あかない日記

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ポルトガル紀行205 リスボン47 4月25日橋      

2019-10-10 | ポルトガル紀行

  右端に「クリスト・レイ像」が見える。

 

「4月25日橋」
リスボンとテージョ川対岸とアルマダとを結ぶ

長さ2,277mの吊り橋は ヨーロッパでは一番長い。
1966年の完成時は 当時のポルトガルの独裁者 アントニオ・サラザールにちなみ

「サラザール橋」と命名されたが、1974年4月25日のカーネション革命の革命日から名前をとって改称された。

建設したのは、サンフランシスコの ベイブリッジと同じ会社アメリカン・ブリッジ。
二段構造で 上段が6車線の道路、下段が複線の鉄道となっている。
鉄道部は当初はなく1999年に完成している。

道路部は 6車線だが車線幅が狭いことから、速度70kmに制限されている。

通行料は アルマダ方面へは無料だが、リスボンへ入る方向は有料になる。

ヨーロッパで美しい橋として第1位に選ばれている(2014年)

また 橋の先に建つ高さ28mの像は「クリスト・レイ像」。
有名なブラジル・リオデジャネイロにあるキリスト像のレプリカでもあるが。
頂上は展望台としても人気のスポットになっている。

 

 

 

 

                            未明のリスボン・ウンベルトデルガード空港飛び立ち 眼下にパスコダガマ橋を見る。

 

4月25日橋の上流には

リスボンと対岸のモンティージョを結ぶパスコダガマ橋が架かる。


バスコ・ダ・ガマのインド航路発見500年を記念して、1998年に開通した。
全長 17.2km (高架橋も含めると) ヨーロッパで最長の橋。
 4月25日橋の渋滞を緩和するために建設された。

 


ポルトガル紀行204 リスボン46 乗り物       

2019-10-09 | ポルトガル紀行

 

 

リスボンで効率の良い移動手段は・・・

中心部は徒歩でも十分回れるが
坂が多く歩き疲れる地区は
トラムやケーブルカーを

またエリア間の移動は
地下鉄やタクシーが便利。

それとも 観光用の乗り物を利用しますか?

                         

   

 

イエローバス グレイライン
シティサイトシーイングなど
数社が運行

料金は22~28€

 

 

    少人数用

  

 

 

 

  三輪バイク・トゥクトぅク

    4人乗りで1時

 

 

タクシーの車体は
ほとんどがクリーム色だが

こちらは黒色も走っています。

料金はメーター制。

 

 

    馬車


 

 

それとも 自力でレンタルサイクルを!

しかし リスボンは7つの丘が
ありそれこそ坂道ばかり 
アシストがあるように見えない。

ここはリベイラ市場脇 
中心部バイシャ地区や
テージョ川に沿う道は平坦なので
利用はあるようだ。

 

 

 

 
カリス社が運行するバス。

市内を縦横無尽にカバーしている。

 

  

 

 
 警察官も馬車で
 パトロール?いや移動か

 



ポルトガルは
一般的にはヨーロッパでも
治安が良いく 安全と言われている。


しかし 安全と言っても
日本から見ればそれなりの注意は必要。

リスボンは、比較的安全と言っても
スリや置き引き
ひったくりは結構あるそうだ。

 

 


ポルトガル紀行203 リスボン45 市電       

2019-10-08 | ポルトガル紀行

 

  15E系統 Wi-Fiの表示がある新型

 

        15E系統  ジェロニモス修道院前

  

 

リスボン市内を走る
白と黄色のトラムは
1873年に開通している。

初期のトラムは
現在 カリス博物館
(公共交通博物館)で展示している。

 

2015年現在、5路線・総延長48km。

  • 12E: フィゲイラ広場
      ~サン ジョルジュ城(環状線)
  • 15E: フィゲイラ広場~サントシュ
      ~アルカンタラ
      ~ベレン~アルジェシュ
  • 18E: カイシュ ド スードレ
      ~サントシュ
      ~アルカンタラ~アジューダ墓地
  • 25E: テレイロ ド パソ
      ~カンポ ド オーリク
  • 28E: マルティン モニス
      ~アルファマ~サン ジョルジュ城
      ~バイシャ シアード
      ~カンポ ド オーリク

