アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

たかが譜めくりされど譜めくり

2014年09月23日 | ピアノ
ピアノ曲の場合、私は4ページまでのものを好んでいますがその理由はというと、4ページまでならコピーすれば全部開いた状態で譜面台に乗るからです。

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私は暗譜も下手(というかできない)で楽譜必須ですが、実は譜めくりにも自信がないので、譜めくり不要の曲がたいへんありがたいのです。

学生時代、舞台の上でフルート四重奏を吹いているとき、バッとめくろうとしたらばさばさばさっと譜面が全落ちして、エライコトになったことがありますが(-_-;; だいたいフルートがうまい人は譜めくりもうまくて、安定してサクサクめくっていたのを思い出します。フルートというのは、基本、両手が揃ってないと吹けませんが、ソラシのあたりは左手だけでも吹けないことはないので、休符プラス「ソラシ」を使ってめくるわけです。うまい人は、片手吹きのときの安定感も優れてますし、めくる動作自体もなんでか上手で素早いんです。

バイオリンにしてもフルートにしても、譜めくりを誰か別の人にお願いすることはふつうないですから、自分で上手にめくれることは演奏面からいっても重要です。

ピアノの場合、譜めくりをお願いしてもかまわないのですが、そういや、スケルツオさんとかページ数がものすごいたくさんあるバイオリンソナタかなんか伴奏してても、「めくりましょうか」というと「自分でできます」といいますね。実際、演奏をまったく乱すことなくさらさらとめくっていきます。トリスターノさんたちの二台ピアノは、楽譜を置いていたけど全部自分たちでめくってましたね。

人に譜めくりをお願いすると、自分が思ったのと微妙にタイミングが違うとか、めくる前後の動作が気になるとか、それはそれで動揺して演奏がヨレたりします。

要するに、私の場合
・暗譜できない
・譜めくり自信なし
・譜めくりしてもらうっても何かと動揺のモトに(^^;;

結局、演奏に自信がないというか余裕がないからすべていけないんじゃないの。ということではあるんですけど、そんなこんなで4ページまでの曲LOVEなんです。

そうはいっても、二台ピアノとなるとページ数はむちゃ多くなりますし、モーツァルトの二台ソナタはけっこう長さのある曲なんで、いっぱいめくらなくちゃいけません。

当然、本番は譜めくりをお願いするつもりで練習していたんですけど…

この曲に二個所、(音を並べるという意味での)難しさでいって山場というのがあるんですが、その二個所はほとんど同じような、というか、音の高さが違う程度の塊です。弾きやすさにそんなに変わりはなかろうと思うんだけど、塊の2つ目のほうが、なんだかなかなかうまくなっていかないんですよ。

それで、似たようなもんなのに、なんでかなぁと思っていて、ふと気づいたんです。2つ目のほうは、その「塊」がページめくりで分断されています。そのため、自分で練習するときに、続けて弾くということがなく、いつもページをめくる「間」をとりつつその塊を弾いていたことになります。見た目が、見通し悪いという問題もあるかもしれません。

それで、1ページコピーして張って、その塊の最中でめくらなくていいようにしてから練習してみたら、これは具合よいようです。このまま練習していけば、ちゃんと1つ目と同じくらいになりそう。

ということで、変なところでめくるのをやめたらだいぶすっきりしました。あとの部分は、ちょいずらす程度でなんとかめくる間があります。

思い立ったが吉日で、それぞれのめくるタイミングに、印をつけてみたらけっこういい具合。譜めくりで生じる「動揺」が減るようです。

本番でも譜めくりなしで済むくらいに準備というか整理しておくと、練習がしやすくなる。ということは、練習も進みやすい。という寸法です。

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ひょっとして今更日本史好きに!?

