アンダンテのだんだんと日記

ごたごたした生活の中から、ひとつずつ「いいこと」を探して、だんだんと優雅な生活を目指す日記

クラヴサンと比べたら鍋みたいな楽器

2017年05月19日 | ピアノ
「クラヴサンと比べたら鍋みたいな楽器」というのは、哲学者のヴォルテールがピアノを評して言った言葉だそうですが…

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「鍋」ってどんな感じなんでしょうね(^^;;
今のピアノのイメージと「鍋」って、どうやっても結びつかないんですが、当時の出来立てピアノは羊毛ハンマーじゃありませんし、硬いハンマーなのでより金属的な音に聞こえたのでしょうか。

ピアノを発明したのはクリストーフォリということになってますが、彼はメディチ家お抱えの楽器職人で(つまりイタリア)、1700年ごろまでには世界初の「ピアノ」を作ったようです。

一方、1685年生まれのバッハさんはドイツらへんにいるわけですが。クリストーフォリさんが生涯に作ったピアノは20台とのことですから、そのままではバッハさんが生きてるうちにピアノに触れることはなさそうなところ…

大きな距離を飛び越えたのは「情報」だったようです。クリストーフォリを詳細にに取材してマッフェイという人が書いた論文(アクション構造図つき!!)が1711年の雑誌記事として掲載され、それが1725年にはドイツ語訳出版されました。それがジルバーマンの目に留まり、ジルバーマンが製作したピアノをバッハが試弾したのは1730年代。

アクション構造図が載っていたとはいえ、論文見てピアノ作っちゃうってスゴイですね。もともと、ジルバーマンはオルガン製作をしていた人で、副業としてパンタレオンも作っていたとのことです。パンタレオンというのは、ピアノと同じく「打弦楽器」で、ただし鍵盤アクションではなくバチみたいので弦を叩くのですが、大きな響板を二枚も備えていたというので確かにピアノにつながる方向性を持った楽器です。
(参考: 武蔵野音楽大学 Web楽器博物館ツィンバロン-大型のツィンバロンがパンタレオンと呼ばれた)

バッハがピアノを試弾したときの反応はというと、「タッチが重いし高音が弱いし」ダメ、というものだったらしいですが、ジルバーマンはそれで発奮してピアノを改良し、1745年ごろになるとプロイセンのフリードリヒ大王にお買い上げいただけたというので、ほんとがんばりましたね(^^)

そして1747年にはバッハがそのフリードリヒ大王の宮殿に招かれて即興演奏(のちに「音楽の捧げもの」になったやつ)したりしてます。

「バッハ」というとピアノのイメージはあまりありませんが、バッハの晩年にはとにかくピアノというものが登場して、バッハもそれに関わりを持っていた、ということは確かなのです。(ピアノ代金の領収書にバッハのサインが残っていたり。)

ただし、別に日常的に弾いていたというほど身近なものではないとすれば、バッハのした作曲にどれくらい影響があったのかなかったのかはわかりませんけど…

(上記はすべて「すぐわかる! 4コマピアノ音楽史 ピアノの誕生~古典派編」を見て書いたもの)

バッハは「鍋」を脱却した(←たぶん)ピアノを弾いてみて何を思っていたんだろう。

バッハがピアノというものを多少なりとも意識するようになった後の作品を弾いてみたいものだ。と思って、ピティナピアノ曲辞典を見てみると、作曲の年が174x年になっているものは

ゴルトベルク変奏曲
音楽の捧げもの
フーガの技法

の3つだけ。

一生弾けそうにないものしかない(o_o) ざっくり言うと最晩年はややこしい曲ばっか書いてる。「6声のリチェルカーレ」とか、妙に心にひっかかる、気になる曲だけど。ピアノ誕生と同時にバッハ的対位法的ややこしさが終着駅に来た感じ。ごめん、ここまではついてけないや、聞いても謎めいているし弾いてみたら何かもっとわかるかもだけど弾けない、みたいな。このハードルの高さ、現代曲チック(^^;;

