「ゲルマン民族の一部族であるフランク族によって建てられたフランク王国は、8世紀になるとピピン3世 (小ピピン、714-768) やカール大帝 (742-814) の下で版図を広げた。彼らは、後の西ヨーロッパの基礎となる広大な領域を強固に支配するため、ローマ教皇との結びつきを強めていったが、その過程でキリスト教の典礼を統一することで精神的な面からも統治を確実にすることを目論んだ」
←第四回くらいからようやく「音楽」っぽくなってきますね
…これ、ほぼ世界史の教科書っぽい雰囲気だけど「西洋音楽史」テキストの引用です。政治と宗教は繋がってるし宗教と音楽も繋がっています。典礼を統一ってことは聖歌もあちこちへ広めなきゃいけないけど、大勢が「正しい」聖歌をたくさん覚えて各地に伝えるってのも、記憶頼りでは難しい話なんで、「メモ」が必要になりますね、そりゃ…
ということで「楽譜」の登場ですよ。
といっても、初期のはほんとに「メモ」な感じで、歌詞に、上がるか下がるかが付記してあるような…
これって、上がるといってもどれだけ上がるのか、下がるといってもどれだけ下がるのかわからないんで、どうするんだろうという感じですが、元々歌えるようになってる人の心覚えのためのものだからこんなのでもいいらしい。
和太鼓を習ってたとき、「譜面」ってものがないから、「ドドンカドン」みたいな自分用の心覚えを走り書きしてたこともあったけど(^^;; まぁそんな感じ。
でも、これじゃ不便だというんで、どれだけ上がるかを読み取れるように横線引いたりして
なんとなーく、今の楽譜に似てきましたね。
上二つのは、いずれも「ネウマ譜」と呼ばれていますが、線が引いてあるのもないのも、今の楽譜と比べると情報がえらい少なくて頼りないかもしれないけれど、
まったく「ない」
のと比べてごらん? そりゃ「ない」のは何にもわからないってことで、「ある」ってのはすごいことよ。
実際、この「ネウマ譜」以前にも音楽というものがあったはずだけど、ほとんど何にもわかってない、というか第三回に出てきたボエーティウスという人が、「三つの音楽」っていってたとかそういう話は出てきても、具体的にどんな音楽だったかはわからない。文字はあっても楽譜がないから。
それが、「ネウマ譜」が登場して書き残されるようになったからこそ、現代の私たちが、「グレゴリオ聖歌」の演奏を聞けちゃったりするわけで。もっとも、当時の演奏とはなにがしか違うところがあるかもしれないけど(誰にもわからない)
グレゴリオ聖歌は基本的に単旋律なんだけど、そこに完全4度か完全5度下の旋律を付け加えるような方法で多声化されることはかなり早い段階から行われていたのだとか。その「下ハモ」は楽譜に書かずに即興的に行われていたそうだけど、じゃあなぜそれが現在わかっているかといえば、楽譜はなくとも「音楽提要」などの理論書に記されているから。
書いとくって、だいじですね。
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といっても、初期のはほんとに「メモ」な感じで、歌詞に、上がるか下がるかが付記してあるような…
これって、上がるといってもどれだけ上がるのか、下がるといってもどれだけ下がるのかわからないんで、どうするんだろうという感じですが、元々歌えるようになってる人の心覚えのためのものだからこんなのでもいいらしい。
和太鼓を習ってたとき、「譜面」ってものがないから、「ドドンカドン」みたいな自分用の心覚えを走り書きしてたこともあったけど(^^;; まぁそんな感じ。
でも、これじゃ不便だというんで、どれだけ上がるかを読み取れるように横線引いたりして
なんとなーく、今の楽譜に似てきましたね。
上二つのは、いずれも「ネウマ譜」と呼ばれていますが、線が引いてあるのもないのも、今の楽譜と比べると情報がえらい少なくて頼りないかもしれないけれど、
まったく「ない」
のと比べてごらん? そりゃ「ない」のは何にもわからないってことで、「ある」ってのはすごいことよ。
実際、この「ネウマ譜」以前にも音楽というものがあったはずだけど、ほとんど何にもわかってない、というか第三回に出てきたボエーティウスという人が、「三つの音楽」っていってたとかそういう話は出てきても、具体的にどんな音楽だったかはわからない。文字はあっても楽譜がないから。
それが、「ネウマ譜」が登場して書き残されるようになったからこそ、現代の私たちが、「グレゴリオ聖歌」の演奏を聞けちゃったりするわけで。もっとも、当時の演奏とはなにがしか違うところがあるかもしれないけど(誰にもわからない)
グレゴリオ聖歌は基本的に単旋律なんだけど、そこに完全4度か完全5度下の旋律を付け加えるような方法で多声化されることはかなり早い段階から行われていたのだとか。その「下ハモ」は楽譜に書かずに即興的に行われていたそうだけど、じゃあなぜそれが現在わかっているかといえば、楽譜はなくとも「音楽提要」などの理論書に記されているから。
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