路地裏のバーのカウンターから見える「偽政者」たちに荒廃させられた空疎で虚飾の社会。漂流する日本。大丈夫かこの国は? 

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【社説②・12.20】:渡辺恒雄氏死去 権力と新聞問われた距離

2024-12-21 04:05:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【社説②・12.20】:渡辺恒雄氏死去 権力と新聞問われた距離

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説②・12.20】:渡辺恒雄氏死去 権力と新聞問われた距離 

 読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏が死去した。発行部数最大の全国紙トップとして経営、社論をリードした。新聞業界での存在感は極めて大きかったが、98歳の生涯への評価はそこにとどまらない。
 
 戦後間もない時期から政治記者として頭角を現し、大野伴睦氏、中曽根康弘氏ら多くの保守政治家たちと親交を結んだ。
 
 戦後政治の最後の生き証人であるとともに、政界に隠然たる影響力を及ぼし続け、新聞人としてのあり方に批判があった。
 新聞の役割とは何か、権力との距離をどう取るべきか。民主主義社会を支えるジャーナリズムのあるべき姿について改めて考えさせられる訃報である。
 読売新聞は渡辺氏が代表取締役社長・主筆だった1994年に自衛力保持などを明記した「憲法改正試案」を発表した。新聞社の改憲提言に賛否双方の立場から反響は大きかった。
 紙面を通じた世論形成に加えて、政局の舞台裏で言論人としての「のり」を越えたといわれても仕方のない逸話の数々を本人自ら語っている。
 2007年に浮上した自民、民主両党の大連立構想で仕掛け人となったのは記憶に新しい。
 86年に中曽根内閣が行った衆参同日選、いわゆる「死んだふり解散」の前、同日選を合憲・合法的に実施する方法を確認し建白書を中曽根氏に提出したと回顧録で明かしている。「同日選挙でなければ、自民党は勝てないからね」と理由を述べた。
 政治の動きを国民に正しく伝えるために、権力中枢の情報をつかむ取材力は記者に求められる要素だ。だがその大目的は国が誤った方向に進み、国民を不幸に陥れないよう権力を監視することにある。
 権力者に間近で接しつつ緊張関係を保つ。裏金問題が政治への信頼を根底から揺るがしている今、報道に携わる者が忘れてはならない鉄則だろう。
 改憲など読売の保守的な社論をけん引した渡辺氏だが、過去の戦争を肯定するような主張とは明確に一線を画した。
 終戦間近の19歳の時に召集を受け、「理不尽な暴力が支配する」軍隊生活に反感を抱いた。
 
 軍国主義を忌み嫌った原体験からだろう。日本の戦争責任を検証する長期連載を主導し、首相の靖国神社参拝や靖国の歴史観には批判的だった。
 
 「若い人たちに、戦争を知らなかった人たちに、戦争を知らせないといかん」と晩年のインタビューで語った。戦争体験者がほぼ姿を消した政界全体でかみしめてもらいたい言葉だ。
 
 元稿:北海道新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2024年12月20日  04:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。
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《余録・12.20》:東京の開成中時代…

2024-12-21 02:01:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

《余録・12.20》:東京の開成中時代…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《余録・12.20》:東京の開成中時代…

  東京の開成中時代、むやみに暴力をふるう教練の配属将校に橋の上から罵声を浴びせた。戦争末期、東大入学後に2等兵として召集され、古参兵に殴られた。理不尽な暴力に「反軍精神」が燃え盛った

中曽根康弘元首相(手前右)の9回目の年男を祝う会で乾杯のあいさつをする渡辺恒雄・読売グループ本社代表取締役会長・主筆=東京都内のホテルで2014年5月28日午後7時、梅村直承撮影

 ▲98歳で亡くなった読売新聞主筆の渡辺恒雄(わたなべ・つねお)さん。政治記者時代に大野伴睦(おおの・ばんぼく)元衆院議長や中曽根康弘(なかそね・やすひろ)元首相ら大物政治家に食い込んだ。回顧録には戦後政治の裏面史が満載だ

劇的なサヨナラで巨人の優勝が決まり、喜ぶ渡辺恒雄オーナー=東京都文京区の東京ドームで2000年9月24日、松田嘉徳撮影

 ▲「野心と無邪気――仕掛けて書きまくり“毀誉褒貶(きよほうへん)”はなはだしくなる大記者」。「オーラルヒストリー」そのものの回顧録を聞き取った政治学者の御厨貴(みくりや・たかし)さんの「ナベツネ」評だ

