あかない日記

写真付きで日記や旅行・趣味を書き留める

ポルトガル紀行40 ポルト10 ロープウェイとフニクラ

2019-05-16 | ポルトガル紀行

 

        ワイナリーの倉庫の上を行きかうゴンドラ


 

  ロープウェイ(テレフリコ・デ・ガイア)は

  2011年に開業している。


  標高差57m 距離562m 乗車時間5分

  ロープウェイ乗り場は

   東:ドン・ルイス1世橋(2階)側

   西:川岸にあるワインセラー街

  1人5€  空中から見る対岸の歴史地区や

  眼下のワインセラー界は絶景という。

 

    

                       


  一方 ドンルイス1世橋からケーブルカーが見えた。

  ドン・ルイス1世橋の下層部とバターリャ広場の高台の間 

  高低差約60mの急坂を結んでいる「フニクラ」。


  全長約90m 所要時間は約3分。


  「フニクラ」は ポルトガル語で、

  元来は登山鉄道、ケーブル鉄道、ロープウェイの意味。



  1891年に造られたポルトのフニクラールは
  
  荷物、特にポルトワインを運ぶのに利用されていた。


  しかし 2年後に事故で閉鎖されて
  
  1世紀以上経た2004年になって再開通されている。


  ロープウエイは 横移動だが
 
  こちらは縦方向の移動になっている。


  どちらも 地元の人の利用よりは
 
  観光客に人気があるようだ。

 

 


ポルトガル紀行39 ポルト9 セラ・ド・ピラール修道院

2019-05-15 | ポルトガル紀行

 

 

 

  ポルト側から撮るドン・ルイス1世橋の

  写真には 必ずともいえるほど

 
  写真 左上に見える

  「セラ・ド・ピラール修道院」が写っている。

  また セラ・ド・ピラール修道院から

  ポルト歴史地区ならびにドン・ルイス1世橋を

  見渡せる絶景ポイントでもあるので


  人気スポットにもなっている。 


  セラ・ド・ピラール修道院は

  16世紀に創建された 

      円形の形をした独特な造りとなっている。

  
     19世紀に入ると修道院は

  要塞としての役割を担うようになり


  20世紀には軍の兵舎として使用されることもあった。



  現在は 現役の修道院であるため

  施設の1部のみが 公開されている。

 

 

 


ポルトガル紀行38 ポルト8 ドン・ルイス1世橋

2019-05-14 | ポルトガル紀行

 

   ポートワイン工場が並ぶヴィラ・ノヴァ・デ・ガイヤから

 

  いよいよポルトのシンボル 「ドン・ルイス1世橋」へ

  ドン・ルイス1世橋は ポルトの産業が繁栄・発展し

  ガイヤやリスボンへの交通量が増す中


  ガイヤとポルトを

  結んでいた吊り橋・ペンシル橋に代わる橋として


  1881年に着工し 6年の歳月を経て1886年に完成した。

  
  橋の名は 当時のポルトガル王ルイス1世から命名され


  ポルトの繁栄とともに誕生した橋。

  エッフェル塔を設計したギュスターヴ・エッフェルの

  弟子テオフィロ・セイリグが設計したことから

 「水平にしたエッフェル塔」ともいわれる。

  高さ約45m 幅8m 道路と鉄道の

  併用で二重構造になっている。

 

 

                  

   上層部 幅は8m、長さ395mの歩行者とメトロ用に


  橋を歩くのはこのツアーの目玉の一つになっている。

 

     メトロが走る

  

 

    下層は 長さ174m自動車と歩行者用。

 

     ガイヤ側の橋脚

 

 

 


ポルトガル紀行37 ポルト7 ラベーロ

2019-05-13 | ポルトガル紀行

 

       ラベーロ

 

  サンデマンの見学を終え ドウロ川の対岸を見る 

  ポルトは坂道が多く 

  だんだん状に建物が重なり絵になる。


  手前に船が係留されているが


  この船 絞りたての葡萄汁を

  詰め込んだワイン樽を満載して


  産地から運んでいたもので 

  平底の帆かけ舟「ラベーロ」という。

     船の舵が動物の尻尾(ラーボ)に

  似ていることから付けられた名前とか。

  現在は「ラベーロ」使用されていない。

  上流にダムができたため

  1964年以降は トラックや鉄道に代わっている。

  
  写真のラベーロ 

  船尾に黒マントとソンブレロの

  旗があるのでサンデマンが

 