2014年09月22日 | 生活
またろうは、もらったお小遣いの全て(←誇張ではない)を本と漫画に注ぎ込むので、山のように所有しているが、その大半は母が好むようなものでないことはわかっている。

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でも、たまに「このおもしろさを共有したい!!」と思うらしくて、「お母さんもこれ読んでみる?」とか薦めてくる。好みが非常にあさってなので、母の好みのスイートスポットにはまることは稀だけれども、私もまたろうがどんなものを好きなのか(そしてどんなものを母にも読んでほしいと思うのか)知りたいからなるべく読んでみることにしている。

先日からずっと、「信長協奏曲」という漫画を薦められていたんだけど、私がたまたま電車の行き帰り(読書タイムはほとんど電車中のみ)にしばらく古いDVDを見ていたため、数日たっても読まなかった。そしたらもう、毎日「読んでみた?」「今日は読んでみた?」「いつ読めそう?」とか矢の催促。

で、この土日と今日でようやくエンジンかかりました(^^;; 一冊目を読んでるときは「びみょう~」と思ったんだけど、三冊目くらいからがぜんおもしろくなって、今、九冊目まで一気に来たところ。

話はすっごいくだらない設定で、現代の高校生(筋金入りのちゃらんぽらんなやつ)がタイムスリップして織田信長をやるはめになってしまうというものなんだけど、なにしろ授業なんかまじめに聞いてないヤツなんで、明智光秀に殺される、なんてこともちゃんと覚えてないわけですよ。なんか「あ」がついたような…「あいだくん」だっけ?? って調子(^^;;

しかも、織田信長~、知ってる知ってる、それって有名な人だよね。確か天下を取った!? (注: とってません)
ってくらいあやふや。

タイムスリップのときに、日本史の教科書を持ってたんだけど(かばんにちゃんと入れて持ち歩いてたなんて、不良にしてはまじめ-笑)、肝心なところを確かめようとしたとき燃やされちゃったんだよね。

そんなふうに、半端すぎる知識で織田信長をスタートして、でも自分は天下とる人だっていう勢いで、もうずんずん行動していくわけ。でも根が不真面目だからどこもかしこもゆるくて、でもそのゆるさが豪胆さや、器の大きさともなって、すっぽりと織田信長というポジションにハマり、結果として戦国の世界の中でぶいぶいいわしてくんです。

私は、この主人公よりほんのちょっとまじめなので、織田信長が明智光秀にやられちゃうとかくらいのことは覚えてます。というか、近年まで私の日本史に関する知識って、もうちょっとやそっとしょぼいどころじゃなかったんですけど、カオスだったんですけど、はなひめの受験をきっかけに、大筋は理解したんです。といっても小学生レベルだけど。

そういう状態でこういう漫画を読むと、おぼろげに聞いたような人の名前や戦いの名前が、まったく聞いたことないことと混ざっていろいろ出てきて、どこまでが本当の話? (といってわるければ教科書にいちおう史実として載っている話)というのが気になってきて。

それで、「もういちど読む 山川日本史」なんて本を引っ張り出してきてみたりして。この本は、やはりはなひめの受験の際に買ったんだけど、いわゆる高校用の山川の日本史教科書に似たつくりの一般書籍。なんとなく通読しやすくリライトしてあるのかな? 比較してないから知らないけど。小学生用の教材(主に日能研の)を読んでうまく話がつながらないときとかにたまに読んでたものです。

織田信長についての記述を確認してみると、たったの一ページ分くらい。これじゃ、知りたかったディテールはほとんどわからないけど、とりあえず大雑把な時系列がね。浅井、朝倉あたり滅ぼすより先に室町幕府を滅ぼしてたんだ~って、そんなことも知らなかったので何かと新鮮です。

信長部分は一ページくらいで終わっちゃったので、ちょっと前からめくって、「ヨーロッパ人の来航」ってところから読んでみた。

そしたら、ほら、日能研のテキストだと、なんか突然ポルトガル人が種子島に来たみたいな印象だったけど、この本だと、ヨーロッパ人がアジアに来たくてもイスラム勢力が邪魔で陸路を来られなかった、そこで、スペイン人は大西洋側から、ポルトガル人は逆にアフリカの南を回って、いずれも地球的規模の航路を使ってアジアまで進出してくる、というようなことが書いてあるんです。これは楽しい。中学受験のときは、イスラム勢力のことなんか1ミリも考えなかったものね。