 

  

    28E系統 コメルシオ広場

 

特に観光に便利な28Eは
サンジョルジュ城など

歴史的な観光スポットを 
またアルファマ地区の狭い通りを
すり抜けるようにして走り遊園地の電車に
乗っているように楽しめるとして
観光客に人気がある。

 

 


 
   復活した24E系統 

 

なお 24E系統が 
23年ぶりに復活している。

路線は カモンイス広場
(将来はカイス・ド・ソドレ)から
~サン・ペドロ・デ・アルカンタラ展望台
~プリンシペ・レアル公園~カンポリーデ。

 

 


ポルトガル紀行202 リスボン44 カイス・ド・ソドレ駅       

2019-10-07 | ポルトガル紀行

 

地下鉄・カイス・ド・ソドレ駅 

 

         国鉄・カイス・ド・ソドレ駅(カスカイス線)

 

リベイラ市場の南向かいは
カイス・ド・ソドレ駅がある。

ポルトガル鉄道 カスカイス線
(1895年9月4日開業)と

リスボンメトロ 緑線(1998年8月18日開業)の
乗換駅でもある。

またセイシャルや
モンティージョに向かう
フェリーとの接続地にもなっている。

 

 

 

リスボンの地下鉄は

1959年12月29日に開業している。

現在 4路線約43km 56駅の規模。

その4路線は

・赤線(オリエンテ線)
  サン・セバスティアン駅
         ~空港駅 12駅 10.5km

・緑線(カラベル線)
  テレイラス駅 
    ~カイス・ド・ソレド駅 13駅 8.9km

・黄線(ひまわり線)
   オディヴェラス駅 ~ラト駅 13駅 11.1km


・青線(かもめ線)
   アマドーラ・エステ駅
   ~ サンタ・アポローニヤ駅 17駅 12.9km

 

 

 


ポルトガル紀行201 リスボン43 リベイラ市場       

2019-10-06 | ポルトガル紀行

 

 

 

リスボンでの昼食は

交通の要である
カイス・ド・ソドレ駅前にある
「リベイラ市場」で

 

市場は 1882年に開設し
ヨーロッパで最も有名な魚市場であったが


2014年にリニューアルオープンし
市民の台所がモダンに大変身した。

7000㎡の敷地にB級グルメから
カリスマシェフの創作料理まで
50店舗を擁するフードコートンになっている。

客席も500席あって
観光客もレストランに行くより
気軽にと人気のスポットになっている。



                       

 

フードコートには
ポルトガル料理だけでなく
アジアフードからケバブ
デザートまで何でもそろっている。

注文して出来上がった料理を
真ん中の大テーブルに
自分で運んで食べることに。

 

 


ポルトガル紀行200 リスボン42 カルモ教会      

2019-10-05 | ポルトガル紀行

 

 

 

ロシオ広場から見るエレベーターの先に
カルモ教会が見える。

 

中世につくられた
カルモ修道院も
リスボン地震の被害を受け

修道院と教会のほとんどが破壊された。

修道院は模様替えされ、
すぐに軍の宿舎となった。


木造の時期を経て
教会は二度と十分な再建がされず

1864年にポルトガル建築協会へ
寄付され 壊れた建物は博物館となった。

 

大地震の爪痕として
今も教会を支えた骨組みを残している。 

 


ポルトガル紀行199 リスボン41_ エレベーター      

2019-10-04 | ポルトガル紀行

    

 

こちらは 繁華街バイシャ地区の
ランドマーク
「サンタ・ジュスタのエレベーター」

パリのエッフェル塔を設計した
建築家の弟子
ラウル・ムスニエル・デ・ポンサルド
によって設計され

1902年 低地バイシャ地区と
坂上のシアード地区を結ぶ
市民の足として造られたが

現在は 観光客にも大人気!

