ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

畑の草取り

2014-05-27 20:25:40 | 南ちゃんと南山
今日は、ちょっとだけ畑の草取りをして来ようかなと、家を出た。

何となく身体が重いし、暑いし、ノンビリと山道を登った。

この間の森フェスで、皆お疲れで来ないかもと思いながら。

畑に着いたが誰も来てなくて、畑の野菜の育ち具合を見ていたら、イシカワさんが来た。













イシカワさんと話していたら、ワダさんが来て、畑の草取りをする事にした。

去年の今頃は、草が生えて生えて大変だった。

放置してあった土地を借りての畑だったから、しょうが無いかな。

根気よく草取りをしたからか、今年は去年ほどではない。

無意識に草取りを始めて、ふと気付く。

普通、畑の草取りをする時って、畑の端から始めるものだろうな、と。

でも、いつも私は真ん中から始める。そして、右方面か、あるいは左方面へと進んで行く。

「何でだろう、気が付くと真ん中から始めてるんだよね。」
「あなたらしいね」 とワダさんに笑われた。

暑い時は無理しない。

日曜日の、森フェスの参加者が 800人 を超えたそうだ。

ビックリ!

昨日、ワダさん達が、まだ残っている道具を片付けに来て、ゴミ拾いをしていて、ゴミが一つも落ちていなかったそうだ。

紙くず一つも落ちていなかったので感激したと言っていた。

子供達も、たくさん来ていたのに、何と皆さん素晴らしいのだろう。

また、来年も楽しみたい。













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いなぎ森フェス2014

2014-05-26 17:45:41 | 南ちゃんと南山
昨日は、本当に疲れた。

暑くもなく寒くもなく気持ちいい天気だった。

どのくらいお客さん来るかしら、と話していたら、「多分、300人は来ると思うよ。聖くんやアカシくんのファンの人達は絶対に来るだろうし」 と仲間が話していた。

今回は、市役所が後援してくれたので、チラシを置く場所や貼る場所や、お店にも置かせてもらって助かったと言っていた。

「お金は出してくれなかったけどね」
「あら、お金を出してくれたら、口も出すから、その方がいいのよ」 と私。
「それもそうですよね」

メイン会場、めくみの里山では、ステージを作って山の斜面に客席が設けられている。一日中、森ライブ&ショー。入り口には種々のブースが出店。







その上の方では、子供達が楽しく遊べるアスレチック等がある。

第二会場は、南山の一番奥で 「風と鳥のステージ」 で主にライブ。



その途中に私達の、一の森と桜の広場。

一の森では、スロートークとライブ。





桜の広場では、お抹茶とコーヒーを用意して、南山の写真展とスロートークとライブ。













私は、一の森とウォークラリーの担当。



一の森と桜の広場でのライブは、電気がないので、それこそ生の演奏と歌声。

ギターだったり、フルートだったり、ハープだったり、アカペラだったり。

そよ風に揺れる木の葉のささやき、鳥達の歌声、子供達の遊ぶ声をバックに、美しい旋律が木々の中を流れて行く。

目をつむって聞いていると、気持ち良くて眠くなる。何と、今日は、小鳥達のさえずる声が多いのだろう。小鳥と音楽のハーモニーがいいなと思いながら。

他の会場も、気になり、あっちへ行ったり、こっちへ行ったり。時には、知り合いが来たので案内して回ったり。

企画・運営に携わっていた大ちゃん。ほとんど眠れなかったと言う。

適当、なるようになるよが口癖の私と違って、真面目な青年。まだ、始まったばかりなのに、反省しているから、「初めてのイベントだから、あちこち、不都合があるのは当たり前。それを記録していて次に生かせばいいのよ。もう、動きだしたんだから、それぞれの担当さんに任せて楽しみなさいよ」 と。

チケット代わりに用意した500個のバッチは、無くなり、急遽、リボンを用意したそうだが、多分、少なく見積もっても600人は来たのではないだろうか。

大盛況で、良かった良かった。

来年は、さらさんと、南ちゃんでトン汁でも作って売ろうか、と話し合った。

一の森の最後のライブのアカペラさんは(グループ名が難しくて覚えられなかった) お客さんが帰っても、直ぐには帰らず 「今まで、野外ライブでも、沢山、歌って来たけど、こんなに歌っていて気持ちが良かったのは初めて」 と。







西の山に傾いた夕日に向かってしばらく歌っていた。

皆、桜の広場に片付けに行ったので、私一人占めで、美しい歌声を聞いていた。

「また、お邪魔させていただいていいですか」
「いつでも、来て下さい」

一の森担当だった、さらさんが、「今日の万歩計は1万を超えたよ。」 「じゅあ、あっちこっち動き回っていた私は、2万超えているね」

さすがに、、疲れた。でも、楽しかった。














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夫の祥月命日

2014-05-24 20:13:09 | 家族
今日は、子供達と夫が眠っているお寺さんで、祥月命日のお経をあげてもらった。

新しく作り直されたお寺さんなので、綺麗な本堂で、私達4人だけポツンと座ってお参りする。

お寺さんの話では、新潟地震の時に、建物に不具合が出て、それで、耐震構造に立て直したのだそうだ。

今、東京でもあちこちでお寺さんが立て直しをしているそうだが、マンションを組み込んだ建物が多いのだそうだ。

今の法律だと、お寺だけを立て直すのは難しいのだという。

住職さんの話だと、4階にある本堂の上に住居を作れと言われたそうだ。

私でさえも、ええっ! と思ってしまう。

お寺とは、大きな木々に囲まれて、大きな本堂の屋根があるものだと思っている。

もし、大國魂神社や靖国神社の上に住宅が載っていたら可笑しいだろうに。

最終的には、お寺だけでの建物が認められたが、相当に大変だったそうだ。

いままで、身内や知り合い・会社関係と、沢山のお葬式に出て来た。種々の宗教、あるいは無宗教だったり、音楽葬だったり、あまり、宗教やお墓やお寺等、深くは考えた事は無かった。

