路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

 路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

【訃報】:紀藤正樹弁護士「衝撃。悲しすぎる」元兵庫県議の死去報道受けXに思いをつづる

2025-01-19 16:28:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報】:紀藤正樹弁護士「衝撃。悲しすぎる」元兵庫県議の死去報道受けXに思いをつづる

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報】:紀藤正樹弁護士「衝撃。悲しすぎる」元兵庫県議の死去報道受けXに思いをつづる

 紀藤正樹弁護士は19日、自身のX(旧ツイッター)を更新し、斎藤元彦兵庫県知事の疑惑告発文書問題を厳しく追及し、インターネット上で誹謗(ひぼう)中傷を受けたことを理由に、県議を辞職していた竹内英明氏(50)の死去が報じられたことを受けて、哀悼の意を示した。

紀藤正樹氏(2022年7月撮影)

 竹内氏は県議会会派「ひょうご県民連合」に所属し、斎藤知事の疑惑に対する県議会調査特別委員会(百条委員会)の委員を務めていた。昨年11月の知事選の際に、中傷が過熱したことを受け、投開票後の18日に議員辞職した。

 選挙戦では、斎藤氏を応援する目的で立候補した政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏が、竹内氏ら、委員に関する情報などを街頭やネット上で発信。県民連合幹部によると、立花氏がSNS上で竹内氏の自宅に行くと予告するなどし、家族を守るために辞職を決断したと説明されていた。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【訃報・地方自治・兵庫県・県議会100条委員会委員】  2024年01月19日 16:28:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【訃報】:東国原英夫氏「この死、何とか防げなかったのか」元兵庫県議死亡に

2025-01-19 15:12:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報】:東国原英夫氏「この死、何とか防げなかったのか」元兵庫県議死亡に

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報】:東国原英夫氏「この死、何とか防げなかったのか」元兵庫県議死亡に 

 元宮崎県知事でタレントの東国原英夫氏(67)が19日、X(旧ツイッター)を更新。斎藤元彦兵庫県知事の疑惑告発文書問題を厳しく追及し、インターネット上で誹謗(ひぼう)中傷を受けたことを理由に県議を辞職していた竹内英明氏(50)の死去に言及した。

東国原英夫氏(2024年1月撮影)

 竹内氏は県議会会派「ひょうご県民連合」に所属し、県議会調査特別委員会(百条委)の委員を務めていた。昨年11月の知事選の際に、中傷が過熱したことを受け、投開票後の18日に議員辞職した。

 選挙戦では、斎藤氏を応援する目的で立候補した政治団体「NHKから国民を守る党」党首の立花孝志氏が、竹内氏ら、委員に関する情報などを街頭やネット上で発信。県民連合幹部によると、立花氏がSNS上で竹内氏の自宅に行くと予告するなどし、家族を守るために辞職を決断したと説明されていた。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【訃報・地方自治・兵庫県・県議会100条委員会委員】  2024年01月19日 15:13:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【訃報】:立岩陽一郎氏、元兵庫県議死亡に「本当に深刻に考えないといけない」

2025-01-19 12:43:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報】:立岩陽一郎氏、元兵庫県議死亡に「本当に深刻に考えないといけない」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報】:立岩陽一郎氏、元兵庫県議死亡に「本当に深刻に考えないといけない」

 ジャーナリスト立岩陽一郎氏が19日、X(旧ツイッター)を更新。斎藤元彦兵庫県知事の疑惑告発文書問題を厳しく追及し、インターネット上で誹謗(ひぼう)中傷を受けたことを理由に県議を辞職した竹内英明氏(50)が死亡したことについて言及した。

※写真はイメージ※写真はイメージ

 立岩氏は、竹内氏の死亡を報じる記事を引用し、「また一人、犠牲者を出してしまったということか。本当に深刻に考えないといけない」と指摘した。

 疑惑を巡っては、斎藤氏のパワハラなどを指摘した元県西播磨県民局長が、百条委への証人出席を前に亡くなった。また、プロ野球阪神とオリックスの優勝パレードの資金集めを担当し、病気療養中と記されていた元課長が昨年4月に死亡していたことが明らかになっている。

 竹内氏は県議会会派「ひょうご県民連合」に所属し、県議会調査特別委員会(百条委)の委員を務めていた。昨年11月の知事選期間中に中傷が過熱したことを受け、17日の投開票後の18日に議員辞職していた。

