ふみさんの日々雑感

生活の事、家族の事、大好きなサッカーの事・・・日々いろいろ

「中田英寿 誇り」小松成美著

2007-07-31 20:39:02 | 映画・ドラマ・小説・マンガ
ヒデの本は何冊か読んだ事がある。強い主張の題名にちょっと「!」と思ったが彼らしいと感じた。ヒデに批判的な人はこういう所が嫌いなんだろうな。俺様、エゴエスト、傲慢、協調性が無い、独りよがり、エトセトラ…。

会社の同僚や友達は、私が読んでいる本の題名を見て、同じような反応を示す。「え、何で読むの」と彼に対して否定的な反応を示す。中には“とんでも本”的な反応を示す人までいる。どうしてだろう。私は、ヒデが歩んだ、想像も出来ない世界を知りたい、そして、あのドイツワールドカップで何があったのか、やっと知りたい気持ちになっている。

私にとってヒデはそのまま“ヒデ”である。

Jリーグが始まって、多分に漏れず、私も息子も娘もサッカーに夢中になった。TVのサッカー中継に釘付けだった。

ある日、息子が言った。「お母さん、高校生にすごい選手がいるよ。もう、目が離せないよ。中田英寿と言うんだって。将来、絶対日本代表になるよ。忘れないで覚えていてね」と。私は息子のその時の、ヒーローを見つけたような瞳の輝きを今でも覚えている。

ヒデは平塚ベルマーレに入った。ベルマーレは魅力的で面白いサッカーをするチームだった。そして、ピッチを走り回る彼。勝利し仲間と抱き合って喜ぶ、弾ける笑顔の彼。ヒーローインタビューで満面の笑顔で答える若い彼。

いつから、彼の顔から無心の笑顔が消えたのだろう。いつから、彼の言葉が聞かれなくなったのだろう。

久しぶりに無心の笑顔を見たのは、トルシエジャパンのコンフェデの豪雨の横浜スタジアムだった。フリーキックを決めて、ガッツポーズで気持ち良さそうに雨を受けて微笑むヒデ。

そして、ドイツの地で敗戦に涙ぐみ立ち上がれなくピッチに倒れたヒデ。グリーンの芝生にたった一人。カメラがいつまでも、映し続ける。スタンドで声も無く見つめるサポータ達と、TVの前で込み上げてくるものを心に感じながら正座して見つめる私。

あ~あ、ワールドカップが終わってしまった。

ヒデの本を読みながらのドイツワールドカップ追体験は、ちょっぴり辛かった。結局、ワールドカップを戦う姿勢や魂、心の持ち方がそれぞれで違っていたようだ。

ヒデは言う。「負けてあとがない状況の中で、なぜ笑いながらゲームに興じることができるのか。それは信じられなかった」と。「顕著だったのは練習時の態度。攻撃している方は本気で攻撃していない。なんとなく攻めて、なんとなくパスを回して。それが試合でも出てると思う。何となくやられちゃう・・・。」

「日本のサッカーに対して自信を失う必要はない。技術の高さと緻密さ、足の速さは世界に引けをとらないのだから。心底“このゲームに命を懸ける”という覚悟を持てれば、苦しい局面も乗り越えられる。これからの日本代表に選出された全員が、覚悟を持って戦って欲しいと願っている。」

ヒデは、05年12月に引退を決意した。「理想のサッカーと現実のプレーのギャップ」「理想のサッカーに追いつけないのではないか、と考えた自分に衝撃を受けた」そして、「経験を積めば積むほど、自分の求め続けるプレーは高度になっていく」「おれは完璧主義者。理想がほんの少しでも崩れるようだったら、やめるしかないんだ」

そして、子供の頃のように、どんな時でも感情を顔や身体で表現できるようになりたいと言うヒデ。そのためにも、人と出会って言葉を交わし、知らない世界を知りたい。知らない人たちと、普通の人間として会い、お互いを理解し合いたいと。

