あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

インド紀行 43  サス寺院 

2015-12-16 | インド紀行

 

 

宮殿「マン・シン・パレス」から
南に移動したところに 

11世紀に建造された 
ヒンドゥー教の二つの寺院がある。

「サス」は“義理の母親”
「バフ」は“義理の娘”の意味で
夫々 信仰する神は違い 義母は「ヴィシュヌ神」を、
義理の娘は「シヴァ神」を信仰していたため 
隣り合って 二つの寺院を建てたという。

その一つ 手前の「サス寺院」は
大きく重厚で
内部の巨大な4本の柱が
建物全体を支えている。

因みに 義理の母親”が信仰した「ヴィシュヌ神」は
資料によると ヒンドゥー教の3最高神の一人。

宇宙の維持を司る神とされ 
青黒い肌と蓮華の様な眼

4本の腕にはそれぞれ「円盤」「法螺貝」
「棍棒」「蓮華」を持った姿で表される。
 また ガルダ(金翅鳥)に乗って
空を飛ぶ姿もよく知られている。

ヴィシュヌ神は 
アヴァターラ(化身)と呼ばれる

10の姿(「魚」「亀」「猪)」「人獅子)」
「矮人」「斧を持ったラーマ」「ラーマ」
「クリシュナ」「ブッダ(仏教の始祖)」「カルキ」)に
変身して地上に現れるとされる。

特に クリシュナは 叙事詩「マハーバーラタ」で

ラーマは 叙事詩「ラーマーヤナ」で語られている。



インド紀行 42 インドのジャンヌ・ダルク

2015-12-15 | インド紀行

 ホテルロビーに掲げている「マハラニ」

 

この「グワリオール城」には
 まだ物語がある。

 1857年に「インド大反乱」が 勃発したおり
インド中部 グワリオールの南東にあった
マラーター同盟の小王国
ジャーンシー藩王国の王妃(マハラ二)で
あった「ラクシュミー・バーイー」が
このグワリオール城に 立てこもったが
イギリス軍の攻撃を受け
ラクシュミーは 
前線で 指揮中に狙撃されて戦死し
グワリオール城は 陥落している。

その ラクシュミー・バーイー
(1828~1858年)は 

美貌だけでなく 民衆を惹き付ける
カリスマ性と 優秀な戦術能力を備え
この勇敢な行動に
「インドのジャンヌ・ダルク」
ともいわれている。

なお インド大反乱は 
1857から59年の間にインドで起こった

イギリスの植民地支配に対する民族的反抗運動。

 


インド紀行 41 マハラジャ

2015-12-14 | インド紀行

 

 「マハラジャ」

 

かつて 80年代 日本のバブル時代に
「マハラジャ」なる言葉を
耳にしたことがあったが

マハラジャの語源は 
サンスリット語で「マハ」は“偉大な”
「ラジャ」は“王”を
意味し
ヒンズ-教徒の「藩主」をいう。


カースト制度では バラモン(僧呂)に次ぐ 
(王族、武士)階級に属している。

 先のマン・シン・トマル王も
「ラジャ」であったが

その後 ラジャの権力が大きくなり
「マハ(大)ラジャ(王)」と呼ばれるようになる。


王族らは ムガル帝国時代
イスラム教の支配に対し 

ヒンドゥー教の擁護者として
地方にその勢力を延ばした。


この関係は インドがイギリスの
植民地になった後も続き

イギリス保護下の藩王国の
王の称号として用いられるようになった。


因みに「ラジャ」の女性形は “ラニ”(王妃)で 
マハラ二(大王妃)という。
マハラジャの夫人で
マハラジャの位を持つ女性をいう。

 


インド紀行 40 ジャイナ教彫像

2015-12-13 | インド紀行

 

 

前回インド人宗教の割合を話題にしたが 
その割合が 極少ない「ジャイナ教」について。


このグワリオール城塞に来る前 
車で南側から城内に登る途中 

城壁の断崖の岩に数10mにわたり
数々の彫像があった。


これらは ジャイナ教の聖者の像で
 ティルタンカーと呼ばれる

24人のジャイナ教教祖の像
 16世紀に建造されたという。


一番大きい像は19mもあり
教祖の一人である パルスヴァナートの像。


「ジャイナ教」の聖者は“真っ裸”で過ごし
 服も下着も靴も何も所有しないことは

「無所有」という戒律によるもの 
また 虫一匹でも一切の殺生を
禁じているということから
裸になっている。




インド紀行 39 シク族

2015-12-12 | インド紀行

 

 

