正直いって、放送大学の「西洋音楽史」、この回は飛ばそうかなと思ったくらいなんです。だってつまらないよね、基本的に「こじつけ」の話だし。
←ただそこにあるものの中から調和を読み取る力。音楽も天文学もそこから始まった
ピタゴラスの、整数比の音が調和するという発見、これはもう素晴らしいことは間違いありません。音階の元となり、こんにち私たちが楽しんでいる音楽は(ほぼ)すべてそのお世話になってるんですから。
ただね…
その調子で、なんでもかんでも「調和」を求めて、天体の動きとかに「音楽」を見出そうとするの、それはやりすぎというか意味がないと思っちゃうんですけど。
たとえば
「10は完全数であり、数の本性をすべて包含しているように思われるので、宇宙を周行している天体の数も10であると彼らは主張するのであるが、目に見える天体は9つしかないので、そのために、10番目の天体として対地星(アンティクトーン)なるものを考え出したのである」(アリストテレス「形而上学」)
ここでいう「彼ら」はピタゴラス派の人たちね。
目に見える天体というのは、つまり望遠鏡を使わないで見える太陽系の星、太陽、月、地球のほかは水、金、火、木、土のことです。天、海は望遠鏡がないと発見できないので勘定に入ってません。9つだと「半端(?)」なので架空の天体を付け加えて「完全」にしたのですね。
「完全数」というとふつうは「自分自身を除く正の約数の和に等しくなる自然数」のことで、 6 (= 1 + 2 + 3)とか28 (= 1 + 2 + 4 + 7 + 14)のことを言います。この命名もピタゴラスさんらしいですけど10はなんだろう…でもまぁいいカンジの数(1 + 2 + 3 + 4)ではあります。ともかく、いいカンジの数の天体が、完璧に調和のとれた動きをしているという雰囲気が、音楽そのものに感じられたのですね。
だから何、って思ってしまうかもしれませんが、天体の動きにしても音にしても、そこから「数」というものを媒介に秩序を見出していこうとする姿勢は、必ずしもただのファンタジー、こじつけ、出鱈目につながるわけではなくて、その後の科学に繋がっていくものでもあるのです。「天文学」と「音楽」は深く関わりのあるものとしてとらえられ、共に発展していったわけですよね…
実際、ピタゴラス学派の人たちはかなりいい線まで来てました。紀元前三世紀のアリスタルコスは、地球が自転しながら太陽の周りを公転しているという正しいモデルを打ち立てて、距離の比の概算まで試みていますし、エラトステネスは影の観察からかなり正しく地球の大きさを算出していました。
ただ、そのあとにプトレマイオス(後2世紀)根本的に間違ったモデルの採用に至ってしまったんですが…
彼はたぶん、天才的につじつま合わせ力というかこじつけ能力に優れた人だったんでしょうね。天動説もそのようなものですし、音楽についても精力的に精緻な体系を作り上げています。詳細は読む気がしないのでパスですが「ドーリオス、フリュギオスなど旋法が都合7つあり、黄道上の12の宮が都合7つの緯度を取ることに加え…音響、人間霊魂、天体運航のいずれにおいても、ゲノス、人柄…」(テキストより) なんや知らん
まぁさらに詳しい説明を聞いても現代の私たちには納得ポイントが見当たらないので「ふわっ」と聞き流しておけばいいと思うんですが。概略はこのページ
ピタゴラスやプラトン、ケプラーからたどる「音楽がもたらす宇宙の調和」
がよくまとまってました。放送大学の第三回を聞くよりこのページをナナメ読みしたほうがいいかも。
このあと結局、天動説が崩れて地動説に戻るわけですけど、近代の地動説を確立したケプラーさんが、地動説バージョン天体の音楽というか、天体の動きについては基本的に現代と同じ認識に立ちつつ、そこに音楽を見出しているのです。地球の公転角速度を秀表すと、最も速いときと遅いときの比が16:15で(細かくいうとちょっと違うけど)それは半音にあたるとか(地球はミ~ファ~ミ~と奏で続けている)
実際、そういう考え方から着想を得て作曲した人がいる(ヒンデミットとか)
ま、そんな話でした。はい。
