ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

老父の交通事故

2005-11-18 21:04:04 | 父の事
85歳を過ぎた田舎の老父が車で事故を起こした。買い物をして車に戻った時、父の車の後ろにはトラックが止まっていた。全然回りや後も見ないで、そのままバックで道路中央に出たらしい。そこに車が来てぶつかったらしい。全面的に父が悪いのに、悪いのは向こうだと思っている。自分は何十年も運転してきているから、絶対的に運転には自信があるのである。向こうがぶつかって来たと思っている。

たまに実家に帰り、父の運転する車に乗るたびに怖いと思う。交差点でも、回りを見ないし反応も鈍い。毎年、運転の適性検査をしてOKもらっているから自分は若い時と同じように上手だと思っている。

車を運転してもらいたくは無いが、老父母が住んでいる田舎は車が無いと生活出来ない。私が子供の頃はお店がイロイロあったが、今は一つも無い。車で町のスーパーに行かなければならない。車は必需品なのである。都会ほど多くの車が走っていないから、何となく大丈夫かなと思っているけど・・・

本当は足が弱くて、あまり歩けなかったり、公共の乗り物がほとんど無く、又あっても足元が危ない老人にはバスは無理なのだ。私達より、本当は車のようにドアツウドアの交通手段が必要なのは彼ら交通弱者の方だと思うのだが。

これから、もっともっと老人が増えて不便な所に住んでいる人達はどうしたらいいのだろう。私の田舎のように、隣の家も老人の足では結構、距離がある。どこに行くにも車で、ますます足が弱くなり、そしてますます車が必要になって来る。

老親の近くに住んでいる私の妹は、もう車の運転は止めてもらうと、言っている。もし人身事故を起こしたら怖いからと。でも父も母も「早く修理して車を持って来て」と何回も頼んでいるらしい。車の運転を止めて欲しいけど、そうすると家からどこへも出れなくなって、それも又可哀想だし、どうしたらいいか困っている。

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老父の不思議

2005-06-25 13:04:47 | 父の事
今、休暇をもらって田舎の老親に会いに来ている。母親が「会いたい」というので顔を見せに来ている。時々、遠く離れた娘達に会いたくなるのである。そういう時は、何とか都合を付けて、会いに来る。年を取るとどうしょうもなく寂しくなるもである。

会って話相手になってやる。起きた時から、寝るまで、ずーーーと私にくっ付いて話をしている。昔の事を、繰り返し繰り返し話す。着いた時から、帰るまで。聞いてやるのも根気のいる仕事である。なんと一日の長い事か。持って行ったPCも、なかなか開けられない。私の興味が違う事に行くのが我慢ならないのである。新聞もなかなか読めない。

私の時間を一人占めにしたいのである。そして昼寝をしている時に、そっとPCに向かっている。まるで小さな子が、お母さんのスカートの端を持って、いつもいつも「ねえ、お母さん、あのね」と、まとわり着いているようである。

年を取るとは、こういうことかと思う。いつかは私も別の世界に行くために、通らなければならない道と思っている。私だけでなく、全ての人が不慮の事故や病気でなくならない限り、避けては通れない姿なのだと思っている。

でも、一つだけ不思議な事がある。父親の頭髪である。今、85歳であるが、彼は40代には頭の真ん中には髪がほとんどなかった。年と共に脇のほうも薄くなって行った。そのうちに無くなるのかと思っていた。

でも、いつ頃からか髪がフサフサして来たのである。目が良かった為に早くから老眼だったのに、老眼もいらなくなったしまったのである。今、新聞もメガネ無しで読める。もちろん、もっと小さな字もよめるし、裏山に人が入っているのも見える。私には見えないが。

頭の髪の毛は、ロマンスグレー(白髪と黒髪が混ざっているのではない)でキレイにウエーブがかかっていて、ふんわりと年の割には豊かなのである。若いときは、いろいろ整髪料を付けて無い髪の毛をととのえていたのに、今は櫛でとかさなくても、いつも、キレイにまとまっている。

不思議。世の中、髪で悩んでいる男性はたくさん居るのに・・・
父親に会うたびに、「ますます、若返るね」と言いながら、不思議である。
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老父の中国旅行

2005-04-26 21:25:45 | 父の事
あんなに楽しみにしていた中国旅行が中止になった。中国の暴動の時には、行けるかどうかと心配していたのに、送ってやった中国の写真集を見ながら、楽しみに楽しみにしていたのに・・・。85も過ぎると、突然にガクっと来るみたいで、急に体が辛くなって、中国に行く自信がなくなったと言う。

父は小柄だけど、百姓をしていたので、ホントに惚れ惚れする程の筋肉質の逞しい体の男性だった。それが年をとって百姓を辞めたあたりから、小さくなって行った。老人になって行くという事は本当に残酷な事だと思う。心ではまだまだと思っていても、体は思うように動かず、目も、耳も、声も年取って行く・・・そして、そんな父のそばにいてやれない娘としは、とてもとても辛い。

無口な父が人生の週末に近づき、人生の一番輝く青春時代を、地獄よりも辛い経験をしてであろう、あの戦場だった中国に行って見たいと、ぽつりと言った。すぐに旅行を計画し、この5月10日に出発する事になっていた。連れて行くのが遅すぎた。

母は、たった一人の跡取長男が戦争で戦死してしまい、敗戦で帰ってきた隣町の父をお婿さんとして向かえた。料理を作る事が大好きだっ父は雪の降る冬は町場の料亭に住み込んで料理を習った。私の村では子供の頃、結婚式もお葬式も自分の家で行われた。そして、その時は父はいつも料理作りに行っていた。父がいつか言っていた事がある。「自分のお店を持って料理を作りたかった」と。もし戦争がなかったら、母の所に婿に来る事はなかったろうし、都会に出てお店を持ったかもしれない。新潟の田舎の百姓として、その一生を過ごす父。

老いた二人で、この冬を乗り切ってくれた。もう少し待っていてね。連休になったら、私と姉ちゃんと帰るから。
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