ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

FC東京、詰まらなかった…。

2011-04-30 19:52:32 | FC東京とサッカー
0-0の引き分けだったけど、勝てなかったとの思いが強い。

去年とちっとも変っていない。去年のリプレイを見ているような試合だった。

特に、GKのゴンちゃんがひたすら前線に蹴るのがイヤだった。まるで負けている試合を見ているような気になってくる。

どうして、DFからパスを回して上がって行こうとしないのか。DFもゴンちゃんが蹴るのが当然のように前を向いて上がって行く。平山がいればまだ分かるのだが、どうして。ちっとも、マイボールにならず、相手のカウンターの素になっている。

初めから、ロングキックばかりなのは監督の指示なんだろうと思うけど、選手達、とうなのよ?

私は、そんなひたすら縦一本を放り込むようなサッカーは見たくない。セザーにボールが渡り、囲まれて自滅…。

つまんないサッカーでもゴールを決めて勝てればいい。1点とられても2点、2点取られても3点4点取れればいい。でも、シュートへの意識が少ないサッカーでは、得点の臭いがしない。

キーパーがロングキックで前線へ、そして、前線ではパスパスでシュートが少ない。

反対じゃないだろうか。ゴールまではパスパスと相手を振り回し、ゴール前に行ったらシンプルにシュートを打てばいいのにと思う。ゴール前でパスパスでは守備を固めた相手を崩せないし、人数の多い相手に囲まれてボールを取られてしまう。

そして、相変わらず、パスミスや不用意にボールを取られてのカウンターでアタフタ。

いつもギリギリに来る友達に言われた、「練習と本番と同じサッカー?」 と聞かれて、「ううん、そう言えば練習の時、こんなサッカーしていない。ちゃんと、DFからパスを回して上がって行くけどね」。

味スタでの練習での紅白戦なんて、本当に楽しそうにサッカーをしていた。

今日、選手達はどんな気持ちでサッカーをしていたのだろう。楽しくはないだろうな。

終わった後、ぐったりと疲れた。本当に心が疲れてしまった。

去年、どんなに勝てなくても、それでも、スタジアムに行って応援しなければ、アウェイにも行って応援しなければと思った。

今日は、去年と変わっていないゲームを見せられて、友達と何となく立ち上がれなくて、椅子に座り込んでいた。

「何か、次に来るのが億劫になるね」と言ったら、「ユースの試合の方がよっぽどいいサッカーしているし、楽しいよ。」と友達。確かに、意志を感じられるサッカーをしている。

次は、東京ダービー。勝てるんだろうか…。楽しめるんだろうか…。












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味スタにFC東京の練習を

2011-04-28 22:14:22 | FC東京とサッカー
夫の病院に行く途中に、味スタに寄った。

今年、まだ、味スタで1試合しか東京の試合を見ていない。毎年、美しい桜並木を愛でていたが、今年はとうとう見なかった。

でも駅から味スタへ向かう歩道の八重桜はまだ咲いていた。



やっぱり、ホーム味スタはいいな。誰もいないバックスタンドを見ながら、土曜日には沢山のお客さんで埋まるだろうと想像する。



同じ練習でも、小平で見るのとは全然、違う。まず、目線が違う。紅白戦も、凄く楽しい。もっともっと見ていたいと思う。たとえ、シュート数が少ないなと思っても、やっぱり、シュートが枠に行かないなと思っても。

今日は、メガネを持って行くのを忘れたので、選手がよく分からなかったのが残念だ。主の黄色のビブスの選手は分かるが、サブの選手がよく分からない。

シュート練習もフリーキックの練習も念入りにやっていた。土曜日の試合には、絶対にシュートを決めてと心の中で思う。

いつもは、練習後の選手のサービスは受けないで帰るのだが、今日は、入院している夫の為に、選手達のサインを色紙にもらった。



そして、入院している夫の為に一言も書いてもらった。“頑張って”とか“勝つ”とか“ファイト”とか。

夫は喜んで、看護師さん達に見せていた。看護師さん達はビックリしていた。サインだけでなくコメントまで書いてあるので。

夫は、いつになったら味スタに行けるようになるのだろう。リタイアしてから、東京を生き甲斐のように思っていたのに、ベッドに寝ている夫を見ていると可哀想だなと思う。

土曜日には、又、携帯の速報をドキドキしながら見ているのだろう。

夫の為に絶対に勝利を!!
ガンバレ!トーキョー!!