 ▲1960年の安保闘争で東大生の樺美智子(かんば・みちこ)さんが亡くなった際、頼まれて政府声明を書き、86年には中曽根氏に「死んだふり解散」を進言した。2007年には自民党と民主党の大連立構想を仕掛けたといわれた

 ▲メディアの一線を越えてはいないか。疑問が残るが、大記者も時代の産物だろう。政治課題が複雑化し、大物政治家も姿を消した。渡辺さんも「いまや総理大臣であっても、自分の思い通りにならない」と語っている

 ▲憲法改正を提言する一方、戦争責任を追及した。「反軍精神」は晩年になっても健在。靖国参拝に固執した小泉純一郎(こいずみ・じゅんいちろう)首相に「15日に行っちゃいかん」と伝えた。「僕らがいなくなると、あの残虐な戦争の実態を知らない人たちばかりになって、観念論争になっちゃうんじゃないかと心配だ」。来年は戦後80年。戦争を自ら体験した先達の言葉を心に留めたい。

 元稿:毎日新聞社 東京朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【余録】  2024年12月20日  02:04:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【産経抄・12.20】:「たかが選手」、言葉の力と怖さを思う

2024-12-20 05:03:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【産経抄・12.20】:「たかが選手」、言葉の力と怖さを思う

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【産経抄・12.20】:「たかが選手」、言葉の力と怖さを思う 

 取材メモの日付には、「平成16年7月7日」とある。「100年議論すれば十分なのか? 1年も必要ない。2カ月あれば十分だ」。東京都内で開かれたプロ野球オーナー会議を取材した折の、巨人・渡辺恒雄オーナーの発言である。

報道陣に囲まれる渡辺氏。球界に絶大な影響力を誇った=平成16年、東京都内

 ▼近鉄とオリックスの球団合併に端を発した球界再編の議論は、雪崩を打つように1リーグ制移行へと傾いていた。古田敦也氏(ヤクルト捕手)が会長として束ねる選手会の反発をよそに、「最終決定機関はオーナー会議だ」と渡辺氏はにべもない。

 ▼スポーツ担当の記者にとって、直言をいとわぬナベツネ氏は功罪相半ばする存在だった。発言が見出しになる半面、一語一語の力が強すぎ、物事の既成事実化をメディアが手伝いかねない恐れもあった。1リーグ制に賛意を示す渡辺氏の声がいつになく大きかったのを思い出す。

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 元稿:産経新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【産経抄】  2024年12月20日  05:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【訃報・渡辺恒雄氏死去】:歴代首相と深い親交、政権の指南役としても存在感

2024-12-20 05:00:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報・渡辺恒雄氏死去】:歴代首相と深い親交、政権の指南役としても存在感

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報・渡辺恒雄氏死去】:歴代首相と深い親交、政権の指南役としても存在感 

 19日死去した読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄氏は歴代首相と深い関係を築き、時の政権の指南役としても存在感を発揮した。2007年の福田康夫内閣では自民、民主両党間で浮上した大連立構想に関わるなど、政治記者として育んだ政界の人脈は与野党に幅広く及んだ。

 ■渡辺恒雄氏死去、政財界から悼む声…菅義偉氏「日本のあるべき姿について、意見を聞きたくなる人だった」

 「政治家を動かし、政局を動かしていく新聞記者だった」

 吉田茂・元首相を祖父に持つ麻生太郎・元首相は19日、渡辺氏をこう評価した。

自民党の大野伴睦氏(中央)に取材する政治部時代の渡辺氏(右端)
自民党の大野伴睦氏(中央)に取材する政治部時代の渡辺氏(右端)

 渡辺氏は吉田氏以降の歴代首相を取材し、個人的な親交も持つことで戦後政治の最前線に立ち続けた。頭角を現した大野伴睦・自民副総裁の番記者時代には、政局や外交にも深く関与したことで知られる。 

 鳩山一郎・元首相とは、私邸の音羽御殿に足しげく通うことで信頼を得て、孫の由紀夫氏(後に首相)らの遊び相手になったこともあった。由紀夫氏は「私たちが(渡辺氏に)馬乗りになって、遊んでくれたと聞いている。かわいがっていただいた」と振り返った。

