2016年6月4日(土)晴 29.0℃~13.8℃
前日に比べて急に暑くなり予定していた畑の除草ができなかったが、玉ねぎは大きくなりすぎたのですべて収穫した。絹さやエンドウも収穫した。
夕食に玉ねぎをスライスしカツ節をのせ醤油をかけ、絹さやエンドウは玉子とじにして食べた。うまい!
「京都の旅三日目(5/14)の河合神社・方丈記」
葵祭の準備がはじまっていたので参道は歩かず糺すの森の車道を歩いた。
糺すの森は鴨川と高野川の合流地にまつられている下鴨神社の社業で、太古の原生林の植生を残す貴重な森林です。現在の総面積は十二万四千平方(三万六千坪 甲子園球場の約3倍)で、樹齢六百年の巨木が多数生い茂り、国の史跡に指定されている。数々の社殿とともに世界人類の宝らとして世界文化遺産に登録されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/d5/519bee92f73d91a59ffe3ab3c8057428.jpg)
糺の森の中、瀬見の小川の西側に立つ河合神社。玉依姫命(たまよりひめのみこと、神武天皇の母神で子供の成長を守る神様)を祀り、古くから女性の守護神として信仰されてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/81/89edfd415194ed5d7ea68b1e1fd911a1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/2d/ea84953cd64d85e8875753a2ea4de3cd.jpg)
鴨長明はこの神社の神官の家に生まれましたが、さまざまな事情から跡を継ぐことができず、世をはかなんで「方丈記」を書くに至ったといわれています。「方丈」とは長明が各地を旅できるように「庵」として考案したもので、移動に便利なように組立式になっています。約2.73坪、畳でいえば5帖半程度の広さ。間口・奥行きとも1丈(約3m)四方にしつらえられていることから、「方丈」と名付けられました。河合神社の境内には、この「方丈の庵」のレプリカが展示されています。
また、下鴨神社には古式ゆかしい「蹴鞠(けまり)はじめ」が行事として残されていますが、これに関連して河合神社には「八咫烏」(やたがらす、日本神話に登場する三本足のカラス "賀茂建角身命" で、賀茂建角身命の化身ともいわれている)が祀られています。これにちなみ、日本サッカー協会は昭和6年(1931年)の協会設立時より、八咫烏の姿をシンボルマークに採用しています。
※方丈記の本文
【ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。
http://home2.highway.ne.jp/issei-s/koten01/hojyo.01.htmlより転載】
前日に比べて急に暑くなり予定していた畑の除草ができなかったが、玉ねぎは大きくなりすぎたのですべて収穫した。絹さやエンドウも収穫した。
夕食に玉ねぎをスライスしカツ節をのせ醤油をかけ、絹さやエンドウは玉子とじにして食べた。うまい!
「京都の旅三日目(5/14)の河合神社・方丈記」
葵祭の準備がはじまっていたので参道は歩かず糺すの森の車道を歩いた。
糺すの森は鴨川と高野川の合流地にまつられている下鴨神社の社業で、太古の原生林の植生を残す貴重な森林です。現在の総面積は十二万四千平方(三万六千坪 甲子園球場の約3倍)で、樹齢六百年の巨木が多数生い茂り、国の史跡に指定されている。数々の社殿とともに世界人類の宝らとして世界文化遺産に登録されている。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/7d/d5/519bee92f73d91a59ffe3ab3c8057428.jpg)
糺の森の中、瀬見の小川の西側に立つ河合神社。玉依姫命(たまよりひめのみこと、神武天皇の母神で子供の成長を守る神様)を祀り、古くから女性の守護神として信仰されてきました。
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/1b/81/89edfd415194ed5d7ea68b1e1fd911a1.jpg)
![](https://blogimg.goo.ne.jp/user_image/5d/2d/ea84953cd64d85e8875753a2ea4de3cd.jpg)
鴨長明はこの神社の神官の家に生まれましたが、さまざまな事情から跡を継ぐことができず、世をはかなんで「方丈記」を書くに至ったといわれています。「方丈」とは長明が各地を旅できるように「庵」として考案したもので、移動に便利なように組立式になっています。約2.73坪、畳でいえば5帖半程度の広さ。間口・奥行きとも1丈(約3m)四方にしつらえられていることから、「方丈」と名付けられました。河合神社の境内には、この「方丈の庵」のレプリカが展示されています。
また、下鴨神社には古式ゆかしい「蹴鞠(けまり)はじめ」が行事として残されていますが、これに関連して河合神社には「八咫烏」(やたがらす、日本神話に登場する三本足のカラス "賀茂建角身命" で、賀茂建角身命の化身ともいわれている)が祀られています。これにちなみ、日本サッカー協会は昭和6年(1931年)の協会設立時より、八咫烏の姿をシンボルマークに採用しています。
※方丈記の本文
【ゆく河の流れは絶えずして、しかももとの水にあらず。淀みに浮かぶうたかたは、かつ消えかつ結びて、久しくとどまりたるためしなし。世の中にある人とすみかと、またかくのごとし。 たましきの都のうちに、棟を並べ、甍を争へる、高き、卑しき、人のすまひは、世々を経て尽きせぬものなれど、これをまことかと尋ぬれば、昔ありし家はまれなり。あるいは去年焼けて今年作れり。あるいは大家滅びて小家となる。住む人もこれに同じ。所も変はらず、人も多かれど、いにしへ見し人は、二、三十人が中に、わづかにひとりふたりなり。朝に死に、夕べに生まるるならひ、ただ水のあわにぞ似たりける。知らず、生まれ死ぬる人、いづかたより来たりて、いづかたへか去る。また知らず、仮の宿り、たがためにか心を悩まし、何によりてか目を喜ばしむる。その、あるじとすみかと、無常を争ふさま、いはば朝顔の露に異ならず。あるいは露落ちて花残れり。残るといへども朝日に枯れぬ。あるいは花しぼみて露なほ消えず。消えずといへども夕べを待つことなし。
http://home2.highway.ne.jp/issei-s/koten01/hojyo.01.htmlより転載】