父が亡くなった時にも、姉が亡くなった時にも、田舎や、姉の住んでいた所に行けば、それぞれ仏壇にお参りする。

でも、夫が亡くなって、初めて仏壇やお経やお寺やお墓の事を考えるようになった。

仏壇は、夫が亡くなって直ぐに用意した。そうするものだと思って。

一年近く、遺骨はそばに置いておいたが、3回忌の法要が近づいてきて、やっと今のお寺さんにあづける事にした。

お寺の住職さんが、おっしゃっていたが、お葬式とか仏壇とか、お墓とかは、亡くなった人の為では無く、生きている人の為に必要なのだと。

今、本当にそう思う。

毎朝、お仏壇にお参りして、月に一度は、月命日の頃にお寺にお参りに来て、こういう場所がある事が、どんなに私の慰めになっている事かと思う。

一年に一度は、祥月命日に子供達とお寺さんに集まってお経をあげてもらい、その後で、お昼を食べながら、お父さんの思い出を話しあう。

やっぱり、都心の交通の便利な所にして良かったなと思う。

お昼は、遅くなったけど、娘が、素敵なイタリアンのレストランがあるからと、電話で予約を入れてから行った。

ビルの7階にあり、こじんまりとしたお店で、夫婦二人で営業していた。

お店の壁にACミランのマフラーとペナントが飾ってあり、イタリア観光地の写真が飾ってあった。

それで、話をしたら、ACミランのフアンで、実際に応援にも行ったそうだ。

「Jリーグはどうなんですか?」
「私は、横浜マリノスのファンで、主人はFC東京のファンです」
「あら、ウチは私がFC東京のファンで、彼は横浜マリノスのファンです」 と、娘の夫を指さす。

「この間の試合で、東京が勝ったら、出入り禁止と言われたんですよ」 と盛り上がった。

お食事は、とっても美味しかった。

そして、後はデザートだね、と話していたら、

突然、火災報知機が鳴りだした。ものすごい音で!

煙もニオイもしないし、さあ、どうしょうと。

上の階の人達が階段で下りて来るのが見えて、「取りあえず、外に避難して下さい」 と言われて、7階から階段で下に降りた。

途中の階でも警報が鳴っていて、下で、上を見上げても、どの階にも異常が見られない。

そのうちに、警備会社の人が来て調べ始めた。

他のお客さん達と、困ったわね、お金もまだ払ってないし、と言いながら上を見上げる。

結局、どこにも異常が無かったが、ベルが止まないし、エレベーターが動くのに時間がかかると言うし、帰る事にした。

お店の人が、「こんな事になって申し訳ありません。料金は半額でいいですので」 と計算してくれたが、お店の人が悪いわけでもないし、食事はメインは食べたし、請求された金額にいくらか上乗せしてお支払した。

初めての経験で、ビックリした。何もなかったからいいが、下の階での火災だったら怖い。

息子とは、そこで別れる。

帰り、京王線で、もう少しで調布という時に、電車が止まって、「東府中で人身事故が発生して、次の調布でしばらく止まります」 とのアナウンス。

私も娘夫婦も調布に用があったので、調布で降りれればいいのだが、今日は、アクシデントが続く日だった。

「お父さんが、私達だけで美味しい食事をして、拗ねたかしら」 と笑った。




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FC東京、清水に負ける

2014-05-22 18:35:18 | FC東京とサッカー
水曜日、雨、味スタ、ナビスコ、これだけの条件がそろうと、観客は少ない。

私の仲間も半数以上が来なかった。一人も、試合が始まって、「暑い、暑い」 と言いながら辿り着いた。

私の前の席には一人。スーツを脱いでユニを着る。

その前の席に5人の男性。友達なのか、会社の同僚なのか、始まる前から、楽しそうに賑やかだった。

聞こえる話しから、一人がソシオで、他の人達は初めて来たらしい。

ソシオさんが、予備にタオルマフラーを2本持って来て、2人の首に巻く。一人が自分でマフラーを買って来て、他の人にはやされていた。

そして、ソシオさん。東京の応援の歌詞をパソコンで打ち出して来たのだろう、皆に渡して説明していた。

試合が始まって、応援が始まると、ソシオさんが、紙を見ながら 「ここ」 というように示していた。

ヒデトが、代表を落ちて相当ショックを受けていたらしいが、昨日のプレーを見ていて、代表にはほど遠いと思った。

パスミスが多いし、ボールを持っても、あっちこっちと見ながら、どこにパスをというようにウロウロするのが、凄く気になる。

それと、パス。ポンと浮かすようなパスはどうかなと思う。受けた方も、処理が手間取り、次への行動が遅くなるし、ミスに繋がりやすくて、相手ボールになりやすい。

それと、近くの味方に出す時にパススピードが強すぎたり、緩すぎたり…。

ヒデトのプレーが気になると、ずっと気になってしまう。

そんなこんなで、失点。どうも、ウチは先に失点してしまうと、難しくなる。

それでも、エドゥーの見事はループシュートが決まる。

私達も大喜びしたが、前の新人さん達の喜びも半端なかった。

2点目のエドゥーの狙いすましたシュート、そしてゴールには、私達と、前の一人で来た男性、その前の新人さん達の5人の男性、後の男性達、皆で何回もハイタッチして、大喜びした。