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【訃報・地方自治・兵庫県・県議会100条委員会委員】  2024年01月19日 12:43:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【訃報】:斎藤元彦兵庫県知事を追及の元県議が死去 百条委委員、誹謗中傷受け辞職

2025-01-19 12:32:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報】:斎藤元彦兵庫県知事を追及の元県議が死去 百条委委員、誹謗中傷受け辞職

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報】:斎藤元彦兵庫県知事を追及の元県議が死去 百条委委員、誹謗中傷受け辞職

 斎藤元彦兵庫県知事の疑惑告発文書問題を厳しく追及し、インターネット上で誹謗(ひぼう)中傷を受けたことを理由に県議を辞職した竹内英明氏(50)が死去したことが19日、関係者への取材で分かった。関係者によると、18日夜、姫路市の自宅で家族が異変に気付き救急搬送を要請。死亡が確認された。

※写真はイメージ※写真はイメージ

 竹内氏は県議会会派「ひょうご県民連合」に所属し、県議会調査特別委員会(百条委)の委員を務めていた。昨年11月の知事選期間中に中傷が過熱したことを受け、17日の投開票後の18日に議員辞職した。

 選挙戦では、斎藤氏を応援する目的で立候補した政治団体「NHKから国民を守る党」党首立花孝志氏が、竹内氏を含む委員に関する情報などを街頭やネット上で発信。県民連合幹部によると、立花氏が交流サイト(SNS)上で竹内氏の自宅に行くと予告したり、デマ情報を流したりして生活が脅かされ、家族を守るために辞職を決断したとの説明を受けていた。(共同)

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【訃報・地方自治・兵庫県・県議会100条委員会委員】  2024年01月19日 12:32:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《金言・01.10》:家を建てた元大統領=小倉孝保

2025-01-10 02:01:20 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

《金言・01.10》:家を建てた元大統領=小倉孝保

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《金言・01.10》:家を建てた元大統領=小倉孝保 

 <kin-gon>

 ジョギングを好んだ米大統領は少なくない。ブッシュ(父と子)、クリントン各氏も走った。

 メディアを前にジョギングを始めたのは、昨日国葬が営まれたカーター氏(100歳で死去)だと言われている。在任中の1979年9月には、倒れそうになり周囲を慌てさせた。

 退任の3年後、ニューヨーク市をジョギング中、建設現場を目撃する。国際NGO「ハビタット・フォー・ヒューマニティー」のボランティアたちが貧困層に住宅を提供しようと活動していた。

 カーター氏は妻ロザリンさん(2023年死去)に手伝おうと持ちかけた。大工道具を持った経験のない妻は、食事の用意ならできるかなと思って参加する。

 ■この記事は有料記事です。残り677文字(全文972文字)

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 元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【金言】  2025年01月10日  02:01:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《余録・01.07》:「我が国では最終的決定は民主的に行われ…

2025-01-07 02:03:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

《余録・01.07》:「我が国では最終的決定は民主的に行われ…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《余録・01.07》:「我が国では最終的決定は民主的に行われ…

 「我が国では最終的決定は民主的に行われ、過激な提案や思慮に欠ける提案は穏健化される」。昨年末に亡くなったカーター元米大統領は2002年のノーベル平和賞授賞式で米政治の長所を強調した

大統領候補に選ばれたニュ-ヨークでの民主党大会で支持者に手を振るカーター夫妻=1976年7月15日、AP

 ▲「私はウソをつかない」はジョージア州知事から1976年大統領選に出馬した際のキャッチフレーズ。南部出身者の善良さにベトナム戦争やウォーターゲート事件のトラウマを癒やしたい国民が期待を寄せた

 ▲文化や芸術を愛し、5年前のドキュメンタリー映画「ロックンロール大統領」にはボブ・ディランさんら伝説のミュージシャンとの交流が描かれた。イラン大使館人質事件や物価高騰に翻弄(ほんろう)され再選を果たせなかったが、引退後の43年間に人柄が表れた

大磯の旧吉田茂邸で行われた2回目の日米首脳会談終了後、ワイシャツ姿で旧吉田邸の庭を散策するカーター米大統領と大平正芳首相=神奈川県大磯町で1979年6月、平嶋彰彦撮影