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ピタゴラスの、整数比の音が調和するという発見、これはもう素晴らしいことは間違いありません。音階の元となり、こんにち私たちが楽しんでいる音楽は(ほぼ)すべてそのお世話になってるんですから。
ただね…
その調子で、なんでもかんでも「調和」を求めて、天体の動きとかに「音楽」を見出そうとするの、それはやりすぎというか意味がないと思っちゃうんですけど。
たとえば
「10は完全数であり、数の本性をすべて包含しているように思われるので、宇宙を周行している天体の数も10であると彼らは主張するのであるが、目に見える天体は9つしかないので、そのために、10番目の天体として対地星(アンティクトーン)なるものを考え出したのである」(アリストテレス「形而上学」)
ここでいう「彼ら」はピタゴラス派の人たちね。
目に見える天体というのは、つまり望遠鏡を使わないで見える太陽系の星、太陽、月、地球のほかは水、金、火、木、土のことです。天、海は望遠鏡がないと発見できないので勘定に入ってません。9つだと「半端(?)」なので架空の天体を付け加えて「完全」にしたのですね。
「完全数」というとふつうは「自分自身を除く正の約数の和に等しくなる自然数」のことで、 6 (= 1 + 2 + 3)とか28 (= 1 + 2 + 4 + 7 + 14)のことを言います。この命名もピタゴラスさんらしいですけど10はなんだろう…でもまぁいいカンジの数(1 + 2 + 3 + 4)ではあります。ともかく、いいカンジの数の天体が、完璧に調和のとれた動きをしているという雰囲気が、音楽そのものに感じられたのですね。
だから何、って思ってしまうかもしれませんが、天体の動きにしても音にしても、そこから「数」というものを媒介に秩序を見出していこうとする姿勢は、必ずしもただのファンタジー、こじつけ、出鱈目につながるわけではなくて、その後の科学に繋がっていくものでもあるのです。「天文学」と「音楽」は深く関わりのあるものとしてとらえられ、共に発展していったわけですよね…
実際、ピタゴラス学派の人たちはかなりいい線まで来てました。紀元前三世紀のアリスタルコスは、地球が自転しながら太陽の周りを公転しているという正しいモデルを打ち立てて、距離の比の概算まで試みていますし、エラトステネスは影の観察からかなり正しく地球の大きさを算出していました。
ただ、そのあとにプトレマイオス(後2世紀)根本的に間違ったモデルの採用に至ってしまったんですが…
彼はたぶん、天才的につじつま合わせ力というかこじつけ能力に優れた人だったんでしょうね。天動説もそのようなものですし、音楽についても精力的に精緻な体系を作り上げています。詳細は読む気がしないのでパスですが「ドーリオス、フリュギオスなど旋法が都合7つあり、黄道上の12の宮が都合7つの緯度を取ることに加え…音響、人間霊魂、天体運航のいずれにおいても、ゲノス、人柄…」(テキストより) なんや知らん
まぁさらに詳しい説明を聞いても現代の私たちには納得ポイントが見当たらないので「ふわっ」と聞き流しておけばいいと思うんですが。概略はこのページ
ピタゴラスやプラトン、ケプラーからたどる「音楽がもたらす宇宙の調和」
がよくまとまってました。放送大学の第三回を聞くよりこのページをナナメ読みしたほうがいいかも。
このあと結局、天動説が崩れて地動説に戻るわけですけど、近代の地動説を確立したケプラーさんが、地動説バージョン天体の音楽というか、天体の動きについては基本的に現代と同じ認識に立ちつつ、そこに音楽を見出しているのです。地球の公転角速度を秀表すと、最も速いときと遅いときの比が16:15で(細かくいうとちょっと違うけど)それは半音にあたるとか(地球はミ~ファ~ミ~と奏で続けている)
実際、そういう考え方から着想を得て作曲した人がいる(ヒンデミットとか)
ま、そんな話でした。はい。
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