東京の試合内容は、… だった。

でも、エドゥーのゴールは凄く楽しかったけど。

中盤に、ボランチに、もっと落ち着いて試合を支配する頼れる選手が欲しい。

攻撃に繋がるスルーパスが、効果的なスルーパスが、見られない。

梶山や野澤は、今、どのあたりまで来ているのだろう。

7月の再開までに間に合うのだろうか。早く、彼らが見たい。

ガンバ戦で、楽しい試合を見たせいか、何か、久しぶりに負けたような、錯覚をしてしまった。ずっと勝っていなかったのに。

週末には、また、ガンバ戦。

東京は苦手だ、と思わせるように勝とう!!
















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第三日曜日は、南ちゃんの活動日

2014-05-19 17:29:20 | 南ちゃんと南山
第三日曜日は、南ちゃんの里山の下草刈り・保全の日。

昨日は、25日の日曜日に “いなぎ森フェス2014” が開催されるので、その準備。

南ちゃんの会では、一の森と桜の広場での2会場を担当する。

桜の広場では、里山写真展 ・ スロートーク ・ ライブ。

一の森でも、稲城の里山の新しい楽しみ方についてのスロートーク。

5会場で、いろいろなイベントがある。

私達も、交代で他の会場をのぞきに行こうねと言っている。

どのくらい集まるのだろう。楽しみだ。

まず、一の森での小道の作りなおし。



上の林の方は、そのままでも大丈夫だが、下の方が大変。

下の方は、広範囲に生い茂っていた篠笹を刈ったら、木々が全然生えていなくて、もう、カンカン照りの空き地状態。

だから、里山とは思えない草が生い茂っている。植樹しても、それらの木々が大きくなり日陰を作るには、年月がかかる。それまでは、草刈りやクズ退治をしないといけない。

小道を作ってあったが、草で分からなくなっている。

それで、刈払機で草を刈ってもらい、間伐してあった木々を持って来て、道作りをした。前の道よりも、少し広げた。





斜面に、挿し木から育てた山アジサイを植え所の草や篠笹を刈った。大きくなって蕾をたくさん付けている、嬉しい。

お昼を食べて、桜の広場に移動する。

車の通る山道から、クヌギ林を抜けて桜の広場に上がるが、そのクヌギ林も、小道以外を歩かないように、小道の両脇に木々を並べる。

桜の広場も、小道の整備と、林の中に、落ちている枯れ木や小枝を拾い集めて一か所にまとめた。

林は、強い風が吹いた後には、枯れ木や小枝があちこちに落ちている。そのままにしておくと、荒れた感じがするので、時々は、拾い集めている。

ついでに、どんな山野草が芽をだしているかを調べる。

最近、あちこちに、キンラン・ギンランが出てきて、本当に嬉しい。山百合もずいぶんと増えたなと思う。手を入れれば、山は、私達に優しく答えてくれる。

地元の人が、昔の南山は、キンラン・ギンランがいっぱい咲いていたと言っていた。盗掘されたり、誰も手入れをしなくなり、藪と篠笹に覆われて、いつの間にか、種々の山野草が芽を出さなくなったそうだ。

私達が、下草刈りをした所は、2年目くらいから、山野草が、ポツポツ芽を出してくるようになった。

四季折々にいろいろな山野草の花が咲き乱れる里山にしたい。












畑のあれこれ。








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FC東京、久しぶりに最高の勝利

2014-05-18 18:03:52 | FC東京とサッカー
昨日は、南ちゃんの仲間を3人招待していた。じゅんさんとさらさんの夫婦は、去年も招待していて、その時には、東京からもらった青赤のタオルマフラーを差し上げて、「ちゃんとマフラーして来てね」 と。

今年は、もう一人、ふうさんも来てくれて、その人にも青赤タオルマフラーを差し上げて、「ちゃんとマフラーして来てね」 と。

いつものサッカー仲間の後の席に三人と一緒に座った。

ユルネバを歌う時には、ちゃんとタオルマフラーを掲げてくれた。

エネゴリくん・ドロンパバックももらえるから早く来てね、と言っていたので、早めに来てちゃんともらえてよかった。

彼女達に選手の事とかを説明しながらの観戦だった。

始まる前に、「今日は、久しぶりに、8番・14番・17番とエドゥーがスタメンだから期待してね」 と言った。

他の選手の事を話しながら、さあこれからで、突然のゴール!

バンザイに三人も参加。

「凄い! もう点が入ったね」 と興奮していたら、またしてもゴール!

