あかない日記

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画家 河野通勢

2021-03-31 | 人物忌

 

3月31日は 
画家 版画家  河野通勢 が亡くなった日

河野通勢( こうの みちせい)
風景画  人物画  銅版画  木版画
小説の挿絵・装丁 山水画  南画など

多岐にわたり作品を残し 
画風も題材や時期によって
様々なものになり 
舞台美術も手がけている。

代表作には関東大震災に取材した
多数の銅版画が挙げられる。

 

河野通勢は

1895(M28)年 
 長野市南長野(群馬県伊勢崎市とも)で出生

1914(T3)年 
 旧制長野長野中学14回生として卒業

同年  第1回二科展に初入選


その後  岸田劉生らの草土社で活躍し

細密な描写とデッサン力で
注目を浴び 多くの人を魅了する。

さらに大正期後半以降
挿絵を描きはじめ

・長与善郎「項羽と劉邦」   (1920)
・白井喬二「富士に立つ影」(1924)

など数々の作品を生み出し
活躍の場を広げていった。


 

 特に 武者小路実篤 (1885-1976)とは
「白樺」や草土社の活動を通して知り合い

 以後、実篤が主宰した大調和美術展覧会や
 新しき村美術展に参加し

 新しく村の活動にも様々な形で協力した。

 中でも実篤の作品の装塡を
 数多く制作し

 代表作「井原西鶴」(1931)や
「七つの夢」「気まぐれ日記」「金色夜叉」
 などの挿絵を描くなど
 生涯にわたり実篤と深い交流があった。

2003(H15)年 
 調布市武者小路実篤記念館では
「河野通勢と実篤」として
 特別展が開催されている。


1950(S25)年3月31日 
 肺炎により死去 享年55

 

なお 父の 河野次郎 (1856-1934)は
 長野師範学校の図画教師も務め

 高橋由一 (1826-1894)の門下で洋画の
 普及・教育に尽力した洋画家であり

 後に写真家となった
 熱心な正教徒であった。

 
 通勢も 9歳(1903年)の時に
 洗礼を受け  聖名は「ペトル」。

 
 このことから キリスト教  正教に
 題材にした作品も数多い。

 

 



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