2020年1月8日(水)晴/雨 8.4℃ 1.9℃
『おせち料理がほぼ始末できた』
正月のおせちは毎年大晦日の数日前から妻がいろいろと作っていた。会津の郷土料理棒たらの甘露煮は、棒たらを戻すところからことことと煮る。柔らかになるまで数日かかる。こずゆ、イカニンジン(するめと昆布を切るのは手伝う)、なます、豆数の子、伊達巻、かまぼこ、黒豆、栗きんとん,酢だこ・・・・など重箱に入れる。何日も台所の立っている。同じような光景が各家庭でも見られたことだろう。
妻は高齢になり腰痛、肩こりなどで医者に診てもらっているので、今年は業者(ヨシケイ)のおせちを利用することにした。”和洋中の美味を彩り豊かに揃え幅広い世代に楽しめるおせち”三の重まである。年末に届いたおせちを調理方法に従って作り重箱に入れておせち完成。
大晦日、元旦、二日、三日とおせちを食べるが、老夫婦二人では食べきれない。(娘家族が帰省しなかったので)七草がゆを食べ、やっとおせちの始末ができた。 業者のおせちはカタログの写真とは違う。見た目はよいが味はわからない。妻曰く”例年通り自分がおせちを作る” 妻の料理が一番(おのろけ)
小生は毎年、神棚に注連縄、歳神様、恵比寿様、大国様をまつり、米、塩、水、榊、酒、鏡餅、新巻鮭を供えた。新巻鮭の頭の軟骨は薄く切って酢に漬ける。頭の残りと尾の粗はよく洗って、骨が柔らかくなるまで煮る。そこに酒粕やダイコンなどを入れて煮る。これは酒の肴に絶品。
「いい日本再発見」の記事をお借りしました。
今では、お正月に食べるお祝いの料理を指しておせち料理といいますが、その起源は古く弥生時代といわれています。
当時の人々は、作物の収穫を季節ごとに神様に感謝し、生活の節目をつけていました。
自然の恵みや収穫に感謝して神様に供えたものを「節供せっく」といい、供えたものを料理して、大漁や豊作を願い自然の恵みに感謝して食べた料理を「節供料理」といいます。
この「節供料理」がおせち料理の始まりです。
さらに、中国から節句の行事が伝わると、宮中では元旦や五節句の宮中行事の際に「節会せちえ」と言われる宴が催されるように節会において、神様に供えたり振舞われた料理を「御節供おせちく」といい、後に略されて「おせち」と言われるようになりました。
時は過ぎ江戸時代のこと・・・庶民が宮中行事を生活に取り入れるようになると、おせち料理は全国に広がりを見せます。
1年の節目で一番大切なお正月に食べる料理を、おせち料理と呼ぶようになったのもこの頃からです。