 特に親交が深かったのが中曽根康弘・元首相で、読書会を通じて政治や国際関係などを学び合った。長男の中曽根弘文・元外相は「常に日本の行く末を案じ、ともに議論し 切磋琢磨せっさたくま してきた志を同じくする最も近しい友人だった」と懐かしんだ。

「少子化への対応を推進する国民会議」であいさつする小渕首相(右端)と委員として出席した渡辺社長(中央、当時)=1999年6月
「少子化への対応を推進する国民会議」であいさつする小渕首相(右端)と委員として出席した渡辺社長(中央、当時)=1999年6月

 自民の茂木敏充・前幹事長は「中曽根元首相と読書会を毎週やっていた話など、色々な話をうかがった。とても勉強熱心で、生涯ジャーナリストだった。戦後政治の生き証人、大切な方を失ってしまった」としのんだ。

 「すごい記者がいるものだと思った」

 こう振り返ったのは福田康夫・元首相だ。この日発表した談話では、父の赳夫氏が自民幹事長だった際、渡辺氏が自宅を訪れて膝詰めで話し込んでいた思い出に触れ、「その後、私自身も様々な場面で御指南を賜った。今もって明らかにできない密議もある」と述懐した。

 渡辺氏は福田氏の首相在任時、小沢一郎・民主党代表との間で大連立構想の仲介に立った。自民幹事長だった伊吹文明・元衆院議長は「国益のためには主義・主張や党派を超えて国民のために政治の意思決定をしなければならない、という憂国の情を持っていた」と指摘した。

 小沢氏は「今でもあの時、大連立をやっていれば、もう少し立憲民主党も政党らしい政党に成長できたんじゃないかと思う」と残念がった。

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【訃報・渡辺恒雄氏死去】:政財界から悼む声…菅義偉氏「日本のあるべき姿について、意見を聞きたくなる人だった」

2024-12-20 01:13:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【訃報・渡辺恒雄氏死去】:政財界から悼む声…菅義偉氏「日本のあるべき姿について、意見を聞きたくなる人だった」

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【訃報・渡辺恒雄氏死去】:政財界から悼む声…菅義偉氏「日本のあるべき姿について、意見を聞きたくなる人だった」

 渡辺恒雄氏が死去したことを受け、歴代首相らは記者団の問いかけに対して生前の交流を思い出し、口々に別れを惜しんだ。

 ■渡辺恒雄氏、スポーツ界発展や活字文化振興に尽力…「出版文化守る」と中央公論社支援も

岸田前首相
岸田前首相

 自民党の岸田文雄・前首相は「父の旧制高校の同級生で、若い頃から親しく指導していただいた。厳しい一面も示された方ではあるが、私にとっては絶えず心を温める優しい人柄だった」と述べた。「言論人として大きな影響を日本の戦後の歴史に残された。一つの時代が終わった」とも振り返った。 

 菅義偉・元首相は「経営者、ジャーナリストとして、日本全体を見て何を政治に求めるかを考えていた。日本のあるべき姿を考える時に、どうしても意見を聞きたくなる人だった。安倍晋三・元首相もよく(話を)聞いていた」と語った。

 森喜朗・元首相は「巨星  つという言葉では物足りない。我々にとっては最も良き相談相手というか、父親という感じがした。難しい問題があれば相談に乗ってもらえた」と悼んだ。

 民主党政権末期を率いた立憲民主党の野田佳彦・元首相は、尖閣諸島(沖縄県)の国有化問題について相談するため、2012年に渡辺氏を首相公邸に招いた。「『歴代の首相とたくさんお付き合いしてきたが、公邸に招いてくれたのはあなたが最初だ』とうれしそうだった」と懐かしんだ。

 額賀衆院議長は「新聞記者出身の政治家として、公私ともにご指導いただいた。時代を先導してきた論客を失うことは大きな損失だ」とのコメントを出した。

 経済界からも渡辺氏の死去を悼む声が相次いだ。

 財界関係者らでつくる読売巨人軍の応援組織「 燦燦さんさん 会」の会長を務めるキヤノンの御手洗冨士夫会長兼社長CEO(最高経営責任者)は「長年の親交を通じて、生粋の愛国者であり、常に日本の将来を案じておられたと感じていた。今はただご 冥福めいふく をお祈り申し上げたい」とするコメントを寄せた。

 経団連の十倉雅和会長(住友化学会長)はコメントで「長年にわたり、日本の言論界を力強く 牽引けんいん され、歴代国家指導者の指南役として、わが国の発展に大きく寄与された」としのんだ。

