たんぽぽの心の旅のアルバム

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通信教育レポート-近代ドイツ小説

2022年07月18日 00時41分06秒 | 日記
「課題;メルヘンとは何か。とくに近代小説の歴史におけるメルヘンについて述べなさい。

 幼い頃、『ヘンゼルとグレーテル』の絵本のページを何度開いたことだろう。いや、題名は『お菓子の家』だったと思う。ビスケットやチョコレート、キャンディで飾られたお菓子の家のさし絵は、舌の上でとろりと甘くとろけ、こんなものが本当にあったらどんなにいいだろうと思った。貧しく不幸な娘が、王子さまに見出されて結婚し、末長く暮らしましたという劇的な展開の『シンデレラ』の物語には、白馬の王子さまがいつか目の前に現れてくれるのではないかしら、と胸ときめくようになった。かぼちゃの馬車や魔女、ガラスの靴などの様子を思い描いた。簡略化されたそれらの物語は、どこか遠くの国の幻想的な夢物語であり、その背後にひそむ厳しい現実を知るはずもなかった。今あらためて読み返してみるグリム童話集は、決して甘ったるいものではなく、残酷とさえ思われる場面もしばしばあり、かなりリリカルに生々しくせまってくる。今一度、メルヘンとは何か、歴史的な流れにそって見つめなおしてみたい。

 『メールヒェン』は、口できかせる物語メーレに「小さい」を意味する語尾ヒェンがつけられ、「小さな報告、その日の出来事」を意味した。それがいつの間にか、「人々を面白がらせる作り話」に変わり、「一時間以内に語り終えられるほどの短い物語」で、「妖精など超自然的なものが登場する話」の呼び名となった。民衆が口伝えにする「おとぎばなし」の類がメルヘンと呼ばれた。メルヘンが、ドイツ文学に根づく発端は、18世紀、フランスから妖精物語が伝えられたことにある。ヨーロッパに伝わる民話をもとにした話がなじみ深いものになっていった。が、自然の法則にかなった健全な理性と知的な判断力が尊重された合理主義の時代で、超現実的な想像の産物は価値を認められにくく、メルヘンは「たかが作り話」として軽蔑された。しかし、時代の流れとともに、メルヘンはドイツ文学において重要な位置を占めるようになる。

 さげすまされがちだったメルヘンを最初に教養ある人々の鑑賞にたえる文学作品としたのは、ヴィーラントである。妖精パックが大活躍する『真夏の夜の夢』をはじめとするシェイクスピアの作品を次々と翻訳し、また、自身でメルヘンを創作した。が、彼にとってのメルヘンは人々に道徳的な教訓をかみくだいて消化させやすくするための手段にすぎず、民間メルヘンを認めていなかった。

 文学ジャンルとしてのメルヘンは、「民間メルヘン」と「創作メルヘン」に分類される。前者は、一般民衆の間で口伝えにされてきた民話、後者は、民衆の間に伝わるメルヘンの形式や題材を応用して創作された物語である。メルヘンは、しばしば安直に、「童話」と訳されがちである。民間メルヘンにも創作メルヘンにも、児童に理解しやすいもの、あるいは読み聞かせるためのものがあり、それらを童話と呼ぶのは間違いではない。しかし、童話とはあくまでメルヘンの一部であってメルヘンそのものではない。

 民間メルヘンと名付けられた創作メルヘンを最初に手がけたのはムゼーウスであった。ドイツに伝わる素材を使ってオリジナルな作品、ドイツ人の国民性を反映したメルヘンを提供したいと考えた彼は、老婦人や子供たちの口から直接メルヘンを聞きとった材料を集め、そのまま記録するのではなく、本で読んだ知識とをまぜあわせて、長い物語を創作した。合理主義も終わりに近づき、メルヘンへの関心が一段と高まっていた時期であった。さらに、思想家ヘルダーによって「名もない庶民の詩、民謡こそが、それぞれの民衆の特質をよく現わすものであって、人々の生活や感じ方、考え方をもっともよく反映するものである」と認められた。

 18世紀末から、ロマン主義の時代が始まった。ヨーロッパ全体が政治的に不安定だった。楽天的な合理主義への反動から生まれたロマン主義は、人間の頭脳がつくり出したいっさいの分類や秩序を否定して、時間的にも地理的にも遠いものと近いものとをひとつにまぜ合わせようとした。世界を混乱の状態にもどし、そこから再出発して新しい秩序を見い出そうとする動きであった。合理主義的な理屈ばかりでは割り切ってしまえないものごとがこの世にはたくさんあることを人々はあらためて感じていた。当時のドイツは、政治的に数多くの国家に分裂されていた。統一国家の実現をめざす現実的な動きのかわりに、民族精神がドイツの統一原理とみられるようになった。「民族性」「民族の詩」といった言葉が神格化された。ロマン主義時代に入ると、民間メルヘンは本格的に注目されるようになった。民間メルヘンの名をもつ創作メルヘンを書いたロマン主義の最初の人ティークのメルヘンは、中世の秋の森の暗さと静寂さを基調とした。ティークと共にロマン主義運動を起こしたノヴァーリスは、あらゆるものを一つに包み込もうとするロマン主義的な精神を表現するのに最も適したジャンルがメルヘンであると考えた。メルヘンとは、一定の形式や内容をもつジャンルではなく、哲学であり世界観であった。ロマン主義とともにメルヘンの役割は重要になってきた。と同時に、メルヘン自体の領域もひろがっていった。民間メルヘンを材料としたメルヘンが創作された。