「人生は旅であり、旅は人生である」のメール文は私のメモ帳に記録されている。

息子が、目を輝かせて見つめた中田英寿はヒデになり、そして、中田英寿になった。

沢山の異業種の世界を体験して、いつか、日本のサッカーの為に戻って来て欲しい。私は心からそれを望む。

私は、素直に、あなたのフアンです。
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アジアカップが終わった。

2007-07-30 20:01:45 | FC東京とサッカー
サウジアラビアとイラクとの決勝戦は面白かった。スピーディーでスリリングで。解説者ではないけど、判官贔屓でイラクを勝たせたいと思った。ゴールが決まった時、思わず手をたたいていた。ほとんどの選手が、戦争やテロで身内や知人を犠牲にしている彼らに、せめて、一時の(イラクに帰れば、又、辛い現実が待っている)幸せを与えてあげたかった。

スポーツに戦争を持ち込むのはイヤだけど、イラクの事は痛ましく心が辛い。次のアジアカップの時には、平和になっている事を心から望む。

それに比べて、日韓戦は正直、見ていて楽しくは無かった。オシムサッカーは走るサッカーと言われている割には、この代表はあまり走らない。イラク・サウジの方が最後まで走っていた。そして、時々、ヒデがいたらどうだったのだろうと考えていた。徹底的に足らなかった効果的な縦パスを、もっと通してくれただろうか。

私には、不思議な気がする。私の知っているオシムサッカーは、今の日本代表のスタイルとは全然違う。昔、FC東京と千葉との試合は、いつも楽しみだった。勝っても負けても引き分けでも、その試合は面白かった。

03年、千葉の臨海での0-0で引き分けた試合は、本当に面白かった。目まぐるしく攻守が入れ替わり、両方とも走るサッカーでとってもスリリングだった。この時の試合の録画は永久保存版になっていて、たまに見る。その頃から、FC東京の次に好きなチームになっている。

日韓戦では、選手を大幅に変えると言っていたが、一人を変えただけだった。もう一度チャンスを与えると、そして、チャンスは二度は無いと言う。プロサッカー選手なら、誰だって一度は代表のブルーのユニフォームを着たいはずだ。選ばれたなら、オシムさんの言うように誰にも負けないプライドをプレーに見せて欲しい。又、そういう選手を見極めて選んでほしい。

これからが、本当の選手選びの始まりであり、本来の代表の形を作って行く事の始まりであると思う。

日本協会がオシムさんを選んだのだし、私は彼のサッカーが好きだからずっと応援して行く。

オールスター戦が終われば、Jリーグが再開する。ワールドカップに向けて、FC東京の選手も頑張れ
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星野富弘「花の詩画展」

2007-07-29 20:46:03 | 旅行
夫と上諏訪に行った。本当は木曽福島に行く予定だった。そこで、姉夫婦と母と二泊するはずだったが、母が具合が悪く取り止めとなった。バスで上諏訪に行き、観光してから電車で行く事にしていた。折角、バスを予約していたので、急遽、ホテルをネットで探し、上諏訪宿泊を決めた。

駅からタクシーで15分ほどの山の上に、諏訪湖を見下ろすステキなホテルを見つけ予約する。シンプルで、何も無いステキなホテルだった。ホテルの周りには何も無く、ただ緑豊かな木々と、眼下に輝く諏訪湖があるだけ。ホテルの中も、よくある土産物もなく、広い空間にユッタリとソファがあるだけで、何も無い。食堂もシンプルで飾りが何も無く、冬には薪を焚くステキな暖炉がある。

部屋も広い空間に大振りのソファがあり、寝心地のよさそうな大き目のベットが二つ。そして、正面は緑豊かな木々と諏訪湖が欠ける事のない姿を見せ、その向こうに雄大な山々。朝はモヤで、すべてが乳白色だった。自然の音しか聞こえない静かなホテル。違う季節に又、来たくなった。