 トヨタ自動車の豊田章男会長はコメントで「私が社長に就任した際、経営者である前に人としてどうあるべきか、1対1で長い時間をかけて話してくださった。情報があふれ、価値観が多様化し、善悪の区別が難しくなる中、日本や未来をもっとよくするために働くことの大切さを教えていただいた」と述べた。

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【評伝】:渡辺恒雄さん、新聞社の枠超え存在感 学生時代は政治活動に傾倒

2024-12-20 00:10:50 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【評伝】:渡辺恒雄さん、新聞社の枠超え存在感 学生時代は政治活動に傾倒

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【評伝】:渡辺恒雄さん、新聞社の枠超え存在感 学生時代は政治活動に傾倒

 読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄さんが19日未明、肺炎のため、都内の病院で亡くなった。98歳だった。渡辺さんは、東大文学部哲学科卒業後の1950年、読売新聞社に入社。プロ野球巨人のオーナーや日本新聞協会会長も務めた。

巨人渡辺恒雄オーナーは自身の前立腺がんについて淡々と話した(1998年1月撮影)

                  ◇  ◇ 

 渡辺さんは「ナベツネ」の呼び名で広く知られ、新聞社の経営トップの枠を超えた影響力を持つ存在だった。学生時代は哲学を追究し、終戦直後は共産党で政治運動にも取り組んだ。

 渡辺さんの著書などによると、幼少期に父と姉を病気で亡くした。死に向き合うため哲学を志すようになり東大に進学。在学中に召集された。

 戦後は、天皇制や軍隊に反対する立場から日本共産党に入党。東大内の集団を率いるリーダーの一人として頭角を現したが、個人の主体性より党の規律が優先されることに疑問を感じ党と対立、除名処分となった。優秀な同級生を目の当たりにして哲学研究者の道を断念した後、新聞記者になった。

 記者時代は政治部で自民党を長く担当した。特に大野伴睦、中曽根康弘両氏とは自他共に認める蜜月関係を築いた。特ダネ記者として鳴らし、1962年には日韓国交正常化交渉の過程で交わされた秘密覚書「金・大平メモ」をスクープした。

 「言論機関としてタブーに挑戦し、読者に問題提起する責任がある」。社長・主筆となると、国際情勢に合わせ憲法を見直すべきだとして憲法問題調査会を設置。前文や9条など憲法全体に検討を加えた「憲法改正試案」を94年に公表し、大きな反響を呼んだ。

 プロ野球巨人のオーナーも務めたが「野球は素人。学生時代にやったことがないんだから」と言ってはばからなかった。

 前立腺がんが見つかり、98年に前立腺の全摘手術を受けた。2017年10月には、妻篤子さん(当時87)を肝硬変で亡くした。(共同)

 ■【関連記事】渡辺恒雄氏語録「分をわきまえなきゃいかんよ。たかが選手が」>>

 元稿:日刊スポーツ社 主要ニュース 社会 【訃報・読売新聞グループ本社代表取締役主筆の渡辺恒雄さんが19日未明、肺炎のため、都内の病院で亡くなった。】  2024年12月19日  11:38:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【筆洗・12.17】:手塚治虫さんの『フィルムは生きている』(1958年)はアニ…

2024-12-18 07:19:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【筆洗・12.17】:手塚治虫さんの『フィルムは生きている』(1958年)はアニ…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【筆洗・12.17】:手塚治虫さんの『フィルムは生きている』(1958年)はアニ…

 手塚治虫さんの『フィルムは生きている』(1958年)はアニメーション制作を競い合う2人の若者の物語である。仲間だった武蔵と小次郎はやがて袂(たもと)を分かち、ライバルとなる

 ▼アニメーション作家の久里洋二さんが亡くなった。96歳。巨匠の訃報にあの漫画を思い出した。手塚さんはこの漫画の単行本を久里さんに贈った。中にメモがあったそうだ。「僕は武蔵、久里君は小次郎だよ」

 ▼大衆を意識する手塚さんに対して久里さんはアートアニメや実験アニメに向かった。世界的な評価は久里さんの方が早かったか。『人間動物園』が62年、ベネチア映画祭の青銅賞を獲得。せりふがなく、無国籍な久里さん...、

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 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【筆洗】  2024年12月17日  07:05:00  これは参考資料です。転載等は各自で判断下さい。