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FC東京、千葉に完敗

2011-04-25 10:57:03 | FC東京とサッカー
夫の病状が改善されて来たので、友達と千葉戦に行って来た。

もう、効く薬が無いから最後の手段として、厚生省では認可されていないが、使ってみましょうとのお医者さんの言葉で、治療を始めた。それが効いてきたのか、随分、状態が良くなった。

楽になった夫が 「行っておいで」 と、子供達も 「大丈夫だから、楽しんで来て」 との事で久しぶりのサッカーを楽しむ事にした。

土曜日とは違い、天気も良く暖かくサッカー日和。

久しぶりのフクアリ。でも、最近のフクアリは良い思い出が無い。J2での千葉はどんなサッカーをするのだろう。

千葉のサッカーは、昔とは全然違っていた。これがJ2なんだろうなと思った。

内容よりも、勝たなければいけない、勝ち続けなければ、J1には戻れないという事を、J2で学んだと言う事なのか。

ひたすらオーロイをターゲットとしたサッカー。ロングスローもオーロイの為のサッカー。あれだけ、徹底したサッカーを、これでもかと繰り返せば、いつかは得点に結び付くのだろう。ロングスローは足で蹴るよりは、正確にターゲットに届くように思うし、非常に脅威だと思う。

簡単に投げられたように思われるロングスローを一度見れば、危ない場所でのサイドへのクリアはあり得ないと思うのだが、なぜ、何回も繰り返させたのだろう。

昨日の試合は去年の再現を見ているような気がした。

ヨネちゃんの重症かもしれない怪我。チャンスでのシュートが何回も枠に行かなくて決められない。そして、失点してからの落ち着きを無くしての焦りから、失点を重ねる…。

去年、あまりうまく行かなかった徳永のボランチに、どうして、こうもこだわるのか。去年と同じでは、同じ事の繰り返しになってしまう。

ただ、歯を食いしばって、前線で何とか点を取らなければと、必死になって闘っていたコンちゃんの顔が忘れられない。

ボール奪取に負けている選手がいる中で、タクミくんのボールに対してのガッツはいいなと思う。ガンバレタクミ!

一年でJ1に戻るのは簡単では無いなと思った試合。プライドを捨てて、なりふりかまわない気持ちも時には必要と思う。千葉を見てそう思う。

それと、ウチのゴール裏を見て思う、選手の後押しになっているのだろうかと。昔は、劣勢を跳ね返して、サポーターが勝たせた!と思うような試合があったし、選手にも「勝たせたもらった」 と言わしめたゲームもあった。

まだ、ゲームが終わっていないのに、ゾロゾロと帰る人達がいた。それも、レプリカユニを来ている人達。悲しくなった。

もっと、もっと、選手達を勇気づけ、どんな状態でも最後まで諦め無い力を与える応援が出来ないものか。

選手達が、一年でJ1に戻る為に戦っているように、私達にもその為の闘いが求められていると思う。

次回は、ホームで札幌を迎え、そして、不本意ながらのJ2での“東京ダービー”のアウェイ戦。

もう、負けられない!!
ガンバレ、東京!!




















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“ことば”と “言葉”