もう一度、三人も立ってのバンザイ。笑ってしまった。

去年、ご夫婦を招待して、来てくれたのがセレッソ戦。あの時は、終了間際の失点で負けてしまった。

「もう、2点も入って、もう、勝つね」とさらさん。
「ううん、サッカーで2-0は、一番危険なスコアーなの。何回逆転で負けた事か。せめて、もう一点欲しいわね」 と話しながら応援していた。

「森重はどれ?」
「センターバックの黄色のキャプテンマークを付けている3番。」

「今野は?」
「15番なんだけど、ガンバは背番号が見ずらいね。ディフェンスじゃなく、遠藤と一緒のボランチ」

私には、背番号を見なくても、姿や走り方で分かるけど、テレビと違って分かりにくいかも。

ヨネくんのボール奪取は凄かった。そして、ヨネくん二人?と思うほど走り回っていた。でも、ボール奪取後の味方へのパスが繋がらなかったり、ミスしたり、それさえクリアすればなと思う。

タマちゃんは、何回もピッチにひっくり返されていた。一番多かったのでは。「また、8番だよ。8番はタマちゃんの愛称ね」 と話す。

相当、疲れたんじゃないかしら。だからか、一番に交代。

その頃から、河野くんの動きが鈍くなったように感じた。

さらさんに、「17番がちょっと足が止まったみたいね」
「え、どうして分かるの?」
「ほら、あまりボールを追わなくなったでしょ。立ち止まったり、歩いたり。ちょっと、足がつったような仕草も」

そして、河野くんも交代。
「あ、やっぱり、17番が交代ね」 とさらさん。

しかし、3点目のエドゥーのゴールは凄かった。これで決まったと思った。

2-0は怖いけど、3点目が取れれば落ち着いて応援が出来る。

相変わらずのコンちゃんへのブーイングには笑ってしまう。

さらさん達は、「コンちゃん、かわいそう」 と笑いながら言う。

ガンバはコーナーキックは怖いな、パス回しは上手いな、と思いながらも、終わってしまえば 3-0 の勝利。

久しぶりの勝利に、久しぶりにホームでの眠らない街に感激した。

招待した三人に、楽しいサッカーを見てもらえて良かった。

前に座る仲間達が、「勝利の女神様です。また、ぜひ来て下さい」 と言っていた。

「また、来てね。」 と言ったら
「今度は、ちゃんとチケットを買って来るね」 と。

彼女達が来る日は、必ずチームは勝利して欲しい。

勝てば、スタジアムの雰囲気は最高に楽しくなるから、また来ようかなと思ってもらえるだろう。

今度は、南ちゃんの他の仲間達も誘って見に来てもらおうと思う。

彼女達が帰った後も、仲間と試合のダイジェストを見ながら勝利の余韻に浸っていた。

帰り、出口の社長との握手の長蛇の列に笑ってしまった。

入場前の待機列の人達に声を掛け、あるいは話をし、入場時にはハイタッチをし、帰りには出口で握手をする。アウェイにも必ず行って、待機列の人達に挨拶をし、入場時にハイタッチ、試合前のスタンドまで来てサポーターと話をし、やっぱり帰りには出口で握手。

こんなマメな社長は他にはいないだろう。いろいろ言う人もいるが、続けている事が凄いなと思う。

中断前の試合に快勝して、モリゲもゴンちゃんも、気持ち良く代表の合宿に参加出来るだろう。そして、ぜひ、ブラジルW杯には結果を残して帰って来て欲しい。





ガンバレ! 森重、権田!

そして、ナビスコガンバレ! トーキョー!



試合が始まる前にパチリ。











日本代表の本田のユニを着た外人さんが、18番石川のユニを買っていた。



Jリーグタイムの記者達が、東京サポにインタビューしていた。昼食は私の隣でステーキ丼を食べていた。














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東北被災地への参拝旅行 二日目

2014-05-17 08:27:34 | Weblog
陸前高田本称寺へ。



そこで、仮に作られた小屋で、立派な祭壇の前で、お経をあげる。

祭壇も仏像も全て寄進されたという。

そこの今の住職さんから、あの津波の経験を聞く。涙無しには聞けなかった。

その時、御自身と近くのおばあさんと妹さんと、2階の住居に上がったが、そこにも水が上がって来て、最終的には、ご自身は外に流され、何とか助け出された。

でも、一緒にいたおばあさんは、流された住居の中で見つかり、妹さんは後に遺体安置所で見つかり、本堂にいたはずの住職はいまだに見つかっていないという。

役所に勤めていた奥さんの行方が分からず、探していたら、まず財布が見つかって、中のお金もカード類全てが無事だったと言う。

あの、津波が引いた後に、沢山の人達が略奪に来たそうだ。いろいろな人達が来て、あらゆるものを持って行ったそうだ。民家や工場やお店等のガレキの中から。

最終的には、遺体安置所で奥さんは見つかった。その間、いろいろなデマや噂が飛び交い、大変だったそうだ。

奥さんの親戚に預かってもらっていた子供達を引き取りに行き、高台から子供達と見降ろした時、何も無い陸前高田市、見渡す限りの破壊された町の風景に、ただただ、呆然と笑ってしまったそうだ。

お寺さんも、残ったのは石段だけだったと。

そして、娘さんの話し。

あの、朝日新聞の一面に載っていた、“トランペットの少女” 。

娘さんが、「お母さんの為にトランペットを吹きたい」 と言った時に、迷ったそうだ。

というのは、その頃、あまりにもメディアの態度が酷かったのだそうだ。その彼らに娘の写真を取られるのが嫌だったので、メディアのいない時間帯に一緒に行って娘さんを見守ったそうだ。

その時、朝日新聞の記者が写真を撮らせてくれと、言って来た。

その記者が、涙を流し泣きながら話しかけて来て、この人なら、写真を撮らせても大丈夫だろうと。

それが、日本中の世界中の心を揺さぶった、トランペットの少女だったとは…。

その話を聞きながら、涙が止まらなかった。

仮設にいた時に、娘さんが、壁が薄いため隣の住居の人達を気にして夜、声を殺して泣くので、夜中に車を出し、その中で思い切り泣かせてあげたそうだ。悲しい時には、思い切り泣かないといけないと。

