会津の重ちゃん日記

日常の出来事、地方紙の記事、街中散策して見聞したことを発信。

老舗旅館 ふなや

2015-04-08 15:10:42 | 旅行
2015年4月8日(水)くもり 7.9℃~0.7℃

 豊齢研ITサロン会津のパソコン教室。今年は会員のしたいこと、知りたいことなど学びたいことをアンケートで答えてもらった。昨年までの学習(ワードやエクセルの使い方、見栄えのするチラシ、いろいろなソフトで画像処理、年賀状、カレンダー、名刺づくりなどをやって来た。今年も同じ内容を踏まえて学習しながら、パソコンの基本やインターネットなども計画に繰り込んだ。デスクトップの整理、フォルダとファイル、フリーズしたら、単語登録などをやってみた。また、パソコンの基本は文字入力と考え、資料を作成して会員と一緒に学んでいこうと4月はスタートした。

  「フルムーンの旅 四日目の夜 鮒屋(ふなや)でよかった 」

   
道後温泉本館にほど近い場所にある、老舗旅館。玄関の大きさはさほど感じませんでしたが、館内の奥行きの広がりと庭園の立派さは素晴らしく、廊下、客室等の様々な場面から眺められました。
創業380余年の歴史が伝えるおもてなし道後温泉の老舗「ふなや」を堪能、詠風庭を回遊し明治の空気を満喫。

 
客室も広く和室も老舗らしい造りに温泉、食事、おもてなし、寝具と、とても満足しました。
大浴場が檜湯と御影湯の2つありどちらも広くきれいで清潔感のある落ち着いた浴室でした。
大きい湯船にゆったり全身を伸ばし高い木の天井を見ていると明治の文豪や時代を動かした人と同じ空間にタイムスリップしている錯覚に浸りなんとも楽しい気分になれる。



 
 本館と南館に分かれていて間を小川が流れていてそこは中庭に照っています。なにかゆとりを感じます。
この両館を結ぶ橋を「もみじ橋」とよんでいる。これは正岡子規が逗留した時「亭ところ々 渓に橋ある 紅葉哉」と詠んだことから「もみじ橋」と名づけられた。この橋の手前に明治時代の有名人の写真があった。総理大臣伊藤博文、総理大臣 井上馨、与謝野鉄幹、晶子夫妻、正岡子規、夏目漱石など。 


ロビーには昭和天皇ご宿泊の洋間が移築展示されて自由に入ることが出来、いたるところに古き歴史を肌で感じることの出来る本当に落ち着ける宿でした
ふりかえっても私には欠点が思い起こせなかったのがすばらしかった。


道後温泉

2015-04-07 15:29:29 | 旅行
2015年4月7日(火)くもり 7.5℃~4.2℃

 4月初めは17度、18度の暖かい日が続き梅の蕾は膨らみ少し咲き始めていた。鶴ヶ城もライトアップされて夜桜を見る日も近いと思っていたが、日本列島を寒気団が覆い、会津ばかりでなく東京でも雪が降った。寒の戻りである。しまい込んだ冬物や湯たんぽを出した。風邪などひかないように気を付けたい。
  「フルムーンの旅 四日目の夜 道後温泉・ふなや(泊) 」

約1月前の3月上旬の四国周遊の旅行なので今の季節にはあわないことがあると思いますが、もう少しお付き合いください。
 今まで香川県とか徳島県には市民憲章全国大会などで訪ねたことがあった。しかし四国全県を回ることはなかった。阪急トラピック倶楽部から情報誌1月号東北版が届いた。その情報誌に「春の四国周遊ご夫婦フルムーンの旅」があった。往復新幹線利用、最寄りJRより出発可能の見出しに惹かれて参加した。


 特に道後温泉は日本三古湯の一といわれる。
夏目漱石の小説『坊つちやん』(1905年)にも描かれ、愛媛県の代表的な観光地となっている。どうしても訪れたいところであった。
その存在は古代から知られる。古名を「にきたつ」(煮える湯の津の意)といい、万葉集巻一に見える。なおかつてはこの周辺が温泉郡(湯郡)と呼ばれていたが、これはこの温泉にちなむ地名である。伊予国(いよのくに)という名前も湯国(ゆのくに)が転じたものという説がある。


 

写真で見たとおり、 まるでタイムスリップしたかのような建物です。 建物の外には写真を撮る観光客が大勢いましたが、 中に入ってみるとそれほど混雑もしていませんでした。
入浴パターンは下記の四種類だったが、パターン1「神の湯階下(1階)」の西の湯に入った。湯船は少し深い。そして熱めの湯。長湯できないようにしているらしい。自分で持ち込んだ石鹸で体を洗い、早々と上がった。昔々学生時代に通った銭湯と同じ感覚であった。懐かしい。