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階級格差と保育園

2017年05月17日 | 生活
うちの子たちが通っていた保育園は私立認可保育園で、私立といっても市を通して申込み、保育料も市立と同じ。

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「同じ」というのは、所得の高い人は高く、低い人は低く、生活保護世帯なら無料といった具合で、要するに経済状況に関わらず同じ保育園に通える仕組み。いわゆる「地域の」公立小と同様、たいへん幅広い人と交流ができる(交流しなくてはならない)ところだというふうに思っていた。

しかし、幅広いのは確かだけれども、「地域の」という限定は実は強力なもので、案外狭い「階層」の人に限られていたと思うほうが正しいかもしれない、ということを今朝、

「子どもたちの階級闘争 ブロークン・ブリテンの無料託児所から」(ブレディみかこ)
という本を読みながら改めて思った。

この本の著者は、イギリスに住む日本人で、最初は無料の託児所でボランティアとして働いていたがその間に保育資格を取って別の保育園に就職。そこがつぶれてまた元の託児所に戻るというユニークな経緯を辿った人。

その、つぶれた保育園というのは、イギリスの「ミドルクラス」の人が利用する園ということだが、二歳児をフルタイムで預けて一か月14万円くらいというのだから、それなりに高収入の層が利用しているところだ。そこに「チャヴ」の保育士がいたところが問題の発端だった。

「チャヴ」というのは耳慣れないが、公営住宅地にたむろっているガラの悪い若者くらいの意味で、好んでフード付きのパーカーやジャージを身に着けている(^^;; ということで日本語でいえば「ヤンキー」みたいな?

しかし、それこそうちの保育園に冗談でなくそういう格好の、都営住宅に住んでいる家族はけっこういたけど問題なくいっしょに行事に参加し保護者会で委員をし、別にどうということもない。英国の「チャヴ」というのはもっと暗い語感で、ドラッグ、犯罪、強盗などと結び付けられるイメージのものらしい。

送迎に来る親たちはこの保育士が話しかけてきても無視、子どもが怪我をすると(遊んでるだけでしょっちゅう小さな怪我は発生するものだが)この保育士のせいにするといった具合であからさまな差別をしていた。結局は濡れ衣を着せられて逮捕(判決は無罪)、保育園自体も風評被害でつぶれたのだが。

同僚の目から見て、この「チャヴ」の保育士に何も問題はなく、むしろ誰かが怪我をして泣いたりしたらすっとんでいって手当をしてなぐさめ、報告書の記入もする(←これ面倒)人だったのが、その熱心さ、あたたかさが「いつも子どもがけがする場面にあの人あり」みたいな悪い噂の元ともなったとのことである。

日本語でも、話をしてしばらくすればその人となりだけでなく、出自とか、教養とか、そういったものがなんとなく知れるということはあるだろうけど、英国での話し方というのはそんなマイルドな差ではなく、はっきりと階級を表すものであって、発音から語彙からがらりと違うらしい。(「マイ・フェア・レディー」なんていう映画もあったね)

昔は、強盗や殺傷事件があったら近くの黒人が逮捕される、なんて時代があったそうだが、
今は、怪我をした幼児がいたらとりあえず近くの「チャヴ」を逮捕!?

おもしろいことに、明らかに人種の違う筆者が保育士をしていることについてはみんな優しくて、それは「外国人を差別するのはPC(ポリティカル・コレクトネス)に反するが、チャヴは差別しても自国民なのでレイシズムではない」ということなのだとか。

…それが「ミドルクラス」御用達保育園であったことで…

一方、無料託児所は、社会の底辺の人たちが利用している。底辺というのは誰かというと、自国民だけど代々貧困という人と、移民の二種類いる。

ともかく、保育園と託児所では、同じ月齢の子どもの発達状況(心身とも)がもう別物で、極端に暴力的であるとかなんらかの問題を抱えた子の率もまったく違うのだけど、そんな中で、「底辺といっても二種類いる」というところがミソ。