  “浮かぶ広告塔” として

    観光用に浮かべているようだ。

 

 

 


ポルトガル紀行36 ポルト6 サンデマン2

2019-05-12 | ポルトガル紀行

 

 

 

  ロッジ内には多くのワイン樽が並ぶ。

  樽にはそれぞれ収穫年や熟成年数

  品質が明記されている。

 

  ポートワインの種類は 大きく分けて

 「ルビー」「トゥニー」「ホワイト」の3種類

 

  また 熟成年数を要するもの

  「レイト・ボトルド・ヴィンテージ」「コリェイタ」

  それに 優良なブドウが収穫された年のもの

  「ヴィンテージ」があるという。

 

  白は食前酒 赤は食後酒におすすめとか

  “肉に赤 魚に白”にこだわることなく

  その土地のワインと伝統料理をともに

  味わったほうがいいとも。

 

                       

   サンデマンのマーク

    G=ジョージ
    S=サンデマン
    4=&
    C=カンパニー を意味するそうだ。

 

 


  映写室では「ほどよく、責任あるワイン消費のために」の


  日本語版のビデオ(約15分)を見る。

 

  ポルトガルには「ポルトは働き、リスボンは楽しみ、

    コインブラは歌い、ブラガは祈る」

  という言葉があるそうだ。

  その言葉どおりポルトは商工業の中心地で、
  
  ワインの生産と輸出が街の繁栄を支えてきた。

  ドウロ川上流の丘陵地帯に広がるブドウ畑から

  世界的に有名なポート(ポルト)ワインが生まれたという。


  今でも世界第8位の年間約100万㎘を生産し、

  農業人口の25%がワインに携わっていると。

 

 

 

  直売・試飲場所へ

  すでにテーブルには試飲用のルビー

  ヴィンテージのワイングラスが並ぶ。


  当方には味の良さなどは分からない・・・でした。

 

     商品棚にはお土産用のワインが並ぶ

 

 


ポルトガル紀行35 ポルト5 サンデマン

2019-05-11 | ポルトガル紀行

 

     対岸からもよく見えた“ドン”の看板

 

歴史地区からドン・ルイス1世橋を渡って

ドウロ川の河岸ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア市へ

このドウロ川沿いには 

 30を超すワイン工場が並んでいる。


工場の名に英語の名前が多いのは、

17世紀にスペインに対抗する手段として


関税特権を与えられたイギリスの企業が進出した為

以後 ポルトでのワイン醸造が盛んになったのだと。

しかし ここはポルト市ではなく

ヴィラ・ノヴァ・デ・ガイア市であるのに


ポート・ワインなのか? 

ポルトの港から出荷しているからだそうだ!


見学はそのうちの一つ

1790年に創設者ジョージ・サンデマン

 によって設立された


ポートワインの老舗メーカー

サンデマン「SANDEMAN」のワイン工場へ。

1805年にはヨーロッパやアメリカに

輸出をした最初の会社で

国際的に知られるポートワインの老舗です。




ツアーの最後にはルビーとタウニ―が試飲できますよ!

  

                                


 
“ドン・ガイド” というセラー見学の案内役が登場し


セラー内を見て回ることに。

 

当時のコインブラ大学の正装をモデルとした
  
黒い帽子とマントをトレードマーとしている。

  
今では このマント姿はポルトガル全土の
  
学生のトレードマークになっているそうだが

学生が“サンデマン”を宣伝してくれているようだ。

しかし 当方はこのマント姿を見て

  
かつて TV映画でみた 強きをくじき弱きを助け

 
大盗賊にして真の紳士「快傑ゾロ」を思い浮かべたが。

 

 


東京散策 セラピー犬チロリ

2019-05-10 | 散策

 

     

 

 

「坂上どうぶつ王国SP」
 (フジテレビ5月10日放送)で

セラピー犬チロリの生涯が紹介されていたが

その記念碑が 東京・中央区
    築地川銀座公園にある。

 

