会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

戊辰150年 その18

2018-07-01 21:43:46 | Weblog
2018年7月1日(日)晴 35.5℃~21.3℃
「会津戊辰戦争 会津の女子教育 」

数日 35℃以上の真夏日が続いている。今年は空梅雨だろうか? もう梅雨は開けたのだろうか? 近郊の菜園場の農家は悲鳴を上げている。雨が欲しい・・・。

五、会津の女子教育
 ・その底流に流れていたのは「恥辱」(辱めにあってはいけない)
 ・「天が下轟く名をばあげずとも遅れなとりそもののふの道(山川唐衣)
 ・会津藩の家庭教育ー識字・習字・和歌・裁縫・礼儀作法・薙刀
 「父はなかなか躾が厳しく、何か言われる時は、両手をきちんと畳につき、聞かねばなりませんでした。後添えの継母なども、実子と義理の子とに対してはいささかも差別待遇することは許されませんでした。したがって私などは継母から可愛がられもせず、憎まれもせず育ちました。その頃から「いろは」を習いました。十歳から十二、十三歳頃まで高木のお婆さんから針仕事を習いました。その頃山本覚馬の妹のお八重さんも高木に来て一緒にお針を習ったものです。十二歳から一年ばかり日向信介先生に一と六の日に家へ来ていただき、習字を習いましたが、当時は女は学問は要らぬとて、他のことは何一つ習わせていただけなかった。それに平素でも女子は一人で門から外へ出ることは許されませんでした。必ず供を連れて行かなければならなかった。
(日向ユキ『万年青』)

ユキは1944年 94歳で天寿を全うするのですが、晩年になると自らの人生を振返り口述をはじめます。それを息子さんが筆記してまとめたものが「萬年青(おもと)」として残されています。当時の出来事を知る上で貴重な史料となっています。