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【産経抄・12.13】:神様が遣わした「12人目」の選手、賀川浩さんを悼む

2024-12-15 05:03:20 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【産経抄・12.13】:神様が遣わした「12人目」の選手、賀川浩さんを悼む

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【産経抄・12.13】:神様が遣わした「12人目」の選手、賀川浩さんを悼む 

 サッカーの日本選抜チームが、ソ連時代のモスクワから招いた強豪チームと引き分けた。昭和37年、東京五輪の2年前である。その試合で得点した川淵三郎さんは、翌日の新聞記事を切り抜いて、いまも大事に持っているという。

賀川浩氏(右)に花束を渡し記念撮影に応じるサッカー日本代表の森保一監督=ノエビアスタジアム神戸

 ▼試合前日に大阪で結婚式を挙げ、その日のうちに東京の選抜チームに合流していた。<これは新婦に捧(ささ)げる点だ>。チーム事情に通じた記者の愛ある一筆が、川淵さんの胸を打った。書き手は、サンケイスポーツ記者(当時)の賀川浩さんである。

 ▼「世界最高齢の記者」として、ご記憶のファンも多いだろう。サッカー取材の草分けとして小紙やサンスポで筆を執り、先日99歳で亡くなるまで、硬軟織り交ぜた文章で選手らの背中を押し続けた。4年に1度のワールドカップは、2014年まで10大会を取材した記録を持つ。

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 元稿:産経新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【産経抄】  2024年12月13日  05:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【筆洗・12.08】:その昔、輸入レコード盤は薄いビニールのカバーで密封されてい…

2024-12-08 09:32:40 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【筆洗・12.08】:その昔、輸入レコード盤は薄いビニールのカバーで密封されてい…

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【筆洗・12.08】:その昔、輸入レコード盤は薄いビニールのカバーで密封されてい…

 その昔、輸入レコード盤は薄いビニールのカバーで密封されていた。覚えていらっしゃるだろう。開封するとちょっとつんとした薬品のようなにおいがした

 ▼30年ほど前の映画の一場面を思い出した。若い女性がレコードのビニールを爪で器用に開封し、ジャケットのにおいをそっと嗅ぐ。笑顔になる

 ▼映画は1991年公開の『波の数だけ抱きしめて』。同作や『Love Letter』などの俳優、歌手の中山美穂さんが亡くなった。54歳。突然の死に長年のファンはつらかろう

 ▼80年代の湘南を舞台にした、あの青春映画は失礼ながら「大傑作」には分類されまい。それでも無性にこの映画と中山さんにひきつ...、残り 283/565 文字

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 元稿:東京新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【筆洗】  2024年12月08日  08:55:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【社説①・11.21】:谷川俊太郎さん 言葉の力を信じた生涯

2024-11-24 16:00:10 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【社説①・11.21】:谷川俊太郎さん 言葉の力を信じた生涯

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【社説①・11.21】:谷川俊太郎さん 言葉の力を信じた生涯 

 詩人・谷川俊太郎さんが地球を去った。92年の滞在だった。

 <人類は小さな球の上で/眠り起きそして働き/ときどき火星に仲間を欲しがったりする>「二十億光年の孤独」

 谷川さんの詩に触れたのは、いつ、どこでだろうか。国語の教科書、アニメの主題歌、コーヒーのCM、図書館の絵本。中には学校の校歌で歌った人もいるかもしれない。「生きる」は発表から40年後の東日本大震災で、朗読や交流サイト(SNS)を通じて被災者を励ました。 

 幅広い世代で、優しい詩やユーモアあふれる言葉遊びが心に刻まれているはずだ。ふと思い出し、つい口ずさむ。これほど親しまれた現代詩人は、ほかにいない。

 <カムチャッカの若者が/きりんの夢を見ているとき/メキシコの娘は/朝もやの中でバスを待っている>「朝のリレー」

 <空をこえてラララ星のかなた>「鉄腕アトム」

 詩の視線はアトムのように宇宙から地球を見つめ、人々の内面へ深く優しく迫る。平易な言葉で、生命の素直な感動、愛、エロス、孤独、死も含めタブーなくこの世を自由に紡いだ。

 <いるかいるか/いないかいるか>といった日本語の音による遊び、文字の配列による視覚的仕掛けなど、実験的であり続けた。

 社会性が強い難解な作品が正統とされた戦後現代詩の中で、谷川さんは異彩を放つ。日本語を柔らかく解きほぐしながら、誰もが身近に感じる詩の扉を開いた。「大衆的」にとどまらない文学史上の評価は、今後も高まるだろう。