碑文には


「 名誉セラピードッグ認定1号犬
  名犬チロリ記念碑

捨て犬チロリは、子犬たちと共に
殺生処分寸前を助けられ、
後にセラビードッグ(動物介在療法)の
代表犬として全国で活躍し多くの
高齢者や障害者に大きく貢献しました。

その無償の愛情を捧げる姿は
人々に生きる勇気と

病気回復への希望を与えました。

この1頭の捨て犬の社会福祉への功績は
犬史に残ると共に日本の動物愛護法に
多大な影響をもたらせました。

 ありがとうチロリ・・・・2006.3.16永眠 」

 

人間に裏切られた犬が

人間の為にセラピー犬として活躍し

訪れた施設700か所 

癒した人8万人に勇気と希望を与えたという。

 

死後の翌年2007年3月に

チロリの散歩道だったこの場所に

銅像として建立された。

 


ポルトガル紀行34 ポルト4 ボルサ宮

2019-05-10 | ポルトガル紀行

 

 

 

  エンリケ航海王子広場の西 「ボルサ宮」が建つ。

  ボルサ宮は、火災で焼失(1834年)した

  サン・フランシスコ修道院の跡地に


  1842年建設が始まり1850年にはほとんど完成していたが

 
  装飾等は約70年かけ 1910年に

  商業組合の建物として完工している。


  ごく最近まで証券取引所として使用されていた。

  なお ボルサとは ポルトガル語で「証券取引」のこと。


  名前に「宮」がつくが、宮殿ではない。

  アルハンブラ宮殿を模して造られた豪華な

  「アラブの間」などがあることから「宮」と呼ばれている。



  外観のみの見学であったが 資料によれば

  内部 2階には50年前まで

  実際に裁判が行われていた「法廷の間」や


  今でもレセプションなどなどが開かれている

  スペインのアルハンブラ宮殿を模倣した

  「アラブの間」や「黄金の間」などがあるという。

 

        アラブの間       (BSTV「世界水紀行」から)

 

 

 


ポルトガル紀行33 ポルト3 エンリケ航海王子公園

2019-05-09 | ポルトガル紀行

 

 

 

  世界遺産・歴史地区 ボルサ宮の前に

  広がる芝生の「エンリケ航海王子公園」がある。

  その中央にジョアン1世の第5子として

  ポルトガルに生まれた

  エンリケ航海王子(1394-1460)の像が立つ。


  白亜の台座の足元に地球儀を置き
 
  エンリケ航海王子が凛然とドウロ川の

  方向を指している。


  いや王子が指差している先は南のアフリカ方面
 
  いやいや未知の黄金の国とも。


  王子は1415年にイスラム教徒の北アフリカ拠点だった

  モロッコのセウタを攻略して一躍勇名を馳せた。

  この近くには王子が生まれたという建物も残っている。

 

                       

          旧フェレイラ・ボルジェス市場

  
  エンリケ航海王子の後ろに見える赤い色の建物は

  1885年に建設された元市場の建物。

  現在は 改修され 文化的な施設として

  いろいろな催しものの会場などに

  使用されている。

 

 

 


ポルトガル紀行32 ポルト2 トラム

2019-05-08 | ポルトガル紀行

 

          1番系統 始発駅 インファンテ

 

  サン・フランシスコ教会下にトラムの停車場があった。


  ポルトのトラムは 坂の街に住む市民の要望から
  2002年から順次復活して 現在3系統運行している。

     1番 インファンテ   ~ アレグレス通り
   18番 マサレーロス  ~ カルモ地区
   22番 バターリヤ広場~ カルモ地区

  運行時間は 9時から20時 料金一律 3€

  1時間に1~2本の割合で市内を循環し
  観客にも人気がある。

 

   なお「インファンテ」
   (男性形・女性形はインファンタ)は
  スペイン王国(前身の諸王国も含む)および
  ポルトガル王国の王族に

  授けられる(授けられた)称号および身分をいい。 
  それぞれ王子 王女 または親王 内親王と訳される。

 

                         

      サン・フランシスコ教会下の折り返し線

 

  街中を疾走する車両 折り返しのパンタグラフを
  切り替える光景などをみると

  昔の都電の光景思い起こした。

 

 

   22番系統 カルモ地区へ向かうトラム(クレリゴス教会脇)

 

