アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

またろうの作り方: 初めての小学校・学童日記より(14)

2013年05月16日 | 小学生活
今日、またろうが弾いてたピアノが、メロディーは聞いたことある…中田喜直なんだけど、左手の伴奏形をいろいろと変えて「あれ?」「あれ?」とやっていて、どうしたのかな? 楽譜ないのかな? と思ったら。

レッスンでその曲を始めたんだけど、とってもシンプルな曲なので、アレンジをしてみよう♪ってことになって、今いろいろと考え中なんだって。粋なレッスンですね。

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* * *

2000年4月21日(金):集中またろう&ガブこじろう

今日は「おてがみ」「おやつ」といっしょに、新しく買った将棋の本を入れておいた。これはいちおう子ども向けということで総ふりがなつきなのだが、文章といい内容といい難しくてまたろうが一人で読めるものではない。

「このほんは、きのうままがまたろうのためにかってきたおみやげなんだけど、またろうがひとりでよむにはちょっとむずかしかったからいっしょのときみようね。どこからよんでほしいかぱらぱらみておくといいよ。またろうがおるすばんのときのあそびかたはじぶんできめていいんだよ。おえかきでもなにかつくるんでもごほんよむのでも、、なにしたいかな?」と書いておいた。さて。

やっぱりまたろうから電話。でももう6時半近かったので、おやつを食べた後しばらくほんとにぱらぱら本をみていたのかな。「ママー、ごほんありがとう。でもね、、」早くいっしょに読んでほしい、というわけ。「ママはまだだいぶかかるよ。もうすぐパパが帰るはずだから電話してごらん」と無責任にふる。

実際パパはそのあとすぐ家についた。着くと、やっぱり「ごほんよんで」といっていたようだが、「こじろう迎えに行くからね」といって出て、お迎えして戻ってくると、本棚から本を次々ひっぱり出し、その中から「ポケモンかずあそび(←これは私の母からのプレゼント)」を選んで熱心にシール貼りや塗り絵や迷路をやっていたそうだ。

その後も、ごはんを食べる間を除いてずーっとやっていて、私が帰宅したとき(8時すぎ)でもまだやっていた。結局、寝るまでに1冊ほとんどやってしまった。いったんノルとすごい集中力。でものれるものを探すところがひとりで家にいるときは不安なのかな?

ところで、これまでの日記でもわかるように、親の注意はどうしてもまたろうに集まっている、、それによりこじろうはどうだったかというと、当然のことながらすねていたのだ。例えば、私が迎えにいったとき、にこにこして飛びついてくるような反応でなく、じとーっと横目でこっちをみて「こじろうはママといっしょにかえらない。ママひとりでかえって。こじろうひとりでかえれる」といって遊びを続けるといった調子。

その他、「じぶんで」とか「おにいちゃんばっかりずるい」とかで揉めたりも含めて「荒れてるな」とは感じていたけれど、今日お迎えのとき先生から「最近お友達をよくガブしてます」という報告があったそうだ。あー、そうきたか。

「かみつき」は一歳とか、せいぜい二歳くらいのときわりと流行(?)するが、またろうもこじろうもガブ気質ではなかったのでほとんどやらなかった。それが三歳半になって出るというのはやっぱり今の状況のせいなのでしょう。。

こじろうにしてみれば、お兄ちゃんばっかり急に「自由特権(一人で行き帰り、カギを持つ、電話をかけるなど)」を与えられたようで、しかも親の注目も集めているとなればおもしろいわけがない。うーむ。どうしようかな??

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「亡き王女」むじゅい

2013年05月14日 | ピアノ
今度、「れんしうかい」があるのですが、その選曲を考えるときに…

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ほかの人の曲と違うカンジのがいいな、とか。
いわゆるコンサートみたいので弾けない(弾かない)やつがいいな、とか。
せっかくベヒで弾くので、響きがきれいな曲がいいな、とか。

まぁそんなふうに考えたわけです。ほかの人の曲というのが、ショパン、ブラームス、モーツァルト、シューベルトなどなど。

そこで、そうだ、ラヴェルの「亡き王女のためのパヴァーヌ」はどうだろうと思ったんです。

これ、有名すぎるし、きれいに弾くのは難しそうだから、なかなか人前では弾けないじゃないですか。それで、今まで手をつけたことなかったんですけど。
やっぱり。いちどは弾いてみたいし(^^)
きれいに弾くのはともかく、ゆっくりの曲だから、下手に弾くくらいはできるだろうと…