頭にターバンを巻いた「シク教徒」一行も
我々と同じく宮殿内を見学している。

我々一行に
「一緒に写真を撮らしてくれないか?」と

盛んにアピールし来るので
こちらも 願ったりと一緒に写真をとりあった。

何故 一緒に写真をとりたがるのかと
現地ガイドに聞けば 

「彼らは人慣れし 
  また 肌の白い人と写真を好んでいる。」という。


インド人といえば “ ターバンとヒゲ“ が
インド人の代名詞・イメージになっているが 

このターバンとヒゲを蓄えるインド人は シク教徒で
インド人全体に占める割合は 2%にも満たないのだ。

それが外国でインド人の代名詞のようになったかは
中国の華僑のように シク教徒は 海外志向が強く
他のインド人より海外へ多く進出しており

海外に定住しているインド人の
3分の1がシク教徒だともいう。

それ故 その代名詞につながっていたのではといわれている。

因みに インドの宗教割合は

ヒンドゥー教徒79.8% イスラム教徒14.2%
教徒2.3% シク教徒1.7%、
仏教徒0.7% ジャイナ教徒0.4% 
            (2011年国勢調査)

 


インド紀行 38 中庭

2015-12-11 | インド紀行

 

 

マン・シン・パレスの中に入る。
地上2層 地下2層の建築で 
砂岩に浮き彫りが施され

小中庭を囲む各室には
さまざまな形の天井が作られる。


現存するヒンドゥー宮殿の中で最も古く
同時代のマンドゥーの宮殿建築

次世代のファテープル・シクリ等
イスラーム宮殿と比較する上でも
重要な遺構になっている。

 内部は 王部屋 御后の部屋 
踊り場 謁見所など数多くの部屋で構成され

地下には 御后様用のプール 
夏用の部屋が作られ 

ムガル朝時代には 牢獄としても使われたという。

上写真は 踊りを鑑賞する王・王妃の観覧席に
また 裁判のときは裁判事席になった。

 


インド紀行 37 城壁飾り

2015-12-10 | インド紀行

 

 

城壁の装飾をよく見ると

種々の動物たちが 

模様のごとく彫刻されている。


これらは ヒンドゥー教の聖なる動物として

神聖視されて彫刻されているそうだ。


その代表的なもの

「トラ」→ シヴァ神の腰巻きや
       ドゥルガー神の乗物にもなっている。

    「象」→ ガネーシュ神が象の頭を持っていること
       インドラ神の乗物である。

    「水鳥」「アヒル」→ 梵天(ブラフマー神)の乗物

    「白鳥」→ サラスワティー神の乗物として
    「ワニ」→ ガンガー神 ヤムナー神などの
       ナルマダ・デヴィ(川の神様)が
       
乗る動物として描かれている。
 


インド紀行 36 マン・シン・パレス

2015-12-09 | インド紀行

 

 

ツアーバスは グワリオール城内へ

駐車場で下車し 北方向に進むと 

黄色の砂岩の壁面と はめ込まれた

ターコイス色のタイル模様との

コントラストが 鮮やかな城壁が 目に入ってきた。

ラージプートのマン・シン時代(1486~1516年)

1508年に マン・シン という王様が建てた

ヒンズー建築を代表する宮殿

「マン・シン・パレス」だ。


6つのドーム状の塔が建ち

地上2階 地下2階建て

今まで海外のいろいろな城壁を見てきたが

この独特な色彩に感動ものだ。

グワリオール城塞内で 

最大の見所になっている。


説明では マン・シンという王様には

9人の奥さんがいたという。

 


インド紀行 35 城塞

2015-12-08 | インド紀行

 

                             城塞の一部を望む

「グワリオール城塞」は 
平原にポツンとある
標高100mほどの
テーブルマウンテン状の小高い丘に建てられ

その丘の全周を 長さ2.4km 
幅300~800mの 城塞で囲み

10mの城壁により守られている。

そして 街のどこからでも望め 
来る列車の中からも見ることができた。

 14世紀のトーマラ族という ラージプート勢力のとき
大いに栄え 現在のグワリオール城の形は
この勢力のマン・シンという王が築いている。

城への入口は 南側(ウルヴァイ門)と
北東側(アラムギリ門)があるが
車で上まで上がれるのは 南側のみで
一車線しかないので 行き来には注意が必要だ。

現在 城中には 宮殿や寺院など いくつかの建物があり
現在学校になっているものもある。

 


インド紀行 34 グワリオール

2015-12-07 | インド紀行

 

                                     城塞からみるグワリオール市街

 