2011-04-15 07:31:24 | Weblog
“ことば”と“言葉”も失うような、この考えられないほどの大災害。

テレビで新聞で雑誌で、沢山の“ことば”と“言葉”が溢れた。

政財界のトップの人達から何回も発せられた“未曾有”という言葉の空しさ。未来に向けて頑張ろうとは思えないような乱暴な“ことば”達。

そして、甲子園球場から、長居競技場から発せられた、真摯な心に染みいる“ことば”。

そして、私達には届いてこない心揺さぶれる“無言のことば”。

今月号の文芸春秋は今回の大災害の特集だった。沢山の人々の沢山の“言葉”が溢れていた。

その中で、「無名戦士たちの記録」 には涙が溢れた。

大地震の直後から、直ぐに動き出した復興へ向けての現場の人達。

右往左往し、見当外れの指示の怒声の政治家達と違い、自分達のやるべき事を黙々と夜も眠らず限界を超えて職務を全うしていた現場の人達。

大災害が起こった時に、まず、どこから何から時系列にそってやるべき事を分かっていて実行して行く現場の人達。

麻生幾氏のレポートを読んで、日本は日本人は捨てたものではない、絶対に復興する、もしかしたらもっと良い日本になるかもしれない、と思った。

彼らの事を絶対に忘れたはいけないと思う。

戦後から経済大国になったのも、考えてみれば黙々と働き続けた無名の現場の人達の働きがあったからだ。

今回ほど、“ことば”と“言葉”を考えた事はない。

そして、もう一つ。巻頭の写真集。

東北を切り取った写真の数々に涙が溢れた。

そこに広がるのは、地獄のような荒涼とした風景でも、何回も繰り返されたような爆撃よりも酷い瓦礫の連なりなど一枚も無い!

一ページ一ページめくるたびに現れる風景は、もう二度と見る事のかなわない日本の原風景。

人々の生が満ち満ちている町や村や港、緑滴る美しい緑と川、働く人々、海沿いをノンビリと走る列車、生命豊かな海の中、そして、眠そうにまどろむ猫達…。

失われてしまった、大切な日常。何よりも無情の声なき“ことば”。




そして、今、私は、自分の“ことば”と“言葉”を無くしている。

入院している夫の未来が無くなろうとしている。

だから、当分の間、言葉を紡げない。

しばらくこのブログはお休みする。







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春爛漫

2011-04-12 10:02:40 | 花と自然
昨日、三沢川の桜並木を散策した。暖かく、満開の桜が、悲しいほどの美しさだ。

時々、サササーーーーと吹く風に、目をつむるほどのピンクの桜吹雪が舞う。何と贅沢なひと時。至福の時。















そして、梨の花が咲き出した。





家のチューリップとマンサク。





そして、ベランダから見える、パステルカラーの里山。



心躍る春。生命の春。心苦しい程の平和な風景。

ある詩の一部を思い出す。“時は春、神、空にしろしめす、すべて余は事もなし”

ここの空には、本当に神がいて、平和な世が続いて行くような穏やかな風景。

でも、この空の続くずっと北のほうには、地獄のような風景が広がっている。神がいない不条理な世界。

早く、豊かな心を感ずる春が来る事を、空いっぱいに神を感ずるような平和な風景が戻る事を願ってやまない。

悲しみや苦しみを耐える人々がいる事を思えば、舞い散る華やかな桜花は悲しい。













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夫の見舞いの前に

2011-04-11 10:25:13 | FC東京とサッカー
昨日は、小平練習場でのFC東京と栃木との練習試合を、見に行った。

入院している夫の見舞いの前に、時間をみて行ったが、甘かった。

昨日は天気が良くて、満開の絶好の花見の日曜日だった。夫の入院でそんな事に気が付かなかった。

いつも武蔵小金井からのバスは空いているのに、昨日は満員だった。その時に、気が付き、もっと早く出てくれば良かったと思ったが後の祭り。

道路は車で大渋滞だった。小平の公園までノロノロ。そこを過ぎてからはスムーズだったが。

だから、着いた時には、もう30分が過ぎていた。桜も満開だった。



沢山の見学者がいた。たまたま、隙間を見つけて座った所に知り合いのおじさんがいた。

「どうですか?」 「タツヤが、凄いフリーキックを決めたよ。で、1-1」 「わアー、見たかった」

45分を4本だった。4本目には詰まらなくなって、寒くなって来た事もあり、帰った。

新しい練習生の比嘉くんのプレーを見たかったけど、なかなかボールが行かない。

フリーでチャンスになるのにと思うが、どういうわけか、右サイドばかりにボールが行く。知り合いのおじさんが、「こっちにボール出せよ!」 と何回も怒鳴っていた。

確かに、ボールを持つと、皆、右サイドのムックンの方を向き、そっちにボールを出す。期待された選手らしいけど、私が帰るまではあまりプレーにかかわれなくて分からなかった。