…思ったら…

これがね、できないの(-_-;;

連続オクターブをがんがん!! みたいな派手な曲じゃないし、
そんなに速く弾けるわけない!! みたいな、ブットビ曲じゃないし、

なんとか音くらい並びそうなもんなのにね、ちっとも並んでいかないのよ。

実はしばらく前に、憧れ曲「メントリ(メンデルスゾーン ピアノトリオ)」の楽譜を、弾けもしないのに買いましたが、あれって、まぁ弾けないっちゃ弾けないけれども、聞いた感じよりは案外マシなんですよ。マシだからどうとつっこまないでくださいね…やっぱり合わせられるようなレベルには弾けなさそうですが、音を聞いて想像したよりは簡単に音を並べられる。音階、分散和音、なんか手になじむというか、聞いたとおりの音で、音から反射的に手をぱっと置くと、だいたいそんなもん、みたいな。

それが、「亡き王女」はまったくわけが違って、あの、耳にはすんなりなじむ、冒頭の静かな二小節。

これがまず弾けない~

たったこれだけがつっかえないで弾けなくて、かなり焦りました。手をぱっと置くと、だいたい違ってる、みたいな。

うづら先生でしたか、手のポジションの話をしてらしたと思うのですが、慣れてる形(手の形でもあり音の形でもある)というのがあるじゃないですか。それにすぱすぱハマるのがメントリとか、あとこれまたちゃんとは弾けない、ブラームスのバイオリンソナタとかね。ちっともハマらないのがラヴェル…の、「亡き王女」。

ラヴェルといっても、ソナチネとか弾いたことあるんだけどな?? なんで「亡き王女」こんなにあかんの??

なんかうまくいかないまま、日が迫っております…

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またろうの作り方: 初めての小学校・学童日記より(13)

2013年05月13日 | 小学生活
2000年4月20日(木):指示待ちまたろう&連絡帳顛末

   にほんブログ村 教育ブログ 中高一貫教育へ←またろうは担任の「引き」がめちゃいいのだ

駅を降りて、タクシーに乗り、「○○保育園」と行き先指定。乗ってすぐ、今日もまたろうから電話。「おてがみに入っていた迷路ね、えんぴつで線かくの、それともゆびでいくの?」なんだそりゃーそんなことどっちでもいいだろぉ(-_-#といいたいのをぐっとこらえてあくまでやさしく「またろうの好きなほうにしていいんだよ(^_^)」。タクシーの運転手さんにも丸聞こえだしねぇ。

それから、「今日も、こじろうお迎えしてからただいまでいい?」と聞くと、「今日は先にただいまして」とまたろう。また行き先を変更する。

今日は「おてがみ」といっしょに、昔よく遊んでいた迷路の本がみつかったので一ページちぎって入れてあったのだが、またろうはおやつを食べてからその迷路をやってしまうといきなり、次は何で遊んでいいかわからなくなったらしい。

普段べつに親の指示に従って遊んでいるわけじゃないのに、なぜか「何すればいいのー」と聞いてくる。「またろうがやりたいことしてればいいんだよ。将棋でもいいし、迷路もまだあるし、お絵かきしてても、なんでもいいじゃない」、、「迷路まだあるの?ほしい!」というので本ごと渡して、「じゃ、お迎え行ってくるね」と出かける。

迎えにいって帰り道、団地内に入ったあたりでまたろうから電話。「もー疲れた、かんべんしてー」「え、何が?」「あのね、迷路むずかしいの。疲れちゃった」「そんな疲れるまでやんないでよー。何でも好きなことしてなよ」

「家についておやつを食べたらプレステの将棋」とかパターンを決めてやった方が安心できるのかな?そんなの親が決めることじゃないと思っていたんだけど。まだ宿題はないし、、いっそ、「おふろを洗う」とか何か役割を考えてみようか??(←親の下心丸出し)

ところで、今日はちゃんと学童の先生に連絡帳を渡せました。「ママ安心したよぉー」といって頭をぐりぐりなでる。またろうもちょっとほっとした様子。学童の連絡帳より;

