少し前に都議会でのヤジが有名になりましたけど、その再発防止ということで「男女共同参画社会推進議員連盟」というものが発足、いや「活動再開」したそうです(私が見たのは昨日の東京新聞朝刊)。
←失言には本音が出るから取り消しても無意味。
この「共同サンカク」という、不自然で言いにくい言葉自体がすでにうさんくさいと思ってしまうのは私の気持ちがヒネているからでしょうか、なんか私が男女や夫婦のあり方について悩んでいた社会人駆け出しのころにやたら使われるようになった(そしてそのわりに実効がない)印象です。
そして活動再開ののっけから、よりによって会長さんが、「結婚したらどうだ、と平場(プライベート)では僕だって言う」と発言し、栄えある一面トップを飾ってしまったわけなんですが…
たぶんこの会長さん、自分のどこがイタかったのかわかってないし、別に失言したとも思ってないでしょう。むしろ、本音で「女は家庭に」というのがあろうがそんなことはともかく、都議会という場ではルールを守ろうねということを徹底しようという路線なら、ほんとに議会のヤジで「早く結婚しろ~」って言っちゃいそうな議員(←誰)には納得してもらえるかもしれませんしね。
でも実際のところ、議会みたいなところでこういうヤジを飛ばしても、ヤジった人の品性下劣を知らしめるだけのことで、言われたほう、あるいはその話を聞いた人が「そうか早く結婚しよう」っていうふうに考えを改めるってことは金輪際ありえないし、結婚しないからって罪悪感を持つこともありません。怒る、あるいは「どうしようもないやつだな」と蔑むだけです。
一方、「平場」で言われることが束になって積み重なっていくと、それは怒りのもととなるだけでなく確実に価値観を歪めていくんです。繰り返される中で少しずつ、本人が意識しなくても、価値観の一部として内在化していってしまいますから。
そういう意味で、「平場では言う」ほうが罪深いんじゃないかと私は思いますが。もちろん、プライベートで言うときはそれは一介のオッサンとしてですから、新聞沙汰になるような「悪さ」ではありません。ごく普通なことです。公の場でルールやマナーを無視したら、そりゃ公人としてまずいですから違う話ですけど。
そしてほんとは、「価値観を捻じ曲げる」という面で一番罪深いのは、どっかのオッサンの発言ではなくて、母が娘に対して「あなたは~するのよ」「~しなさい」と長年ささやき続ける内容です。これはもう、娘が表面上反発しようがしなかろうが、どっちみち心の深いところに根を下ろし、行動を縛っていく力を持ちます。
私が22歳で結婚したのは、母が私にささやき続けた言葉と深い関係がある、どころか「直結」しています。
もっとも、私はそのことを後悔してはいません。たぶん後悔しているのは母です。私は母の言うとおりに難関大理系に進み(笑)結婚相手を見つけるという形で早婚を実現しましたが、結果としてその結婚生活のあり方はあっちもこっちも母の意に沿わなかったという、すごくトリッキーな形で満身創痍の独立(母の価値観からの)を果たしたわけです。
(で、そのことについては自分の中で決着がついていますが、母がささやき続けた別の発言については、未清算のままだったりしてときどき悩みのタネになります)
ま、そんなわけで、「究極の平場発言」、母が娘に日常語る内容というものが、どんなに深刻な害悪を撒き散らし得るかということを身をもって体験しているので、とにかく一番気をつけていることは、人生のあり方については少なくとも「You」メッセージで語らないようにしようってことです。
どこまで守れているかはよくわかりません…「I」メッセージで語ることまで(背中で語ることも含めて)やめるってことは親として不可能なわけですから。
娘が私の年になったとき、どんな感慨を持たれているのか、とても怖いしとても知りたい。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)
←失言には本音が出るから取り消しても無意味。
この「共同サンカク」という、不自然で言いにくい言葉自体がすでにうさんくさいと思ってしまうのは私の気持ちがヒネているからでしょうか、なんか私が男女や夫婦のあり方について悩んでいた社会人駆け出しのころにやたら使われるようになった(そしてそのわりに実効がない)印象です。
そして活動再開ののっけから、よりによって会長さんが、「結婚したらどうだ、と平場(プライベート)では僕だって言う」と発言し、栄えある一面トップを飾ってしまったわけなんですが…
たぶんこの会長さん、自分のどこがイタかったのかわかってないし、別に失言したとも思ってないでしょう。むしろ、本音で「女は家庭に」というのがあろうがそんなことはともかく、都議会という場ではルールを守ろうねということを徹底しようという路線なら、ほんとに議会のヤジで「早く結婚しろ~」って言っちゃいそうな議員(←誰)には納得してもらえるかもしれませんしね。
でも実際のところ、議会みたいなところでこういうヤジを飛ばしても、ヤジった人の品性下劣を知らしめるだけのことで、言われたほう、あるいはその話を聞いた人が「そうか早く結婚しよう」っていうふうに考えを改めるってことは金輪際ありえないし、結婚しないからって罪悪感を持つこともありません。怒る、あるいは「どうしようもないやつだな」と蔑むだけです。
一方、「平場」で言われることが束になって積み重なっていくと、それは怒りのもととなるだけでなく確実に価値観を歪めていくんです。繰り返される中で少しずつ、本人が意識しなくても、価値観の一部として内在化していってしまいますから。
そういう意味で、「平場では言う」ほうが罪深いんじゃないかと私は思いますが。もちろん、プライベートで言うときはそれは一介のオッサンとしてですから、新聞沙汰になるような「悪さ」ではありません。ごく普通なことです。公の場でルールやマナーを無視したら、そりゃ公人としてまずいですから違う話ですけど。
そしてほんとは、「価値観を捻じ曲げる」という面で一番罪深いのは、どっかのオッサンの発言ではなくて、母が娘に対して「あなたは~するのよ」「~しなさい」と長年ささやき続ける内容です。これはもう、娘が表面上反発しようがしなかろうが、どっちみち心の深いところに根を下ろし、行動を縛っていく力を持ちます。
私が22歳で結婚したのは、母が私にささやき続けた言葉と深い関係がある、どころか「直結」しています。
もっとも、私はそのことを後悔してはいません。たぶん後悔しているのは母です。私は母の言うとおりに難関大理系に進み(笑)結婚相手を見つけるという形で早婚を実現しましたが、結果としてその結婚生活のあり方はあっちもこっちも母の意に沿わなかったという、すごくトリッキーな形で満身創痍の独立(母の価値観からの)を果たしたわけです。
(で、そのことについては自分の中で決着がついていますが、母がささやき続けた別の発言については、未清算のままだったりしてときどき悩みのタネになります)
ま、そんなわけで、「究極の平場発言」、母が娘に日常語る内容というものが、どんなに深刻な害悪を撒き散らし得るかということを身をもって体験しているので、とにかく一番気をつけていることは、人生のあり方については少なくとも「You」メッセージで語らないようにしようってことです。
どこまで守れているかはよくわかりません…「I」メッセージで語ることまで(背中で語ることも含めて)やめるってことは親として不可能なわけですから。
娘が私の年になったとき、どんな感慨を持たれているのか、とても怖いしとても知りたい。
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「はじめての中学受験 第一志望合格のためにやってよかった5つのこと~アンダンテのだんだんと中受日記完結編」ダイヤモンド社 ←またろうがイラストを描いた本(^^)
「発達障害グレーゾーン まったり息子の成長日記」ダイヤモンド社
(今回もイラストはまたろう)