 ▲講演料は受け取らず、年金とベストセラーを含めた30以上の著作の印税が収入源。30代で建てた故郷の質素な家に終生暮らした。77年間苦楽を共にした妻のロザリンさんと平和や貧困、疾病撲滅を訴えて世界を回る傍ら、家具を作り、油絵を描いた

 ▲トランプ次期米大統領の支持者らが連邦議会を襲撃した事件から4年。「ウソをつかないように努力した最後の大統領」と評される敬虔(けいけん)なキリスト者には極端な議論がまかり通る政治が不可解だっただろう

 ▲最後は病院治療を断り、自宅でのホスピス生活を選んだ。人生百年時代を体現した米大統領初の「センテナリアン(百歳以上の長寿)」。9日の国葬後、自ら掘った池の木のそばに1年先に亡くなった妻と共に葬られるという。

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《滝野隆浩の掃苔記・01.05》:「弔われない人」なくせ

2025-01-05 02:01:10 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

《滝野隆浩の掃苔記・01.05》:「弔われない人」なくせ

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《滝野隆浩の掃苔記・01.05》:「弔われない人」なくせ

 <滝野隆浩の掃苔記(そうたいき)>

 引き取り手のない遺体・遺骨に各自治体がどう対応しているのか。全国調査の結果が昨年12月、相次いで公表された。急増しているのに統一した決まりがないため、現場は混乱している。この問題に早くから取り組んでいる日本総研の岡元真希子・副主任研究員に話を聞いた。

 頼る人がいない1人暮らしの人が急死したら、市区町村の職員はまず身寄り捜しに苦労する。ようやく捜し当てても遺体引き取りを断られることも多い。最後は自治体が火葬や埋葬をするのだが、統一ルールはない。その実態が12月21日、国立歴史民俗博物館(歴博)主催のシンポジウムで公表された。また雑誌「日経グローカル」(12月16日発行)は「『無縁死社会』 増す自治体負担」という特集で全国自治体調査の結果を報告している。

 見えてきたのは遺骨の保管期間も場所も、残された金品の処理手順もバラバラな現況だった。供養をするかどうかも自治体判断だが、「歴博調査」では6割以上は「儀礼なし」と回答。その人の生前の情報がないと、職員は供養すらできないのだ。 

 ■この記事は、有料記事です。残り501文字(全文961文字)

 ■続きは、有料会員登録後、お読み下さい。

 元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【滝野隆浩の掃苔記】  2025年01月05日  02:01:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【天風録・12.31】:カーターさんと鐘

2024-12-31 07:00:40 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【天風録・12.31】:カーターさんと鐘

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【天風録・12.31】:カーターさんと鐘

 年越しそばが並んだ広島市中区本通の土産物店「ひろしま夢ぷらざ」で見つけた。広島県三次市甲奴町特産の「カーターピーナッツ」。包装袋の真ん中に貼った星条旗と日の丸のシールが誇らしげだ

 ▲種は23年前、米ジョージア州でピーナツ農園を営む政治家から譲り受けた。かつて大統領の座にあったジミー・カーターさんである。甲奴町には以後、その名前を付けた生涯学習拠点や通り、野球場までできた。今で言う地域活性化の先駆けだろう

 ▲弾みをつけたのがカーターさんのノーベル平和賞受賞である。紛争の平和的解決に力を傾け、長年いがみ合うエジプトとイスラエルの和平に道を開いた。人道支援にも尽くした人生のページをおととい閉じた。100歳だった

 ▲甲奴町とは、釣り鐘が取り持つ縁である。町内の寺から戦時供出の憂き目に遭い、なぜかジョージア州に渡っていた。カーターさんも警鐘を鳴らし続けた。「力による平和」を危ぶみ、足を運んだ中東で今戦火が広がり、北朝鮮もきなくささを増す

 ▲<一年のこだまとなりて除夜の鐘>児玉三枝。以前の中国俳壇から引いた。内外の情勢に心のざわついた一年。こよい、百八の鐘にどんな思いが浮かぶか。

 元稿:中國新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【天風録】  2024年12月31日  07:00:00  これは参考資料です。転載等は、各自で判断下さい。