そんなこんなで、「山川日本史」を読んでいくとおもしろいんですよ。おもわずマーカーなんかも取り出しちゃって、でも試験準備じゃないから、覚えなきゃいけないところにではなくて、「へぇ~」と思ったところに印をつけてくの。いわゆる「へぇ」ボタンってやつ。

私は高校のとき日本史を取ってないし、高校レベルの日本史は白紙。もっとも、そのとき教科書を読んでも、あまりに取っ掛かりがないのでつまらなくって結局勉強しなかっただろう。取っ掛かり、というのは、たとえば中学受験で習う程度の歴史。

いまから、いまさら、日本史の教科書を読んでいくと楽しめるのかも。なんの得も(世の中への貢献とか、共通一次(古)の点数アップとか)ないけれど。そんなことをいえば、私がピアノを弾くのだって、別になんの得もないわけだから、変わらないっちゃ変わらない。いろいろ知っていくと、楽しみが深まったり広がったりするってところも似ている。60歳くらいになったときに、高校教科書レベルの日本史なら知ってるって、けっこういいかもなぁ(旅行の楽しみとか?)。

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練習しないことの効用

2014年09月20日 | ピアノ
「一日休むと自分にわかり、二日休むと先生にわかり、三日休むと観客にわかる」だっけ、とにかく継続的に練習をすることの大切さを説いた文言があるが(元はバレリーナの話? ピアニストの話?)、

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←どうも味が決まらないときはぬか床を休ませるって話があったな

それはたぶん、すんごく練習してる人の話だと思う。だってもともと、毎日は練習してないものね(平均ペースでいうと、平日五日のうち三日はさわり、休日二日のうち一日は練習するくらい)。

「昨日」が練習した日か、しない日かというのは、弾いていてそんなに影響しているようには感じない。日による調子の良い悪いはあって、その誤差に埋もれている。

でも、一日二日の話ではなく、しばらく練習しなかった場合の影響というのは、確実にあると感じる。

一週間くらい、(私にしては)すごく集中して練習して、メトロノームさんのお世話にもなり(^^) udurannさんとのモーツァルト二大ソナタ仮合わせをした日のあと、実は右手親指を突き指し(-_-;; あんまりピアノを弾かなかった。弾いても、触るくらいでまじめに練習はしなかった。突き指といっても何もないところでガツッとカウンターにぶつけたという理由で、あまりアホすぎてブログにも書けず(笑) 練習する代わりになぜか気合の入った記事シリーズ(「脱力しろっていわれても」「正確性のための緊張と脱力」「それで、脱力して正確に弾くには?」)を書いたりして。

で、しばらく練習しないでいてどうなるかというと、直ってきたなーってことで練習する日もないまま予定どおりレッスンに行き、そのときはさすがにぎこちないところがあったけれど、でもその翌日とかになると、なんか突然。。

どうしてもつっかかってたところがさらっと弾けたり、頭に入らなくてガン見だったところがすんなりつながったり…

逆に、ちょっと忘れちゃって、あれあれあれになったところもあるんだけど。

なんとなく、苦労してたところほど、整理されてすっきりした印象です。

たとえば、算数の問題でどうしてもわからないのがあって、あぁでもないこうでもない、いろいろ試行錯誤したけどわからなくて、そのまま寝ちゃったという場合に、寝て起きたら突然解けたりとか。そんな感じ??