 京都はゆかりが深い。戦時中、淀に疎開し、京の言葉の抑揚が体に入ったという。詩の韻律への関心につながったのかもしれない。谷川さん作詞の校歌も京で歌い継がれている。

 ベトナム戦争中に反戦歌「死んだ男の残したものは」を作り、対立が深まる現代へ絵本「へいわとせんそう」を発表。近年は言葉の氾濫を憂え、研ぎ澄まされた少ない言葉を投げかけた。人を傷つける言葉でなく、谷川さんがくれた生きるための言葉を社会の多様性と個の尊重に生かさねばなるまい。

 詩人の三好達治は、谷川さんの第一詩集の序に<この若者は/意外に遠くからやつてきた/(略)/十年よりもさらにながい/一日を彼は旅してきた>と寄せた。

 二十億光年かなたの異星から、そろそろ「くしゃみ」する音が聞こえてきそうだ。

 元稿:京都新聞社 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2024年11月21日  16:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【天風録・11.20】:谷川俊太郎さん

2024-11-22 07:00:05 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【天風録・11.20】:谷川俊太郎さん

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【天風録・11.20】:谷川俊太郎さん

 ことし出た「かっぱ語録」という不思議な題の本で、谷川俊太郎さんがこんなふうに呼ばれていたことを知った。「現代詩の世界に朝を連れてきた」人である、と

かっぱ語録 谷川 俊太郎(著/文) - 角川春樹事務所

 ▲等しく地上に訪れ、生きとし生けるものに光を恵む。朝には肯定の響きがある。教科書で読んだ「朝のリレー」を思い出す人もいれば、谷川さんの詞で小室等さんが歌った「お早うの朝」を口ずさむ人がいるかもしれない。♪夢には明日がかくれている/だからお早(はよ)うの朝はくる

 ▲うまくいかぬ人生と向き合い、顔を上げるための応援歌にも読める。翻訳した漫画「ピーナッツ」では、苦みの利いた人生訓を少年少女が垂れる。そんな作品を届け続けてくれた谷川さんの訃報がきのう届いた。92歳

 ▲かつて、世界人権宣言の翻訳をアムネスティ日本に頼まれたのも谷川さんだからこそだろう。〈第8条 泣き寝入りはしない〉〈第14条 逃げるのも権利〉といったふうに、子どもでも読み取りやすい日本語に直した

 ▲きょう、国連「世界子どもの日」。35年前に子どもの権利条約を採択した日でもある。紛争下で命や人権を奪われた子どもは昨年、1日平均31人に上ったと聞く。等しく照らす朝の光が待たれる。 

 元稿:中國新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【天風録】  2024年11月20日  07:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【卓上四季・11.20】:谷川俊太郎さん

2024-11-21 04:03:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【卓上四季・11.20】:谷川俊太郎さん

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【卓上四季・11.20】:谷川俊太郎さん

 18歳になった若者は途方にくれていた。集団生活が大の苦手。学校嫌いがひどく成績はどんどん落ちていく。なんとか高校を卒業したけれど、この先どうしたらよいのだろう

 ▼父親から今後の進路を問われ、詩を書きためたノートを差しだす。それが三好達治の手に渡り激賞される。作品は詩集「二十億光年の孤独」にまとまった。谷川俊太郎さんは彗星(すいせい)のように世に現れた

 ▼目の前の世界を眺めて、工作するように言葉という部品をつなぐと、世界のひな型みたいなものができあがる―。その楽しさを原点に70年以上も詩作を続けた

 ▼<人類は小さな球の上で/眠り起きそして働き/ときどき火星に仲間を欲しがったりする>。透明感ある叙情詩や恋愛詩があれば、やさしい言葉によるユーモラスな詩も。<かっぱかっぱらった/かっぱらっぱかっぱらった/とってちってた>。作風の多様さと作品の多さに驚く  

 ▼詩にとどまらず好奇心のおもむくままに活動した。「鉄腕アトム」の主題歌もスヌーピーの翻訳もこの人の仕事である

 ▼90歳を超え、なお新作を発表した。永遠に書き続けるようにみえた大詩人にもお別れのときがきた。晩年の作品「さようなら」を思い出す。<もう私は私に未練がないから/迷わずに私を忘れて/泥に溶けよう空に消えよう/言葉なきものたちの仲間になろう>