平山くんが怪我して抱えられ引き上げたが、大丈夫だろうか。あまり走らなかった彼が、どうしてか、その時だけ猛烈に突っ込んで行った。大事に至らなければいいけど。

3本半見て、どうなんだろう。ミニキャンプの疲れが出ているのか、栃木が良かったのか、J2も厳しいなと思った。

早く、スタメンを絞り込んで、スタイルを確定して欲しい。何となくの試合では困る。全てはシュートへ、全てはゴールへ、全ては無失点へ、そして、全ては勝利へと繋がる強い気持ちのプレーを望む。

昨日の試合で、再開試合の千葉戦への、いい意味での危機感を感ずるのではないかしら。

帰りのバスで栃木のサポーターの女性達が乗っていて、楽しそうに話していた。

東北地方にも、春が来る。そして、サッカーや野球等のスポーツの季節が始まる。応援の声が、日常になる日々が早く来る事を、心から望む。

入院中の夫に、試合の内容を話し、早く良くなって試合を見に行こうねと話す。

ホームでの最初の札幌戦観戦は無理だろう。もしかしたら、東京ダービーも。

スタジアムに行けない夫の為に、スカパー!に入らないといけないかな。






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原発災害に思う

2011-04-09 09:54:03 | Weblog
私の故郷の柏崎にも、原発がある。

新潟地震の時、不都合が起こり世間を騒がせた。

でも、今回の福島原発は、非常に大変な事になっている。

そして、両方とも東京の為の電気の供給元である。

昔、今よりも沢山の雪が降る豪雪地帯は、冬は陸の孤島のような状態だった。

毎日毎日、サラサラと降り続く白い世界に、人々は囲炉裏を囲み、来る春の農作業の為の藁仕事に精を出していた。

雪に降り込められたそんな時、私達子供は何をして遊んでいたのだろう。記憶にない。ただ、毎日、父ちゃんや母ちゃん達が家にいるのが嬉しかった。

情報源がラジオしか無く噂話しか無かった頃、子供達には、村が世界だった。裏日本、表日本なんて言葉も知らない頃、その表日本では、冬が毎日青空と太陽が満ちた日々が続いているなんて知らなかった。

大きくなり、学校を卒業して表日本に住む姉の所に同居してOL(昔はBGといった)になり、初めての冬を迎えた時に、こんな世界があるのかと震える程感動した。

日本は、全てが表日本を中心に回っていた。田中角栄さんが、“日本列島改造論”を打ち上げ、表日本と裏日本の経済格差をなくそうという事に、全面的に賛成した。あの頃、裏日本にもっと光を、と私も思った。東京の発展には、その裏日本や東北出身者のまじめな人力が大きいな貢献をしたと思っている。

そして、大発展した東京は、膨大な電力を必要とするようになり、それを、原子力発電所に求めた。

時の政府はそれを、又も、裏日本や東北に求めた。

柏崎に原発が作られる事を知り、里帰りしていた私は、父や母に反対した。表日本に住む私は、リスクを遠い地方に押し付け、その果実だけを貪る表日本に憤りを覚えていたから。

でも、故郷の人達は、莫大なお金が落ちて来る事に、町が素晴らしい発展をすると言われている事に、貧しさから抜け出せるだろうという事に、絶大な希望を持っていた。

「東京に住んでいる者には分からない。ここに住んでいない者は口を出すな。反対を言う者はアカだ」 と言われた。彼らは、もしも、何かあった時のリスクなんて、考えてもいなかったし、政府の言う事を絶対的に信じていた。田舎の人達は、昔から非常に保守的だった。

日本中から、集まった“原発反対”の沢山のデモ隊達も、工事が着工されてからは、潮が引くようにいなくなった。

そして、町にもたらされた莫大なお金は、立派な市役所やホール、港を大型船が入るように工事し、何とか村や何とか博物館が沢山作られ、市を縦横に立派な道路が作られ、郊外に大きなショッピングセンターが作られた。建設会社を母体とする市長は、そのお金を箱物に変え、立派な総合病院を、交通の便利な駅の近くから車でしか行けれない所に移した。

そして、駅通りも一番賑やかだった本町通も、人通りの無いシャッター通りになった。市長は、そこを再開発し、りっぱな商店街を作ったが、駐車場の不便な所には人は来なかった。