車が無いので、観光はタクシーを使う。諏訪大社や美術館等を周る。

原田泰治美術館で“星野富弘「花の詩画展」”をやっていた。絵と詩に感動する。その中の詩から。



痛みを感じるのは
生きているから
悩みがあるのは
生きているから
傷つくのは
生きているから
私は今
かなり生きているぞ



口にくわえた絵筆で、こんなにも繊細で美しい絵を描けるとは。そして、愛おしい程の生への賛歌。

私はイロイロな事に感謝して生きているだろうか。妬みや恨みや嫉妬で、険しい表情になってはいないだろうか。優しく穏やかな心で日々を過ごせるように、立ち止まって自分を見つめ直さなくてはと、思った。
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FC東京の福西選手のトークショー&サイン会

2007-07-29 16:27:39 | FC東京とサッカー
買い物のついでに、調布パルコに足を伸ばし、福西選手のトークショー&サイン会に行った。午後から夕立が来るというので、傘を持って行く。

想定していた人数よりも、遥かに多い人出が予想され、急遽、開場が変更になった。パルコ入り口での開催は初めから無理だったと思う。私でさえ、あそこで本当にするの?と思ったもの。やっぱり、一般買い物客とは交わらない所でないと。福西さんの人気を過小評価していたのでは・・・。

私の周りでFC東京というチームに興味ない人が、「福西さんがいるから、見に行くようになった。FC東京の選手も少し分かるようになったよ」と言う人がいる。この間のFCソウル戦のチケをあげたら、大喜びしていた。内容は・・・だったけど。

1時過ぎに行ったのだが、もう、沢山の人が集まっていた。サイン会の整理券を手に入れる為に、前の日から並んだ人がいたと、司会者が言っていた。スゴイ!

彼が、入ってくると、あちこちから「キャー!かっこいい!!」の声。本当にさわやかな青年で、かっこいい。FC東京の印象や休日の過ごし方とか、トークもさわやかだ。

ところが、時々、稲光がして、遠雷。福西さんも気になるのか、時々空を見上げる。

トークが終わり、サイン会に移る。私は出口の方に進む。と、突然の大粒の雨。人々は出口に殺到した。スコールのような夕立。その後、サイン会はどうなったのだろう。

昔、トークショーやサイン会に人が来てくれるだろうかと、フロントが心配していた頃があった。私も心配で、よく、サクラ(?)で出かけて行った事がある。今回は久しぶりに出かけたら、沢山の人でビックリし、なぜかホッとする。

写真は、人々の間の隅の方から、やっと撮った福西さん。
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また、お葬式

2007-07-28 21:34:08 | Weblog
最近、私の会社ではお葬式が多い。

私の会社は私を入れて、5人。私以外はすべて親会社の出向。もともとの私の会社での、社員は定年だったり辞めたりで、ずっといるのは私一人。女性も私一人。

去年暮れに、私の父が亡くなった。今年の連休には同僚のお母さんが亡くなった。そして、もう一人の同僚は、先月、お兄さんを亡くされた。

今度は前社長が亡くなった。親会社からの出向だったが、二年前に役員定年で完全リタイヤした。そして、会社以外の友人知人の多い前社長は、忙しい毎日を過ごしていたらしい。今年の新年には和服を着て、会社に来られ、なかなか様になっていた。

3月頃に定期健診で、即入院になり、手術、2ヵ月後に退院。そして彼のブログが再開され、私も喜んでいた。

でも、その頃、会社で、もう長くて3ヶ月と聞かされた。彼のブログにはこれからの希望が書いてあったが、彼は自分の寿命をどれだけ知っていたのだろう。6月14日でブログは止まっている。これから、掲示板も更新していくと書いてあった。

小さな会社、小さな部屋、2回の引越し、8年間いつも社長とは机を並べていた。良くしてもらった。親会社よりも進んでいる、PC化は一緒に一から関わって来た。楽しかった。私も、初めてパソコンが会社に来て、パソコンのパから勉強したっけ。手作業の仕事を、ほとんどPC化し、3人いた女性が辞めるたびにPC化を強化して来た。だから、今、3人分の仕事が私一人でこなせるようにはなった。そのかわり、休みが取りずらくはなったが。

