あかない日記

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小説家 井伏鱒二 2

2020-07-13 | 人物忌




ここで 井伏鱒二は 
以前触れた林芙美子と
関わりがあつた。

1931(昭和6)年4月 
林芙美子の誘いを
受けて尾道で講演会に参加し

その翌日 因島に渡り
土井医院を訪れている。

 (当時 井伏 43歳 林 27歳)

井伏が かつて早稲田大学を
休学して憂悶の日々を送った折に

当地で下宿を提供してくれた
土井医院の長男が
病死したための墓参であった。

また  後に井伏の有名な
唐詩選の于武陵「勧酒」を
和訳する際
「人生足別離」を
「サヨナラダケガ人生ダ」
としたのは 
この時
因島を離れる船上で 

林芙美子が
「人生は左様ならだけね」と
言った言葉にあったという。

しかし 林芙美子が
他人様の墓参に
因島まで行ったのか?


林の年譜1923(大正12)年
20歳の項には

「大学を卒業して郷里の因島に
帰った岡野は
そのまま
日立造船因島工場に就職し、
家族の強い反対を理由に、
芙美子との結婚の約束を
破棄してきた。」

* 岡野とは 芙美子が女学時代に
知った明治大学の学生岡野軍一で

芙美子は女学校を卒業と同時に
岡野を追って上京し
1年ほど岡野と同棲している。

とあるので そのことが
因島行きになっている。

なお「放浪記」には
「私を捨てて去って行った島の男」
としている。

*于武陵(うぶりょう)「勧酒」の訳は
  創作詩と有名漢詩の訳文からなる

 井伏最初の詩集「厄除け詩集」
(1937・昭和12年刊行)の一訳文。

 


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