 元稿:北海道新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【卓上四季】  2024年11月20日  04:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【産経抄・11.20】:豊かな詩の音色を残し 谷川俊太郎さん逝く

2024-11-20 05:01:30 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【産経抄・11.20】:豊かな詩の音色を残し 谷川俊太郎さん逝く

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【産経抄・11.20】:豊かな詩の音色を残し 谷川俊太郎さん逝く

 知られた言葉遊びがある。<ここではきものをぬげ>。どう解釈したものだろう。ここで脱ぐのは履物の方か。あるいは衣服のボタンに手をかけた方がよいのか。目だけで文字を追いかけると道に迷う。日本語の世界は奥が深い。

詩人の谷川俊太郎さん=東京都杉並区(川口良介撮影)

 ▼谷川俊太郎さんは詩想を練る上で耳も大切にした。昭和48年に世に問うた詩集『ことばあそびうた』から。<はなののののはな/はなのななあに/なずななのはな/なもないのばな>(「ののはな」)と、日本語の持つ豊かな音色を教えてくれた。

 ▼「詩の語と語の間には、散文の意味的なつながりとは違う音楽的なつながりがある」。美しく響き合う言葉の組み合わせに「ポエジー(詩情)」が潜んでいると、かつて小紙に語っていた。あまたの詩に童謡の作詞、翻訳…。戦後の詩壇を代表する谷川さんが亡くなった。92歳。

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 元稿:産経新聞社 主要ニュース 社説・解説・コラム 【産経抄】  2024年11月20日  05:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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《社説②・11.20》:谷川俊太郎さん逝く 「生きる」支えた詩の言葉

2024-11-20 02:05:40 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

《社説②・11.20》:谷川俊太郎さん逝く 「生きる」支えた詩の言葉

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:《社説②・11.20》:谷川俊太郎さん逝く 「生きる」支えた詩の言葉

 やさしくて柔らかい。けれども心のひだに深く入り込む。紡がれた言葉が、どれだけ多くの人生に寄り添ってきたことだろう。

 戦後の現代詩を代表する詩人、谷川俊太郎さんが92歳で亡くなった。詩を通して言葉の可能性を広げるとともに、絵本や随筆などで世代を超える共感を得てきた。

自宅でインタビューに答える詩人の谷川俊太郎さん=東京都杉並区で2019年10月11日午前11時40分、尾籠章裕撮影

 熱心な読者ならずとも、教科書やCMで谷川さんの世界に触れた人は少なくないだろう。ネット上に哀悼や感謝のメッセージがあふれる。詩人が残したものの大きさを改めて思い知らされる。

 親しみやすく、ユーモアもある半面、地球や人類を宇宙の高みから俯瞰(ふかん)するような作品は、読み手の時空も押し広げていく。

 デビュー作の「二十億光年の孤独」は、「人類は小さな球の上で/眠り起きそして働き」で始まる。「朝のリレー」は、「カムチャツカの若者が/きりんの夢を見ているとき/メキシコの娘は/朝もやの中でバスを待っている」と読み手をいざなう。語感で遊びながら、やんわりと差しはさむ文明批判も痛烈だ。

 一方で、身体感覚に直接訴えかける「ののはな」などのひらがな詩は、日本語の音の面白さや豊かさを味わわせてくれる。

 東日本大震災後には、1971年刊行の詩集に収められた「生きる」が再び広く読まれ、喪失感を抱えた人々の支えになった。詩が持つ力であろう。

 「生きているということ/いま生きているということ」というフレーズが繰り返される詩は、日常のかけがえのなさを思い起こさせる。同時に、「かくされた悪を注意深くこばむこと」という言葉には、人間や社会の暗部と対峙(たいじ)する覚悟がにじむ。 

 2019年に出版されたイラストレーターのNoritakeさんとの絵本「へいわとせんそう」は、暴力がエスカレートし、分断が進むいまの世界への問いかけでもあろう。

 「みんながいろいろな言葉で平和を追求したりしているけれども、戦争は全然なくならない」「詩の言葉が何かの役に立たないか」

 信じていたのは、世界を対立させるのではなく、包み込む詩の力だ。どんな言葉を生み出していくのか。私たちに託された宿題だ。

 元稿:毎日新聞社 朝刊 主要ニュース 社説・解説・コラム 【社説】  2024年11月20日  02:00:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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【ニュース裏表】:安倍元首相三回忌法要 いくら願っても戻ってくることはない安倍氏 拉致解決、憲法改正が残されたわれわれに課せられた責務

