あかない日記

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信州紀行 軽井沢15 雨宮邸

2020-01-27 | 国内・長野

 

歴史民俗資料館がある 離山は
中軽井沢と旧軽井沢の間に
位置する標高1256mの小さな山

1時間程で登れる。

その麓に広がっているのが
「離山公園」

園内には 旧雨宮邸・市村記念館
(旧近衛文麿首相別荘)
・軽井沢民族資料館
・町立図書館 が並立し

軽井沢の文化と歴史の
多くを知ることができる。

旧雨宮邸は雨宮御殿とも呼ばれ
重要な文化遺産である。

雨宮敬二郎(1846-1911)は
山梨の名家に生まれ 
生糸、養蚕業で成功し

明治時代一代にして財閥を
築いた人物であり

甲州財閥集団の一人
「天下の雨啓」
「投機界の魔王」とも呼ばれ
軽井沢の開発者として知られる。

1883(明治16)年
最初は 軽井沢の荒野を

ぶどう畑にしようとしたが 
気候が合わず失敗
やむなくカラマツを植樹したところ
これが成功し 年30~40万本を植え
最終的には700万本も植えている。

更に 軽井沢に最初の
別荘が建つよりも早く

軽井沢の拠点として離山のふもと
中山道沿いの
この地に事務所として

100坪の邸宅を建設した。

また 明治の末期には120坪の
新座敷建設し
政財界の賓客を迎えていた。

雨宮亡き後は 
夫人の弟・市村藤吉氏が

軽井沢での事業を受け継ぎ
さらにその息子の市村今朝蔵氏が
引き継いだが
その代で雨宮家の事業は没落した。

 

*甲州財閥とは
明治期顕著な経済活動を行っていた
甲州(山梨県)出身の
実業家たちのことで


著名な人物は
若尾逸平、若尾幾造、若尾璋八、
雨宮敬次郎、根津嘉一郎、
小野金六、穴水要七、小池国三、
佐竹作太郎、神戸挙一がいる。

その中でも
若尾逸平と雨宮敬次郎は
二大巨頭と言われている。

   西の家

新座敷

新座敷は 明治末期に建築され
総理大臣「伊藤博文」が
招かれたといわれる。

この他政府・財界の大物が
軽井沢に避暑に来る折
この屋敷に宿泊している。

 



蔵の中では
年間を通して絵画、創作家具、漆器、

パッチワーク等のさまざまな
展示会が催されている。