 

 


ポルトガル紀行31 ポルト1 サン・フランシスコ教会

2019-05-07 | ポルトガル紀行

 

    下段上 向かって右は教会 左は美術館

 

  午前中のギマラインスの観光を終え
  ポルトに戻り 昼食後 午後一番の見学は

  世界遺産・歴史地区 ボルサ宮に隣接して建つ
  「サン・フランシスコ教会」


  教会は 1383年に建設が始まり
  1425年ゴシック様式で完成。


  その後、17~18世紀にバロック様式に増改築された。

  入場するが撮影禁止であるため
  目に焼け付けことになる。

  内部は 祭壇だけでなく 天井、壁、柱に至るまで
  贅を尽くした「ターリャ・ドウラーダ」という
  金泥細工が施されており
  祭壇左に 聖母マリアとキリスト 聖アンナ 聖ヨセフ
  聖ヨヒアムの像が彫刻された バロック装飾の極致と
  いわれるキリストの家系図「ジェッセの樹」がある。

  200kgとも500kgともいわれる金が使われたが 
  富豪たちの寄付により 当時植民地であった
  ブラジルから運ばれていた。


  その中で 注目したのは 16世紀に長崎で
  十字架に磔付けされて殺害されたフランシスコ派
  日本人修道士の「長崎の殉教」


  また 13世紀にモロッコで首を切られた修道士の
  「モロッコの殉教」の様子の彫刻。


  エンリケ航海王子の両親である ジョアン1世と
  フィリパの結婚式のフレスコ画もあった。

 

 

 

 

 

 


東京散策 駅伝誕生

2019-05-05 | 散策

 

 

 

NHK大河ドラマ「いだてん」(5月5日)で
駅伝の誕生の過程が描かれていた。

その「駅伝の碑・駅伝の歴史ここに始まる」が
東京・上野公園 不忍の池のほとりにある。

(これと同じ碑が出発地・京都三条大橋にもある)

 

世界最初の駅伝は 
1917(T6)年4月27日 京都から上野まで
514kmを走る東海道駅伝だった。

関東組と関西組とに分かれ
3日間昼夜を通して 
41時間44分で走破した関東組が勝った。

その関東組の最終ランナーは 金栗四三 だった。

これが 後の箱根駅伝へとつながっていく。

因みに 碑文の「鄭都50周年記念」とは
“奠都”は 新たに都を定めることで
1868(M元)年 明治天皇が京都を出発して
江戸城に入城したこと。

このルートを再現するとの発想で
生まれたのが 東海道駅伝だったという。

 

 

 


ポルトガル紀行30 ギマランイス15 気になったもの  

2019-05-02 | ポルトガル紀行

 

 

 ギラマンイスの街を歩いて気になったもの

 

   

   アラメダ庭園のオブジェ 

 「500 ANSO DE TEATRO」(500年劇場)の表示があったが

 
  ここギマランイスを舞台にした物語を

  マノエル・デ・オリヴェイラ監督ら4人の

  ヨーロッパの巨匠が紡ぐオムニバス映画

  「ポルトガル、ここに誕生す
    ギマランイス歴史地区」(2012年公開)に


  関係するものかと思ったが?

 

  また「アラメダ」と名のつくものが多いが 

  
アラメダ (Alameda) は アラミダとも呼ばれ、

  「遊歩道」を意味するスペイン語。


  ガリシア語で、ポプラを意味するalamoより派生

  ポプラ並木(道)を意味する。


  アメリカにも都市名にあるが

  スペイン人が移民してのことと思う。

 

     Monumento Ao Nicolino

 

  聖母サントス・パソス教会脇の広場にあるモニメント 

  “斧”に見えるが? いやハイヒール? 

     何を訴えているのか・・・


  古い教会と現代モニメント このアンバランスが面白い。

 

   

    アズレージョの家

 

 


令和元年 おめでとうございます

2019-05-01 | 出来事・行事

            

           (2019 皇室カレンダーから)

 

 
 令和元年 おめでとうございます

 

 当方も 昭和 平成 と人生の歴を重ね

 新たな令和に 一歩踏み入れることに感謝し

 気持ちも新たかに 歩んでいきたいと思います。


  当ブログも よろしくお願い申し上げます。