よくなったところと悪くなったところがあるんだけど、全体に、すごく楽々~に弾けて、何度か弾いてもぜんぜん腕が疲れない、というような。


もちろん、練習しないほうがいいとかそういう話ではなくて、あれこれ練習したとか、図形の問題なら補助線いろいろ試してみたとか、そういう「あがき」があったあとのブランクに意味があるんだと思うけど。

特に今回、一週間くらいすごい(当者比)集中して練習したあとに、空白期間があったので「よい面」が出たかなと思う。

「仮合わせでとにかく合わせられるように」って、とりあえず練習したときは、16分音符が連続して並んでいるところについてのみメトロノームを1刻みずつ上げていくようなことをしつつ、ゆっくりなところは飛ばしてたりとかしながら、全体の構成を眺めてみるようなこともせず、効率(とにかく合わせるという目的で)優先でやってたから。

そのあと、無意識棚卸し期間があることはわりと意味があったような気がする。

というわけで、そろそろまたエンジンかけます(^^;;


バイオリンも、数日空いたときに突然いい響きがしたりとか、どうも不思議というかつかめないところがあります。もちろん、一ヶ月に数回しか(つまりレッスンのときしか)弾かないのが何ヶ月も続いたときは(はなひめ受験のころね)サイアクでしたから、練習のしなさすぎがダメなのははっきりしてますけどね。

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「結婚したらどう」と平場なら言うって

2014年09月18日 | 生活
少し前に都議会でのヤジが有名になりましたけど、その再発防止ということで「男女共同参画社会推進議員連盟」というものが発足、いや「活動再開」したそうです(私が見たのは昨日の東京新聞朝刊)。

   にほんブログ村 教育ブログ 中高一貫教育へ←失言には本音が出るから取り消しても無意味。

この「共同サンカク」という、不自然で言いにくい言葉自体がすでにうさんくさいと思ってしまうのは私の気持ちがヒネているからでしょうか、なんか私が男女や夫婦のあり方について悩んでいた社会人駆け出しのころにやたら使われるようになった(そしてそのわりに実効がない)印象です。

そして活動再開ののっけから、よりによって会長さんが、「結婚したらどうだ、と平場(プライベート)では僕だって言う」と発言し、栄えある一面トップを飾ってしまったわけなんですが…

たぶんこの会長さん、自分のどこがイタかったのかわかってないし、別に失言したとも思ってないでしょう。むしろ、本音で「女は家庭に」というのがあろうがそんなことはともかく、都議会という場ではルールを守ろうねということを徹底しようという路線なら、ほんとに議会のヤジで「早く結婚しろ~」って言っちゃいそうな議員(←誰)には納得してもらえるかもしれませんしね。

でも実際のところ、議会みたいなところでこういうヤジを飛ばしても、ヤジった人の品性下劣を知らしめるだけのことで、言われたほう、あるいはその話を聞いた人が「そうか早く結婚しよう」っていうふうに考えを改めるってことは金輪際ありえないし、結婚しないからって罪悪感を持つこともありません。怒る、あるいは「どうしようもないやつだな」と蔑むだけです。

一方、「平場」で言われることが束になって積み重なっていくと、それは怒りのもととなるだけでなく確実に価値観を歪めていくんです。繰り返される中で少しずつ、本人が意識しなくても、価値観の一部として内在化していってしまいますから。

そういう意味で、「平場では言う」ほうが罪深いんじゃないかと私は思いますが。もちろん、プライベートで言うときはそれは一介のオッサンとしてですから、新聞沙汰になるような「悪さ」ではありません。ごく普通なことです。公の場でルールやマナーを無視したら、そりゃ公人としてまずいですから違う話ですけど。

そしてほんとは、「価値観を捻じ曲げる」という面で一番罪深いのは、どっかのオッサンの発言ではなくて、母が娘に対して「あなたは~するのよ」「~しなさい」と長年ささやき続ける内容です。これはもう、娘が表面上反発しようがしなかろうが、どっちみち心の深いところに根を下ろし、行動を縛っていく力を持ちます。

私が22歳で結婚したのは、母が私にささやき続けた言葉と深い関係がある、どころか「直結」しています。

もっとも、私はそのことを後悔してはいません。たぶん後悔しているのは母です。私は母の言うとおりに難関大理系に進み(笑)結婚相手を見つけるという形で早婚を実現しましたが、結果としてその結婚生活のあり方はあっちもこっちも母の意に沿わなかったという、すごくトリッキーな形で満身創痍の独立(母の価値観からの)を果たしたわけです。