2024-07-07 07:46:50 | 【訃報・告別式・通夜・お別れの会・病死・事故死・災害死・被害による死他】

【ニュース裏表】:安倍元首相三回忌法要 いくら願っても戻ってくることはない安倍氏 拉致解決、憲法改正が残されたわれわれに課せられた責務

 『漂流する日本の羅針盤を目指して』:【ニュース裏表】:安倍元首相三回忌法要 いくら願っても戻ってくることはない安倍氏 拉致解決、憲法改正が残されたわれわれに課せられた責務 

 2022年7月に暗殺された安倍晋三元首相の三回忌法要が6月30日、東京・芝公園の増上寺で営まれた。参列者の一人として読経が響くなか、安倍氏との思い出を振り返った。

 安倍氏に初めて会ったのは02年7月だった。産経新聞官邸クラブキャップになったばかりで、小泉純一郎内閣で官房副長官を務めていた安倍氏にあいさつした。はつらつとしていた印象だった。当時の官邸クラブは、サブキャップが阿比留瑠比記者、安倍番は石橋文登記者、総理番は田北真樹子記者らと個性的な布陣である。

2002年9月、小泉純一郎首相(左)は訪朝し、金正日(キム・ジョンイル)総書記と握手した。左奥は官房副長官として同行した安倍氏=平壌市内(共同)

 何事もない夏かと思いきや、小泉首相は水面下で「北朝鮮訪問」を計画していた。8月30日朝、社会部の加藤達也記者から「小泉さんが訪朝を計画しているらしいです」との一報が届き、確認に追われた。

 安倍氏もこの日まで計画を知らされていなかった。小泉首相から訪朝を伝えられた安倍氏は「平壌(ピョンヤン)に同行するよう言われた」と明かした。

 私たちにとって、韓国紙に特ダネを抜かれた苦い思い出であるとともに、安倍氏との結束を強める契機ともなった。 

 帰国した拉致被害者5人を北朝鮮に戻そうとする動きに、断固反対したのが安倍氏や中山恭子内閣官房参与らで私たちも同調した。「5人を戻すのか」と追及する阿比留記者の質問に、別の方向を向きながらいやいや答える福田康夫官房長官の姿は印象的だった。

 結局、5人は日本で家族の帰国を待つことになった。

 田中均外務省アジア大洋州局長の言う通りに、5人を北朝鮮に戻していたら二度と帰って来られなかっただろう。

 訪朝をめぐり蚊帳の外だったことに安倍氏も内心じくじたる思いだった。それを挽回して主導権を取り戻した行動力は目を見張るものがあった。これは安倍氏が衆院議員になる前から拉致問題に関心を持ち、被害者家族らとの信頼関係を築いていたからこそ実現できたことだった。

 あれから22年の歳月がたった。

 菅義偉前首相も三回忌法要後の直会(なおらい)の席上、「2年を振り返ると、長かったと思うときもあれば、なぜこんなに短いんだろうと、いろいろ考えながら過ごしてきた」とあいさつしたが、皆が同じ思いをしているのではないか。 

 私自身、月刊「正論」増刊号『不屈の政治家 安倍晋三』のグラビアを見た酒巻俊介カメラマンの提案を受け、何かに憑りつかれたように、東京と大阪、安倍氏の地元・山口県下関、台湾の台北、山口県とも縁が深い台南の5カ所で「安倍晋三写真展」を開催した。多くの方が来場し、在りし日の安倍氏の写真に見入っていた。

 昭恵夫人が直会の最後に言われたように、いくら願っても安倍氏が戻ってくることはない。安倍氏が望んだ「拉致問題の解決」「憲法改正」などに取り組むことが、残されたわれわれに課せられた責務であろう。

 今回から、かつて1年間働いた夕刊フジで連載を担当することになった。夕刊フジでは政治部とは違った角度から永田町・霞が関を見ることができ大変勉強になった。しばらくお付き合いいただきたい。(産経新聞特別記者・有元隆志)

  元稿:夕刊フジ ZaKZak 主要ニュース 政治・国際 【政治ニュース・連載「ニュース裏表」】  2024年07月05日  06:30:00  これは参考資料です。 転載等は各自で判断下さい。

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