  

高さ45mの巨大な鉄塔の内部を
クラシックな木製の
エレベーターが上り下りする。

エレベーターを降りて 
更にらせん階段を上がり
展望デッキからは
正面にサン・ジョルジュ城 
右にカテドラルや
テージョ川が一望できる。

また エレベーターを降りると
バイロ・アルトに通じる連絡橋があり

「カルモ教会」の裏側にでる。

 

我々は 時間がないので 素通りでした。

 

 

 


ポルトガル紀行198 リスボン40 リスボン大地震      

2019-10-03 | ポルトガル紀行

 

    火災と津波によって破壊されたリスボンの市

 

 

これまでに 1755年11月1日に発生した
リスボン大震災に触れてきたが


この大地震は 推定マグニチュードは
8.5 - 9.0ともいわれ 

2011年の東日本大震災は 9.0
同規模であるのでその被害は想像できる。

発生から40分後に
6~20mの津波が2回にわたって襲い

5日間燃え続けた火事で
大航海時代以来栄華を誇った

リスボンは 建物の85%は破壊され
瓦礫の山と化した。


当時リスボンの人口は
約27万であったが約9万人が死亡した。

 

そのヨーロッパ史上最大の震災からの
緊急措置・復興を担うことになった

宰相のセバスティアン・デ・カルヴァーリョ
(後のポンバル侯爵)は
食糧・飲料水の供給、物価の統制
仮設住宅の建設

軍隊の出動による治安の維持
消火隊の組織化

疫病防止のための
死体処理(水葬)を進めるなど

精力的に被災者の救済に当たった。

このことは近代地震学の始まりとも。

また 祈りでは無く科学の考え方に基づく

災害に強い都市造りに挑んだ。

このポンバル様式の建築は

世界最初の耐震建築ともいわれている。


今ではリスボンは
「麗しのリスボン」ともいわれている。

 


                (参考資料:ウィキペディア


ポルトガル紀行197 リスボン39 凱旋門      

2019-10-02 | ポルトガル紀行

 

 

アウグスタ通りの突き当たりに凱旋門が見える。

凱旋門は、19世紀のバロック様式。
正式には
アルコ・トリウンファル・ダ・ルア・アウグスタという。

凱旋門の先はコメルシオ広場。
さらにその先はテージョ川で
リスボンの海の玄関口といわれた。

中央に見える銅像は 
ポルトガル(ブラガンサ王朝)の国王
ドン・ジョゼ1世の騎馬像。

 

 

          

 
コメルシオ広場は
マヌエル1世の宮殿跡だが。


1755年の大地震で破壊された後
200m四方のテレイロ・ド・パソ
(宮殿広場)に整備された。

1908年には
カルロス1世と皇太子が
暗殺されるなど
様々な歴史の舞台ともなった。


また 周辺には市庁舎、大聖堂
国立図書館、美術館などがある。

 


ポルトガル紀行196 リスボン38 アウグスタ通り      

2019-10-01 | ポルトガル紀行

 

 

ロシオ広場から
コメルシオ広場まで
南北にのびる アウグスタ通りは
歩行者天国のメインストリートに
なっている。

 

カルサーダス(石畳)の通りには
レストランや カフエの
テーブルが 置かれている。

また ブティックや貴金属店
土産店などが 軒を並べている。

 

 

バイシャ地区は
1755年のリスボン大地震で
壊滅的な被害を受けた。


時の宰相だった ポンバル侯爵は
住民たちが 差別のない
暮らしができるようにと
街を碁盤目状に 区画整理した。

                       

 

アウグスタ通りの一角
牛が ガラスを突き抜けるような
変わったデスプレイがあり
一瞬 牛肉店かと思ったが

この店 ALE-HOPは オシャレな
ファッションアクセサリーや 雑貨など

オリジナルで ユーモアのある
商品を取り揃えているそうだ。