沢山の人々が亡くなり、一人一人にドラマがあり、悲しみがあり苦しみがある。

お話を聞くのが30分の予定だったが、たんたんと経験を話された時間は1時間を超えていた。

父親の住職が亡くなり、今は住職になった彼は、やっと、仮設の小さな本堂を建てた時に、檀家の人に、テントでいいから、もっと早くにお参りする所を作って欲しかったと言われた。

私にも分かるが、大切な人が亡くなった時に、手を会わせ話しかける場所が必要なのだ、

外には、ガレキの中から見つかった、梵鐘があった。“わすれなの鐘”と言われているそうだ。お坊さんが鐘をたたく。私達は手を会わせる。



バスに乗り、ガイドさんの話を聞く。

何も無い、本当に何も無い場所を、「ここに駅前のロータリーがあったんですよ」 と。

海の近くに、あの、一本松。7万本あった松の残った1本。今はレプリカだそうだが。



そして、その一本松を取り囲むように、銀色に光るベルコンベヤ。











そのベルトコンベヤは、土がむき出しになった山から延々と延びている。



3キロ、そして、120億円を費やして作ったそうだ。

この陸前高田市は、今、住宅を作るために、かさ上げする為の膨大な量の土が必要だった。その土は、一つの山を崩して運ぶ事になり、初めはダンプで運んでいたが、主要な道路が1本しかないため、それでなくても渋滞するのに、とても何十台のダンプで運ぶ事が困難で、急遽、山から道路をまたいで作られたそうだ。



今、鉄道は、線路を舗装し、そこをバスが走っている。ラビッドトランジットバス、略してBRTという。

初めは、本数も少なく、時間もめちゃめちゃで利用しずらかったそうだが、今は、1日30本ほどに増え、時間もほぼ予定通りになり、便利になったそうだ。以前の電車は1日10本だったそうだが。

3人の方々にお話を聞き、ガイドさんにもあの震災の話しを聞き、皆さんがおっしゃっていた事は、一つ。



私達を忘れないで下さい。
ここで、見た事・聞いた事を、帰ってから皆に伝えて下さい。



あれから、丸3年。でも、まだまだ、被災地は復興には遠い。東京にいると、日々忙しくて、思い出してあげる事も少なくなっている。

被災地に訪れる人達も、日々少なくなっているそうだ。

同じホテルに、ある大会社の新入社員が社会貢献研修に来ていた。

「僕達、何にも役に立てなくて」 と節目がちに言う。
「ここで、見たり聞いたり体験した事は、絶対に心に残り、あなた方の人生にプラスになると思うよ」

そして、私達の団体は、皆、年配者ばかりだけど、日本の未来はあなた達。よりよい日本をお願いね、と余計な事を言ってしまった。

一度は行ってみたいと思っていたから、本当に参加してよかった。

最後は中尊寺を観光して帰りの新幹線へ。





津波の爪後の写真。
 津波の浸水区間




















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東北被災地への参拝旅行 一日目

2014-05-16 11:02:27 | Weblog
夫が、眠っているお寺さんで、東北被災地への参拝旅行のツアーがあるというので参加した。

夫の遺骨をどこに納めたらいいのか随分迷った。

墓地購入をめぐるバスツアーにも参加した。でも、墓地はだいたい不便な所にあり、将来、私が眠るのも躊躇したし、第一、子供達がお参りに来てくれるだろうか、と思って、止めにした。

それで、考えたのが、もっと便利な所で、子供達も来やすい所で、とネットで調べた。

その時に考えたのが、私の家と夫の家の宗教が同じだった事もあり、その線で探した。

そして、見つけたのが、新宿区内の最寄駅から1~2分のお寺さん。そこに、納骨堂があるとの事で、子供達と行って話を聞き、そこに決めた。

そのお寺さんは、今、東京大地震が取りざたされている事もあり、耐震構造にする為に立て直し、その時に今の時流に合わせて、納骨堂と永代供養墓を作った。

それで、その納骨堂に夫を納める事にした。

今は、本当に良かったと思っている。何といっても行きやすい。だから、毎月、月命日の前後に行って、静かに夫と語らっている。時には、一時間くらいもいる時もある。暑さ寒さも天候も気にならず、個室の為、時に泣いても誰にも分からない。

夫が勤めていた会社の人が、「お墓参りに行きたい」 と言われたが、行きやすいし、お参りしやすい。

一人で、こういう宗教関係の旅行に参加は、始め、ちょっと躊躇する気持ちもあった。

でも、案ずる事はなかった。

私のように、女性一人で参加する人も多くて、直ぐに、前からの友達のように親しくなった。

新幹線で仙台駅に到着して、バスに乗る。

最初に行ったのが、東北別院。

そこで、皆で、お数珠を手に、住職さんとお経をあげる。

その後で、ビデオを見ながら、地震と津波の時の話を聞く。

テレビ等で知っている事ではあるが、やっぱり、胸が痛む。

バスに乗っている時にも、ガイドさんや、あるいは地元の人が乗って来て、当時の大変だった話をして下さった。

道路のポールの上の方には、「ここまで津波浸水区間」 の看板が所々に設置してある。私達のバスよりもずっと高い。テレビで○○メートルと言われるよりは、こうして実感すると、その、高さに恐怖する。

ガイドさんがおっしゃった。今、やっとガレキが無くなった状態 だという。これから、やっと復興に踏みだす所だと言う。

確かに、バスから見る津波で流された海岸の町は、本当に何にも無い。ガレキも無く、ただ、空き地が広がっているだけ。きっと、ここに家があったのだろうと思われる土台があったりはするが。