現在の状況は苦しくても、上昇志向のある移民の人は、(自分たちからみれば)恵まれた状況に元からありながら、働く意欲や努力を見せない(ようにみえる)貧困層がものすごく軽蔑すべき存在に見えるものらしい。それで、見習い保育士として英国の貧困層の子が入ろうとしたときに「安心して通わせられない」と大反対が起こるのだけど(以下略。ここはイイ話につながる)

まぁあまりにも中身が濃すぎて要約できないけど、クラクラするくらいの階級(階層)格差が地域の塗り分けによって維持され強化されている様子がよくわかる。たとえば公立の小学校といっても地域の違いで実態は天と地。それなら上昇を目指す人はその「いい」公立小に行けばいいのかっていうと、それはその近くに住むのにお金がかかるという…

日本も、「格差」がさらに広がって、移民も入ってきたころに、国民の不安をなだめるべく政権党がどかんと底辺切り捨ての政策を打ち出すとちょうどこんな感じになるのかもしれない(怖)

うちが通った保育園なんて、極端な上も下もおらず小市民に限定された「均一な」場だったといってもいいくらい。都営住宅といっても、ややこしい手続きを間違いなくこなせる「きちんと」暮らす人しか入れないのだし、裕福といっても、難関「お受験」するようなクラスであればこんな田舎(の新興住宅地)には住まない。「いろんな人がいるからたいへん」といっても全体からみればぬるま湯レベルの平和だったんだよねぇ。

ぬるま湯だけど外国人は「少し」いたし、日本語だって話し方で育ちが「ある程度」わかるだろうし、階層により住む地域が分かれているってことは「多少」あるし、経済格差はもちろん親の関心による教育格差は今でも「かなり大きい」よね。でもそのそれぞれを、いちいちすごく極端にくっきりはっきりしていくとこの本の状況になるかも!! と、リアルホラーな本でした。また半分くらいしか読み終わってないけど。

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モノへの執着、ピアノへの執着

2017年05月15日 | ピアノ
日々、家の中に溢れかえるモノと戦っておりますアンダンテです。皆様いかがお過ごしでしょうか。

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思いついたらいつでもさっとピアノ仲間を呼んでリビングでめるちゃん囲んでだらだらと弾いて食べて飲んでしゃべって過ごせる優雅な生活にあこがれているので、そのためにもモノはなるべく減らしていきたいんです。

でも…楽譜は増える一方だし、本も同じく。本はけっこう捨てているはずなのだけど一説によれば捨てて棚が空くとその二倍増えてしまう法則があると聞きます(求ム反論)。

古い写真はデジタル化して(あらかた)処分したいとか、山のような説明書/保証書類は不要なもの(今は亡き家電のものとか)を捨てて、必要なものもたとえばPDFがあるものはダウンロードして捨てるとか。いろいろ思いつくことはあるんだけどいちいち時間がかかるから実行に移せていない。

なんだかだで紙類はけっこうがんばって捨てても流入が多いのですぐ増えちゃう。はなひめが学校から持ち込むだけでも半端ない量。

…という具合なのですが、私の対極にいると思われる人の本「ぼくたちに、もうモノは必要ない。」(佐々木典士)を図書館で見かけたので借りてみました。

これは、「ミニマリスト」なる人が書いた本なのですが、この妙なカタカナ肩書きを自称する人のおうちっていうのは、主婦雑誌に写真が載っているきれいなインテリアのおうちなんてものじゃなくて、もうほんとにすっからかん。

ベッドはなくて、折りたためばソファ替わりにもなるマットレス、服は「制服がごとき私服」数着、食器も最低限ひと揃え、本棚も本もない、もちろんですがテレビはない。風呂場にはシャンプーもリンスもなく液体せっけんで全身洗う。

こりゃまた「おしゃれなリビング」「優雅な暮らし」を通り越して極端ですが、こんな人はいったい何を考えているのか? と興味を持って読んでみました。

曰く、ミニマリスト的生活は、家事も簡単、モノを探す手間も今日何を着るかを悩む必要もなく、いつもすっきり過ごせて時間も心もゆとりができる。モノを持つのが幸せじゃなくてモノがない今が幸せ。

…まぁそれはなんとなくわかるけれどそこまで極端じゃなくてもいいのでは?
…モノがあると不幸なの??

