写真は、材木町の秀長寺の山門と本堂
『献杯』は食前の作法ではありませ
ん。
3月9日(金)
暖かい日が続いていたので水曜日からの天候悪化には驚いた。3月上旬雪が降り荒れるのは当たり前のことのなのに・・・。
一昨日と昨日はお世話になった方の通夜と告別式で慌しく過ごした。今年に入ってから亡くなられる方が多く、夕食の使いを受け出席することも多かった。
最近、導師が必ずお話し(法話)されるようだ。似たような話しは皆さんもあちこちで聞いておられると思いますが、その中の一つを紹介してみます。
『献杯』は食前の作法ではありません。
このお席が「献杯」で始まれば、もっともらしい気もいたしますが、私たちにはもっと大切なご挨拶がある。
「いただきます」 「ごちそうさま」という挨拶である。
近年外国の方に、私たちが忘れかけていた「もったいない」という大切なこころや言葉を生活に取り戻すきっかっけを作ってもらた。
あらためてそのこころにふれてみますと、とても大切な事が伝わる。
ありがたく、それこそもったいない言葉である。
残念なことにこのようなこころが伝わらなくなってきています。これだけが原因ではありませんが、伝えたい事が伝わらない、大切な事が伝わっていない最近の世相を見て、子や孫の時代の行く末が心配になる。
私たちの生活は、ご先達や多くの方々のご苦労により向上し便利で豊かになった。しかし、豊になった今でもそのことを追求するあまり、忘れてならないこころや事柄をおろそかにし、忘れてしまったのではないか。
忘れてしまった大切なこころ。いまこそ取り戻す時である。大切な方から受け継いだこころ、忘れてしまったこころを呼び覚まして欲しい。そしてご家族に「いただきます」「ごちそうさま」の大切なこころと意味を教えて欲しい。
あなたが習ったこころ、教え伝えるそのこころはやがて次世代に響きます。
「いただきます」「ごちそうさま」のこころをもっと大切にしていただきたい。