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顔を合わせるとすぐに「他の人の連絡帳入っていたよー」と教えてくれました。えらかったね。
今日お弁当忘れて一緒に学校までとりに行きました。カバンを手にすると連絡帳をわたしてくれました。
「学童クラブにくることばっかり考えないで、荷物調べてから来てね。」とはなしました。あと何回かな。へってほしいけどけっこう二人きりのたのしい時間です。
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やや。ちょっとトホホだけど、、温かく見守ってくれてほんとに先生ありがとう。

* * *

四月最初からここまで、親の目からすれば毎日事件みたいな感じではあったけど、それは朝夕のほんのわずかな時間についてのことであって、学童から「困ります」的な苦言を呈されることはなかったというのは考えてみれば不自然な話で、要するに学童でのすべてのわけわからん事件は先生がフォローしてくださっていたのであった。

弁当を忘れてきた場合でも、学童の先生が食べ物を用意することは一切ありませんというのが市の公式見解なのだが、このときの先生は何も親に文句をいわずに毎日のように学校まで取りに戻るのに付き合ってくださっていた。この先生は保育士さん経験が長く、手厚い面倒見をする方だったのだ。こんな先生に当たったのは、三人の学童生活(合計九年)を通じて、またろう一年生のときだけ。奇跡のような「引き」のよさ。

学童の先生は、子どもの世話をすることのプロが来るとは限らず、水道局でもなんでも、テキトーなところから異動してくるのであり、市が決めた最低線以上のことをしてくれるとは限らない、ということを私はあとになってから知ったのであった。

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ピアノだって打楽器だ

2013年05月12日 | ピアノ
「ピアノと日本人」(斎藤信哉著)という本を読みました。まー、私がいかにも買いそうな本ですが。

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この中身、書かれていることというか主張点はまぁ妥当な事柄なのですが…たとえば
・文化の違いからくるリズム感の違い
・ピアノを響かせる弾き方(アタック後、振動を止めない)
・ピアノをもっと身近に、気軽に楽しむ(たとえば、コード弾き)
というようなことです。

ただ、そのそれぞれを「説得」するために引き合いに出している諸々の例が、この著者自身のよく知らないところから出してあってそれがハバを取っているので、なんか中身が薄い感じの本になってしまっているのです。

たとえば、「ピアノを響かせる弾き方(アタック後、振動を止めない)」で、西洋人はアタックのあと脱力して響かせる弾き方、日本人はぐっと叩いて弾まない弾き方をしていることが多いという文化的背景を説明したいために、西洋の太鼓と日本の太鼓を引き合いに出しています。

ティンパニのバチ(マレット)は、柄が細く、先に丸いのがついています。
和太鼓のバチは太くて重く、頑丈な棒状です。

ティンパニのバチは、叩いたあといち早く戻り、皮の振動を妨げないように、「しなる」(弾む)ようにできている。
和太鼓のバチは、強く叩きつけて大きな音を出すために太い(弾まない)。

…という説明になっています。

おそらく、著者は、和太鼓を(あんまり)叩いたことがないのでしょう。叩いてみれば、和太鼓を上手に叩いている人は、決して叩いたあとの振動を殺すような叩き方をしていないことがすぐわかると思います。初心者で、ガタイが良くて力自慢で、それこそ叩きつけるように太鼓を叩いている人もいますが、そういう人の音はなんというか…「べちっ」に近いです。音は、まぁ大きいのですが意外に大きくないんです。動作のでかさの割に。

子どもだったりして非力でも、うまい人はよく響くきれいな音を出します。腕の振りもつかって大きな運動にすると先端はかなりのスピードになりますし、それをしっかりした太い、重さのある棒で伝えますから、別に力任せというほどでなくても相当なインパクトがあります。あとは上手な脱力で弾んでやることができれば、急速に皮から離脱します。棒がしならないにしても、コツは同じです。

むしろ、ピアノでつい叩きつけちゃっていい音が出せない(弾めない)人は、和太鼓を練習してみたらどうだろうかと思うくらいです(^^;;