石原裕次郎の歌が抜群に上手かった。皆に、「金が掛かっているから」とからかわれ、「家、一件分、飲んだからな」と笑ってワインを傾けていた。恰幅が良く、男兄弟の内では一番の男前だ。

入院して、手術して相当痩せたらしいが、私の中には、元気な頃の社長しかいない。

寂しく、悲しい。社長のご冥福を祈ります。

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サッカー日本代表

2007-07-26 22:01:37 | FC東京とサッカー
アジアカップ準決勝に負けた事は本当に残念だと思う。前の韓国対イラク戦よりは、試合内容はずっと良かった。

でも、監督が変わっても変わらないスタイルがあると思った。

後での再三のユッタリしたパスまわし。だから中盤から前の足が止まる。そして、足の早いFWの動きにパス出しが遅すぎて、再三のオフサイド。

攻めてる時の横パス、バックパスの多用。そしてカットされてのピンチ。

シュートエリアに入っているのに選択がシュートではなくパス。あげくは失敗か、慌ててのあらぬ方向へのシュート。

これはJリーグでも、よく見かける。でも、ガンバは違う。いつも見てる訳では無いが、必ずシュートで終わろうとしている。だからこそ遠藤、パスでは無くシュートを選択して欲しかった。

日本の得点力不足と、いつも言われるが2点もとっている。サッカーのスコアなんてどんなゲームでも、こんなもの。点を入れるのも非常に大事だが、入れさせないのは、もっと大事。

アナウンサーや解説者の言い方がいつも気になる。「ボール支配率が何パーセントで」日本がいいとか悪いとか。そんな事は、サッカーの勝敗にはあまり関係ないのではと思ってしまう。どんなにボールを支配しても、勝てるとは限らないのに。

それから、点を取られても「まだ、時間は十分にあります」と言うが、サッカーで時間が十分にある事なんてない。負けている時は、たとえ40分あっても足らないのだ。ロスタイムで、2点も3点も取る事があるかも知れないが、そんな事はめったにある事ではない。

勝ち切れないFC東京を応援していて、いつも、いつだって時間は足りない。1点入れる事の難しさ。

だから、時間が少なくなってからの猛攻を、どうして最初からしないのか。そんな事したら、後半に疲れて足が止まると心配するかもしれないが、ユックリ後ろでパス回しをしていても、後半に疲れて足が止まる時は止まるのだ。

試合開始の笛と同時に、勝つために気持ちを一つに走ってほしい。

次回は、韓国戦。韓国はイラク戦ではダメダメだったけど、今度は日本が相手。ガンガン来るのではないかしら。一度でいいから、これが“オシムサッカーだ”というのが見てみたい。
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明日はFC東京とFCソウル戦

2007-07-25 18:38:37 | FC東京とサッカー
今年の首都ダービーは去年と同じFCソウル。

去年を思い出す。暑かった。蒸し暑かった。サウナ状態だった。真夏のカンカン照りの1時半からの試合は何回か経験した事はある。J2の頃、会場はほとんど屋根が無いので、日傘をさして小さくなって応援していた。

ところがソウルの蒸し暑さは半端ではなかった。今、思い出しても汗がにじむ。以前、夏に、あのワールドカップスタジアムにオリンピック代表を応援に行った事があるが、その時の比ではなかった。

でも、楽しかった。試合前の爆竹や花火。まるで野球のような応援。試合中なのに、DJの声とオーロラビジョンで「頑張れ、頑張れ、FCソウル。はい、皆一緒に」みたいなアナウンスで、スタジアム中が楽しそうに声を張り上げる。そして、ウエブが周る。

「おい、おい、試合中だよ」と、私達は笑いながら突っ込みを入れた。

なんと言っても、ビックリしたのは、代表の試合のように、国歌が流れた事だ。“君が代”を聞きながら「私達、日本代表?」と。

今年は、まず、「FCソウルのサポーターソング」、そして、私達の「You’ll never walk alone」。

とって、楽しみだ。
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不在者投票

2007-07-24 20:58:00 | Weblog
週末には旅行に行くので、不在者投票に行って来た。

最近は簡単に出来るようになったので、有難い。不在者投票をするする人が多いのでビックリする。中には、投票用紙を忘れたという人がいる。どうするのかなと思っていたら、身分を証明するものがあれば、いいらしい。