早々と入浴を終え、商店街を散策し道後温泉駅前の「放生園」へ。
そこには「からくり時計」や蒸気機関車などが「足湯」と共にあり、30分毎にからくりが出てきた。
少しばかり足湯に入り、からくり時計の時報を聞き、今晩の宿「ふなや」へ戻った。
バス走行距離:約235km


道後温泉本館の入浴パターンは下記の通りである。

入浴パターンは四種類
パターン1 「 神の湯 階下 」
道後温泉 本館、千と千尋 油屋のモデルとなった 温泉!
神の湯階下、というのが、一番リーズナブルなプラン。
一般的な銭湯と同じ感覚で、入浴する料金のみ。
タオルとか何もついてない。420円。
パターン2 「 神の湯 2階
2階にある 神の湯 というお風呂に入浴して、
2階の大広間で休憩できるプラン。
貸し浴衣、茶菓子が付いてくる。 840円 で、持ち時間 は1時間。

2階にある 霊の湯 というお風呂に入浴して、
2階の広間(パターン2の広間とは別)のところで休憩できるプラン。
貸し浴衣、貸しタオル1枚、茶菓子が付いてくる。
1250円 で、持ち時間 は1時間。

パターン4 「 霊の湯 3階個室 」
お風呂は、霊の湯 か 神の湯 で入浴、3階にある
個室で休憩できるプラン。貸し浴衣、貸しタオル1枚、茶菓子、
坊ちゃん団子 が付いてくる。1550円 で、持ち時間 は1時間20分。







JR予讃線 海沿い

2015-04-05 19:28:07 | 旅行
2015年4月5日(日)くもり13.4℃~6.9℃

  「フルムーンの旅 四日目 いよいよ愛媛県へ 」

四万十川の舟下りを終え「川のり」の瓶詰めを買いバスで宇和島へ。いよいよ愛媛県の観光の始まり。
四国旅行をしていていろいろな郷土料理を食べてきたが、宇和島で食べた「鯛めし」は絶品でした。

宇和島の名物料理といえば、第一に名前が挙がるのは間違いなく鯛めしです。鯛めし は宇和島の地元の人々だけでなく、今では全国から食べに来るほど有名な料理となりました。

宇和島の鯛めしは、お刺身に「たれ」をからめて食べます。
宇和島でとれた新鮮なマダイの刺身を、だし汁、しょうゆ、酒、卵黄などで作ったタレと混ぜ、アツアツのご飯の上にのせ、薬味をかけて食す丼料理。
発祥は伊予水軍が戦中に手軽に食べられる料理として考案されたのがはじまりとされ、その後漁師の間で船上料理として受け継がれてきたといわれています。

昼食後は海に一番近い駅のあるJR予讃線ロカール列車に伊予長浜駅から乗車。ホームに出ると目の前に満開の桜。3月上旬にこの光景がみれてよかった。




予讃線は、瀬戸内海と宇和海に沿って香川県高松市の高松駅から愛媛県松山市の松山駅を経て、愛媛県宇和島市の宇和島駅に至る四国旅客鉄道の鉄道路線である。


 運転席のそばで前方を見ていたのと駅の停車時間が短かったので下灘駅の写真はネットから借りました。

 海の見える無人駅、下灘駅。

下灘駅は、かつて「日本一海に近い駅」とされていた愛媛県伊予市双海町にある海辺の無人駅。ホームに立つと目の前には穏やかな伊予灘の海が広がっています。
松山駅からは約50分程にある本当に小さな小さな駅ですが、そのロケーションの良さから、青春18きっぷのポスターに 3度選ばれたことがあります。また、『男はつらいよ』シリーズ(第19作)で渥美清扮する寅さんが寝転んでいるシーンに使われたほか、ドラマ「HERO特別編」など数々のテレビドラマやCM、映画のロケ地になっています。ザ・ベストハウス123では「一度は降りてみたい!日本の美しい無人駅BEST3」としても紹介されました。


