火災と津波によって破壊されたリスボンの市
これまでに 1755年11月1日に発生した
リスボン大震災に触れてきたが
この大地震は 推定マグニチュードは
8.5 - 9.0ともいわれ
2011年の東日本大震災は 9.0
同規模であるのでその被害は想像できる。
発生から40分後に
6~20mの津波が2回にわたって襲い
5日間燃え続けた火事で
大航海時代以来栄華を誇った
リスボンは 建物の85%は破壊され
瓦礫の山と化した。
当時リスボンの人口は
約27万であったが約9万人が死亡した。
そのヨーロッパ史上最大の震災からの
緊急措置・復興を担うことになった
宰相のセバスティアン・デ・カルヴァーリョ
(後のポンバル侯爵)は
食糧・飲料水の供給、物価の統制
仮設住宅の建設
軍隊の出動による治安の維持
消火隊の組織化
疫病防止のための
死体処理(水葬)を進めるなど
精力的に被災者の救済に当たった。
このことは近代地震学の始まりとも。
また 祈りでは無く科学の考え方に基づく
災害に強い都市造りに挑んだ。
このポンバル様式の建築は
世界最初の耐震建築ともいわれている。
今ではリスボンは
「麗しのリスボン」ともいわれている。
(参考資料:ウィキペディア)