よい耳を持っている人ならば、ピアノそのものを練習しても、だんだんきれいな音を出せるようになってくると思いますが、和太鼓はなにせやることがシンプルで、ほかのことに気を取られようがないですし、叩くところが剥き出しで見えてますので、いい音で叩こうと工夫することに専念できます。っつか、せざるをえない。

だから、西洋と日本で、ピアノのタッチ(の傾向)に差があるとしても、別段、和太鼓のせいじゃないと思うんですがね。
それとか、日本のピアノ教育についての話をするときに、よく知らないのに英語教育の話を引き合いに出さないほうがいいと思います。逆に説得力がなくなっちゃいます。

あと、最終章に出てくるコード弾きの話も、これは別にこの筆者がコード演奏の達人であるわけでも、コード演奏の指導の経験があるわけでもないので、ここで読む意味はイマイチはっきりしないんです。この本のメインテーマ「歩き方ひとつで日本人のピアノの弾き方が劇的に変わる!!」ともあんまり関係ないですし。

というわけでこの本はどうも気に入らなかったのですが、ピアノの振動を生かす弾き方を工夫することについてはまるっと賛成です。和太鼓だって、「音色」が悪い演奏ってそりゃ残念感が漂うもんです。ピアノだってバイオリンだってやっぱりまずは音色がきちゃなくないことが「快」の元かと。

そういえば、バイオリンは打楽器ではないわけですが(あたりまえだ)、先日、aniaさんといったバイオリンカルテットでは、現代曲の中でひんぱんに、バイオリンの胴を叩く演奏が出てきました。四人全員、叩きまくりって曲です。珍しいですね。それで気になったのが、バイオリンの人って、叩くのがヘタなんじゃないかってことです。というか四人均等ではなく、ヘタな人がいたということなのですが、バイオリンそのものは、めちゃくちゃ(私が形容することは不可能なほど)うまくてプロ中のプロの人ばっかりなのですから、そこから考えると「え?」というくらい。リズムのタテ線がきちっとしてないし、叩く音もきれいじゃない(人がいた)。

ふつうはバイオリンの人って叩く練習しませんもんね。不思議じゃないことなのかもしれません。

もちろん、バイオリンをふつうに弾く場合、プロならタテ線きっちり合わせてますけど、初心者がバイオリンのみを習う場合は、リズムというかアタック(っていいませんね)、音の立ち上がりを意識しにくいような気がします。バイオリンがかなりうまくなっても、リズムはなんとなくあいまい、ゆるゆるに刻まれているという場合があるように感じます。私の場合、バイオリンが下手すぎて、弓のコントロールがうまくないために、思ったリズムが実際には刻めてないわけですが。つまり、私と同じくらい下手なうちには、なかなか正確なリズムで弾く練習がしにくいということにもなります。バイオリンを弾くにも、叩く楽器を経験したら何かいいことがあるんじゃないかな。

(たぶん、逆に、ピアノを弾くにも、バイオリンを経験したことで何かいいことがあるんじゃないかと思うんだけど。まだよくわからない。)

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またろうの作り方: 初めての小学校・学童日記より(12)

2013年05月11日 | 小学生活
ケータイ(というかこのときはPHSだけど)があるのってほんとに便利。いや便利のようなやっかいのような。

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2000年4月18日(火):兄弟電話ごっこ

会社の帰り、駅からタクシーに乗った。乗ってすぐ、またろうから電話。「いまどこ」「はやく帰ってきてね」のおきまりの出だし。「今タクシーに乗ってるからすぐだよ」というと、「今日は、こじろう連れてから帰ってきてほしい」と意外な展開。

「え、保育園先にいっていいの。それだとけっこうかかるよ。」「いいんだ。あのね、その方がね、、ぜんぶでは、えーと半分になって、みじかくなるから」。これまで、とにかくいったんは早く顔を見せようと思って、いったん家にただいまをしてから保育園に迎えにいっていたが、迎えに行く間のおるすばんが長く感じたのかな?

