軽井沢には
「軽井沢」「沓掛」「追分」と
三宿あり
追分宿は 中山道69次のうち
江戸から 20番目 40里
約160kmの宿場になる。
参勤交代以降繁栄し
元禄時代には 旅籠屋 71軒
茶屋 18軒、商店 28軒を数え
飯盛女も 最盛期には
200~270人も いたとされる。
*飯盛女は
近世日本の宿場に
存在した私娼である。
宿場女郎ともいう。
江戸時代、
娼婦は 江戸の吉原遊廓ほか
為政者が定めた遊廓の中ので
営業が許されていたが
飯盛り女に限っては
「宿場の奉公人」という名目で
半ば 黙認されていた。
(ウィキペディア)