マディヤ・プラデシュ州北部の都市
グワリオールは
ラージプート ローディ朝
ムガル帝国 マラーター王国

大英帝国と 入れ替わり立ち代わり
様々な勢力がこの地を支配してきて
波乱の歴史を刻んでいる。


地名の由来は 5~6世紀
スーラジ・セーンというラージプートの王が
 
この丘で狩猟をした際 “グワリパ”という
聖人の勧めで溜池に誘導され

喉の渇きを満たしたという話があり
ここからのようだ。


この「グワリオール」という町
かなり歴史的な都市でもあり
世界遺産的な建造物も多いのに
 
旅行ガイドブック「地球の歩き方」
その他のガイド本を見ても
どこにも 掲載されていないのだ
何故か 不思議だ。

現在のグワリオールの人口は 約83万人

 


インド紀行 33 グワリオール駅

2015-12-06 | インド紀行

 

 

シャタブディ急行 12002号は

ニューデリー駅を出て 

アグラーには 8:06に着くが 

ほとんどの観光客は インドで最も有名な

建造物タージ・マハルがあるので

降りてしまい 車内は閑散となった。

そして モレナを経由して 

我々の降車駅グワリオールには

デリーから 約300km南にあり


遅れることなく定刻の 9:30に到着した。

駅前に待つ ツアーバスまで

荷物を引きずりながら行く途中 振り返れば 


駅舎の屋根にはミナレットが見え

イスラム式の小さな駅であった。

しかし ここもニューデリー駅並みに

車 人で混みあっていた。

 

 

 


インド紀行 32 警備

2015-12-05 | インド紀行

 

 

我々の列車は 遅れることなく

順調に田園の中を走りいく。


突然 途中駅から 機関銃を持ったポリス?

いや軍人と思われる10人近くの一行が

乗車してくるではないか 

目の前で機関銃を見るのは

初めてで 少々緊張した。

特別事件が起こった 様子ではなく 

隣同士 にこやかに 談笑しているので

その緊張も 和らいだが 

そして また途中駅で 下車していった。

ただの移動のようだった。

しかし 先日 パリ市内で 同時テロ事件があり

130人の方が 亡くなられたという

かつて パリで聴いた 

パトカーや 救急車のサイレンの音が


再び 呼びかえってきたが。

決して他人事ではない 

いつどこで 何が起こるのか

我々も 今海外に来ているので

この軍人一行を見て 

これから先の行程が 無事であるよう願ったが。

 

 


インド紀行 31 トイレ

2015-12-04 | インド紀行

 

 

列車内を見学し トイレも 覗いてみた。

まったく 和式で シンプルだ。

案の定 トイレットペーパーの用意はなく 

蛇口のそばにコップが 備えてあるので

蛇口の水をコップ汲んで お尻を洗い流したあと

もう一杯で左手を洗い清めることになる。

つまり 紙を使わず 不浄とされている左手を使って

洗うのだが こんな小さなコップで

どのようにして洗うのかな~?

当方も インドでは 下痢になることが

多いということで 

必需品 “ウェットティッシュ”を

持参してきているが。

しかし その場合でも 

使用済みのものは捨てずに 


袋に入れて どこか別のゴミ箱に

捨てなければならないようです。

  

便器の反対側は 洗面台になっている


インド紀行 30 車内ウェイター

2015-12-03 | インド紀行

 

 

車内サービスの "ウェイター"だが

少々 厳つい感じだ。

飛行機の キャビンアテンダント違い 

また 日本の列車ならば “おもてなし” から


女性が その任にあるだろうが。

インドを周って いくつかの

土産物店等へも行ったが


すべて男性による接客で

女性店員の姿はなかった。

このことについて 現地ガイドに問うたら 

「インドでは まだ女性が 働くということが

 根付いていないから」だという。

しかし 空港や 国際的な職場では

女性の進出が 多く見られたが。

 

 


インド紀行 29 車内食

2015-12-02 | インド紀行

   


列車が走り出したので 


早速 ホテルが用意した朝食弁当をいただく。

 しばらくして 車内サービスがあって

ヒンディー語版 英語版の新聞

1リットルのミネラル・ウォーターが配られ

また ポット入りのお湯

ティーバッグ 砂糖 ミルク キャンディ

ビスケットのティーセット も配られてくる。

 さらに しばらくして 

朝食セットが 配られてきたのには驚く。

ホテルの朝食弁当を今食べたばかり 

車内朝食があるとは 説明がなかったので。

 どんなものかなと 食してみたが。

しかし 飛行機の機内食同様 

ベジタリアン食など車内特別食もあるようで

そのメニューも多くあった。