原発が来る事により、素晴らしい未来が広がっていたはずなのに、いつの間にか、人々が勤めていた工場が撤退し、閉鎖して行った。私の子供の頃よりも、人々の家は立派になり、家の中もモノ達が溢れ、車は家族の人数分が庭に留められている。そして、人々は、不況だ仕事が無いと嘆く。

そして、あの地震災害と原発事故。原発が作られてから何十年、東電から市に目の眩むようなお金がもたらされたが、復興の資金が無かった。

同じように東電から莫大なお金がもたらされた刈羽村は、村長さんの意志で無用な箱物は作られなかった。豊かな村は、平成の大合併にも孤高を守った。震災からの復興にも資金は豊かにあった。

今回の震災を見ても、どんなに立派な建造物を作ったとしても自然の猛威の前には、そんな物は砂上の楼閣だった。

本当の幸せとは何だろう。家があって家族がいて毎日食べる事に困らない、そんな些細な事なのだろう。

でも、本当に些細な幸せが、ほんの数分の地球の身震いで木端微塵になってしまった。そして、追い打ちをかけるような原発の放射能。

神を信じていない私でも、神は何処まで人々を追い詰めるのだろう、何処まで人々に試練を与えるのだろう、と諸々の神達を恨む。

そして、これ以上、苛めないで下さい、早く平穏な日々をもたらして下さいと、諸々の神に祈る。










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被災地の半鐘

2011-04-06 21:03:24 | Weblog
最後の最後まで避難を呼びかける放送をして津波に流された女性の話に涙した。

そして、同じように、地震で防災サイレンが壊れた為に、半鐘を鳴らし続けて津波に消えてしまった男性の話にも涙した。

そして、半鐘という言葉に、子供の頃の事を思い出した。

子供の頃は、まだ、市ではなく村だった。三方を山に囲まれ田んぼが広がった村。

何かあれば半鐘がならされた。ほとんど、ならされる時は火事だった。その音を聞いて、父は、「遠くだな」 とか 「近場だな」 と言いながら出て行った。

真冬のそろそろ寝る時間かなと思う頃、突然に半鐘がならされた事があった。その鳴らし方で父は慌てて玄関に走って行った。私も玄関について行った。

そして、目の前の(田舎だから距離はあるが)木々の向こうに火柱が上がっていた。

父は走って行き、まだ元気だった祖母と母は直ぐにご飯を炊き、沢山おにぎりを作った。

村の真ん中を、鵜川という川が流れている。いつも子供達が遊ぶ優しい川だった。魚やカニを取ったり、夏には泳いだり。

でも、梅雨の時には、その川は恐ろしい暴れ川になった。そして、梅雨の時には、毎年、川は氾濫した。氾濫する場所はいつも決まっていた。小学校の近くのカーブした所の道や田んぼ、毎年、冠水した。

あれはいつだっただろうか、そうとうに激しい豪雨の時があった。

その頃には、防災サイレンがあり、夜中中、恐ろしく鳴り響いていた。

川は何倍もの幅の濁流の大河になっていた。そして、東西の村を繋ぐ大事な橋が落ちてしまった。

村の役場の広場に自衛隊がキャンプを張った。何日も駐留した。私達子供は、物珍しく、よく見に行った。

大人達は、「何とか早く橋をかなければ」 と話していた。

子供は、大人の話をよく聞いている。今でも、大人達の話していて事を、よく覚えている。角栄さんに頼んで、早く橋をかけてもらわなければ、と。そして、立派な橋がかかった。

今では、鵜川は、広く深くなり、カーブも補正され、氾濫しなくなった。その代わり、もう、子供達が遊べる川ではなくなった。

そして、ビックリする事には、昔、いつも氾濫していた所が、住宅地になって家が立ち並んでいる。

私が育った田舎は、子供の頃とは、随分、様変わりしている。それでも、あちこちに子供の頃の思い出は残っているが、帰るたびに、私の故郷が遠くなっていた。

父が亡くなり、母は住んでいないし、毎年、一緒に帰っていた姉も亡くなってしまって、私の故郷への喪失感はつのっていた。私は、「ふるさと」 の歌が歌えない。涙が込み上げて来るから。