そして、あの “大川小学校跡” 。











何にも無い所に、大川小学校だった無残な姿の学校がある。学校の周りには、人々が住む家々があったのだろうに、見事に何もない。

そして、テレビや写真で見た私の中の風景と、あまりにも違う。実際に見る風景は、小さな集落だった。

テレビで、地図を示して、小学校と避難をしょうとしていた川べりの高台と、学校からの山々の距離感が、現地に来て見て初めて実感。

テレビでは、避難場所が遠く思ったが、大人が走っても2分もかからないだろう。山までだって、走ってもたいした距離ではない。







 高台から学校をパチリ。

家々が立ち並んでいたとしても、そんなにどっちに向かっても時間はかからない。

ただ、思うのは、海の方向には家々があったり、高い堤防があったりで海も川も見えない事だ。結果論だけど、もし、誰か一人でも、走って (大人だったら走っても近くの堤防まで1分もかからないだろう) 堤防に登って海の方を見たら、ただ事ではない事に気が付いただろう。

地元の人が語ってくれた事によると、子供達が何人も泣きながら 「山に逃げよう」 と言ったそうだ。

でも、住民たちも避難して来ていて、中には山に登るのも困難な老人達もいて、山に行くよりは、学校よりも少しでも高い高台に行こうとしたそうだ。

皆で、そっちに向かって歩き出した時に、津波が襲って来た。一番後にいた先生が、とっさに一番後ろにいた子供を一人づつ両脇に抱えて山に走って、その三人は助かったそうだ。

その先生は、その後、心を病んで今はどこにどうしていらっしゃるか分からないそうだ。

そこの祭壇にお坊さんがお経を読み、私達は手を会わせて無くなった子供達や一緒に無くなった大人達のご冥福を祈った。

その後、他の宗教の方々が来て、やっぱりお祈りをしていた。その声がお線香の煙に乗って天に登って行った。

高い高い堤防を作る事も必要かも知れないが、海が見えない事は怖い事だと、大川小学校で思った。

実際に、あの津波が来る前には海の水が遠くまで引き、長靴で歩ける程に海の水が無くなり、それを見て、「大きな津波が来るぞーー」 と叫びながら自転車で逃げて助かった人が言っていたそうだ。

その人も、もし、その海の水が引いた状態を見ていなかったら、はたして避難していただろうか。

震災後すぐに天皇皇后両陛下がヘリで降り立った中学校へ行った。

その中学校は、海から22メートルの高台にある。その中学校の一階の窓ガラスが津波で壊れたそうだ。

その崖の上から海を望むと、海は遥かに下。津波が私達の背までも越えて校舎の方へ行ったなんて、想像できなかった。



青く輝く眼下の海が、大きく膨らんで私を襲うシーンは、どうしても実感出来ない。

そして、あの防災センター。最後まで非難を呼び掛けたあの防災センター。

一面、何も無い草原の中に赤茶けた鉄筋の骨組みだけが佇んでいた。テレビで見た、生き残った人達が必死につかまっていた屋上の鉄塔が心もとない。

この防災センターを残そうか壊そうかでもめているらしい。

今、記憶に残る物が次々と壊されて行く。残したいと言う人と、見たくないと言う人と。

お坊さんがおっしゃった。広島の原爆ドームがあるから、世界中の人達が訪れ、核を無くそうという思いになる。

あの、巨大津波の恐怖を忘れないように、後世に残す為にも、シンボルになるものが必要なのではないか。それがあれば、皆が訪れ、あの巨大津波を思い出し、死者を想い弔う事が出来るしのではないだろうか、と。

確かに、記念碑だけでは津波の恐怖は忘れて行くかも知れない。

ホテルは、あの南三陸町・ホテル観洋。

2階に、お風呂がある。そのお風呂まで津波が来たそうだ。

露天風呂に入って、遥かに下にある海が、ここまで盛り上がって来たなんて…。一緒に入っていた人と、「信じられないし、想像も出来ないね」 と話した。



美しく穏やかに光輝く海が、黒く盛り上がり悪魔の翼を広げた魔物に変わり、人々に襲い掛かり、全てを覆い尽くして流し破壊の限りを尽くした海と同じとは…。

心が疲れた一日だった。






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徳島観光

2014-05-12 19:08:20 | Weblog
前日は悔しい思いをしたけど、楽しい徳島観光。

朝、起きて、展望風呂へ。透明度0の濁った温泉。旅行に行っても、朝風呂に入った事ない私だが、気持ち良かった。

観光は、レンタカーを借りて。行先は、旅行をを計画してくれたAちゃんにお任せ。彼女が運転して連れて行ってくれる。私は、乗っているだけで楽ちん。

ところが、その車のナビの案内が変。

目的地を入れて出発して右へ左へと指示通りに行っても、辿りつけない所があった。

普通の車の多い通りから、脇道に入らされて、そのまま指示通りに行ったら、細い農道みたいな道に入りこんで、ふと脇を見るとさっきの道が平行にはしっている。

又、左へとか真っ直ぐとか指示に従っていたら、グルッと回って元に戻ったり、本当に笑ってしまった。

ちょっとちょっと何なのよ、ガソリン代を稼ぐつもり、と突っ込みを入れながら目的地に行った。

まず、眉山に登り景色を楽しむ。今の時期は、緑が瑞々しくて綺麗だ。









「阿波十郎兵衛屋敷」へ行き、人形浄瑠璃の上演を見た。

演目は「順礼歌の段」

ストーリーはよく知っているが、その、語りに引き込まれた。感情を吹き込まれた人形達の動きに魅せられた。

















途中でスーパーに寄る。

なぜか、東京サポーターの間で、地元の味付けのりとカップ麺がブームになっていて、どこどこのスーパーでゲットとか、俺も買ったとか、ネット上に。

そういう話題に乗るのが東京サポーター。

スーパーには、味付けのりの棚だけが、商品があまり無い。さては、ここでも買い占めたのか。友達は、レジ袋一杯に買いこんだ。もう、棚がから。スーパーの人達は、なぜ?と不思議がっているだろうな。

