右から 於菟 茉莉 杏奴 類
(直球和館・森鴎外から)
森鴎外には 3男2女の子供がいた。
なお 次男・不律(フリッツ)は夭逝している。
*長男は先妻・登志子との子
以下は後妻・志げとの子
写真の撮影日は不明だが
背景にデッサンやイーゼルが見えることから
1931(S6)年 杏奴と類は
画家・藤島武二(1867-1943)に師事しており
渡欧する前と思われる。
当時の年齢は 41,28,22,20歳
長男・於菟〔オト・Otto〕 (1890-1967)
台北帝大学医学部 東邦医大の教授
長女・茉莉〔マリ・Marry〕 (1903-1987)
二度の離婚後50歳過ぎから小説家・随筆家
次女・杏奴〔アンヌ・Anne〕 (1909-1998)
洋画家小堀四郎と結婚 後に随筆家
三男・類 〔ルイ・Luis 〕 (1911-1991)
当初画家を志したが随筆家に
皆 今風の名だが 明治期には
とても考えられない名がつけられている。
鴎外が 世界に通用するよう
特にフランス語 ドイツ語でも
読めるようにと命名した。
なお 子供たちの子(孫)も
鴎外が名付け親となり
○於菟の子
長男・真章〔マクス・Max〕(1919-2000)
次男・富 〔トムTom〕 (1921-2007)
三男・礼於〔レオ〕 (1925-2000)
* 四男・五男は於菟が命名した
四男・燓須〔ハンス〕 (1928-2007)
五男・常治〔ジョウジ〕(1931-2015)
○茉莉の長男・𣝣〔ジャク〕(1920-1993)
○弟・潤三郎の子 兌〔トオル〕
さらに
与謝野晶子(1878-1942)の双子
長女「八峰」 次女「七瀬」
*経緯は 鴎外が誕生祝いに晶子に送った歌
「聟きませひとりは山の八峰こえ
ひとりは川の七瀬わたりて」
○子供たちの著書(主として家族関係)
於菟 「父親としての森鴎外」(1955年)
茉莉 「父の帽子」(1957年)
「父と私 恋愛のようなもの」(2018年)
杏奴 「不遇の人 鴎外―日本語のモラルと美」()
「晩年の父」(1936年)
「母への手紙」(1947年)
「父」(1957年)
類 「鴎外の子供たちーあとに残されたものの記録」(1995年)
「森家の人びとー鴎外の末子の眼から」(1998年)
「鴎外の三男坊―森類の生涯」(1997年)
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