彼は急な病で息を引き取る直前、僕は帰るけど必ず戻ってくると言い遺した。不幸な生い立ちの末に家族も故郷も捨てた彼が本当に帰りたかったのは恐らく己が生まれ落ちた場所よりも更に深く広い世界で、だからこの器に入った聖なるパンは、きっとそこから戻った彼の肉体でもあるのだ。
彼は急な病で息を引き取る直前、僕は帰るけど必ず戻ってくると言い遺した。不幸な生い立ちの末に家族も故郷も捨てた彼が本当に帰りたかったのは恐らく己が生まれ落ちた場所よりも更に深く広い世界で、だからこの器に入った聖なるパンは、きっとそこから戻った彼の肉体でもあるのだ。
生涯かけてでも夢を追いかけると決心した僕に別れを告げてきた彼女は、それでもお守りだと言って星が刻まれたバングルをくれた。留め金を外しても外れないようにチェーンの付いたそのバングルは、何度夢を掴み損ねても僕の手首に残り、追いかけている夢を諦めさせてくれない。
三日月が魅惑的なのはその姿の殆どが影に沈んで見えないミステリアスさからだと彼は断言した。更に満月は良く見ると痘痕だらけの薄汚い肌をしていると。そんな訳で彼は今でも満月を貶めながら三日月のような女性に愛を囁いては酷い目に遭っているらしいが、まあ自業自得だろう。
古風な文具セットを手に入れた私は、久しぶりに手紙を書こうと思い立った。羊皮紙の便箋にセピア色のインクを浸したペンを走らせながら近況報告を書いて折り畳み、手紙を入れた封筒に印章を捺して切手を貼る。ただ指が覚えるまで書き慣れた宛先に、もうあの人は居ないのだけれど。
祖父と祖母は仲が良く、常に身に着けている揃いのロケットペンダントをこっそり開いては微笑んでいた。ただ、恥ずかしいのか決して中の写真を見せてくれなかったので、やがて二人が殆ど時を置かずに亡くなった後にようやく写真を見ることが出来たのだが、それは祖父母とは異なる見知らぬ他人のものだった。
偏屈な老人が暮らす郊外の一軒家には書斎の奥に隠し部屋があり、窓のない狭い部屋の棚と壁一面に世界各地から集めたカレンダーと時計が所狭しと飾られている。ただ、様々な形状の様々な時計やカレンダーは残らず違う日付や時間を示していて、正確な日時を示すものは一つしかない。
基本的に香辛料は塊から削り出したほうが新鮮な香りを発する。だから胡椒を粒(ホール)で購入してその都度ミルで挽いて使うのは理に適っている。しかし、料理や調味の為にその都度岩塩の塊をおろし金で摩り下ろして必要量の食塩を得るのは明確に言って苦行以外の何物でもない。
水は腐り易く、特に流れるのを止めた水はすぐ腐る。故に人は己の内の清らかな流れを止めてはいけないと神父様は幼い僕に仰った。やがて大人になった僕は腐敗がもたらす蠱惑的な甘い香りの魅力を知り、それと同時に清らかな流れがもたらす尊さと冷酷さを思い知ることになった。
たかあきは牧月の王都に辿り着きました。名所は王立図書館、名物は野菜料理だそうです。
もはや私は彼に対して何も言わぬまま、私の中の廃墟に背を向けて歩き出す。私の始まりの場所が廃墟であっても世界が何度揺らいでも、結局私は獣のように猛り狂うのではなく植物のように根を張りながら眼前に広がる世界の情報を受け入れ、自分の中の揺らぎと折り合いをつけながら進んでいくしかないのだ。あれから随分と歳月が流れたが、あの日以来全く声を掛けて来なくなった「彼」が一体誰であるのか、私は未だに知らない。
もはや私は彼に対して何も言わぬまま、私の中の廃墟に背を向けて歩き出す。私の始まりの場所が廃墟であっても世界が何度揺らいでも、結局私は獣のように猛り狂うのではなく植物のように根を張りながら眼前に広がる世界の情報を受け入れ、自分の中の揺らぎと折り合いをつけながら進んでいくしかないのだ。あれから随分と歳月が流れたが、あの日以来全く声を掛けて来なくなった「彼」が一体誰であるのか、私は未だに知らない。
たかあきは離島の田舎町に辿り着きました。名所は城址公園、名物は貝料理だそうです。
最後に「彼」が示したのは城址公園だった。かつて私をこの公園に置き去りにした母は結局二度と迎えには来ないままで、私の中の「世界」もまた、その日揺らいだ末に崩壊したまま二度と元の形には戻らなかった。そして「彼」は、何故か心持ち嬉しそうに君の為に存在する世界は見えたかい?と訊ねてきて、私は貝のように口を閉ざす。
最後に「彼」が示したのは城址公園だった。かつて私をこの公園に置き去りにした母は結局二度と迎えには来ないままで、私の中の「世界」もまた、その日揺らいだ末に崩壊したまま二度と元の形には戻らなかった。そして「彼」は、何故か心持ち嬉しそうに君の為に存在する世界は見えたかい?と訊ねてきて、私は貝のように口を閉ざす。