たんぽぽの心の旅のアルバム

旅日記・観劇日記・美術館めぐり・日々の想いなどを綴るブログでしたが、最近の投稿は長引くコロナ騒動からの気づきが中心です。

モタメディ遥子『シルクロードの十字路』(3)

2021年02月14日 09時10分02秒 | 本あれこれ
モタメディ遥子『シルクロードの十字路で』(2)
https://blog.goo.ne.jp/ahanben1339/e/cce5671b42275832aa89bd4bca54daac


「-想像をかきたてるアイヌハイムの遺跡-

 砦は一定の間隔で稜堡(りょうほ)があり、二重の濠に囲まれている。高さ12メートルほど。

 オリエント風神殿は方形の建物で一辺が19メートルほど、純ギリシア風の回廊式でなく、入り口はひとつ。前室を通ると、拝殿は前室より小さく、両側に側室があり、側室は拝殿のみにつながり、他に出口がない。
 
 三段の基台の上に建てられており、神殿の正面を除く三方の外壁には龕(がん)のような拱座(きょうざ)が4つずつ設けられていて、アケメネス朝やパルチア朝時代のドゥーラ=エウロポスに見られる神殿に似ているといわれる。

 直径25センチの銀台金メッキの金属製品が出土、太陽神がライオンの引く馬に乗り、その前方の祭壇で、僧侶が香を焚き、アポロ・星・三日月などが空に表されたキベーレ神話の装飾が描かれている。用途は、円盤の下方にもとあった台の把手の部分につながるようにデザインされていることから、礼拝の折の祭器の一つか、また、神殿の装飾に使われたものと考えられている。

 キベーレ神話の装飾は、ライオンや太陽神など写実的に表されているが、全体的に様式化が目立つ。髪型や服装はギリシア風のものが多いが、中にはオリエント風の僧衣のも見られ、シリア北方のスタイルに近い。キベーレ神話そのものが、小アジアで発祥したと考えられているので、この円盤の発見によって、西暦紀元前3世紀頃のシリア・メソポタミアにあったギリシア植民地と、東方の管区に交易が存在していた可能性が考えられるようになった。」


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