と思うのですが、この人はモノをたくさん持って不幸だった汚部屋時代というのがあるそうです。モノが大好きで、捨てられず、いつも人と自分を比べていて、みじめで、でも幸せになるためにはもっとあんなものやこんなものが欲しいと思っていた。朝起きるのもダラダラ、仕事をしても家に帰ってもストレスを溜め、お酒に逃げ、さらに自信をなくす。

なるほどちょっとわかった気がする。モノを溜めることが嗜癖のようになったとき、というかそこに自己評価がかかっている(そしてそこを人と比べることで幸せを求めようとする)とき、それはモノを捨てていくことが幸せへの道を切り開く鍵となるのだ。

流行の服を着ていることが、あるいは本棚に(読まないのに)難しげな本が並んでいることが、見栄でありソコをがんばっちゃってる、縛られてる、というならモノと決別することに大きな意味があるのだろう。

そういうのは全然ないな…むしろ、難しげな本はお客様が誰も見ない寝室の本棚に並んでおり、リビングの本棚にあるのは家族共用の漫画ばかり(「銀の匙」とか「のだめ」とか)。食器もちゃんとしたのはお客様が来たときには出さず、人数多けりゃ紙皿紙コップ(笑)

私ががんばってモノを捨てて「ほんとによかった」と思えるのは、リビングの片づけを進めたことで、めるちゃんが置けたこと、ルンバ導入にこぎつけたこと、楽譜置き場が増えてたくさん楽譜が買えたこと(→モノが増えてる)

モノを捨ててもそこに新たなモノが増えて、どう考えても前よりボリューミーになってる(ピアノや楽譜よりかさばるものもあんまりないもんだ)

私のめるちゃん偏愛ぶり、そして一生弾かない楽譜でも捨てない(^^;; ということを考えるとモノ溜めこみ癖がビョーキになってる人と同等なんだが…

まぁしかしピアノ(と、それ周辺の楽譜やCD)への執着が増している分、ほかのもの(服とか食器とか)はわりとあっさり処分できてる気がするし、ピアノ関連のモノ(と人付き合い)のおかげで明らかに幸せになってるからねぇ。これはこれでいいんじゃないの?

とは思うが、執着がないのに「時間がない」を言い訳に結局捨てられてないもの(説明書、保証書、古いゲームソフト、服など)はたくさんあるので、それはやっぱり捨てることにそれなりに時間をかけてでも、だんだんモノ捨てを実行に移していけば幸せ度は上がるんじゃないかと思う。

だって、もっと楽譜と本が置けるものねぇ(°O゜)☆\(^^;)

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リビングにピアノ、というスタイル。

2017年05月12日 | ピアノ
うちが住んでいる家の、お隣さんが売りに出されていました。お隣さんのほうがうちより広いです。

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そのチラシを見て、いやー安くなったなぁと…
うちを買ったのはバブルがはじける直前ですので、そりゃもう値段めっさ下がってます。

隣かぁ…隣にもうひとつおうちがあったら…

スタジオですね!!

そっちはピアノとか、楽譜とか、食器もおしゃれなものだけおいて
ピアノ仲間で集まってだらだら食べて飲んでしゃべってピアノ弾くの。いいなぁ。。
(それってスタジオっていっても商売になってないのでは)

いや、隣のほうが広いんだから、隣に引っ越して今のうちがスタジオかぁ(以下妄想)

楽しい妄想がふくらみまして、
さて、じゃ、いっちょ宝くじ買ってくるかな!!
ってとこまで考えが進んだときに、気が付きました。

私、二件分の管理なんかまったくやりたくない。(←掃除嫌い)

正直に申しましょう。私がほんとうにやりたいことは、
今の家のリビングにめるちゃんを置いたまま、
家族が過ごすもうひとつのリビングがほしいってことなんです。

めるちゃんはやっぱり、台所に直結したメインのリビングにあるべきです。
ごはん作りながら隙間時間でささっと触れますからね!!