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【産経抄】:「産経抄」35年書き続けた名コラムニスト石井英夫さん逝く

2024-12-31 05:03:35 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【産経抄・12.30】:「産経抄」35年書き続けた名コラムニスト石井英夫さん逝く

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【産経抄・12.30】:「産経抄」35年書き続けた名コラムニスト石井英夫さん逝く

 『産経抄』を35年にわたり執筆した石井英夫さんは、読者からの問い合わせがあると、必ず自分で応対した。執筆中のある日、「今日の産経抄について聞きたい」と読者から卓上に電話がかかってきた。

洒脱かつ鋭い世相分析で知られた石井英夫さん

 ▼「今日、私何を書きましたっけ?」と返す石井さんに、読者は「今日書いたことをもう忘れるのか」。石井さんは苦笑交じりに言ったという。「明日のことを書きながら電話を受けているので、今日までの分をいったん忘れないと前へ進めないんです」

 ▼世の中の全てのニュースは哀歓苦楽を伴う。「忘れる」は、それらの感情を引き受け、筆を執るコラムニストの重責の暗喩ではなかったか。週6日の執筆を重ねること35年、その数は1万本に上る。産経抄を小紙の顔へと育てた石井さんの訃報が届いた。91歳だった。

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 元稿:産経新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【産経抄】  2024年12月30日  05:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《斜面・12.29》:こころざしのリレー

2024-12-29 09:31:45 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

《斜面・12.29》:こころざしのリレー

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《斜面・12.29》:こころざしのリレー

 年末になると著名人の墓碑銘が新聞に載る。

 各方面で活躍して逝った方々に自らの記憶を重ね、事績を振り返る読者も多いだろう。

 名の知れた人ばかりではない。

 地域に、身近な人の輪に、確かな足跡を残して去った人々もしのばれる

 ◆長野市生活就労支援センター「まいさぽ長野市」の…、

 ■この記事は、会員限定の記事です。(残り461文字/全文591文字)

 ■続きは、会員登録後、お読み下さい。

 元稿:信濃毎日新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【斜面】  2024年12月29日  06:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【訃報】:「浜松のスズキ」を「世界のSUZUKI」へ 死去のスズキ・鈴木修相談役

2024-12-27 16:38:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報】:「浜松のスズキ」を「世界のSUZUKI」へ 死去のスズキ・鈴木修相談役

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報】:「浜松のスズキ」を「世界のSUZUKI」へ 死去のスズキ・鈴木修相談役

 スズキは27日、鈴木修相談役が死去したと発表した。94歳だった。

 国内メーカーに先んじて進出したインドでトップシェアを誇る企業に育て上げ、「浜松のスズキ」を「世界のSUZUKI」へと脱皮させた。提携先の米ゼネラル・モーターズ(GM)の経営破綻、独フォルクスワーゲン(VW)との提携失敗などの危機も乗り越えた。ユーモアあふれる語り口、気さくな人柄でも愛されたスズキの〝中興の祖〟だった。

スズキの鈴木修相談役

 ◆招かれざる客

 中央相互銀行(現在の愛知銀行)に入行したが、鈴木自動車工業(当時)の創業家に2代目の鈴木俊三社長の娘婿として入ったのを機に自動車業界へ転身。当時のことを「招かれざる客だった」と振り返っており、将来を約束された「プリンス」に対し、周辺からは反発もあったようだ。だが、社員とのコミュニケーションについて「行動で示すことが一番だ」と話していた通り、経営の実績でトップとしての能力を証明してみせた。

 ◆インドに進出

 最も語り継がれる功績は、インドへの進出だろう。インフラ設備も脆弱で労働環境も異なる状況だったが、社内の反対を押し切った。「どこかで一番になりたい、と考えた。自動車メーカーのない国に行けばいいと思った」と振り返っていた。日本式経営を地道に浸透させ、インド政府との合弁会社をトップメーカーに育て上げた。

 リーマン・ショック後の自動車業界再編をめぐり、平成21年12月、独自動車大手フォルクスワーゲン(VW)との包括提携協定に合意。しかし、VWがスズキを支配する意向を示したため、法廷闘争の末に提携を解消。28年にはトヨタ自動車と「業務提携に向けた検討開始」で合意し、豊田章男社長(当時)と並んで会見を開いた。