でも、誰に、どこに、投票すればいいのだろう。今回は本当に悩んだ。

選挙公報を見ながら、読みながら、この人はとピンと来る人がいない。

しょうがないから、ダメという人を順番に消していった。それでも決まらない。

まア、参議院なのだからと思いながらも、参議院とは、とか、こんなに人数が必要なのだろうかとか、なんかなアと思いながらも、投票をすませた。

国会議員の皆さん、せめて、不正をしないで、清き政治をお願いします。



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日本代表、オーストラリアに勝利!

2007-07-21 22:53:25 | FC東京とサッカー
勝った!!まだ、心臓がドキドキする。

どこかで、決めてくれるかなアと思ったが、PK戦までもつれこんでしまった。相手は一人少ない。まるで、FC東京とレッズとのナビスコ決勝を思い出していた。あの時は退場者を出したFC東京が、PK戦を制して勝った。

でも、川口はPK戦には強い。相手を一人か二人は止めてくれると思ったら、本当に初めの二人を止めてくれた。それで、日本のキッカーも楽になったと思う。

しかし、本当にタフな試合だった。蒸し暑い中、大きなオーストラリアの選手に高さでも負けていなかった。ユッタリと回す時と、スピードアップの時と、変化をつけたゲーム展開は目を話せなかった。ミスもあったが、それは相手も一緒。ただ、やっぱり、シュートの精度を上げてほしい。そうすれば自分達も、もっと楽になるのだから。

PK戦になると、夫に「オシムさん、引き上げるよ」と言ったら、やっぱり引き上げて行った。オシム監督はPK戦を絶対に見ない。私も、ドキドキして、じっとしていられなかった。PKを決めて手を叩くと、窓の外のそこここで拍手が聞こえる。ああ、他の家でも応援しているのね。

オーストラリアに勝てた事は、これからの日本の選手達の戦いに自信と勇気を与えてくれたのではないかしら。

頑張れ!ニッポン!!サムライになれ!!
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玉置浩二の「安全地帯」

2007-07-21 13:39:00 | Weblog
昔の「安全地帯」が大好きだ。レコードやミュージックテープを擦り切れる程、聞いていた。子育ての頃、子供が親よりも友達との世界に行き始めた頃、専業主婦からパートに出始めた頃、いつも家に音楽があった。

最近、忙しくなり、フッと気が付くと、いつか私の周りから音楽が消えていた。子供達はドップリ音楽に浸っているが。夫もリタイヤして、今まで音楽とは縁がなかったのに、今、彼の部屋から音楽が流れてくる。

引越しの度に昔のレコードやミュージックテープは何処かに入り込んで分からなくなった。又、あっても、どうしょうもないが・・・。

この間、娘がブックオフで昔の「安全地帯の」CDを買って来てくれた。「お母さんが大好きだったアルバムがあったから」と。

1982~1988年のベストアルバム。古ぼけた昔の若かりし頃の「安全地帯」の写真がが入っていた。懐かしい!

聞きながら、歌いながら、胸が一杯になって来た。

夢中で駆け抜けて来た、私と家族の思い出が、忘れていた数々の事が思い出される。引越しの度に親しくなった人達との出来事や別れ。

普段、昔の事はあえて振り替えらないようにしているが、急に頭の中に胸の中に一杯に広がった。かの地の人々は元気でいるだろうか。そして、一緒に遊んだ子供達は・・・。

別れて来た人達や子供達は、私の中でそのままの姿で時が止まっている。私だけが、時間が進み、時代が変わったような寂しさで、思わずこみ上げたものが溢れた。

何年か前に、再結成した「安全地帯」のコンサートに一人で行った事がある。又、あったら行ってみようかな。



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