でも、ひとつのリビングに、ピアノ弾きたい人と、テレビ見たい人と、歌をうたいたい人(笑)がいると音が混ざってお互いに不快です。特に、ピアノイベントをしているときは家族がふつうに過ごせるリビングがなくなっちゃって困るんですよね。

ということを考えると、答えはこうです。
・子どもを追い出す。一人はもう下宿してるから、あと二人どうにかする(あと6年くらいかかる??)
・追い出した二部屋をつなげて理想のオーディオルーム+納戸に改装する。(*)

これで、定年後は夫がオーディオルーム(現子供部屋部分)に、私がリビングを占領してピアノ三昧

…やっぱりこれがいい!!
(家を一軒買うよりはずいぶん安くて、宝くじが当たらなくてもできそうだしな!!)

問題は、その配置でよしぞうが納得するかどうかだが…
ピアノは、南の日差しが必要なわけじゃないし、ってかむしろいらんし(まぁオーディオもいらんだろうけど)
現子供部屋部分にピアノ部屋を作れたらそれでもいいんだけど、幅が足りなくてグランド置く感じじゃないんですよ…

それに、集まって飲食するにはやっぱりメインリビングだよね。キッチンカウンター越しに出し入れもスムーズで。

うまく収まるといいなぁ~

(*)今の寝室(北側)をオーディオルームにして、子供部屋を寝室に改装するほうがオーディオ類に当たる西日が避けられていいかもしれない。

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前回の私とは違うんです(たぶん)

2017年05月11日 | ピアノ
前に、例のモーツァルトの二台ピアノのためのソナタ第一楽章を弾いたんですが…

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「例の」というのは、のだめに出てくる、「二小節で間違えるな!!(ばこーん)」ってやつね。

これ、のだめと千秋の関係を物語る上で非常に重要な位置づけの曲になってます。曲として、なんか特別に何かを言ってるというよりは、楽しくてかわいらしい、アンサンブル楽しい気持ちいいって曲だと思います。というか、そういうふうに弾きたいんですがね…でも前回やったときはとにかく必死でしたから…

私が能天気に「これ弾く」と勝手に決めて相方をudurannさんにお願いし、練習を始めたときは
「なんだーその無謀すぎるチャレンジは!!」
と心配した面々が突如プロジェクトチームを結成し、超無謀曲をなんとかかんとか弾けるようにするにはどうしたらいいか?? という作戦会議をしていたとか。

まぁそんな大事(おおごと)だったんですけど。本番は多々難あり、スピード感も難あり、いろいろとありましたがかなり当初の予想よりは頑張ったんじゃないでしょうか。頑張っただけ。


せっかく弾くなら、曲の良さをもっと出して弾きたい。楽しげに、軽やかに、
ということになると音階とかアルペジオとかが問題なわけですが、
なにしろここんとこ音階の苦手感がだいぶ払拭されてきてますから、

前よりはだいぶイケルのではないかと。

前回の私とは違うんです(たぶん)

と一人で決めて、折よく二台もできるイベントのエントリーがあったもんですから、「音楽の星座」にモツ煮で出ることにしました。

相方はおゆき先生にお願いしたところご快諾いただきましたので、
おゆき先生(前回は、上記のプロジェクトチームにいた-笑)も前回よりマシな感じで弾けるんじゃないかと予想しているということだろうかと。

それで先ほど、今日はほとんど時間がありませんでしたがチラリと弾いてみたところ、

前には一時期あんなにこの曲ばっかり練習していたこともあるのに、
すっかり忘れていて譜読みをイチからみたいになっちゃってますけど、
でもなんか昔より弾きやすく感じます。

なんといっても一番違うところは、

めるちゃんで弾くととても幸せな感じなの!!(^-^)

そう、今回は、めるちゃんという強力な味方がいるんですよ。ここは、大きな違いです。
これでコロコロコロコロ、って音階が弾けるととっても素敵なんです。

だからね。
前よりよくなると思うよ、きっとね!!

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