東郷神社境内に
「海軍経理学校正門敷石」の碑があり
その前に敷石が縦に敷き詰められている。
海軍経理学校の沿革が説明されている。
「明治7年10月、芝山内天神谷に設けられた
海軍會計學舎は幾度かその名稱を変え
明治40年海軍経理學校となった。
この間校舎も数度位置を変えて、
明治21年に築地の松平樂翁公邸の浴恩園跡に移り、
更に昭和7年同じ築地の墨田川河畔
(現在の勝鬨橋右岸)に移築された。
昭和20年9月、71年間の歴史を閉じるまでの
同校出身者は一萬名を超え海軍主計科の基幹要員として
海軍戦力の一翼を担い輝かしい功績を挙げた。
その間諸戦没事変に際會して國に殉じた者も多く、
又軍務を離れても各界各方面で活躍し
我が國の興隆発展に多大の貢献をしている。
昭和55年5月 浴 恩 會
(海軍経理學校同窓会) 」
同じ文面が 靖国神社境内にもあった。