運転手さんに行き先変更を告げ、直接園につけてもらう。確かにこれでトータル時間は節約になるけど、時間がかかるのはこじろうを帰る気にさせて実際連れて帰る(寄り道だだこね含む)ところなんだから、とても半分にはなりはしない。

今日のこじろうはごきげん。この3月まで担任だった大好きな先生が遅番にいるせいらしい。それはいいけど、ごきげんで柵に登ったり、月を愛でたり、遠回りしたがったりと時間がかかってしょうがない。こんなことやってるとまたお兄ちゃんから電話かかってきちゃうよ。あ、かかってきた。

案の定、柿木将棋の操作についての質問。電話できかれたってさっぱり要領を得ないんだからこっちだってわかりゃしない。しかもその間、こじろうが「こじろうがでんわするー」とかあばれてて道も進まないんだから、どんどん帰りは遅くなるのだ。「またろう、ママも見なくちゃ分からないよ。もうすぐ着くんだから、電話しないで待ってたほうが早く行けるんだよ。電話するとこじろうが進まないよ」というと「あー切らないで!」と抵抗。

「じゃね、電話切って窓の外みてごらん。もうすぐ見えるよ」といって電話を切らせる。こじろうには、「窓からお兄ちゃんが手をふるよ。いってみよう!」と声をかけて見える位置まで走らせる。「おーい」「やっほぉ」としばし手を振る。またろうは「こじろうに電話してあげるー」といってまたひっこんでしまう。こんな近くで電話しなくていいっつの(-_-#

そこからはまたろうとこじろうで電話しながらいきおいよく家まで着く。ごきげんでスムーズに家まで着いてよかったけどさー。。こんなに電話に頼ってていいのか??

4月19日(水):連絡帳の混乱

今日は、保育園の懇談会。終了はちょうど6時だから、「学童が終わったら保育園においで。パパもママもこじろうもいるよ」といっておく。またろうもちょっとうれしそう。

ところが、懇談会が少し延びて6時10分ごろになってもまたろうが来ない。「変だなぁー」といっていると電話。「ママー、おてがみとおやつがない(;_;)」「えーっ、今日は保育園においでっていったのに」「あ、そうか!(がーん)」

「やるんじゃないかと思ったよね、ちょっと」とかぶつくさいいながら帰る。家から園に向かってきたまたろうと合流。「鍵しめてきた?」「あ、忘れた」、、「じゃ、急いで帰ろう」

またろう&こじろうでいっしょに園から帰るのは久しぶり。なんだか楽しいらしくて、二人でふざけっこしながらだーっと走っていく。はやーい。

ところで、今朝しつこく強調したのは、「保育園においで」より「お友達の連絡帳(学童)をちゃんと先生に渡すこと!」だった。月曜日、なぜか自分の連絡帳のほか、お友達の連絡帳がいっしょに入っていた。これ自体はまぁしかたがない。きのう、「ちゃんと渡してあげるんだよ、探してるだろうから」といったのに出し忘れたのは、よくはないがまだいいだろう。しかし、今日あれほどいったのにまた持って帰ってくるとは!

しかも今日は、忘れるといけないので、またろう自身の連絡帳に事情とおわびを書いて、それを見れば先生もわかるようにしておいたのだ。それも先生に見せていないということがわかった。

だもので、夫婦して「お友達が困ってるから絶対先生に渡すんだよ、っていったのに」「うっかり忘れたじゃすまないことがあるんだ!」「パパやママと先生の間の大事なお手紙なのに、渡してないのはどういうこと!?」などとよってたかってがんがん叱ってしまった。

またろうは、「ちゃんとね、先生にみせたんだけど、学童の先生にみせてね、っていわれた」とかわけのわからんことをぼそぼそいいながらじわっとしている。

落ちついて話を整理してみると、またろうの頭の中の混乱が少しわかった。連絡帳は小学校のと学童のとある。もちろん、小学校のは小学校に出すし(ランドセルに入れてある)、学童のは学童に出す(布バッグに入れてある)ものだ。小学校の連絡帳は連絡事項があるときは出すけど毎日は出さなくていい。学童の連絡帳は毎日書いている。これがどうも分けて考えられてなかったみたいなんですね。

で、連絡帳を先生に渡すんだよ、としつこくいわれたのはいちおう覚えていたけど、学童の連絡帳を小学校の先生に出したらしい(-_-;;

それが先週までうまくいっていたようにみえたのは、ひとえに学童の先生が、声をかけるとか本人が出さなくても布バッグを漁るとかしてチェックしてくださっていたためなのでしょう。

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