今日は、いい天気。
久しぶりに一日、用がない。
そうだ、山に笹刈りに行こう。
最近、南ちゃんの活動日に行けなかったり、他のイベントがあったり、小屋の整理だったり、あまり下草刈りをやっていない。
12月の、活動日も参加出来ない。第一日曜日は、J3の最終日なので応援に行くし、第三日曜日は、恒例の家族の誕生会を都内のレストランでするし。
だから、笹刈りしたい。
それで、洗濯を干し、布団も干して、熱々のお茶もお菓子も持って山に向かった。
まず、一の森に行った。多分、富士山が見えるだろうと。
しばらく、座って、富士山を見つめる。
富士山を見ていると、亡くなった人たちの事が思い出される。数々の思い出と共に。だから、信仰の山、と言われるのか・・・。
畑の小屋から道具を持ってクヌギ林に上がり、道の近くで笹刈りをしていたら、保育園児たちが散歩に来た。
その保育園は、最近、クヌギ林の隣を購入し、その管理を「東京稲城里山義塾」という団体が行っている。
その団体は、私達の“南やんの会”の一人が、地元の男性達と立ち上げた。
私達と同じように、里山の下草刈り・保全の仕事をするが、それにプラスして、里山を利用して遊ぶ事を目的としている。
彼らは、私達と知り合いだし、一緒に楽しむ事もある。
でも、何と、漢字だけの堅い名前、笑ってしまった。さすが、中年の男性達!
私達の正式な名前は、「里山プロジェクトみなみ」。でも、通称で立ち上げた時の“南ちゃんの会”と言っている。
子供たちが危なくないように、綺麗に刈られた場所で、子供たちがドングリを拾ったり、キャッキャッと遊ぶ声を聴きながら、笹刈りをした。
子供たちは、帰る時に、道から見える私にバイバイしながら、「ドングリを沢山拾ったよ。あした工作するの」 と教えてくれた。
時々、熱いお茶とお菓子を食べながら、お昼まで作業をした。
帰りは、大根を収穫して、桜の広場からカエデの広場への道を歩いて山を下りた。
太陽に照らされて、カエデの広場の、黄金色に燃え上がるカエデが、本当に綺麗だ。
何と、豊かな秋の風景だろう。どこに行かなくても、南山の紅葉で十分。
そして、下界に降りて、その無粋なたたずまいに悲しくなる。
私が引っ越しして来た時には、街路樹のケヤキ並木は、夏には豊かな緑を、秋になれば黄金色に輝いていた。
マンションのベランダから見下ろすと、そのケヤキ並木は、緑色に、あるいは黄金色に、川のように坂を下り向陽台へと登って行く。
私は、表参道の会社に勤めていたことがあるので、このケヤキ並木と里山の風情に一目惚れして住み始めた。
でも、いつ頃からだったか、ケヤキ並木は夏が終わると、紅葉の前にバッサリと切られてしまうようになった。落ち葉がじゃまなんだと言う。
役所は、落ち葉の掃除が大変だから切って、の声には答えるが、切らないでの声は無視される。
丸坊主にされたケヤキが、春には枝が伸びてそれなりに緑色の葉を付けて日陰を作ってくれる。でも、ケヤキの枝は、まっすぐに空に向かって伸びて行くのに、このケヤキはまるで柳の木かと思うような枝が伸びて来て、「あなたは誰?」と問いかける時がある。
稲城のあちこちで林や森が無くなり、見事は屋敷林を持つ農家が無くなり、無味乾燥な庭の無いような小規模住宅が増えて行く。
悲しいけど、どうしょうもない。
あらっと思った事。
南ちゃんが里山の作業をやり始めた頃、丈高い篠笹で薮になった所を、開墾して畑にした人がいる。
少しずつ少しずつ広げて、立派な畑にした男性。
いつも一人で、もくもくと畑仕事をしていた。
通りすがりに、時々は立ち止まって私達は話をした。
去年、畑に雑草が生えて来て、どうしたのかと思っていたら、病気になって入院したという。
心配していたが、そのうちに、また、雑草が綺麗になり始めていて、ホッとしていた。
でも、今年、畑は、草ぼうぼうになり、山に帰って行くのだろうか、と思われるたたずまいになって来た。
今日、一の森に行く時にそこを通ったら、草刈り機で作業をしている後ろ姿をみた。
何か、とっても嬉しくなった。
また、綺麗な畑になって、作物が育つ所が見れたらいいな。