 ◆ユニークな「修語録」

 鈴木氏を語るうえで欠かせないのがユニークな表現を交えた「修語録」の数々。GMとの提携発表では「GMはクジラで、スズキはメダカではなく蚊。蚊は空高く舞い上がり飲み込まれない」と発言。70歳の時に高齢を指摘されると、「僕の年齢は7掛けで厄年(49歳)だ」と切り返した。

 もっとも、存在感の大きさゆえに、世代交代には苦労した。12年に会長へと退いたものの、跡継ぎとして期待をかけていた娘婿の取締役は50代の若さで急死。この過程で復帰した社長職を27年に長男の俊宏氏に譲ったが、その後も会長として社内外で絶大な影響力を持ち続けた。

 高齢でも勇退せず、俊宏社長がリーダーシップを発揮できる環境を整えないことに対する批判もあったが、令和3年に会長を退任し、相談役となった。40年以上にわたり、社長と会長として、スズキの経営をリードし、「仕事一筋」の生涯を全うした。(高橋寛次)

 元稿:産経新聞社 主要ニュース 社会 【訃報】  2024年12月27日  16:38:00  これは参考資料です。転載等は、各自で判断下さい。

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【訃報】:スズキの鈴木修元会長が死去 94歳 「アルト」「ワゴンR」…軽自動車の普及に尽力

2024-12-27 16:23:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報】:スズキの鈴木修元会長が死去 94歳 「アルト」「ワゴンR」…軽自動車の普及に尽力

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報】:スズキの鈴木修元会長が死去 94歳 「アルト」「ワゴンR」…軽自動車の普及に尽力 

 元稿:産経新聞社 主要ニュース 社会 【訃報】  2024年12月27日  16:23:00  これは参考資料です。転載等は、各自で判断下さい。

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【産経抄・12.25】:中国資本の影、高すぎる東京の火葬料金

2024-12-25 05:03:40 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【産経抄・12.25】:中国資本の影、高すぎる東京の火葬料金

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【産経抄・12.25】:中国資本の影、高すぎる東京の火葬料金

 「一、葬式無用 一、戒名不用」。遺言書の全文という。戦後の混乱期に、吉田茂の側近としてGHQと折衝した白洲次郎である。昭和60年の晩秋に永眠した際、遺族らは東京都内の自宅で追悼の酒盛りを営み、葬儀に代えたと聞く。

東京博善が運営する火葬場の一つ「四ツ木斎場」=東京都葛飾区

 故人の思いをくんで、簡素で湿っぽさのない弔いだったらしい。亡きがらは、桐ケ谷斎場(品川区)で荼毘(だび)に付されている(『白洲次郎 占領を背負った男』北康利著)。告別式などのセレモニーを営まずに火葬場へ向かう、いわゆる直葬である。

 白洲が現代の火葬事情を知れば苦い顔をするに違いない。23区内9カ所の火葬場のうち7つは民営で、桐ケ谷など6斎場は同じ運営会社である。公共性の高い事業でありながら、6斎場の運営会社が令和2年の春に中国資本の傘下となって以降、火葬料金は著しく値上がりした。

 ■会員限定の記事です。

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 元稿:産経新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【産経抄】  2024年12月25日  05:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説②・12.20】:渡辺恒雄氏死去 権力と新聞問われた距離

2024-12-21 04:05:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【社説②・12.20】:渡辺恒雄氏死去 権力と新聞問われた距離

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説②・12.20】:渡辺恒雄氏死去 権力と新聞問われた距離 

 読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が死去した。発行部数最大の全国紙トップとして経営、社論をリードした。新聞業界での存在感は極めて大きかったが、98歳の生涯への評価はそこにとどまらない。
 
