今日は、コンビニで毎日新聞を買いました。一番詳しそうだったので…「大学入試改革」について。
←五年後…遠いような近いような。
一週間くらい前に関連記事が出たときには「センター試験廃止へ…2段階「達成度テスト」に」などの見出しで、「方針が固まった」ことを報じていた。今日の記事は、まとまった提言を首相に「提出した」となっている。
先日の報道を見たときには、中受ブログのほうで
一点刻みの選抜…いいと思う。
という記事を書いた。
このときは、とにかくセンター試験を下敷きにした「発展レベル」なるテスト(つまり、発展といいつつセンターレベル)で、しかもその点数を「ブロック化」して、学力テストはそれでおしまい。あとは人物を見るとか。
だからもうびっくりしてしまって。まぁ想像してみてください、あの二次試験がなくなった東大とか。それじゃ、たとえば、数学ができる人かどうかぜんぜんわからないじゃないですか?? あ、数オリとか何か実績があると評価するとかあってもいいのかな? でも、一律にペーパーテストして一点刻みで取るほうが断然精度いいと思うけどね…
今日の記事ではごくちょっとニュアンスが違っていて、「多様な方法」による「丁寧な選抜」とやらを強調していることに変わりはないんだけれど、「学力試験を極力廃し、」というあたり、なんとなく一部は残るのかなというような気もする。だって、その大学その学部で学ぶのに必要なタイプの学力を測りたかったら、独自テストやるしかないものね。
仮に、点数を「ブロック化」する一次試験があって(これは複数回受験できる)、難しいペーパーテスト、小論文、面接のような二次試験があったりしたら、それは結局のところ一次試験は「足きり」だけの役割を果たすことになる。面接だのボランティアだのがどう評価されるかにもよるけれど、ちゃんと学力を測る選抜にすることもできる(もちろんそうでなくすることもできる)。
どこへ向かっていくか、その方向性が、それぞれの「大学」の考えで進んでいくのか、それとも全体の「学力テストを廃する」という流れで進んでいくのかによってずいぶん違うと思う。しかし、学力重視の大学が仮に残ったとしても、全体にバラバラになってくると、ごく一部の人を除くと学力軽視の波に飲み込まれていくような気がする。
(この改革の中で、よいと思う点は、これまで「学力どうでもいい」枠として機能してしまっていたAO入試や推薦入試に、基礎学力を測るテストを追加するよう「お勧め」するらしいことだ。)
そもそも一点刻みの学力テストによる選抜というものが、この会議の人たちはとことん嫌いらしい。
合格者の三割は再試験をしたら入れ替わるとも言われ(そこまで多くないような気もするけど??)、
下村文科相が「一点差で勝ったことにどんな意味があるのか」と改革を強調しているんだとか。
それでは、人物を見るとやらのテストだとそれを上回る安定性があるとでもいうのでしょうか。
ぶっちぎりの人、きらめいてオーラが出ちゃってる人はそりゃ何であろうが受かるでしょうけど。それは一点刻みの学力テストだって同じこと。当落線上にいるだんごの人たちも含めて、小論文、面接など、論文の評価者や面接官が誰に当たるか、面談の流れがどうなるかによって「合格者の三割は再試験をしたら入れ替わる」状況にならないと言うつもりなのか!?
実際のところ、我が家でこの改革の影響を受けるのははなひめだけ。しかも、まぁそのころのはなひめがどんな子になるのかわからないけど、現状から想像するに、ペーパーテストから小論文や面談に変わって不利になるとは思わない。
でも、コトは我が子の損得だけじゃないので…都立校に群制度を導入してぐだぐだにしたみたいに、日本中の大学受験がぐだぐだになったら、日本全体がぐだぐだ雰囲気に犯されていきそうじゃないですか。
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一週間くらい前に関連記事が出たときには「センター試験廃止へ…2段階「達成度テスト」に」などの見出しで、「方針が固まった」ことを報じていた。今日の記事は、まとまった提言を首相に「提出した」となっている。
先日の報道を見たときには、中受ブログのほうで
一点刻みの選抜…いいと思う。
という記事を書いた。
このときは、とにかくセンター試験を下敷きにした「発展レベル」なるテスト(つまり、発展といいつつセンターレベル)で、しかもその点数を「ブロック化」して、学力テストはそれでおしまい。あとは人物を見るとか。
だからもうびっくりしてしまって。まぁ想像してみてください、あの二次試験がなくなった東大とか。それじゃ、たとえば、数学ができる人かどうかぜんぜんわからないじゃないですか?? あ、数オリとか何か実績があると評価するとかあってもいいのかな? でも、一律にペーパーテストして一点刻みで取るほうが断然精度いいと思うけどね…
今日の記事ではごくちょっとニュアンスが違っていて、「多様な方法」による「丁寧な選抜」とやらを強調していることに変わりはないんだけれど、「学力試験を極力廃し、」というあたり、なんとなく一部は残るのかなというような気もする。だって、その大学その学部で学ぶのに必要なタイプの学力を測りたかったら、独自テストやるしかないものね。
仮に、点数を「ブロック化」する一次試験があって(これは複数回受験できる)、難しいペーパーテスト、小論文、面接のような二次試験があったりしたら、それは結局のところ一次試験は「足きり」だけの役割を果たすことになる。面接だのボランティアだのがどう評価されるかにもよるけれど、ちゃんと学力を測る選抜にすることもできる(もちろんそうでなくすることもできる)。
どこへ向かっていくか、その方向性が、それぞれの「大学」の考えで進んでいくのか、それとも全体の「学力テストを廃する」という流れで進んでいくのかによってずいぶん違うと思う。しかし、学力重視の大学が仮に残ったとしても、全体にバラバラになってくると、ごく一部の人を除くと学力軽視の波に飲み込まれていくような気がする。
(この改革の中で、よいと思う点は、これまで「学力どうでもいい」枠として機能してしまっていたAO入試や推薦入試に、基礎学力を測るテストを追加するよう「お勧め」するらしいことだ。)
そもそも一点刻みの学力テストによる選抜というものが、この会議の人たちはとことん嫌いらしい。
合格者の三割は再試験をしたら入れ替わるとも言われ(そこまで多くないような気もするけど??)、
下村文科相が「一点差で勝ったことにどんな意味があるのか」と改革を強調しているんだとか。
それでは、人物を見るとやらのテストだとそれを上回る安定性があるとでもいうのでしょうか。
ぶっちぎりの人、きらめいてオーラが出ちゃってる人はそりゃ何であろうが受かるでしょうけど。それは一点刻みの学力テストだって同じこと。当落線上にいるだんごの人たちも含めて、小論文、面接など、論文の評価者や面接官が誰に当たるか、面談の流れがどうなるかによって「合格者の三割は再試験をしたら入れ替わる」状況にならないと言うつもりなのか!?
実際のところ、我が家でこの改革の影響を受けるのははなひめだけ。しかも、まぁそのころのはなひめがどんな子になるのかわからないけど、現状から想像するに、ペーパーテストから小論文や面談に変わって不利になるとは思わない。
でも、コトは我が子の損得だけじゃないので…都立校に群制度を導入してぐだぐだにしたみたいに、日本中の大学受験がぐだぐだになったら、日本全体がぐだぐだ雰囲気に犯されていきそうじゃないですか。
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