(で、そのことについては自分の中で決着がついていますが、母がささやき続けた別の発言については、未清算のままだったりしてときどき悩みのタネになります)

ま、そんなわけで、「究極の平場発言」、母が娘に日常語る内容というものが、どんなに深刻な害悪を撒き散らし得るかということを身をもって体験しているので、とにかく一番気をつけていることは、人生のあり方については少なくとも「You」メッセージで語らないようにしようってことです。

どこまで守れているかはよくわかりません…「I」メッセージで語ることまで(背中で語ることも含めて)やめるってことは親として不可能なわけですから。

娘が私の年になったとき、どんな感慨を持たれているのか、とても怖いしとても知りたい。

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今日と明日はどちらも大切だからこそ

2014年09月17日 | ピアノ
モーツァルトの二台ピアノソナタ、udurannさんとお試し合わせをしたときも、おゆき先生のところでレッスンしたときも、「練習してあるね!!」と驚かれた(ような気がする)。

   にほんブログ村 クラシックブログ ピアノへ←今日楽しいことをするのが基本、それが明日にも役立てば尚可。

私が練習しないことにかけては数々の実績があるので否定のしようもないけれど、よほどの練習嫌いと思われていたらしい。練習嫌いというか、練習しないというポリシー!?

実際のところ、私は練習しないというポリシーを持っているわけでも、練習嫌いなわけでもない。

そうではなくて、
「明日よりも今日がだいじ」
というポリシー。

ピアノでもバイオリンでも同じだけれど、
明日のために今日がんばって(がまんして)練習をするというのではなくて、
今日を楽しむために練習をしたり曲を弾いたりする。内容も量も今日の「気持ち」で決まる。

結果的に、これまでの練習というと、ハノンとかツェルニーがなくて曲を次々弾いてただけ、ってことになってたし、
曲を弾くにしても、部分練習より全体をなんとなく弾くことが多かった。

当然、練習として効率がよくないので進歩はゆっくりだけれど、ともかく何がしかの進歩はある。だいたい、およそ練習というものは、本人が楽しんでやってるということが肝心だったりするので、見掛けほどひどく効率が悪いわけじゃない。

ということで「明日よりも今日がだいじ」という、聞きようによっては刹那的なポリシーを持つ私だけれど、たまにせっぱつまったり、気分が突然乗ったりすると効率的な練習を追究することがある。たとえば、バッハのパルティータに取り付かれた今年の正月休みのとき、あるいは、今回のudurannさんとの合わせ前の一週間。

そういうときは限られた時間内で真剣に「どうにかする」ための工夫を考え出し、ない時間をかき集めてコトに当たるので、普段からは考えられないくらいの練習効率が得られる。そうやってみるとあらとてもおもしろいじゃないの、ってことでちゃんと「今日が楽しい練習」となっておりポリシーとも完璧合致するのだが、まぁ疲れるからいつもはやれないよ、ってことで…

でも、「こう練習したら」→「おもしろかった」→「こうなった」というのが積み重ねられていくうち、ただ曲をのんべんだらりと弾く以外の練習を思い立つことが増えたし、実際それを楽しむスイッチが入る頻度も増えた。そうすると案外自分が真剣に音階弾くときの手の動きなんかを試していたりしてびっくりすることもある(いや、音階練習してたぐらいでいちいちびっくりするのもどうかと思うが)。

看板(ポリシー)を架け替えたわけじゃないんだけど、気が付いたらインベンション弾いたり音階練習したり、部分練習したりゆっくり練習したりメトロノーム練習してたりして。

気が付いたらかなり、練習嫌いじゃない人みたいになってる(笑)

今日も大事だけど明日も大事(弾ける範囲が増えればそれだけ楽しめる)、ということでもある。なんかウマく乗せられたような気がするけどねぇ。

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