 戦後間もない時期から政治記者として頭角を現し、大野伴睦氏、中曽根康弘氏ら多くの保守政治家たちと親交を結んだ。
 
 戦後政治の最後の生き証人であるとともに、政界に隠然たる影響力を及ぼし続け、新聞人としてのあり方に批判があった。
 新聞の役割とは何か、権力との距離をどう取るべきか。民主主義社会を支えるジャーナリズムのあるべき姿について改めて考えさせられる訃報である。
 読売新聞は渡辺氏が代表取締役社長・主筆だった1994年に自衛力保持などを明記した「憲法改正試案」を発表した。新聞社の改憲提言に賛否双方の立場から反響は大きかった。
 紙面を通じた世論形成に加えて、政局の舞台裏で言論人としての「のり」を越えたといわれても仕方のない逸話の数々を本人自ら語っている。
 2007年に浮上した自民、民主両党の大連立構想で仕掛け人となったのは記憶に新しい。
 86年に中曽根内閣が行った衆参同日選、いわゆる「死んだふり解散」の前、同日選を合憲・合法的に実施する方法を確認し建白書を中曽根氏に提出したと回顧録で明かしている。「同日選挙でなければ、自民党は勝てないからね」と理由を述べた。
 政治の動きを国民に正しく伝えるために、権力中枢の情報をつかむ取材力は記者に求められる要素だ。だがその大目的は国が誤った方向に進み、国民を不幸に陥れないよう権力を監視することにある。
 権力者に間近で接しつつ緊張関係を保つ。裏金問題が政治への信頼を根底から揺るがしている今、報道に携わる者が忘れてはならない鉄則だろう。
 改憲など読売の保守的な社論をけん引した渡辺氏だが、過去の戦争を肯定するような主張とは明確に一線を画した。
 終戦間近の19歳の時に召集を受け、「理不尽な暴力が支配する」軍隊生活に反感を抱いた。
 
 軍国主義を忌み嫌った原体験からだろう。日本の戦争責任を検証する長期連載を主導し、首相の靖国神社参拝や靖国の歴史観には批判的だった。
 
 「若い人たちに、戦争を知らなかった人たちに、戦争を知らせないといかん」と晩年のインタビューで語った。戦争体験者がほぼ姿を消した政界全体でかみしめてもらいたい言葉だ。
 
 元稿:北海道新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2024年12月20日  04:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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《余録・12.20》:東京の開成中時代…

2024-12-21 02:01:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

《余録・12.20》:東京の開成中時代…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《余録・12.20》:東京の開成中時代…

  東京の開成中時代、むやみに暴力をふるう教練の配属将校に橋の上から罵声を浴びせた。戦争末期、東大入学後に2等兵として召集され、古参兵に殴られた。理不尽な暴力に「反軍精神」が燃え盛った

中曽根康弘元首相(手前右)の9回目の年男を祝う会で乾杯のあいさつをする渡辺恒雄・読売グループ本社代表取締役会長・主筆=東京都内のホテルで2014年5月28日午後7時、梅村直承撮影

 ▲98歳で亡くなった読売新聞主筆の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)さん。政治記者時代に大野伴睦(おおの・ばんぼく)元衆院議長や中曽根康弘(なかそね・やすひろ)元首相ら大物政治家に食い込んだ。回顧録には戦後政治の裏面史が満載だ

劇的なサヨナラで巨人の優勝が決まり、喜ぶ渡辺恒雄オーナー=東京都文京区の東京ドームで2000年9月24日、松田嘉徳撮影

 ▲「野心と無邪気――仕掛けて書きまくり“毀誉褒貶(きよほうへん)”はなはだしくなる大記者」。「オーラルヒストリー」そのものの回顧録を聞き取った政治学者の御厨貴(みくりや・たかし)さんの「ナベツネ」評だ

 ▲1960年の安保闘争で東大生の樺美智子(かんば・みちこ)さんが亡くなった際、頼まれて政府声明を書き、86年には中曽根氏に「死んだふり解散」を進言した。2007年には自民党と民主党の大連立構想を仕掛けたといわれた

 ▲メディアの一線を越えてはいないか。疑問が残るが、大記者も時代の産物だろう。政治課題が複雑化し、大物政治家も姿を消した。渡辺さんも「いまや総理大臣であっても、自分の思い通りにならない」と語っている

 ▲憲法改正を提言する一方、戦争責任を追及した。「反軍精神」は晩年になっても健在。靖国参拝に固執した小泉純一郎(こいずみ・じゅんいちろう)首相に「15日に行っちゃいかん」と伝えた。「僕らがいなくなると、あの残虐な戦争の実態を知らない人たちばかりになって、観念論争になっちゃうんじゃないかと心配だ」。来年は戦後80年。戦争を自ら体験した先達の言葉を心に留めたい。

 元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【余録】  2024年12月20日  02:04:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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