会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

京都夏の旅3

2011-07-26 22:47:39 | 旅行
2011年7月26日(火) 晴れのち雷雨
 何時ものように妻の習いものの送り迎い。その合間にスズキ種苗店に白菜の種を買いに寄る。晩キュウリの苗があった。現在食べているキュウリは間もなく収穫できなくなる。
 いつもは地這いキュウリや晩きゅうりの苗づくりからはじめていたのだが、今回は苗を買って植えつける事にした。
 また、KユーD2の大型郊外店では秋なす千両の接木苗が100円で売られていた。安い。収穫量は落ちるが10月末頃まで茄子が食べれるかもしれないので苗5本を購入。
昼間は休んで午後4時以降に野良仕事を始めようと思ったら雨が降り出して植え付けは中止。
7月16日(土)快晴 「角屋」

午後1時からの見学者が終わって私たち2時からの見学者が2階へ案内された。昔は中戸口玄関(庭が見えるように石畳が斜めになっている)から入り網代の間(1階表座敷)の右脇階段を上がった。  少し急な階段を上がると薄暗い。そして蒸し暑い。国指定文化財なので電源設備がない。緞子(どんす)の間、翠簾(みす)の間、扇の間、草花の間、馬の間、青貝の間、桧垣の間とそれぞれの部屋の特徴や円山応挙や蕪村の襖絵の説明を受けた。行燈のすすで黒ずんではいるが各部屋の細工の工夫などはすばらしい。お奨めです。

 蒸し暑い2階から1階の大座敷松の間へ移動した。案内人も交替。ここは文化財指定になっていないので照明もクーラーもあり、写真撮影もOK。庭の臥龍松を見ながら説明を受けた。
各藩武家屋敷の大宴会も角屋をはじめとする揚屋が担ったが、幕末になると勤皇派の久坂玄端や西郷隆盛、坂本龍馬などの密議に使われた。新撰組の出入りもあったが池田屋のような騒動はなかった。ただ、文久三年(1863)新撰組初代筆頭局長芹沢鴨が角屋の大座敷松の間で遊宴の後、壬生の屯所八木邸に帰宅後暗殺されるという事態はあった。

明治維新後は、大型宴会の需要がなくなるとともに、足場の悪さもあって、島原の町全体が衰微した。それ以降は祇園が花街の主役にとって代わった。