 民間メルヘンの本格的な収集を始めたのはブレンターノだったが、途中で自分の創作に熱中してしまいメルヘン収集への意欲を失ってしまった。メルヘン収集は、グリム兄弟へと受け継がれていった。グリム兄弟は、カッセルに住む数人の女性たちからメルヘンを聞いて書きとるうちに、次第に民衆の素朴な物語の魅力にとらわれていった。民間の人々が語る物語の価値を強く認識していった。知識人たちの間にはドイツ語という共通の言葉によって結ばれる民族が、精神的・文化的に一体をなすものだという思いが強まっていた。折しも、兄弟がメルヘン収集を始めたのは、ナポレオンが勢力を拡大しドイツがフランスの占領下におかれた年である。このような状況によってドイツ民族の文化遺産が損なわれてしまうのではないか、という危機感が強まっていった。民族の文化遺産をしっかりした形で後世に残しておきたいと兄弟は考えた。しかし、民間メルヘンを新しい物語の材料とすることではなく、民衆が自ら語り、自ら聞くままの形で純粋で素朴な形で集めて保存することを目的とした点で、同時代の作家たちによる創作メルヘンとは、全く性質が異なる。民衆の物語を記録している段階では、兄弟は大人のための物語集を想定していた。児童のためではなく民俗学の資料として扱うべきであると考えていた。がなおかつ、児童にも読まれることを望んではいた。

 最初の『児童と家庭のメルヘン集』が出版されたとき、兄ヤーコプは「児童メルヘン」という言葉を用いた。グリム兄弟のメルヘン集によってメルヘンが「童話」と訳されてよいものになったということができる。児童にも歓迎されるようになると、兄弟のメルヘン集は、版を重ねるにしがたって弟ヴィルヘルムにより書きあらためていった。はじめ兄弟が目指していた学問的忠実さを損なわない程度に、洗練された言葉使いになおし、美しい口調に変えて、物語に一定のスタイルを与え、より児童に近づきやすいものにした。グリム兄弟のメルヘンのスタイルは、後継者たちによって模倣され、児童のためのものではなかったはずの民間メルヘンが、児童メルヘンへと変わっていった。そのメルヘン集の魅力を通じて民話の価値が世に認められ、多くの若い読者に読んでもらえるようになった点で兄弟の功績は大きい。が、残酷と感じられる箇所をしばしば削りとったことが、物語の核心をなしている大事なところまで勝手に削ったり改めたりする風潮を助長したのではないか?という議論がある。

 ロマン主義が最盛期を過ぎ、リアリズムの時代へと入っていっても、ロマン主義時代の創作メルヘンは、ドイツ文学の伝統として根づき、ヘッセ、カフカなど近代の作家に及んでいる。詩情と幻想と奥深さに満ちた創作メルヘンの伝統を受け継いだのであれ、グリム兄弟のメルヘン集の形式と内容を受け継いだのであれ、それらを皮肉ったり諷刺したりしたのであれ、近代から現代にかけて、メルヘンは独自の役割を演じた。

 ドイツ文学のメルヘンは、上流階級ではなく、貧しい農村地帯の実生活で不運な境遇を強いられていた人々の間で生まれ、伝えられてきた。もし上流階級の人々のものであったなら、メルヘンがドイツに息づくことはなかっただろう。単なる甘く美しい夢物語ではない、厳しい現実に裏打ちされていてこそだ。そこには、より良く生きようとした民衆の切実な願いがこめられている。生き抜いてやるぞ、という民衆のたくましさ、したたかさを感じる。現実からの逃避ではない、より強く現実に立ち向かい、生き抜いていくための心のよりどころであったと思われる。だから、一見非現実的な空想物語であっても、うすっぺらな虚構にとどまらず、空々しくなくリアルにせまってくるものがある。今もなお生き続けている。メルヘンは、生々しいほど現実的な、時には残酷といえるものを描いて、なおかつ純粋な心を失わんとする部分を託すのにもっともふさわしいジャンルかもしれない。時には絶望さえも暗示することのできるジャンルとなるかたわら、現実から一歩も二歩もはなれることによって、近くからでは全体のわからない現実を理解しよう、させようとする作家たちにとって有効な方法となった。

 一方、メルヘンは現実の塵や埃をとり除いて人間の心の純粋なあり方を示そうとする役割を担い続けてもきた。子供のためとか大人のためとかの枠ではくくれない、もっと奥深く大きなものをメルヘンは秘めている。」


参考文献
・『グリム童話研究』(大日本図書)
・『メルヘン案内』(NHKブックス)
・『グリム森と古城の家』(日本放送出版協会)


評価はA、講師評は、「二つの種類のメルヘンの違いと関係がうまく説明できていることを評価して、最良の評点を贈ります。でも、少々不満足に思えるのはなぜでしょうか?近代小説としての地歩を築いたロマン主義の創作メルヘンについての具体的な記述が欠けているためです。シェイクスピアの「真夏の夢」の名があがっていながら、肝腎のドイルのメルヘンの名作の作家・作品の名前ひとつないというのは、あまりにもアンバランスです。そうしたところを修正できてはじめて、白馬の王子の接近を期待できるというものです。」でした。



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