足摺岬観光から四万十川へ

2015-04-04 17:38:09 | 旅行
2015年4月4日 (日)晴18.6℃~6.7℃

  「フルムーンの旅 四日目 高知県から愛媛県へ 」

 四日目 今回の旅行ではじめて快晴。青空が気持ち良い。ホテルを午前8時にバスで出発。


約10分で岬公園に着いた。地元のボランテイアガイドの案内で公園内を歩いた。初めにジョン万次郎の像で説明を受けた。



土佐清水市のホームページによると
『足摺岬を洗った、滔々たる黒潮の流れは、日本列島を北東に進み、ついには北アメリカ北西海岸に達する・・・
 幕末の世、土佐の中浜村に生まれたジョン万次郎の一生は、まさにこの雄大な黒潮そのものといえるでしょう。その数奇な運命と独自の才覚によって、近代日本の夜明けともいえる時代に日米の架け橋となる幾多の業績を残しました。
 14才の時、出漁中に漂流し、アメリカの捕鯨船に救助され、やがて船長にその才能を認められた万次郎は、船長の故郷マサチューセッツ州フェアヘーブンで英語、数学、測量、航海術、造船技術などを学びます。 やがて日本に帰国し、それらの貴重な知識や技術、体験は幕末から明治にかけての日本の夜明けに、日米の友好をはじめとする国際交流の礎に多大の影響を与えています。
 現在、日本と最も友好関係にある国といえるアメリカ合衆国。その国の歴史に、おそらく日本人として一番最初に名を留めた人物、ジョン万次郎。
 150余年前、四国最南端の小さな漁村から、最初の国際人として語られることになるドラマチックな生涯と、彼を育んだ人々の優しさに満ちた心に触れ、日米をはじめとする国際交流の原点を感じとっていただければ幸いです。 』

整備された公園を約30分歩いた。特に、四国最南端の岬。紺碧の海が広がる太平洋に突き出た足摺半島の先端の岬。展望台からは180度以上の視界が広がり、自然が織りなすダイナミックな景観があり、地球の雄大さを感じずにはいられない。



また、バスに乗り国道321号(サニーロード)を車窓から土佐湾を眺めながら宿毛(スクモ)まで。途中寄り道して入田河川敷の菜の花畑をみた。旅行したのは3月上旬だったので写真を撮った。


ホテルを出発した時は晴れていたが四万十川の船着場に着いたころは曇天。屋形船に乗船して満々と水をたたえて流れる清流を舟下り。周囲に奇岩奇石や名所があるわけでなく船頭のお喋りを聞きながらの舟下りは期待はずれであった。護岸工事をしていないので大水が出ると数メートも増水するそうです。その残骸が周囲のがけや高い樹木の枝にひっかかていた。




 四万十川といえば沈下橋(ちんかばし)。全部で47橋(本流21橋、支流26橋)もの沈下橋がある。
そのうち四万十市には20橋(旧中村市:本流4、支流1。旧西土佐村:本流5、支流10)がかかっている。
 佐田の沈下橋は、その中でも一番下流にあり、最も大きな沈下橋で長さ約300mもある。大雨などの増水時に、水面下で流されさないよう欄干をつけない、橋脚・橋梁の角を丸くするなど水の抵抗をなるべく受けないよう工夫されている。
 欄干がないので少し心配かもしれませんが、車も通れる。船頭の話では数年に一度くらい転落する車もあるそうです。






足摺温泉郷

2015-04-03 18:23:42 | 旅行
2015年4月3日(火)雨 17.2℃~3.8℃

朝方はまだ寒いが昼間は暖かい。裏庭にはいつの間にか福寿草、フキ、クロッカス、スイセン、ヒヤシンス、パンジー、スミレ、ヒトリシズカ、ショウジョウバカマ、ヒマラヤユキノシタ、オドリコソウ、つくし、ツバキが咲いていた。 春がやって来た。梅や白モクレンはつぼみが大きく膨らみ明日あたり開花するかもしれない。

  『フルムーンの旅 三日目 足摺パシフィックホテル 花椿』

 岬の方から山道を走り続けると、足摺岬の宿を幾つも通り過ぎてホテルに到着した。女将をはじめ従業員が玄関に並び明るく笑顔で迎えてくれた。ホテルの案内もとても分かりやすく好感が持てた。
 ホテルの建物は、昭和時代からのため外観は古いが、内装はきれいにリニューアルされていた。結構、ホテルの方の思い入れが内装のデザインからも、うかがえた。
 ロビーには、歴代天皇がご訪問された時のお写真が大きく飾られている皇室ご用達の由緒あるホテルであることがわかる。部屋もゆったりして海側で眺めもよかった。夕食前に入浴したが、内湯から露天風呂へは500mほどの廊下で大浴場、露天風呂へたどり着くまでは、かなり階段を歩くので少々大変だった。朝は部屋の樽風呂に入った。


