園地で2025年1月17日午前5時22分、滝川大貴撮影

 神戸市中央区の東遊園地で開かれている追悼行事「1・17のつどい」では「よりそう」の文字をかたどるように並べられた数千本の灯籠(とうろう)の火の前で、来場者が手を合わせて震災で亡くなった大切な人に思いをはせた。

 「よりそう」は震災当時から今に至るまで、被災者や遺族同士が寄り添い続けてきたことを踏まえて、つどいの実行委員会が決めた。東日本大震災や能登半島地震の被災地のことも忘れずに支えようという思いも込められており、黙とうはそれぞれの地震の発生時刻(午後2時46分と同4時10分)にも予定されている。【山本康介】

 元稿:毎日新聞社 主要ニュース 社会 【災害・地震・阪神・淡路大震災30年】  2024年01月17日 05:53:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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