ヒデの本は何冊か読んだ事がある。強い主張の題名にちょっと「!」と思ったが彼らしいと感じた。ヒデに批判的な人はこういう所が嫌いなんだろうな。俺様、エゴエスト、傲慢、協調性が無い、独りよがり、エトセトラ…。
会社の同僚や友達は、私が読んでいる本の題名を見て、同じような反応を示す。「え、何で読むの」と彼に対して否定的な反応を示す。中には“とんでも本”的な反応を示す人までいる。どうしてだろう。私は、ヒデが歩んだ、想像も出来ない世界を知りたい、そして、あのドイツワールドカップで何があったのか、やっと知りたい気持ちになっている。
私にとってヒデはそのまま“ヒデ”である。
Jリーグが始まって、多分に漏れず、私も息子も娘もサッカーに夢中になった。TVのサッカー中継に釘付けだった。
ある日、息子が言った。「お母さん、高校生にすごい選手がいるよ。もう、目が離せないよ。中田英寿と言うんだって。将来、絶対日本代表になるよ。忘れないで覚えていてね」と。私は息子のその時の、ヒーローを見つけたような瞳の輝きを今でも覚えている。
ヒデは平塚ベルマーレに入った。ベルマーレは魅力的で面白いサッカーをするチームだった。そして、ピッチを走り回る彼。勝利し仲間と抱き合って喜ぶ、弾ける笑顔の彼。ヒーローインタビューで満面の笑顔で答える若い彼。
いつから、彼の顔から無心の笑顔が消えたのだろう。いつから、彼の言葉が聞かれなくなったのだろう。
久しぶりに無心の笑顔を見たのは、トルシエジャパンのコンフェデの豪雨の横浜スタジアムだった。フリーキックを決めて、ガッツポーズで気持ち良さそうに雨を受けて微笑むヒデ。
そして、ドイツの地で敗戦に涙ぐみ立ち上がれなくピッチに倒れたヒデ。グリーンの芝生にたった一人。カメラがいつまでも、映し続ける。スタンドで声も無く見つめるサポータ達と、TVの前で込み上げてくるものを心に感じながら正座して見つめる私。
あ~あ、ワールドカップが終わってしまった。
ヒデの本を読みながらのドイツワールドカップ追体験は、ちょっぴり辛かった。結局、ワールドカップを戦う姿勢や魂、心の持ち方がそれぞれで違っていたようだ。
ヒデは言う。「負けてあとがない状況の中で、なぜ笑いながらゲームに興じることができるのか。それは信じられなかった」と。「顕著だったのは練習時の態度。攻撃している方は本気で攻撃していない。なんとなく攻めて、なんとなくパスを回して。それが試合でも出てると思う。何となくやられちゃう・・・。」
「日本のサッカーに対して自信を失う必要はない。技術の高さと緻密さ、足の速さは世界に引けをとらないのだから。心底“このゲームに命を懸ける”という覚悟を持てれば、苦しい局面も乗り越えられる。これからの日本代表に選出された全員が、覚悟を持って戦って欲しいと願っている。」
ヒデは、05年12月に引退を決意した。「理想のサッカーと現実のプレーのギャップ」「理想のサッカーに追いつけないのではないか、と考えた自分に衝撃を受けた」そして、「経験を積めば積むほど、自分の求め続けるプレーは高度になっていく」「おれは完璧主義者。理想がほんの少しでも崩れるようだったら、やめるしかないんだ」
そして、子供の頃のように、どんな時でも感情を顔や身体で表現できるようになりたいと言うヒデ。そのためにも、人と出会って言葉を交わし、知らない世界を知りたい。知らない人たちと、普通の人間として会い、お互いを理解し合いたいと。
「人生は旅であり、旅は人生である」のメール文は私のメモ帳に記録されている。
息子が、目を輝かせて見つめた中田英寿はヒデになり、そして、中田英寿になった。