最後は鳴門の渦潮。

その前にお昼を食べる為に、友達がネットで探して地図を打ち出した所に向かう。ところがどうしても分からない。ナビが連れて行ってくれたところに見当たらない。ナビがここだと言っているのに。

ウロウロしたけど、分からないから、途中にあったお店に行く事にした。

丁度、お昼だったので、混んでいたが何とか席に着く事が出来た。

さあ、何を食べようか、でも写真が載っていないから、どんな料理か分からない。

でも、「もう、2度と来ないんだから、この高いのにしょう」 との一声で決まり。

頼んだら、席を代わって欲しいと、広めの所に案内された。

「え、そんなに品数が多いの。写真がないから分からない。食べきれるかしら」
「無理してでも、食べましょう」

次々と並べられて、見た目も豪華。



いただきます、と食べ始めたが、食べる事に夢中になり、皆、無口に。笑ってしまった。

大満足。でも、こんなに食べて船に乗って酔わないかしら、とHちゃん。

大丈夫よ、その時はその時と私。

最後のお楽しみの渦潮をみるために船着き場へ。

そこで、大きい船にしょうか、小さい船にしょうかと相談。小さい船は水中展望室があって、高い。でも、直ぐに乗れる。

飛行機の事もあるし、直ぐに乗れる小さい船に決めて船に乗る。

船のスピード感が凄い。時々しぶきがかかる。カメラにかからないように気を使う。

渦のそばに行くと、まず、水中展望室に入り、座席に座ってガラス越しに渦を見る。水の中の渦の足が流れて行くのが分かるでしょう、と言われてもよく分からない。何となく見えるような…。



その後で、展望デッキに登った。

もっと大きな船の展望デッキから見れば、渦がハッキリと分かるかもしれない。

でも、海が湧きかえって凄い迫力。船が揉まれて右へ左へと揺れる。







片手で手すりをしっかりと持って身体を支え、片手でしっかり手首に紐を巻き付けたデジカメを構える。

カメラに、しぶきがかかるけど気にする余裕が無い。

非常に大きな生き物が、海の中で暴れて回っているように、海があっちこっち、あらゆる所でダイナミックに沸きかえっている。

観察を終わり、帰り始めた船の中を見回して、東京サポがベンチに座っているのに気が付いた。彼の隣に座って話しかける。帰りはずっと東京サッカーの話をした。本当にどこにでも、東京サポーターはいる。