夕食は高知で有名な「皿鉢料理(さわちりょうり)」がでた。大皿に刺身から羊羹まで多彩な料理が盛られている。この皿鉢料理は、本来、女性のためのものだそうです。「甘いものも辛い物も全部皿にのせて出せば、あとは酒の燗をつけるだけ。女性が立ち働くことなくいっしょに飲める。こどもやお年寄りに一番おいしいところを食べさせておんちゃんは皿鉢料理端っこをつまんで飲む。翌朝は「残するがや」と皿に残ったサバ寿司を炙ってまた一杯。」
このようなおもてなしを土佐の「おきゃく(宴会)」というそうです。



 地酒を飲み料理を味わっていると舞台では従業員による「しばてん」踊りが披露された。しばてんは河童の妖怪で酔っぱらたおんちゃんを呼び止め相撲をとろうと誘い込む。高地では深酒して帰ったおんちゃんは、はちきん(高知のしっかり者の女性)女房に叱られると「しばてんに会うて相撲をとりよって」と言い訳するのだとか。踊りのしぐさに大笑いしながら愉しいひと時を過ごすことができた。



鰹のわら焼き

2015-04-02 16:31:55 | 旅行
2015年4月2日(木)晴 17.8℃~1.3℃

  「フルムーンの旅 三日目 鮮度抜群の鰹を食べる 」

 ホテルに到着する前に忘れてならないことがありました。コースには予定がなかったがトイレ休憩をした。
 せっかく南国土佐に来た。鰹の刺身を食べないわかにはいかない。添乗員の配慮で鰹のわら焼きが食べられる店に立ち寄った。
 スラリーアイスで船上冷蔵された鰹は、麦わらで表面だけ焼いてたたき、豪快な炎で皮から3ミリ程度焼く。


にんにく、玉ねぎ、ゆず、ネギ、大葉、みようがなど季節の薬味をたっぷりのせた「醤油たたき」を食べた。香りと脂が口いっぱいに広まった鰹がこんなにおいしいとは思わなかった。
 このほか「塩たたき」がある。焼きたてのたたきに天日塩をかけて食べる。これが最高だという人もいる。
 お土産に高知名物の文旦を自宅へ送った。




大歩危峡

2015-04-01 17:21:54 | 旅行
2015年4月1日(水)雨9,1℃~5.9℃

 昨日はあんなに気温が上昇し汗ばむ日であったが、今日は反転して気温はグーッと下がって1枚余計に羽織る。
 このように日替わり弁当のようなお天気がこの時期かな。マスクをしている人が増えている。かぜかなそれとも花粉症かな?

 花粉症はいつから増えたのだろう。杉花粉だけでなく、粉塵も、ブタクサも原因は多種多様である。
 食生活の変化で体質的にアレルギーが起きる。戦後の杉植林の伐採、枝切などの手入れなどをしていない荒れた山が多くなったためだろうか。
 中国大陸からの黄砂やPM2.5の発生だろうか。
 眼がうるうる、鼻がくすん、飯水がたらり、花粉症は大変つらいらしい。 幸い花粉症は発症していないが、時々涙目になることがある。
  「フルムーンの旅 三日目 大歩危峡へ 」

 かずら橋を出発して大歩危のドライブインで昼食。「大歩危」の読み方はわかりますか。「大歩危=おおぼけ」と読みます。大歩危峡は剣山の山脈を横切る吉野川がつくった深い峡谷。大またで歩けば危険という昔の難所。舟下りができる。
大歩危駅は無人。それでも入り口には、妖怪人形の駅長が歓迎してくれた。

レストランの食事では特急南風7号に乗車するために時間調整をした。レストランから眼下にみえる吉野渓谷のそそり立つ奇岩はすごい。



列車の外側や天井がアンパンマンのキャラクターが描いてあった。会津鉄道やJRでは野口英世博士や新妻八重子などを表現。大人も子供も微笑が生まれ心が休まる。

特急南風電車は漫画家「やなせ たかし」※1の故郷。妖怪駅長やアンパンマンの姿にマーキングした電車が運行されていた。約1時間で高知駅に着いた。そこで特急あしずり号に乗り換え、1時間半乗車して窪川駅で下車。先回りしていたバスに乗り、約1時間半かけて足摺温泉郷・足摺パシフィックホテルへ。移動時間が長く疲れた一日であった。

<バス走行距離:約330km>

※1やなせたかし経歴(プロフィール)
日本の漫画家・絵本作家・イラストレーター・歌手・詩人・作詞家。日本漫画家協会理事長、日本漫画家協会会長などを歴任。本名:柳瀬嵩(やなせ・たかし)。1919年(大正8年)2月6日現・東京都北区で生まれる。出身は高知県。漫画の代表作に『アンパンマン』。作詞家として『手のひらを太陽に』を作詞した