会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

戊辰150年 その19

2018-07-03 04:14:14 | Weblog
2018年7月3日(火)晴 35.5℃~21.3℃
「会津戊辰戦争 会津藩士の母たち 」

数日 35℃以上の真夏日が続いている。今年は空梅雨だろうか? もう梅雨は開けたのだろうか? 近郊の菜園場の農家は悲鳴を上げている。雨が欲しい・・・。

六、会津藩の母たち
  ・母や祖母たちの権威が過程全体に根を張っていた。
  ・会津藩では戦場の心得を息子に諭すのは男親ではなく多くは母親であり、祖母だった。
 ①柴四朗の母 ふじ
病気で寝ていた十六歳の四朗は顔面蒼白、歩くこともやっとだった。母は「いやしくも武家に生まれた者ではないか、芝家の男子なるぞ、急ぎ父の
 もとに参じて家の名を辱めなかれ」と言って家族全員が自刃した。

 ②白虎隊生き残りの飯沼貞吉の母、飯沼ふみ(山川唐衣の妹)
 「戦場に臨んだら決してにがかくれしてはいけない。鉄砲で敵を狙う時は、必ず臍の当たりを狙って撃て。太刀打ちする時は、臆せず愧じずに思い切って先々と心がけて切り込め」

 ③少年高木盛之輔のこと
  母の命により入城せり。母の言葉に曰「父は自己の持ち場を破られ城下に生還せらるる事万なかるべし。汝は人に遅れず戦死すべし。もし負傷せば自殺すべし。決して生捕りせらるる勿れ」との厳命也。祖母にも決別して銃を荷ふて入城したり。予は、一分銀にて拾弐両三分を貰い胴財布に収め携帯せり。