沢山の異業種の世界を体験して、いつか、日本のサッカーの為に戻って来て欲しい。私は心からそれを望む。
私は、素直に、あなたのフアンです。
会社の同僚や友達は、私が読んでいる本の題名を見て、同じような反応を示す。「え、何で読むの」と彼に対して否定的な反応を示す。中には“とんでも本”的な反応を示す人までいる。どうしてだろう。私は、ヒデが歩んだ、想像も出来ない世界を知りたい、そして、あのドイツワールドカップで何があったのか、やっと知りたい気持ちになっている。
私にとってヒデはそのまま“ヒデ”である。
Jリーグが始まって、多分に漏れず、私も息子も娘もサッカーに夢中になった。TVのサッカー中継に釘付けだった。
ある日、息子が言った。「お母さん、高校生にすごい選手がいるよ。もう、目が離せないよ。中田英寿と言うんだって。将来、絶対日本代表になるよ。忘れないで覚えていてね」と。私は息子のその時の、ヒーローを見つけたような瞳の輝きを今でも覚えている。
ヒデは平塚ベルマーレに入った。ベルマーレは魅力的で面白いサッカーをするチームだった。そして、ピッチを走り回る彼。勝利し仲間と抱き合って喜ぶ、弾ける笑顔の彼。ヒーローインタビューで満面の笑顔で答える若い彼。
いつから、彼の顔から無心の笑顔が消えたのだろう。いつから、彼の言葉が聞かれなくなったのだろう。
久しぶりに無心の笑顔を見たのは、トルシエジャパンのコンフェデの豪雨の横浜スタジアムだった。フリーキックを決めて、ガッツポーズで気持ち良さそうに雨を受けて微笑むヒデ。
そして、ドイツの地で敗戦に涙ぐみ立ち上がれなくピッチに倒れたヒデ。グリーンの芝生にたった一人。カメラがいつまでも、映し続ける。スタンドで声も無く見つめるサポータ達と、TVの前で込み上げてくるものを心に感じながら正座して見つめる私。
あ~あ、ワールドカップが終わってしまった。
ヒデの本を読みながらのドイツワールドカップ追体験は、ちょっぴり辛かった。結局、ワールドカップを戦う姿勢や魂、心の持ち方がそれぞれで違っていたようだ。
ヒデは言う。「負けてあとがない状況の中で、なぜ笑いながらゲームに興じることができるのか。それは信じられなかった」と。「顕著だったのは練習時の態度。攻撃している方は本気で攻撃していない。なんとなく攻めて、なんとなくパスを回して。それが試合でも出てると思う。何となくやられちゃう・・・。」
「日本のサッカーに対して自信を失う必要はない。技術の高さと緻密さ、足の速さは世界に引けをとらないのだから。心底“このゲームに命を懸ける”という覚悟を持てれば、苦しい局面も乗り越えられる。これからの日本代表に選出された全員が、覚悟を持って戦って欲しいと願っている。」
ヒデは、05年12月に引退を決意した。「理想のサッカーと現実のプレーのギャップ」「理想のサッカーに追いつけないのではないか、と考えた自分に衝撃を受けた」そして、「経験を積めば積むほど、自分の求め続けるプレーは高度になっていく」「おれは完璧主義者。理想がほんの少しでも崩れるようだったら、やめるしかないんだ」
そして、子供の頃のように、どんな時でも感情を顔や身体で表現できるようになりたいと言うヒデ。そのためにも、人と出会って言葉を交わし、知らない世界を知りたい。知らない人たちと、普通の人間として会い、お互いを理解し合いたいと。
「人生は旅であり、旅は人生である」のメール文は私のメモ帳に記録されている。
息子が、目を輝かせて見つめた中田英寿はヒデになり、そして、中田英寿になった。
沢山の異業種の世界を体験して、いつか、日本のサッカーの為に戻って来て欲しい。私は心からそれを望む。
私は、素直に、あなたのフアンです。