船を降りたら、私達よりもはるかに多くの人が待っていた。私達の次の船の方が、渦が一番大きくなるそうだ。

そして、飛行場へl。

楽しかった、徳島観光も終わり。

勝ち点1のお土産しかもらえなかったが、今度の土曜のガンバ戦はどうしても勝たなければならない試合になった。絶対に、負けるわけにはいかない。

ガンバ戦は、南ちゃんの仲間を招待している。ますます、負けられない。


面白いからパチリ。







町中で見たヴォルティスのバス。












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FC東京、 徳島に引き分け

2014-05-12 14:16:10 | FC東京とサッカー
最近は、遠方のアウェイには、私一人で行く事が多かった。

今回は、リーグが始まる前から、徳島に行こうと仲間を誘っていた。誰も、行った事の無い所だったので、観光をしようと。

九州にいる仲間が行きたいと言っていたのだが、思うように日程が組めなくて来れなかった。

それで、3人で行く事にした。

天気はいいし、暑くも無く寒くも無く、本当に気持ちが良かった…。

でも、アウェイ徳島は遠く不便だった。

空港に降り立って、バスでスタジアムに向かった。途中でバスを降り、スタジアムに向かった。

地図を見ながら、ノンビリを歩く。

途中の畑で始めた見る光景。何の野菜を育てているのだろう。一個一個土を固めたお団子が乗っている。友達と、何の意味があるんだろうね、とああだこうだと言いながら歩く。





そして、あまりにも鮮やかにテラテラと赤いポスト。


どこにでもいるスダチくん。


前も後も東京サポーターは誰も歩いていない。飛行機は東京サポーターの貸し切りみたいだったのに。前のバスで行ったのだろうか。

徳島のサポーターも見かけない。なによりも歩いている人達が見当たらない。

遠くに見える照明灯を目当てに歩いて歩いて歩いて。

川に近づいたらそれぞれのサポーター達が歩いていた。私達、道を間違えたみたい。でも、取りあえずスタジアムに着いた。





スタジアム前の食べ物屋さんの前には、いつもの見なれた行列が出来ていた。

早速私達も“東大”に並ぶ。そこの徳島ラーメンを食べる事にした。



何人か知り合いが並んでいて、話をしていたら、「フレッシュカツ、売り切れです」 の声。「さすが、東京サポ」 と笑ってしまった。

ウロウロしながら、「そろそろ、中に入ろうか」 と入って席を決める。

知り合いに声をかけられ、「来てたのね。今回は友達と来たよ」 と話す。

トイレは、手にハンコをもらって外へ、外といっても階段の下だけど。

相変わらず、東京のサポーターは多いな。そして、いつものように、社長が挨拶に。

何となくノンビリと余裕を持って応援。

まさか、無得点で終わるとは思わなかった。確かにシュートは沢山打ち、コーナーキックもこれでもかと思うほどあった。でも、どうしてもゴールが無い。

どうして、本当に、どうして決まらないのだろう。

失点 “0” であれば、勝ち点 “1” はもらえるけど、それが目的では無かったはず。

あれだけのコーナーキック、淡々と蹴るのでは無く、もっと工夫を凝らせなかったかと思う。

カズマもいつもいつも、ボールをもらう時に後ろ向きに相手DFを背負ってもらい、落として、前を向こうとするのではなく、もっと工夫が出来ないものか。見ている私にも分かりやすいプレーだから、守る方も分かりやすいのでは。

最近、自信が無いのか、ボールが横横、サイドからサイドに、そして、後に戻してが目に付く。私だけがそう感ずるのだろうか。

河野くんの、ガンガン裏を狙うプレーやドリブルで行ける所まで行くようなプレーが、ちょっと影をひそめている。

誰がスタメンか分からない頃の勢いが無くなったように思う。この頃スタメンがほぼ固定され、交代も予定通りになってきて、プレーがこじんまりとなったように思う。

誰がシュートを決めてもいいが、やっぱり、FWが決めてくれた方が私は嬉しい。

完全に崩してからのシュートもいいんだけど、カウンターも、もっとあってもいいのでは。

負けなかったのに、何か、負けたような気持になった。



これで順位が下がるね、と言ったら、友達に、「負けていないよ。勝ち点 “1” はゲットしたんだから。」 「あ、そうだった。引き分けだったね」 と、笑われた。

帰り、外で社長が帰る人達と握手をしていたが、なんか、辛そうだった。

帰りは、皆の後を付いて行った。「川沿いに来ればよかったんだよ」 と言いながら。

又、歩いて歩いて青赤さん達に付いて行ったら、何と、ほとんどの人が駐車場へ。空港でレンタカーを借りて来たのね。どっかに、不便だから空港でレンタカーを借りた方がいいと書かれていたっけ。

確かに、不便だった。

帰りが明るくて天気が良かったから、地図を見ながら、何とか人に聞きながらもバス停に辿り着いたが、これが、真っ暗な夜だったら、はたして、バス停に辿りつけただろうか。その前にバスがあるだろうか。明るくても、雨風だったら…。

友達と、もう、次があっても2度と来ないねと。

あれだけ沢山の東京サポーターが行ったのに、駅からのシャトルバスはない。延々と歩いて、やっと探した路線バスは、1時間にほぼ1台。それも、空港回りだったり。

そして、私達の乗るバスも空港回りだった。たくさんの東京サポの行列に、はたして、空港へ行く人が乗れなかったらどうするんだろう、と心配していたら、さすがに、空港行きのバスを臨時で出すという。

本当に、飛行機に間に合わなかったらどうするの。

臨時の空港行きバスが2台来て、私達のバスも空港回り。何かな…。

それから、バスに1時間以上も揺られて、やっと徳島駅に辿り着いた。本当に疲れた。

でも、友達が予約してくれたホテルは、新品の綺麗なビジネスホテルだった。何といってもレディスフロアーだ。部屋にスチーム美顔器まである。ゴミ箱までステキ。最上階にある温泉に行くための小物入れのバスケットが可愛い。





友達が、「人気があって予約取るの大変だったよ」 と。

夕飯は、友達が調べてくれた海鮮の美味しいお店。

お通しで出された物を見て、3人で 「これは何?どうやって食べるの?」

初めて見た。お店の人に聞いたら、「カメの手」 だって。



友達が言った。「これだよ、ハラヒロミがスペインに行った時に、美味しいと言ってたの」 と。

初めて食べた。ちょっぴり塩味の貝だった。

娘に写真を送ったら、「ガメラの手?」 と返信が。

気が付いたら、ほとんど、東京のサポーターで埋まっていた。あっちでこっちで、試合や選手の話が聞こえる。

本当に、東京の人達は、お約束通りの行動をする。私達も含めて、笑ってしまう。

明日は、行く所行く所で東京サポに会うんだろうな。

美味しい料理に満足して、ホテルに帰り、くたびれて温泉に行かないで寝てしまった。明日の朝に温泉に行くつもりで。



行きの飛行機は、東京サポーターで埋まっていた。

間もなく着陸しますのアナウンスの後に東京サポーターへエールが送られ、飛行機の中は東京サポーターの拍手で満たされた。

帰りの飛行機も満席だった。スチュワーデスさんに、「引き分けでしたね」 と声をかけられ、いろいろと話をした。最後に私の方から、行きの事もあったので、「ありがとうございます」 とお礼を言った。

そして、飛行機を降り、出口に歩いていたら、古い知り合いのサポーターに会った。

彼曰く、「行きの飛行機で隣にJリーグの関係者がいて、JALから沢山のサポーターに乗っていただいてありがとうございますと、感謝されたと言っていたよ」 との事。

いつだったか、どこの試合だったか忘れたが、やっぱり、飛行機の中は東京サポで一杯で、アナウンスでエールを送られた事がある。その時も、私達は拍手で答えた。














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