たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

『マイ・フェア・レディ』から『回転木馬』まで(4)

2022年03月15日 16時13分06秒 | ミュージカル・舞台・映画
『マイ・フェア・レディ』から『回転木馬』まで(3)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/3ff22898dab21a37da855019b2abc23c

(1995年『回転木馬』帝国劇場公演プログラムより)

「東宝のミュージカル上演史『マイ・フェア・レディ』から『回転木馬』まで-小藤田千栄子-

以上、初演作を中心に、1960年代の東宝ミュージカルを記してきたが、ほんの7年間に、ずいぶんたくさんの作品を上演してきたことが分かる。翻訳ものの初演作を数えてみたら17本あり、来日ものが2本ある。そして大きな特徴は、この時代に初演された作品の、かなりのものが、のちの東宝ミュージカルのロングラン演目になっているということである。代表的な作品を挙げると『マイ・フェア・レディ』『サウンド・オブ・ミュージック』『王様と私』『南太平洋』『屋根の上のヴァイオリン弾き』『ラ・マンチャの男』あたりだろうか。いま私たちが繰り返し見ている名作の数々は、実は60年代のミュージカル草創期からスタートしているのである。

 70年代の東宝ミュージカルは『ラ・マンチャの男』の再演から始まった。前年初演した『ラ・マンチャの男』は、多くの熱い支持者を生んだが加えて市川染五郎(当時)は、主演者としてブロードウェイに招かれたのである。大阪万博で賑わっていた1970年の、3月2日から10週間、マーチン・ベック劇場で、アメリカ人俳優に囲まれて主演してきたのだ。もちろん英語での『ラ・マンチャの男』である。あれから四半期以上の歳月が流れているが、このような日本人俳優は他にはいない。これがどんなにすごいことであったか分かるだろう。

 そして帰国後の1970年6月、まずは名古屋の名鉄ホールで再演が始まった。東京再演は9月・日生劇場で、パンフレットの表紙には「市川染五郎ブロードウェイ凱旋記念」と印刷されている。このときのアルドンサ役は草笛光子。そしてこの凱旋興行から染五郎はカーテン・コールの時英語で「見果てぬ夢」を歌うようになった。

  なんとも立派なミュージカル・スターぶりであったが、この『ラ・マンチャの男』に象徴されるように、70年代には、名作ミュージカルが、上演を重ねることによって、さらに磨かれていった時代である。『王様と私』『屋根の上のヴァイオリン弾き』『マイ・フェア・レディ』『サウンド・オブ・ミュージック』などが、上演のたびに人気をあげ、ミュージカル・ファンを増やしていった時代でもあった。だが同時に、新作も多数上演され、ここではまず新作群からふれてみよう。

 70年代最初の東宝ミュージカルの新作は『プロミセス・プロミセス』(71年10月・日生劇場)だった。」

                                   →続く








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