地震と津波に流された、東北の人達は、根こそぎ故郷の風景が無くなってしまった。

「ふるさと」 の歌が歌えるのだろうか。私も悲しい。






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FC東京と松本山雅とのチャリティーマッチ

2011-04-04 10:26:32 | FC東京とサッカー
東京を出る時には曇っていたが、着いたら快晴の、ちょっと風は冷たいが観戦日和だった。

サッカー専用スタジアムなので、選手の表情もよく見え、いいなアーーと思う。

終わってみれば 4-0 だが、点差程、東京の方が良かったとは思わない。

相手に振り回される時間帯もあった。でも、それでも、東京の方が個々の選手をみれば、ずっと格上。

ミスしたり、もたもたしたシーンもあるが、それでも、安心して東京のプレーを見ていた。二人のキーパーも安定している。

これで、怪我人や外人選手達が万全で試合に臨めれば、楽しいゲームを見れるのでは思う。

相変わらず今日もタツヤくんが、ピッチを所狭しと走り回っていて、だから、彼のシュートが決まったのは嬉しかった。

ただ、相変わらず、ペナルティエリアでのシュートよりもパスを選択するのが気になる。周りでも、シュート打てよ!の声が上がる。

上里くんが、「打ったら入った」 と言っていたが、常にシュートをする選択を忘れないで欲しい。シュートしなければ、ゴールは生まれないのだから。それに、ゴール前で完璧に崩して、いい状態でシュートなんて無理。

例年なら、今頃はゲームで盛り上がっている頃。順位がどうの、勝ち点を幾つ積み上げたとか、どの選手がいいね、とか、まだ、そんなに順位を気にする事なく、ただゲームを楽しんでいる頃。

だから、こうして、地方まで足を運んで、ゲームを見れる喜びと楽しさを感ずる。

青空の下、芽吹きの季節への躍動を感ずる光りの中、生きている事の幸せを感ずる微風を浴びながら、ゲームを楽しめるこの平和な瞬間。

震災に遭われた沢山の方々の日常を思うと、胸が潰れる。彼らだって、毎年、この春を迎える季節に生きる喜びと平和を感じていただろうに…。

どうして、私達ではなく彼らだったのだろう。近い将来、東京直下型地震や東海・東南海地震が起こると言われていた。東北地方にこれだけ巨大な地震と、それに伴う巨大津波が来るとは言われていなかったように思う。

この、地震列島の日本に住んでいる限り、誰が、私が、いつ災害に巻き込まれるかも知れない。明日は我が身かも知れない。

だからこそ、皆で助け合って行かなければ、と思う。


試合が始まる前に、スタジアム全員で “You'll Never Walk Alone” を歌った。

東京も松本山雅もゴール裏もメインもバックも、彼の地へ届けと、最後のフレームはいつもよりも何回も歌った。

圧巻だったし、感動した。

これからも、心を込めて歌いたいと思う。


ただ、デジカメが調子悪くて、写真がないのが寂しい。








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無事だった!良かった!

2011-04-01 19:44:44 | Weblog
仙台の遠藤さんが、心配で、古い手帳を引っ張り出して、どこかに家の電話番号が書いてなかったかと探した。

何年も電話での連絡は取っていなかったので、電話番号が変わったのは知らなかった。

連絡が取れないと思うと、心配で心配でドキドキした。

やっと、家の電話番号を探しだしたので、電話した。

留守電に繋がった。留守電という事は、家はきっと無事なんだ思い、メッセージを残しておいた。

そして、電話があった。メッセージを聞いて、嬉しくて泣いてしまいました、と。

彼女の家は、仙台での山の方だったので、津波は大丈夫だったが、怖くて死ぬかと思った、と言う。

「電気が昨日からきたけど、ガスと水道はまだまだみたい」

彼女は、泣きながら話し、私も泣きながら聞いていた。

家族達も全員無事だったのは私も嬉しい。

「遠く離れていて力になれないけど、何か手助け出来る事があったら、遠慮なく言ってね」
「ありがとう。その時は甘えます」

無事で本当に良かった。

これから、大変だろうけど、負けずに頑張ってね。

私達も、いるからね。



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