絶対に勝つ、との気持ちで応援に行った。
瑞穂スタジアムなら日帰り出来るが、豊田スタジアムなので一泊する事にした。
名鉄線の安城に住んでいた姉が生きていたときは、何日か泊りで行き、一緒に応援に行った。
今回は、ひかりで豊橋まで行き、そこから名鉄で知立へ、そこから三河線で豊田市へ。ちょっと時間はかかるが、この方が楽なのだ。
豊橋に降りた時に、何人か、東京サポーターを見かけた。
ずっと昔は、豊橋から姉の所に行ったが、そのうちにのぞみで行ったり、高速バスで行ったり。
だから、久しぶりに豊橋に降りて、新幹線から名鉄への乗り換えの変貌ぶりにビックリ。
知立からの三河線は、東京のサポーターも乗っているが、沢山の名古屋サポーター達。
豊田に着いて、スタジアムへの道に出ようとエレベーターを降りたら、女性が「スタジアムへのバスがありますよ」と私に言う。
えっ、バスがあるの?知らなかった。
それで乗って行く事にした。いつも歩いて行っているけど、結構、歩く。
バスは、途中3つくらいのバス停があったが、乗り降りがないのでスルーしてスタジアムへ。
いつも渡る、白くて美しい橋を渡らなくて遠ざかる方向へ行く。あれ、どこから橋を渡るのだろう?
しばらく行って、スタジアムへのもう一つの橋を渡ってスタジアムへ。
「帰りのバスはありません」との係の人。
そして、私達アウェイの入り口に一番近い。もし、来年トヨタスタジアムだったら、バスで来ようかなと思った。
席を確保して、「ピクシーゲート」を探してスタジアムを一周した。確かこの辺に、と思ったが見つけられない。案内の人に聞いたら「ありますよ」と言ったが、分からなかった。
昔来た時には、ちゃんと「ピクシーゲート」とプレートがあった・・・。
ナオくんがファンサービスをしていて、知り合いが並んでいたので、私も並んで一緒に写真をとってもらった。
東京のサポーターは、どこのアウェイにも沢山行くが、名古屋には本当に一杯来ていた。
試合は、中断前のあの勢いのあるプレーを見せてくれた。
諦めないで走ってボールを追い、ゴールへ向かう。
何か、ワクワクしながら応援していた。
大森のゴールにも、永井のゴールにも、もう、どうしょうもないほどの喜びで周り中の人達とハイタッチしながら皆で、喜びを爆発させた。
何と言っても、ゴールは無かったけど、ディエゴのプレーは素晴らしかった。
彼の献身的なプレーが勝利に繋がったと思っている。
アーリアの歌を歌って、マルちゃんにエールを送って、いつもだと、それで帰るのだが、何となく、しばらく座ってスタジアムを見ていた。
3万人以上入った人たちが、すこしは空いたかなと思う頃に帰る事にした。
夕食は何にしようかな、と思いながら、駅のあちこちにある「うまいもの店」を覗くが、どこも行列。
以前、友達と六本木で食べた名古屋コーチンの親子丼が美味しかったので、それにした。
美味しかった。
名古屋に行くと、いつも同じホテルに泊まる。
翌日、栄に行く事にした。
昔、結婚前、私は結婚していた姉の家に同居して、名古屋の栄にある中日ビルの中のある会社の事務所に勤めていた。
忘れてしまった程、昔々、ミニスカート全盛の頃、髪を長く背中になびかせて、颯爽(?)と通勤していた。
あの頃、中日ビルはランドマークのような存在だった。屋上には回転展望レストランが回っていた。
中日劇場が上にあり、私の会社の階にはその楽屋があり、たまにえっと思う事があった。
地下鉄から上に出て、「あれ、これが中日ビル?」
上に回転展望レストランは無いし、周りの風景の中でちょっと場違いな感じだった。
中に入ると、平成31年1月に取り壊しの工事が始まると書いてある。
もちろんだけど、私が勤めていた会社の名前のプレートは無い。
ビルにも寿命が来るのだな、私の青春時代も遥か彼方に過ぎ去ったのだな、とちょっと寂しくなった。
今まで、名古屋に来ても、ここまで来た事はなかったけど、行ってみようと思ったのは、こういう事だったのかなと思った。
立っていた警備員さんと、しばらく昔の話をした。
試合の事、昔の若かった頃の事、元気だった姉や夫達との事、諸々を思いながら新幹線に身を委ねた。